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6.愛憎の遺跡(2)

 下を見てはいけない――。
 シェイラはそう自分に言い聞かせつつ、カツ……カツ……と音を立てながら梯子を上ってゆく。地上では爽やかで気持ちの良い風も、こんな状況下では恐怖と殺意へと変える――。
 しかし、梯子を上りきったそこは、絵でも表現できないであろう自然の芸術が広がっていた。
 緑の山が連なるそれは、苔むした岩肌のようでもあり、自分がちっぽけな蟻のようになった気さえしてくる。
 その神秘的な山の中にある、迷宮のような造りの遺跡を見下ろしながら、シェイラは物見やぐらまで慎重に歩を進めてゆく。

「て、手すりぐらいつけてよ……」

 言葉を失っていたのも束の間、安全基準満たしてないわよ、と忌々し気に遺跡の作り手にクレームをつけた。
 空の回廊に近い通路は、長さ五メートルほど、幅員は一メートルもない。
 手すりがないため、強風が吹けば、バランスを崩せば一巻の終わり――内蔵全てが縮み上がるのを感じながら、回廊を渡った先のやぐらに辿りつくと、そこには一枚の石板が置かれているだけであった。

「……何これ、石板?」

 長方形の石板の上部に、文字が刻まれていた。
 まだ何か書き足すつもりであったのか、下にはまっ平らなそれが中途半端に広がる。
 石板のあちこちは風化して崩れ去っているが、文字自体は何とか読めそうだ。

「『ここは、愛憎渦まく地――秘め事が悲劇を呼んだ』?
 この下のスペースは何だろ、かなり中途半端で秘密がありそうだけど……」

 秘密――石板の秘め事と聞いて、シェイラはふと指輪に目をやった。
 この指輪のおかげで、ここの遺跡に辿りつくことができた事を思い出す。
 もしかしたら……と、シェイラは再びそれを指にはめてみると、

「――やっぱりっ!」

 不自然なスペースに、文字がスゥっと浮かび上がって来たのである。
 シェイラは、この指輪がここの“鍵”である事を確信していた。

「えっと……『アリシャは疑り深い女だった。銀行員として多くの不正を見抜いた。
 二番目に魔導師を疑い、彼の身辺を探った』――?」

 一体何のことか、シェイラには皆目見当もつかない。
 とりあえずメモを取り終えたが、この物見やぐらには石板以外の仕掛けは無さそうである。
 どこを探っても他には何も見当たらず、川を渡るような仕掛けなどは当然あるわけがない。
 何もない事に、シェイラは少し憂鬱な気持ちになった。それは――

「……下見ちゃダメ、絶対に下見ちゃダメ……」

 戻るには来た時と同じように、梯子を使わなければならないからである。
 下を見ると恐怖で足がすくんでしまうため、感覚だけで次の足場を探り、降りてゆくしかないのだ。
 遠のいてゆく梯子のてっぺんからして、そろそろ地面に着こうかとした頃――シェイラは尻に何か触れるものが感じ、思わず足を止めてしまった。

「――ちょっ、な、何ッ、何ッ!? し、下に何かいるの!?」

 鳥の嘴のような“何か”に尻をツンツンと突かれ、パニックを起こした。
 ここにはモンスターらしき存在は見当たらず、上から見下ろした時も、地表をうごめく何かも見えなかったはずだ。

(も、もしかすると……《ハーピー》や《コカトリス》のような、空を飛びまわるモンスターがいたのかも……)

 シェイラは、上から見下ろしてモンスターを探しただけだ。
 今も確かに尻が突かれている、それに彼女の心臓が縮み上がりそうになってしまっていた。

「ちょっ、やめっ! スリーラインッ、助けてぇぇーーッ!」
「なーにやってんだお前ら……」

 戻って来たカートは、その光景に眉をひそめた。
 シェイラは地面まであと五段くらいの場所で梯子にしがみつき、その下ではベルグが笑いをこらえながら、シェイラの尻をツンツンとつついていたからである――。

 ・
 ・
 ・

「――スリーラインのバカバカッバカッ!」

 シェイラは顔を真っ赤にして、尻をつついていた犯人をポカポカと殴っている。

「んもぉぉぉっ、あんな恐い目したのに石板だけだしっ! スリーラインなんてもう知らないっ!」
「わっはっは、すまないすまない! つい暇だったのだ」
「何だ、シェイラんとこも石板あったのか」

