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7.作られしもの

 そこは血生臭さに満ちた、待合室であった。
 光差さぬ黒い床に、白い明かりが近づくと、リノリウムの床が赤く染め上げられ、そこにマネキンのような物がバラバラに浮かんでいる。
 壁側には長椅子が置かれ、突き当たりの両開きの扉が開け放たれれたまま、おぞましい程の闇が口を開いていた。

「これは……全員、エルフの兵士か?」
「こ、この人、お医者さんじゃない? う、うぅ……」

 シェイラは、槍や剣などで滅多刺しにされた、白衣姿のそれに口元を抑えている。
 足下のそれを知らないようにしているが、その金属臭のする“名称”を聞けば、たちまち胃の物をぶちまけるか、卒倒してしまうだろう。
 ベルグには、その医者の顔にどこかで見覚えがあった。しかし、大抵のエルフの顔は同じに見えてしまうせいだろうと思っていた。
 今はそれよりも、今はその胸ポケットにあった手帳が気になっている。

「“プロトタイプ”……J.A.N.E(ジェーン)?」

 “赤い池”の上で、獣の目は手帳に綴られた文字を追うにつれ、悪い予想、昨晩からの胸騒ぎが現実味を帯びてくる。
 普通ならありえない事である。しかし、魔術などに長けたエルフでは、頭に浮かび上がった最悪の行為でも、やらかしかねない事なのだ。
 もし、テアの母がこれを知って『絶対に無理はするな』と言ったのなら、とんだ悪党の女だ――と、ベルグは思った。
 その時、立てた犬の耳の中がピクリと動いた。

「――シェイラッ、一度出るぞッ!」
「え、う、うんっ!」

 手帳を持ち、急ぎ足で部屋から部屋を出て行く――。
 ベルグの耳には、“ある音”が聞こえていたのだ。

「シェイラ、ここからは俺の言葉に従うんだ」

 水路から離れた、広間のような場所でベルグの足はピタリと止まった。

「え?」
「“宣告”を。そして、俺が『走れ』と言ったら、振り返らずカートの下へと走れ、いいな」
「な、にを――」

 シェイラは、息と同時に悲鳴までも飲み込んだ。
 闇の向こうから、ゲックン、ゲックンと揺れ動きながら寄って来る“もの”が、()()|う<<・>>に居る。
 人……ではない、が人のようだ。
 ゾンビ……ではない、がゾンビのようだ。

(わ、私の目がおかしくなっているの……?)

 ()()は、スラリと痩身であり、身体のあちこちのバランスが悪い。
 右腕が長いのは、左肩が上にあがっているからか、左脚が長く見えるのは、左右の太さが違うからか……。
 顔も、どこかの芸術作品のようなタッチのそれに近い――。

「やはり、死体の繋ぎ合わせのッ……シェイラ、宣告を頼む」
「あ……ぁ……」
「シェイラッ!」
「――ッ! う、うん……あなたは“有罪”としますッ!」

 ベルグは、ぐっと斧を握った。
 しかし、その獣の眼は白いままである。

「な、に!?」
「ど、どうしたのっ?」
「もう一度、“宣告”を!」

 ゾンビとは違い、人間のように歩くそれはもう目と鼻の先である。
 名を告げなかったからか、とベルグにその名を訪ねる。しかし、シェイラにも、何となくではあるが、それの違和感に気付いていた。

「じ、《ジェーン》! あなたは、ゆっ、“有罪”とします!」

 《ジェーン》は、その右腕を振りかぶり、握りこぶしを叩きつけに来た。
 ベルグは横にそれをさっと躱すが、目は普段のまま、動きも普段のままである。

「スリーラインッ、ど、どうしたの、なんで戦わないのッ」
「戦えないのだッ! 人であるはずなのに、“断罪”の力が発動しないッ!」
「え、えぇ!?」

 目の前にいる《ジェーン》は、“一人(ひとり)”ではない――。
 最も優れた、美しい箇所を集め、それらを繋ぎ合わせただけの複合体。
 “人”でありながら、“人”ではない。そこいるのは、“人の魂”が存在していない、つぎはぎだらけの()()なのである。
 モンスターでもない。意志を持たぬそれは、本能のまま、目の前の生ける物に掴みかかりに来た。

「ヌウゥゥッ!」

 ベルグは“断罪”の力なくして、戦う事が出来ない制約を負っている――。
 そのため、攻撃は出来ない。しかし、取っ組み合いぐらいは出来るようだ。
 《ジェーン》の腕の力はとんでもなく強く、並の人間では折られているであろう。
 その腕力に、ベルグは筋肉を盛り上げ真っ向から立ち向かっていた。
 しかし、常に全力で戦える相手に、生身で挑むのは無理が生じる。

 “法”が存在せぬ迷宮、かつモンスターであれば問題はない。しかし、ここは迷宮とは言いがたく、目の前にいるのは《造られた人》なのだ。
 転がすようにして投げた飛ばしたものの、こんなもので倒せる相手ではないだろう。

