バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

第十二話:ドラゴンを飼うメリット②

 正直に言うと、俺に金銭欲という物は余りない。
 親は王国の騎士団の下級騎士で、貴族だとか大層な血筋なわけではなかったが(王国の騎士団は上級騎士が貴族の家柄、下級騎士が平民で構成されている)、国から必要十分なだけの給金を受け取っていて生活に困った事はない。

 比較的裕福な家だったためだろうか。あるいは、親の教育のせいだろうか。
 そりゃ俺だって最低限の生活を送るために必要なだけの金銭は欲しいが、それ以上のものは求めていなかった。そんな俺がなんとなく買った宝くじが当たったのはもう数奇な運だと思う他ない。

 俺は知っている。金よりも大切な物があるという事を。
 そりゃ逆鱗を売却すれば、朱里を一年養えるだけの金は手に入るだろう。だが、俺は既にそれだけの財を持っているのだ。
 なくなったら困るがその時は今度は働けばいいだけの話。いつまでも無職をやるつもりもない。

 店員が若干涙目で俺に訴えかけてくる。

「……本当に売らなくていいの? 本当の本当に?」

「はい。使い道が……あるので」

「くぅっ……せっかく初めてうちに持ち込まれた純竜の逆鱗なのに……」

 どうやら、随分と珍しい物だったらしい。先程、逆鱗の測定をやっていた際の言動からもどうやらこの店員、生体素材マニアっぽかったし(本当にそんなものがいるのかは知らん)、その眼はおもちゃを取り上げられる子供の眼だった。
 そもそも、養殖ではないドラゴン自体がそれほどの数いないのだろう。
 別に俺と店員の関係はただの客だが涙目で訴えられるとくるものがある。店員が童顔な事もあり、庇護欲をそそられる。

「くぅ……一割……いや、二割増しで出すっ! 出すけど……ダメかな?」

「駄目です」

「くぅッ……私にもっと貯金があれば……ッ!!」

 泣くほど欲しくても二割増しか。どうやら最初に提示してきた値段は相場だったようだ。
 インチキな値段で買い取りやってちゃ誰も売りに来ないか……見たところ、この店はそれなりに儲かってる。可愛い女の子が店員やってりゃ来る客も多いだろう、カヤの店も似たようなもんだし。

 欲しいおもちゃと言うよりはもはや親の敵でも見るかのような妄執の篭った視線が投げかけられている竜鱗をさっと取り上げる。店員の視線が鱗を追いかけ、一瞬絶望したように表情が固まった。怖い。
 その眼から視線を反らして確認する。

「そういえば、鑑定の料金とかかかりますか?」

「うぅ……え……えっと……三千万……頂きま――う、うそうそ。じょーだんだよ、じょーだん!」

 俺の表情の変化に、焦ったように店員がぶんぶん首を振った。

 当たり前だ。どこに売る物の値段より高い金額の鑑定料を取る奴がいるんだよッ!

 鱗を目の前でピラピラとさせる。店員がまるで一目惚れしたかのようにふらふらそれを追いかける。
 鑑定士ってのはこのくらい素材に対する情熱がないとなれないのだろうか。いや、きっとこの店員だけだな。

 ただの鱗一枚でどんだけだよ。

「悪いけど、これは売れないので」

「はうっ……ど、どうしても……?」

「どうしても」

 別に俺自身朱里の鱗に興味があるわけじゃない。実際、最初は売り払うつもりだった。
 が、純竜に一枚しかない逆鱗――二度と手に入るかわからない代物と聞いたら手放すわけにはいかないのだ。

 俺の眼を見て、店員が唇を噛み締める。血の涙が流れそうな表情である。

「さ、参考までに、何に使うか……教えてもらっても?」

「ドラゴンマニアの女の子にプレゼントするんだ」

「はうっ!?」

 カヤがあれほど気に入ってる朱里の鱗である。きっと喜んでくれるだろう。

 俺の答えに店員がひっくり返る。カウンター裏の棚がひっくりかえった店員に押されて倒れ、上に乗っていた文房具やら得体の知れない素材の入った頑丈そうな瓶やらが倒れ伏した店員の上にがしゃがしゃと崩れる。その上に積もっていた埃が舞い上がる。
 瓶が頭にでもぶつかったのか、とどめとばかりに硬い物がぶつかる大きな音がした。

 余りに大仰な反応と大惨事な状況に俺は、眼を丸くして見ている事しかできなかった。
 埃が収まった辺りでようやく正気に返る。

「お、おい。大丈夫か!?」

 コントかよ。いくらショックでも、反応おかしいだろ。
 ちょっと身を乗り出して様子を窺う。カウンターの裏は大惨事だった。
 文房具に撒き散らされた伝票の束、瓶が割れていないのが不幸中の幸いか。それでも、元に戻すのに何時間も掛かりそうだ。