 カートの方にも石板があり、『ここには四人の銀行員が居た』と書かれ、シェイラの時と同じ石板には不自然なスペースがあったと言う。

「――指輪をはめたら文字が浮かんできた?」
「うん……ほら、この文章がそれ」

 シェイラは書き写したメモを見せると、ベルグはなるほどと頷いた。
 二人が上に向かっている時、川のほとりでも似た石板を一枚見つけたのだと言う。

「その指輪が、キーワードを映し出す道具なのか……?」
「これが無ければ、この地にもこの先にも進めぬ――あのエルフどもはこれを知っていて、ロームに指輪を取りに行かせたのか?」
「となると、あいつらが先にお宝を手に入れている可能性もある……。
 まさか、カジノの資金源はそれか……?」
「うーむ……あり得るな。もしカスを掴ませたら、その足でエルフの組織を叩き潰そう」
「ま、ここまで来て、手ぶらで帰んのもムカつくしよ。金貨の一枚や二枚でも持って帰ろうぜ。
 シェイラ、指輪を貸せ。もう一回行ってくる」
「う、うん」

 チェーンがついたままのそれをカートに渡すと、真っ直ぐ伸びる梯子を駆けるように上ってゆく――。
 さすがシーフと言わんばかりのそれに、シェイラは思わず感嘆の声をあげた。

「梯子を揺らしたら、刺されそうだ……うーむ」
「ホント、いたずらっ子だけは昔のままなんだね……」

 幼い頃も、ベルグはイタズラ好きであった。
 イタズラを考えるのもやるのも、その反応を見るのも楽しい、とベルグはワフワフと笑っているが、シェイラは『やられる方はたまったものじゃない』と、先ほどの事を思い出し、再び怒り始めた。

「――と言うか、女の子のお尻をつついたらダメなの!」
「む、あれは、シェイラだからやったんだぞ?」
「え、あっ、そうなの? う……うーん?」

 ベルグはちゃんと相手を選ぶ。
 もし相手がレオノーラであれば、思ったほどの返しはしてこないし、ローズにやれば笑顔で毒の瓶を開きかねない――。その点、シェイラは予想した通りの反応を見せてくれるのだ。
 シェイラはそれに喜んでいいのか、怒っていいのか反応に困った。

(“お姉ちゃん”だから、“弟”がイタズラできる……んだよね? 私がナメられてるってわけじゃないよね?)

 関係が近いからこそ出来ることなのであり、そんな事は決してない、と自分に言い聞かせている。……が、どこか納得いかない様子である。

「う、うーん……」
「む? もう帰って来た……シーフは軽業師と聞くが、それ以上かもしれんな」

 あまりの身軽さに、ベルグは『対シーフについて考え直す必要があるな』と呟く。
 この遺跡調査が終われば、スポイラーの従兄弟であるタイニーを襲撃する事になるだろう。当然、そこに控える雑兵はならず者ばかり。もちろんシーフのような者も多いはずだ。
 それゆえに、本業の目を掻い潜って侵入し、かつ頭だけを潰すのは至難の業とも言える。

(ローズが考えてくれる、と言ったが)

 ベルグは、何がなんでもシェイラを“守る”つもりでいる。
 悪党とシェイラを切り離す事が目的であるため、借金返済はその手段の一つに過ぎない。仮に成功したとしても、ヘイトを向けられるのは、“断罪者”のみにしなくてはならないのだ。
 どのような方法を取るにせよ、そこにシェイラを巻き込むわけにはいかない。

「やっぱり指輪はめたら浮かんで来たぜ。
 えぇっと『カトリーナは素直な女だった。その素直さで実直に事務作業をこなす。彼女だけは魔導師を疑わなかった』――だな」
「魔導師って、もしかしてあのロームの町にあった、“なぞなの”の魔導師?」
「かもしれねェな」
「次は、俺が見つけた方の石板へ行こう――」

 川のすぐ脇にある地面に埋められたそこに向かい、今度はベルグが指輪をはめ、浮かび上がった文字を読む。
 石板には『彼女たちは利用され、弄ばれる事となった』と刻まれている。

「なになに……『ダリアは誰からも愛される女だった。窓口に座った彼女に、誰もが金を握った手を差し出す。彼女は魔導師を三番目に疑った』……む、まだ続きがあるようだ?」

 そこには『疑惑の目を向けた者を順に並べろ』と、文字が続いている。
 続けて、A・B・C・Dの文字が並び、シェイラの時と同じく、それに触れれば選択できるようだ。
 それを聞いたシェイラは、首を傾げながら横に結んだ口を開く。

「『疑惑の目』……って最後の一文かな?
 アリシャは二番目、カトリーナは疑わない、ダリアは三番目……。
 だとしたら、もう一人足りなくない?」
「それぞれの名前の頭文字が、A・C・Dで選択肢と一致するだろ。
 Bはなくても、消去法で最初に疑ったのが分かる。つまりB・A・D――だな」
「あ、あー……なるほど」

 カートの言葉に、シェイラは口をポカンと開けながら大きく頷いた。
 ベルグが傍から見れば、空間を指さしているだけであるが、その目にはカートが述べたアルファベットを入力している。
 B・A・D――と入力し終えた瞬間、来た時と同じように、再び周囲の空間がぐにゃりと歪んだ。

しおり