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プロローグ

 磁力や重力といった、『触れずにものを動かす力』には、四つの種類があると言われている。
 その中のひとつである重力は、四つの中でも一番弱い。
 それがどうして弱いのか。説は様々にある。

 その中のひとつが、宇宙の多層構造だ。
 宇宙にはいくつもの層が重なり、重力は異なる世界のすべてに移動している。
 それゆえに、分散されて弱い。

 仮説でしかないその説を、真面目に研究した者がいた。
 その結果、彼らのチームは異世界を発見した。
 異世界へと続く扉は、小指がかろうじて入るか否(いな)かというほどに小さかった。

 そこで科学者たちは、意識だけを異世界に飛ばし、現地にあった人形などに意識を憑依させる技術を作った。
 人の体は原子の粒だ。原子の粒の集合体だ。
 だが人は、自我や意識を持っている。
 これは即ち、意味している。
 原子の粒は、特定の条件を満たすと意識を持つようになると。
 その自我を作る自我因子のみを取りだし、異世界に送り込むわけだ。

 そしてノットバーチャルRPGと言われた、ファーミリアオンラインが誕生した。
 物語で紡がれるファンタジーそのもののような世界に人々は魅了され、こぞってプレイしたがった。
 現地の人にとっても地球の知識はとても貴重で、異世界交流もおこなわれた。
 異世界を繋ぐ穴は増やされ、けして多くない会員の権利を争って札束が舞った。

 特にその世界でおこなわれていた『魔装バトル』と呼ばれる催しは、多くの人を魅了した。
 モンスターを自身の体に憑依させ、魔装化して戦うのである。
 けれども、技術が開発されてから十五年。人々は思うようになった。
 実際に行きたい。

 意識を受け取ることのできる人形は、視覚や聴覚といった情報は伝えることができた。
 けれども、味覚や嗅覚に触覚といった、微妙な感覚をキャッチすることはできなかった。

 星の形をしたスターメロンを食べてみたいと思った。
 虹色の花がだす琥珀色の蜜を舐めてみたいと思った。
 群れを作って空を飛んでいる魚と、たわむれてみたいと思った。

 科学者たちは願いに従い、穴を広げる試みをしていた。
 反対する声もあったが、人々の願望には勝てなかった。

 実験は、何回も行われた。
 何匹かの犬やハムスターを送ったところ、99.9999999――トリプルナインの可能性で、分解されてしまうことがわかった。
 無機物は一〇パーセント近い確率で耐えるのであるが、有機物になると難しい。
 しかしそんな異次元作用も、宇宙服のごとき特殊な衣服を着込めば問題がないとわかった。
 大気の違いも、その服の中で二十四時間馴染んでいれば、大丈夫だとわかった。

 世界各地で、穴の拡張が行われた。
 事故は起こった。
 拡張されすぎた空間が、崩壊を起こしたのだ。
 穴を中心に亀裂が広がり、研究者たちが吸い込まれた。
 崩壊は留まることを知らず、ありとあらゆる者たちが、次元の穴に吸われていった。

 老いも若きも男も女も。
 夢を持つ者も持たない者も。
 虫にバラにエメラルドに街に。
 ありとあらゆる存在がバラバラになり、異世界の中に消えていった。

 のちにレイク=アベルスと呼ばれるようになる少年も、その中のひとりであった。

  ◆

 レイク=アベルスはクズだった。
 裕福な貴族の家に生まれて、三歳のころには神童と謳(うた)われ、ちやほやともてはやされた。
 その結果、五歳のころには堕落した。

 三歳のころに使えていたファイアーボールが使えなくなり、年下の稽古相手にも負けることが多くなった。
 それでも言い訳を重ね、神童だろうと努力をしなければただの人にも負けることを認めなかった。

 転機は、七歳のころにおとずれた。
 その日――レイクの一家は王都にやってきたというサーカスを見に行くところであった。
 しかし豪雨で道が崩れて、大きく迂回するはめになった。

 不運と幸運は、迂回先の村に訪れた。
 不運とは、オウガパレードとの遭遇。
 地球を丸ごと転生させたアースショックは、動物たちも転生させている。
 動物たちの中には、魂や遺伝子が異世界――ファーミリアに存在していた魔物たちと融合したものもいた。

 それらの多くは、異常な力や繁殖力を持つに至った。
 異常な力や、繁殖力を。

 その日村に現れた一群は、長蛇の列を作っていた。
 長さは目測で二キロ。
 数は推定で二万。
 ゴブリンオーガを中心に、ドラゴンやデュラハンもいる集団である。

 ゴブリンオーガは一体で、平均的な冒険者が五人は必要となるモンスターだ。
 それを中心とした集団となると、凡人だったら一〇万人は必要となる。
 そんなパレードが接近していたのが『不運』