 そして、それらが積み重なった女店員。俺が声を掛けると、唯一外に出ていた細腕がぴくりと動く。

「う、うーん……お、お兄さん――ッ!」

 そして、次の瞬間復活した。まるで地獄の餓鬼のような有様で物を弾き飛ばし、カウンターに身を乗り出す。
 思わず一歩退く。悲鳴が出なかったのは正直、奇跡だった。
 驚きすぎて心臓がばくばく言っている。そんな俺の事も慮る事なく、店員は更に大きく身を乗り出す。大きな胸がカウンターに乗ってる。

「お、お兄さん、私! 私も、ドラゴンマニアの、女の子だよッ!」

「カヤはお前よりも可愛くて家事も出来て頭が良くて胸が大きくてスタイルがいい」

「ッ!?」

 思わず本音が出てしまった。大体見ず知らずの店員にどうして俺が朱里の鱗をくれてやらなきゃいけないのか。常識で考えて欲しい。

 あれほど勢いのあった店員が絶句している。そりゃいきなり胸がどうだこうだ言われたらそうもなる。
 しかし、随分と精神が強いようで、すぐに立ち直るとこちらを指差し、捲し立てるように叫んだ。

「お、お兄さん、最低だッ! 何? 私に恨みでもあるのッ!? 私だって……家事できるしッ!」

 さすがに自分の事可愛いとか言わないか。本音を言うとけっこう可愛いけど。

 仕方なく、更に指折り続けた。長い付き合いであり、カヤは割りとパーフェクトなのだ。いいところはいくらでも言える。

「後、週に六日くらい家に来て三食作ってくれるし、掃除洗濯してくれるし寝坊したら起こしてくれるし幼馴染だし実家が金持ちだし」

「重いッ! 重いよ、流石に勝てないよッ! それ奥さんじゃんッ!?」

「後俺、店員さんの名前まだ知らないし、店員さんも俺の名前知らないだろ」

「……あ……」

 ようやく俺が客である事を思い出したのだろうか、店員の勢いが収まった。
 こちらをじっと見つめ、何かいいたげにムズムズと身体を動かしていたが、突然床に這いつくばり始めた。

 かなり嫌な感じの視線を向ける俺を物ともせずにしばらく足元でがさがさとやると、立ち上がりカウンターに何か叩きつける。
 カウンターに叩きつけられた小さな手の平。店員は唇をちょっと持ち上げ可愛らしく笑うと、そっと手を上に上げた。

 手の平に隠れていたのは一枚の琥珀色の紙だ。
 店員の視線に圧されるようにそれを持ち上げ、明かりに透かす。質のいい感じの紙質だ。この紙だけで割りと高く売れると思われる。何かの幻獣の生体素材なのかもしれない。
 一通り観察し、店員の方に顔を向ける。

「ポイントカード?」

「名刺だよッ! ちゃんと読んでよッ!」

 名刺か。そりゃポイントカードじゃないよな。
 もちろん存在は知っていたが、学校卒業して無職の俺が名刺を貰うのは初めてだ。

 名刺の裏表をひっくり返し確認する。そこにはファンシーな字でこう書いてあった。

「生体素材専門店『竜の冠』店長 クウリ・ヒノヤマ」

「そう。それが私の名前だよッ!」

 店長だったのか、この女。一体幾つなんだよ。
 疑念の眼差しを向ける俺に、クウリと名乗った店員は胸を張る。胸が張っている。

「この店のオーナーにして、鑑定士のクウリ・ヒノヤマです。どうぞお見知りおきを」

 別にお見知りおきしなくてもいいんだが。

「これはご丁寧にどうも……という事は、その棚ひっくり返した事を誰かに怒られたりしないのか」

「うんッ! 私が一番えらいからねッ!」

 ……この店よく潰れないな。
 どう考えても経営する側の人間には見えないんだが……。

 俺の抱いた不安も知らず、張本人のクウリが催促するようにカウンターを叩いた。

「さぁ、お兄さんッ! 私が名乗ったんだから、すーぱーらっきーなお兄さんの名前も教えてよ!」

 やだなぁ……面倒な事になりそうだ。
 だが、親父から散々言われている。礼儀には礼儀で返さねばならない。名乗られたら名乗り返さなければならない。
 何よりも同じ街に住んでいるのだ、名乗らなくてもきっと名前くらいすぐにバレるだろう。

 小さく会釈をして名乗りをあげた。

「名刺はないが……クジョ―・トモガネです。余りお見知りおきしなくてもいいです」

「いちいち失礼だな、君は!」

 いや、客に馴れ馴れしすぎる方が失礼だろ。
 と思ったが、口に出しては言わない。もう面倒なので早く帰りたいのだ。クウリのスマイルはただかもしれないがツッコミは疲れるのである。後、早く帰らないと朱里が勝手に檻を開けて出てきてしまうかもしれない。

