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10.シフト

 陽が傾き始め、訓練場を焼きつけるような強い日差しも多少和らごうとしている。
 像が入っていた金庫の中に『これに入れていけ』と言わんばかりの箱まで用意されており、ベルグ達は慎重にそれを収めて、レオノーラ達の待つ訓練場へと戻って来たのである。

 そのグラウンドではレオノーラの声と、町の人の訓練の声で賑わっているが、ローズのいる研究室は今、重苦しい沈黙に包まれていた。
 お宝があった事に目を輝かせたローズも、その宝石のような瞳に金色を映した今は、その目を大きく見開いたまま、左右に首を振るだけだ。

「――やっぱり、か?」
「よよ、よりにもよって、何でこんな厄介な“財宝”を掘り起こしてくれるのよ……。
 こんなもの、バルログを掘り起こしたも同然じゃない……」

 錬金術師(アルケミスト)は、ドワーフやエルフほどではないが、金属らに魔力を込める事が出来る。
 その獅子像は、もう手をかざしたり触れたりせずとも、危険な力が込められていると分かるシロモノであるようだ。

「あぁぁぁぁッ! 歴史に名を遺す、世紀の大発見なのにぃぃぃぃぃッ!
 憎いっ、この像にかかってる呪いが憎いッ! 心底憎いぃぃぃッ!!
 あと、エルフとドワーフの“確執”も憎いよおぉぉもぉぉぉぉッ!!」

 ローズは己の感情を抑えきれず、本心を叫びだした。
 これにかかっている“呪い”もそうであるが、“金獅子”の発見そのものが大問題なのである。
 もし国に渡せば、翌日には研究室内で血の惨劇が起る――しかも、エルフは破壊したと報告している物が、実はそのままで残されていた……。などと公表すれば、そこからとんでもない摩擦を生みかねない。
 まずこれをドワーフが知ると、

『うちらを強欲と罵っているエルフがのう~。ほっほっほ!』

 と嘲り、それに憤ったエルフが、

『元はそちらが用意した金が悪いのだろう!
 欲を出し、自分の所で保管すると言って聞かなかったのが悪いのだ!』

 と、責任逃れの反論する。
 それからすぐに水かけ論が始まり、ヒートアップした双方による()()掛け論へと発展する……これが、目に見えているのだ。
 皮肉にも、友好の証として作られた“金の獅子”が遠く引き離された事は、エルフとドワーフの“友好”もまた遠い事を表していた。

「“呪い”に関しては、この箱で何とか封じられてるけど……。
 全部は封じ切れてないし、ここに保管しておくのも危険よ……」
「一時的にでも抑えられないか?」
「一回だけなら可能ね。だけど、もって二ヶ月ってとこよ。長くは持たないわ」
「やはり当事者であるエルフの協力を――」
「ああ、黒犬の宅配便がテアって人からの手紙持って来てたわよ――」

 この件に関してか、ベルグ達の出発直後にテアから“手に×印”の手紙が届いたようだ。
 当事者でもあるはずのエルフも 、“ノータッチ”したいとなると、ベルグ達が取る方法はただ一つである。
 来るべき“Xデー”がいよいよ現実味を帯び、シェイラの顔にも緊張が走った。

「これからエルフをぶん殴りに行こうか」
「違うよっ!?」
「やはり当初の目的通りにやるしかない、ってことだろ……。
 腹立つのは分からねェでもないが、そいつらの“強欲”のおかげで事が進められるんだからよ」
「――それに、丁度もってこいな依頼があるわよ」

 厳重にしまわれた引き出しより、一通の依頼書を取り出された。
 何とその依頼主は、タイニー本人からであり、その内容は――

「シェイラに給仕係……だと? だが、シェイラの名前間違えている……」
「そ、それぐらいなら大丈夫かも……?」
「裏は性風俗だぞ。その店に限らず、【ビュート湖の町】全体がな」
「えぇぇっ!?」