「――シェイラッ! 逃げろッ!」
「な、何を言ってるのっ! もしかしたら、解呪《ディスペル》ならっ!」
「《呪われた身》ではないからそれも効かんッ! いいから俺の言う事を聞けッ!」

 語気が強められた言葉に、シェイラはビクッと身体を震わせた。このような強い言葉をかけられたのは初めてだった。
 そのベルグも、シェイラを守り生き延びさせる事しか頭にない。
 我が身を犠牲にしてでも、“姉”を守る――その想いしかなかった。

 シェイラは歯痒かった。一人で戦えるほどの力は無いことは自覚している。だが、戦いもせず、“弟”に『逃げろ』と言われた事が悔しかった。
 退く事もまた勇だ、とテアの母親は言ったが――

「“弟”を見捨てて逃げる“お姉ちゃん”が、どこにいるのッ!」

 頼れる“姉”と思われない事は、我慢出来ない。
 入口は逆方向に足を踏みしめ、ブンッと槍をスイングさせ《ジェーン》の胸部を叩き飛ばした。
 “姉”を尊敬しない、小生意気な“弟”を守る――その意思が、力と怒りを与えている。

「私はスリーラインの“お姉ちゃん”なの! スリーラインが、私の言う事聞くべきなのッ!」

 シェイラは、間髪入れず二、三歩よろめいた《ジェーン》に槍を突き入れた。
 先日倒したトロールはなどからは、“生”を感じたが、これは何もない“虚”……シェイラは《ジェーン》の異様さを改めて実感した。

 強靭な脚は槍をレールにして、シェイラに向かって一歩ずつ、ズブズブと埋没させながら歩み寄ってくる。
 槍を引き抜こうにも、筋肉が収縮しているのか硬く、抜けない。
 レオノーラは、こう言う時は武器を捨てるか、思い切り前蹴りをして引き抜けと言う。

(だけど、槍を捨てたら他に武器が――)

 ほんの一瞬の迷い、それが彼女の判断を遅らせた。

「しまッ……!」

 迂闊だった。“普通の人間”の腕だと思い込んでいた。
 シェイラの目に見えた手は、赤く尖ったネイルが美しい女の手――こんな時であるのに、彼女は『大人っぽいな……』と感じていた。
 思わず、ぎゅっと目を瞑ったシェイラの顔に、何かが飛んできたのが分かる。

(血、かな?)

 冷静だった。人間は、目で見て初めて“それ(痛み)”を覚えると言う。
 泣き叫んでしまうかもしれない、と覚悟を決め、ゆっくりと目を開くと――

「す、スリーライン!?」
「――やれやれ。こんな鈍くさい“姉”をリスペクトしろ、と言うのがまず難しい注文なのだ。まったく、いつも行動が急なのだから……。
 しかし、これで“未完成”か――」

 ベルグの左肩に、《ジェーン》の爪先が突き刺さっている。
 ぐぐぐッと力を込められた指先が、肩の筋肉に埋没し、そこから血がダラダラと流れてゆく。
 ベルグが手帳の文字を追った時、目の前の者・《ジェーン》はそれはまだ“未完成”であると分かった。
 狂った創造主は、理想の頭部を得る直前に気取られてしまった。なので、これは“間に合わせ”として“それ”をつけている、と。
 だが、ベルグには、そんな事はどうでも良かった。

(これが“美”か? 獣の眼からすれば、たまにワケの分からん言動をする“姉”の方が、よっぽど美しいと思うが――)

 と、振りほどくように身体を反転させ

「オオォォッ!」

 お返しにとばかりに、思いっきり《ジェーン》の左頬を殴りつけた。
 それが、どんな結果を招くかは理解している。
 だがベルグにとって、シェイラに傷を負わせる事は、“断罪者”のルールを破る事よりも重い“罪”だ。
 彼の天秤に乗せられた“羽”は重く、ワニに“心臓”を貪られるのと同じなのである。

「……ァ……ガァ……」

 痛みは無いが、ぶん殴られた勢いで膝をついた《ジェーン》。
 突き刺さったままのシェイラ槍の柄が、カチカチと石畳を叩いている。

「す、スリーラインッ! だ、大丈夫!?」
「この程度、日常茶飯事だ。まったく……我が“お姉ちゃん”は無茶をする」
「む、無茶をするのはどっちよ! 私、スリーラインに何かあったら……」

 心配そうな目から、ふいに泣き出してしまいそうな目に変わる。

「むぅ……」
「私は……もう逃げないし、戦うんだからっ!」

 “弟”を守るように、シェイラは腰から短刀を引抜いた。
 初めてのバーに赴いた日、そこの手洗いで会ったエルフの女に貰ったものだ。
 武器はないか、と胸元や腰をパンパンと叩いた時、腰に下げていたのに気づいたのである。
 短刀の扱い方は、他の訓練場で習っていたので分かるものの、これには刃らしい物がついていない。槍を突き入れても倒せぬそれに対し、短刀を突き刺す事はとてつもなく危険である。