 そして、クウリが上目遣いで聞いてきた。こいつ、自分がどう見られるのかわかってやってるな。

「で、クジョ―。これで私達、知り合いになったよね?」

 絶句。
 まさか素材屋がこんな押し押しな人間だとは思っても見なかった。きっと冒険者だの変わり者を相手にしているから頭のネジが吹っ飛んでいるのだ。
 悪いが早々に諦めてもらおう。

「後は週に六日くらい家に来て三食作って、掃除洗濯してくれて、寝てたら起こしてくれるだけですね」

「要求が重いッ!?」

「後、幼馴染で実家が金持ちになってください」

「物理的に無理ッ!?」

「後、可愛くて家事も出来て頭が良くて胸が大きくてスタイルが良くなって欲しい」

「その辺りで私に不満があるなら表に出ろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」

「って事で、幼馴染の女の子にプレゼントするので逆鱗を売ることはできません」

「あっ……」

 俺の断言に、今までの醜態が嘘であるかのように、クウリが短い声を上げ騒ぐのをピタリとやめた。自分が我儘だったのに気づいたのだろう。
 そうそう。大人しくしろ。無理なもんは無理だから。いくら積まれたって無理。金ではないのだ。

 どれだけ欲しいのか。大金払って竜の逆鱗なんて買い取って、果たしてクウリは何に使うつもりなのか。
 クウリが同一人物だとは思えない気弱な声で尋ねてくる。

「ど……どうしても……ダメ?」

「どうしてもだ」

「もうちょっとなら……出せるかもしれないけど?」

「無理無理。金じゃないんだ」

 クウリがその言葉を聞き、覚悟を決めたように大きく息を吐いた。

 何をするのか、様子を見る俺の前でその頬がみるみる真っ赤になる。
 震える指でまるで見せつけるかのような艶めかしい動作で着ていた黒のシャツの一番上のボタンを外してみせる。そして、囁いた。



「クジョ―、売ってくれたら……えっちな事……してあげるけど?」

「……次見つけたら売ってやる。これはダメだッ! ダメなんだッ!」

 色仕掛けに惑わされたなんて知られたら絶対カヤに絶交されるし、そもそもそこまでやるなよッ!
 断腸の思いで断る俺に、クウリがボタン外したまま俺の腕に飛びつく。ええい、お前、子供かッ! 胸以外子供かッ!

「えええええええ……そ、そんなぁ……次なんてないよう、きっと!」

「きっとある! 絶対あるに違いない! たわしで擦ればいくらでも剥がれるはずだ!」

「ないよ。絶対ないよー、たわしで擦ったって純竜の逆鱗なんてそう手に入るわけがな――え? ……たわし?」

 クウリが呆気に取られたように俺を見上げる。胸に挟まれむにゅむにゅしていた腕が外れる。
 荒い呼吸を整え、俺はクウリを見下ろした。きっと今鏡を除けば、俺の眼は血走っていた事だろう。

 今の言葉、絶対後悔させてやるからな……朱里の力をとくと見せてくれる。




§ § §



 透き通るような紅の鱗はまるで宝石のようでとても美しい。
 クウリの店での騒動から一晩。それを手の平の上に乗せられ、カヤがぽかんとした表情で俺を見ていた。

「……え? これ、クジョ―が私に?」

「ああ……」


「え……あああ……れ……れれれ? で、でも、クジョ―? これ、きっととっても、高いよ?」

 その価値を瞬時に見破ったのだろう。カヤの眼は、唇は珍しく戦慄いていた。

「ああ……すごく高かった。断腸の思いで売るのをやめてきた、あの女、サキュバスかなんかじゃないだろうな……」

 結局えっちな事とやらはできなかったが、あの時のクウリの表情を思い出すとまだ頭がくらくらする。
 だがそれでも打ち勝ったのだ。俺はあの女よりもカヤを選んだのだ! 当たり前である。至極当然の話であるが、貞操まで掛けやがったあの女の決意に打ち勝つにはそれ以上の決意が必要だったのだ。

 カヤはまるで夢でも見ているかのような表情であちこちに視線を向け、最後に俺の方を向いた。

「い、いやいやいや、もちろん、嬉しいよ? 嬉しいけど……いいの?」

「いい。いいんだ。プレゼントだ、カヤ。日頃のお礼だと思ってくれ」

 大丈夫だ。きっともう一枚くらい手に入るはずだ。
 あの後、クウリに教えてもらった。竜はある程度成長すると鱗、生え変わるらしい。
 あの逆鱗はどうも、生え変わりの時期だったから自然に落ちたらしいし。きっと……一年以内にはきっとッ!

 カヤは、全く別の事を考える俺に、満面の笑顔、潤んだ目を向けると、腕に飛びついてきた。

「クジョ―、ありがとうッ! 絶対絶対絶対大切にするよッ!」

「ああ。いいんだ。俺は勝ったんだ」

 やっぱりクウリよりもカヤの方が上だわ。

しおり