 宿の中では、村の者たちが集まって話していた。

『やつらの進行速度は、我らより早い。ただ逃げるだけでは、時間の問題で捕まるだろう』
『ただ幸いにして、この村には火薬がある。みんなで派手に暴れてやれば、女子供ぐらいは逃がすことができるだろう』
『しかし女子供だけを逃がしたんじゃ、野良の狼に出会った瞬間に終わりだ』
『護衛が必要となるな』

『そういうことなら俺は残る。護衛が誰かは、お前らで決めてくれ』
『何を言ってやがるんだ。お前には、ミミルちゃんもいるじゃねぇか』
『だからだよ。娘がいるってのに、情けない姿は見せられん』
『父親だって言うんなら、なおさら生きるべきじゃねぇか。まず残るのは俺だ』
『いやオレが』
『俺だ!』

 村の者たちはみな、誰が残るかで争った。
 しかし勇気に満ち溢れているかと言えば、みなヒザが震えている。

 死んでしまうのは怖い。
 しかし仲間を犠牲に自分が助かるのはもっと怖い。
 勇敢にして悲壮であった。

 ただの客人であったレイクは、『逃がしてもらう枠』に入っていたことに安堵する一方、人を犠牲にすることに申し訳なさを感じてもいた。
 しかし自分が残ったところで、なんの役にも立ちはしない。
 神童と言われていた時期はあったが、今はもう、ただの子どもだ。
 もしも自分が、真面目に訓練していたら――。
 そんな風に思ったりもした。

 その時だった。
 悲壮な空気を、ひとりの男が破った。

『私が残ろう』

 白いローブを羽織った男だ。

『アンタは、この宿に泊まりにきていた……』
『いやダメだ。アンタはただの客じゃねぇか! この村には、なんの関係もねぇ!』

 止めに入る村人。
 男は、フッ――と微笑を浮かべた。

『関係がないということは、私が好きにしても構わない――ということだな?』

 言葉尻を取られ、村人たちはまごついた。
 男はくるりと踵を返し、宿の外にでた。赤いクリスタルのついた腕輪を構える。

『狭いところで苦労したろう? スルト!』

 封じられている者の名前を唱えると、炎のウロコを持ったドラゴンが現れた。
 比喩ではない。
 体についているウロコのひとつひとつが、煌々とした輝きを放っている。

〈我が主は、お人好(ひとよ)しですな〉
『まぁ、そう言うな』

 村人のひとりが言った。

『その腕輪に、モンスター……召喚魔装士?!』
『魔界から召喚したモンスターを使役して、時には一体化して戦うという?!』
「便宜的にはそうなるな」

 男は淡々と答えると、呪文を唱えた。

「血で結ばれし盟約の元に叫ぶ! 我と繋がれ、紅蓮のスルト!」

 男と龍が光り輝く。
 目も眩むほどの光りが静かに納まると、そこには魔装の騎士がいた。
 炎を放つ甲冑に、紅蓮の剣を持っている。

『おおおおっ!』

 裂帛の声が響く。
 紅蓮の闘気が、ドーム状に広がった。ただそれだけで、男の足元が溶けてへこんだ。

 男は地を蹴る。
 三キロ近い距離を一瞬で滑空し、単身パレードに突っ込んだ。
 あいさつ代わりの火炎弾で打撃を与え、剣を振るう。

 切り上げ、横薙ぎ、火炎弾。
 男の体が動くたび、オーガは黒焦げの肉片に変わった。

 一薙ぎで一〇のオーガが真っ二つになり、二薙ぎで二〇のオーガが黒焦げになった。
 オーガの放つ木の武具は男に近づいた瞬間に燃えて、多少の手傷はドラゴンの再生力で塞がる。
 羽を広げて空を飛び、ドラゴンをも打ち倒す。

 だが敵は、あまりにも多勢。
 パレードの中でも精鋭に位置するオーガが放った鋼鉄の矢を、肩と太ももに受けた。
 そこにドラゴンのファイアーブレス。
 ドラゴンに乗っていたデュラハンが飛び、大剣を振り下ろしてもくる。

 男の右腕が跳んだ。
 魔装化によって身に着けたドラゴンの再生力を持ってしても、その傷を再生することはできない。
 それでも男は戦い続けた。
 死闘はおよそ三時間にも及び――。

 男は勝った。
 全身傷だらけになりながら、モンスターの群れを退かせることに成功した。
 しかしレイクが憧れたのは、単純な強さではなかった。

『おめぇ……。どうしてそこまでやってくれたんだ……?』

 と問う村人に、笑顔で言い切ったのだ。


『人を助けるのに、理由がいるかい?』

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