 表向きはただの飲食店であるが、個室などではそのような行為を行う店だ、とカートは言う。
 ローズもその町の実情知っている。“妹”からそれを聞いたレオノーラは、再びわなわなと激昂し始め、『《ウェアウルフ》の首と一緒に叩き返す』と、その身一つで乗り込もうとする勢いであったようだ。
 しかし、ローズは冷静に『これは利用できる』と、ある計画を企てていた。

「――わ、私がその……男の人と……?」
「ならんッ! 絶対にそのような事は許可できんッ!」

 それを聞いたベルグは、話を全て聞き終える前に言葉を荒げ、反対の意思を示す。

「分かってるわよ。あくまで作戦の成功だけを考えた、ってだけよ。
 けど、借金の返済と暗殺を同時に行うには、これしかないわ」

 ローズの口から告げられたのは、あまりにも非情な内容だった。
 シェイラが何も知らないフリをして潜入、タイニーに近づき毒を盛る。
 その間のシェイラは、男に抱かれる事も(いと)わない――と言ったもの。
 彼女はそれに深刻な表情で受け止めている。

「あくまで方法の一つ。私だって考えただけで、こんな事にGOサインは出せないわよ。
 “断罪者”を薬で化けさせられるけど、長時間持たないし、本人にはなれないもの」
「笑止の沙汰だ。これを議論していても時間の無駄、他の方法を――」
「少しだけ、考えさせてください……」
「え……?」
「シェイラッ!」

 シェイラはそれだけを言い残すと、ベルグ達の静止を振り切って訓練場を飛び出した。
 彼女は今にも泣き出しそうな顔で、葛藤に耐えるように唇を噛みしめている。
 確かに色仕掛けと言う手段は良く聞くけれど、そんな事は自分には出来るはずがない……と。

(だけど……だけど私は、他に何が出来るの?
 借金から始まって、私は皆に守ってもらってばかりなのに……)

 そう考えると、シェイラは辛くて堪らなかった。
 ベルグも怪我をし、ルールを破ってでも守ってくれたのに――と、庇護して貰えねば戦えない自分が悔しかった。

 部屋に戻ってからそれは堰を切ったように、一気にこみ上げてきた。
 頬を伝い、嗚咽と共に流れ出て行く。手で何度拭っても視界が滲み、その指には皺が浮かぶ。
 シェイラの瞳に霞がかかり、次第にそれがぐにゃりと歪み始め――

「やっほーっ」
「ひあぁ!?」

 滲んだ空間から、《サキュバス》がにゅるりと姿を現した。
 突然現れたそれに、大きく尻もちをつき、悔し涙とは別の涙が出てきそうになっていた。

「……あら、泣いてんの?」
「な、泣いてなんか……ぐすっ……ないからっ!」
「まー、誰だって一回や二回は怒られるわ。
 ――で、どったの? 我慢してたら余計に辛いし、お姉さんに話してごらんなさいな」

 シェイラはその優し気な悪魔の囁きに、再び涙しそうになってしまう。
 黙っていようと思っていたのに、どうしてかその優し気な雰囲気に、鼻をすすりながらポツリポツリと《サキュバス》に語り始めた。

「――なるほどね。ま、誰だって“初めて”は慎重に選びたいものだからね」
「そ、そっちじゃないからっ!?」
「犬に噛まれたと思えば、って言うし。天井の染みでも数えてりゃ大丈夫よ、大丈夫っ」
「だから違うってば!? 私は今の――」
「じゃあ、今の守ってもらう立場のままでいいじゃないの。
 足手まといがしゃしゃり出て、自己犠牲を払った所で、それは本人の自己満。
 周りからすれば、そんな人間はただ迷惑で邪魔なだけよ」
「うっ……」

 シェイラは歯に衣着せぬ、ストレートな言葉がグサりと心に突き刺さった。
 心のどこかでは、多少なりとも役に立っているつもりではあるのだが、全体ではまだ足手まといの域から抜け出せていない。
 思わぬ方向から現実を突き付けられ、シェイラはガックリと頭を垂れてしまった。

