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イヨの言い分

 案内された部屋に入ると、一人部屋には広すぎるくらいの部屋であった。
 20畳くらいはありそうだ。
 正面は壁の半分がガラス窓。
 窓のない左側の壁に頭の方向を向けた豪華なダブルベッド。
 窓の左側にはお茶を飲む時に最適そうなお洒落な丸いテーブル。
 テーブルの上には赤いバラが飾られていた。
 椅子は2つある。
 窓の右側には家具調の立派な机と鏡台。
 机の上に燭台が置かれ、真ん中には原稿が積み上がっている。100枚はあるのではないか。
 恋愛小説の執筆は進んでいるのだろうか。
(恋愛小説?……まさか今、イヨはそういう気分-)

 そう思ったとき、後ろでドアがバタンと閉まり、イヨが俺の前に回り込んできた。
 すると、彼女は目を閉じて唇を近づけてくる。
 悪いなとは思ったが、首を左に傾け、彼女の顔を右肩に乗せる格好で彼女を抱きしめた。
 抱いたのは洋風の挨拶のつもりだった。その実、キスを避けたのだが。
「帰ってきたよ」
 彼女ははぐらかされて戸惑いながらも、こちらに合わせるように言った。
「お、お帰りなさい」
 挨拶が終わると、彼女の両肩に手を置いた。
「また明後日行くけど」
 彼女は目が潤んだ。
「ゴメンなさい。私のせいでまた苦労をかけてしまう……」
「いいんだ。それより、話を聞かせてくれ」

 二人で丸テーブルを挟むように座った。
 目の前にあるバラがホンノリと香りを漂わせて鼻を(くすぐ)る。
「例の騒ぎはいつ収まりそう?」
「小説通りなら、今日に地震が起こるはず」
「まだ今日は終わっていないけど、予兆とかあった?」
「予兆って?」
「地震が来る前に小動物が逃げるとか、イルカや鯨が海から浜辺にあがるとか」
「あんな大嘘、本気で信じているの?」
「……いや」
「だったら、そんな心配しなくても」
「……そうだね。ドンと構えていればいいか」
「そうよ」

 彼女は困り果てた顔つきで言う。
「それより心配なのは、小説書いていて、どうしても心理が分からなくて」
(やはり、恋愛小説のことを気にしているのか)「誰の心理?」
「男性の」
「世間一般は詳しく分からないけど、人それぞれじゃないかな? 思い込みが激しいのもいるし、(俺みたいに)鈍いのもいるし」
「男性が『タイプだ』って言う場合、どういう心理?」
(それって、俺がイヨに『カノジョか?』と聞かれて最初に答えた言葉だ)
 少し考えて答える。
「……憧れにほぼピッタリって感じかな」
「それで相手を好きになる?」
「とは限らない」
 彼女は顔を強ばらせて急に立ち上がった。
「だったら、私の勘違いだったのね!」
 それからゆっくりと項垂(うなだ)れ、椅子にガクッと腰を下ろした。
「ゴメンなさい。マモルさんに怒ったわけじゃなくて。自分の勘違いに腹立たしくなっただけ」

 彼女の視線は窓の外に移った。
「小説書いていて、『タイプだ』という男の子が急に激しい恋心を抱くシーンを前提にしていたのだけれど、それでいいのか自信がなかったの。タイプって、英語でアイドルとかドリームを指す言葉だから」
「タイプって、元々典型の意味のはず」
「恋心じゃないの?」
「人による-」
 急に視線がこちらに注がれた。
「自分の意見に逃げ道を作らないで」
「逃げ道? でも、人の感情って、一つじゃない」
「いいえ、王道が知りたいの」
「王道が正解だとしても、それに囚われず、自分が描く世界観を貫けばいいんじゃないかな? 『タイプだ』と言って速攻恋心を抱く少年がいても-」
「大多数の読者が求めていない物は書けないの!」
 これには反論に窮したので、無難な答えしか思いつかなかった。
「まあ、王道と言ったらロングセラーの名作とかの路線しか思いつかないけど、それを真似ることを書き手自身が納得するならば、その路線に従えば良いと思う。王道を優先したいのならば」

 彼女は黙って(うつむ)いた。(うつむ)いたまま(おもむろ)に口を開く。
「結局そう言うのね」
「大多数の読者を想定するならば」
「少し違う気もするけど」
「何故?」
「自分の世界観を貫く方がまだいい」
「なら、『タイプだ』という男の子が急に恋心を抱くシーンを期待する読者向けに書けばいい。それが大多数かは知らないけど」
 彼女は溜息をついて、顔を上げた。
「『タイプだ』と言ったのはマモルさんだけど、その気持ちが知りたいの」
「さっきも言ったとおり、憧れにほぼピッタリって感じ」
「それで? 好き?」
「ゴメン。憧れ止まり。さっき『とは限らない』と言ったのはそういう意味」
「そう。……あ、もしマモルさんを小説のヒントに考えていると思われて不快にさせたのならゴメンなさい。そういうつもりは最初からなくて。お付き合いをそういう目で見ていないし」
「大丈夫。不快だから言っているんじゃない」

「ねえ、聞いて欲しいの」
 彼女は(はる)か昔の話をする時ように、思い出しながらゆっくりと話し出した。
「幼稚園生の時の話なんだけど、同い年の男の子からオモチャの指輪をもらって、『大きくなったら僕のお嫁さんになってください』と言われたの。
 その男の子、マモルって名前だった。
 私、大きくなってから、それをすっかり忘れてしまって。
 あの日、不良に絡まれているところをマモルさんに助けていただいた後、家に帰ってから、小説の続きを書いていたの。
 ヒロインが、王子様が助けてくれて婚約指輪を渡す、という夢を見る場面を。
 そしたら、急に男の子に何かもらったことを思い出したの。
 机の引き出しの奥を探して出てきたのが、あの時のオモチャの指輪。
 裏側に『わたしの まもる』って書いてあって。
 それを眺めていたら、幼稚園時代の結婚の約束も思い出して……。
 後で妹さんに聞いたら、鬼棘(おにとげ)マモルさんは、昔は私野(わたしの)マモルさんという名前だったことを教えてくれたの。
 つまり、あの時のマモルくんは目の前のマモルさん。
 そのマモルさんから、『タイプだ』と言われて
 ……」

 そう、俺は元の世界で君農茂(きみのも)の前は私野(わたしの)が姓だった。並行世界でもそうだったのだ。イヨと幼馴染みだったとは初耳だ。
「私達、結婚の約束していたのね。昔の話だけど、マモルさん、覚えている?」
「ゴメン。それを聞いても何も思い出せない」
 当たり前である。この並行世界の記憶は最近の2ヶ月程度なのだから。
 彼女は目頭に涙を溜めた。
「いいの。攻めている訳じゃないから。記憶喪失なんでしょう?」
 彼女は無理して笑顔になっているように見えた。
「もう明後日、前線に戻るのね」
「前線ではないから大丈夫。後方支援は危なくないから」
 これは真っ赤な嘘だ。何度か死にかけている。
「戦争なんてなくなればいいのに」
「ああ」
「何故って、平和主義者が真っ先に前線に送られるから」
「え?」
「それって理不尽」
 彼女が突然何を言い出すのか、理由が分からなかった。
「うちの家族全員そう。学校も指名するときは、それが理由よ」
 後方支援部隊に学校の指名があることはミキから聞いていたが、これで謎が解けた気がした。
「気をつけてね。洗脳されるって噂が立っているし。大丈夫?」
「ああ。大丈夫さ。教えてくれてありがとう」

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