「ォ……ァァッ……」

 揺れる槍にバランスを崩しながら、何度目かの引っ掻きを行ってくる《ジェーン》。
 それを振り払わんと、シェイラは短刀を横に払った時であった――

「ァ……ッ……?」

 チッ……と、掠めた《ジェーン》右指が、ボトリ……と落ちた。
 シェイラもベルグも、それに唖然とした顔のまま、その場で固まってしまっている。
 手にしたペーパーナイフのような短刀には刃がなく、先端が鋭く尖っているだけだ。
 指先がかすった程度であるのに、どうしてか根本から落ちているのである。

「も、もしかして、そこに当たったの……?」
「それでも、その程度の刃では落ちん……もう一度斬ってみろ」
「えっ!? う、うんっ……」

 足を止め、明らかな動揺を見せる《ジェーン》の右腕を、先端で引っ掻くように切りつけると――今度は、縫合された箇所から右腕がボトっと音立てて転がった。

「な、なな、なにこれっ!?」
「そ、その短刀は一体何なのだ?」
「えっと……えーっと……」

 性的興味で、宿屋からコッソリ持ち出した“避妊具”と交換した物――など、口が裂けても言えるはずがない。

「え、エルフの女の人から貰ったの。うんっ!
 名前は何だっけ……確か、“契りの短刀”、だったかな?」
「ちぎりの短刀……何だそれは?」
「契約がどうたらとか、契約を切るとかどうとか……」

 当のシェイラにも、どうしてそうなったのか分かっていない。
 まず、その短刀の力すら把握していないのだ。

(“避妊具”が“人に非ず”な存在を切る道()になった……?
 まさか“千切(ちぎ)り”って意味もある、とかでもないだろうし)

 と、考えていた。
 その“まさか”で、身体を()()()()()とは思ってもいなかった《ジェーン》は、ひたすら狼狽えている。
 相手は人造人間と言えど、ただ肉片のつなぎ合わせ。その糸が朽ちればゾンビ以上に脆い存在である。

「やぁッ! えいッ!」

 倒し方が分かればこちらのモノ――。
 そう言わんばかりに、シェイラは意気揚々と、ヒュンヒュンと音を立てながら《ジェーン》の身体という身体を切りつけてゆく。それに合わせるように、造られた身体は、“()”と共に、ボロボロと崩れ落ちてゆく。
 一体どれだけのパーツを繋ぎ合わせていたのか?
 ひとしきりバラし終えた時にはもう、床が肉片まみれになってしまっていた。

「はっ……はぁっ……も、もう、大丈夫だよ、ね?」
「むっ? これは……ハサミか?」
「ホントだ……もしかして、手術してそこに残されたままだった、とか?」
「だとすれば、とんでもない医療ミスだ」

 人間の頸椎にあたる部分に、錆び一つない美しく銀色に輝くハサミが顔を覗かせているのに気が付いた。
 ベルグは、《ジェーン》は本当に()()()のか確認するため、“医師の手帳”を開いて構造を調べている。

「なになに……『私の自慢のハサミを“魂の憑代”に使う』
 となるとこれが、エルフの“悪女”が言う、スロネットの探していた“ハサミ”……か?」
「う、うぇぇ……こんなので髪の毛切られたくない、かも……」
「うーむ……シェイラ、これをその短刀で切ってみろ」
「う、ん……」

 立てた指先で、ズルリと引抜ぬかれたのを見たシェイラは、気が遠のきそうになるのを覚えた。ぐっと耐えながら、“契りの短刀”でシュッ、ハサミを掻くと――

「恐らくこれで、使われた者達も浮かばれるであろう」
「みんな犠牲者なんだよね……」

 憑代を失ったせいか、それはただの肉片のように、くたりと力が抜けたように見えた。
 この地下水路の“防腐”を解かぬ限り、彼らの身は朽ち無いであろうが、その呪縛から解き放たれただけでも救いであろう。
 だが、《ジェーン》だった者達を開放しても、ベルグには一つだけ懸念している事があった。
 浮かない顔をしている横で、空間がぐにゃり……と歪め始めると――

「え……な、なに!? せ、石像っ?」

 この戦闘が終わるのを待っていたかのように、二体の石像が姿を現したのである。
 それを見たベルグは、ふぅ……と半ば諦めのため息を吐いた。

「シェイラ、我々が“ルール違反”すると、こう言う融通の利かない奴が出てくるんだ。
 すまないが……二、三十分だけ待っていてくれんか? ちょっと、文句でも言って来る」
「え、ちょっ、ちょっと待っ――」

 いくら“姉”を守るためであろうと、“正当防衛”であろうと一切認めぬ存在である。
 ベルグはまるで連行されるように、石像に両脇を固められたまま、再び歪み始めた空間に姿を消した。

しおり