「でもまー、お姉さんなら、そんな作戦喜んで受けちゃうかなー」
「えぇっ……あ、《サキュバス》ならもってこい、なのかな」
「昔と比べて獲物が少ないと言うか、ケダモノみたいになのが減ってるのよね……。
 復帰してから分かったんだけど、男が草食動物っぽいって言うの? なーんか、受け身なのが目立つの。
 おっぱいやお尻……ましてや、アソコをチラつかせても、目を逸らせて俯くのよ?
 可愛いけど、そう言うのって結構薄いし。私はもっとこう、濃いぃのが欲しいの、濃いぃの!
 だから、ね――?」

 シェイラに向けられた《サキュバス》の妖艶な目は、何かをお願いしようとしていた。

「な、何を……」
「だからさ、あのワンちゃん――一日だけ、ね?」
「ダメッ! スリーラインは絶対ダメッ!」
「えぇ~……。獣人族は野生そのものだからハードだし、あの“男”を感じさせる肉体もホンモノ。
 一晩中ヤれるぐらいタフなのよ? それを持てあますなんて勿体ないじゃない」

 《サキュバス》の目は冗談ではなかった。
 人間でもまれに見るような、筋骨隆々な体躯は女たちにとっては惹かれるものがある。
 人の妻であろうと、“女”の疼きを感じてしまう者も多いのか、道具屋の妻などはもう目に見えて露出が増え、最近は化粧まで濃くなっている……と感じている。
 そのような色気づき出した町の女たちの事を思うと、シェイラもどこか気が気でなかった。
 男の身体などじっくり見た事がない彼女であっても、その逞しい“男”の身体は“女の目”に留まるものがある。

「う、うーん……確かに言われてみれば、だけど……」
「あらん? ワタシの新たなライバル出現ってワ・ケ?」
「な、何言ってんのよ!? 私とスリーラインはっ――」
「実の“姉弟”とかじゃないんでしょ?」
「え……? うん。まぁそうだけど……」
「なら別にいいじゃない。おねショタ風味でも何でも」
「あ、ああ、あるわけないでしょっ! スリーラインだってそんな事はっ……」

 慌てふためくシェイラを見ながら、《サキュバス》はニヤリを口角を上げた。

「じゃあ、ワタシが調べてあげよっか?
 アンタに化けて、艶っぽい目でこう……撫で上げて、反応するかどうか」
「なななな、なに言うのよっ! そんなの絶対許さないから!
 ましてや、私の姿で色仕掛けなんて――」
「ふふふっ……だからイイんじゃない~。ワタシはどこからでも出て来て、消える存在。
 そこに残るは“極楽の夢”から覚めぬ男ダ・ケ・よっ♪
 あー、でもアレね。ワンちゃんより他の男に尻尾振って、その反応見るのもイイかもね。
 嫉妬して、ガオーになったら御の字だし~」

 《サキュバス》はそう言うと、チラりと目線をやった。
 怒ろうとしたシェイラであったが、《サキュバス》の悪魔の囁きが気になっている。
 嫉妬した云々は別としても、確かに自分が他の男になびく素振りを見せればどうなるのか……と。

(……ここのとこ、と言うか昔から、ポンコツの“姉”としか見ていないフシあるのよね。
 そもそも、何でレオノーラさんに“弟”を取られるかもって、私がヤキモキさせられなきゃいけないのよ。ここで逆に、“お姉ちゃん”が遠くに行っちゃうかもーって思わせた方が……)

 その時、シェイラの頭にある悪い考えが浮かんだ。
 確かに場所は危険であるが、近くで護ってくれる者がおり、中に飛び込むのは何も自分でなくてもいい――。
 助けを呼べば“弟”が駆けつけてくれるが、逆に言えば、“姉”が助けを呼ぶまで来られない、と。
 それに気づいたシェイラに、《サキュバス》はニヤりと妖艶な笑みを浮かべた。

「う、ふふふ。やっぱ、ムッツリねぇ」
「そ、そんなんじゃないわよっ!
 だ、だけどその、そう言った仕草とかって……どうするの?」

 シェイラのその言葉に、《サキュバス》は、ふふんっと艶のある笑みを浮かべ、

『女は化け、“オトコを騙す”もの――』

 と、シェイラにを“教授”する。
 その瞬間から“訓練場”となった宿屋にて、シェイラの “訓練”が始まったのである。

しおり