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10.欲する者

 紆余曲折あったものの、ラスケットの野菜泥棒の依頼も無事に完遂する事が出来た。
 コッパーの訓練場に帰った三人は、ただちにレオノーラに完了報告をしていたのだが――

「ほう……。報酬で、この大量の“茹でキングクラブ”まで貰ったのか。
 ()()()()()なのに、主に海沿いに生息するカニを――」
「め、名産品になるかもしれないようです……」
「あそこには迷宮もギルドもない。魚の干物らの加工品だけでは、先行き不安だからな。
 うんうん、なるほどなるほど――《キングクラブ》はの相手は大変だったろう。
 シェイラは何匹倒せたのだ?」
「はいっ、何と三匹も倒しまっ――あ゛っ!?」
「そうかそうか――三匹も倒したか。じゃ、その話をよーーーっく聞かせてもらおうか」
「い、いや、あのその……ですね……その……」

 三人が出発した直後、レオノーラとローズに<討伐隊への参加願い>が国より届いていた。
 そこは生徒が向かったばかりのラスケットの町、依頼を受注に関してはレオノーラの一存であるため、国の討伐隊と鉢合わせすれば少し面倒な事になってしまいかねなかった。
 “断罪者”であるベルグに加え、()の効くカートまで居る。それぞれも誤魔化せるだろうが、教官姉妹は念のため生徒を保護するために参加を決めたのである。
 ――が、三人に町に留まっておくよう手紙をしたためていても、三人からの連絡どころか、町からの返信も一切ない。
 いくら待てども返事の来ぬそれに、業を煮やしたレオノーラが向かおうとした矢先……大量のカニを持って帰って来たシェイラを見て、全て察していたのだ。
 全てがバレていた……単純な誘導に引っかかってしまったシェイラは、観念したように一言、二言……ポツポツといきさつを話し始めていた。
 彼女の話が進むにつれ、レオノーラの顔にみるみる怒気が込められてゆく。

「――このバカッ! 手練れでも《キングクラブ》は油断できぬ相手であるのに、感情のまま挑む奴があるか! 一歩間違えれば、二度と歩けぬ身になっていたのだぞッ!!」
「う、うぅ……。も、申し訳ありません……でした……」

 カートは報酬が無いから受けなかった事と、実質あまり討伐に関わっていなかったので不問に。ベルグは、“断罪者”の役目を遂行した、と言う事で、これも不問に――。
 つまり、レオノーラの怒りの矛先は、全てシェイラに向かってしまうのである。
 それを見ているローズも呆れ顔であるが、それには『現地に行かずに済んだ』との安堵の表情も含まれていた。

「久しぶりの討伐隊だッ! って、張り切ってたからね……」
「――手紙、と言ったが……そのようなのは一切来なかったのだが?」
「へ? あの黒犬に渡したんだけど?」
「あれか……。とすれば、報酬を渡してないだろう?」
「え……あれ、前払いしなきゃならないの?」
「うむ。あの黒犬の宅配便は、先に報酬の半分&小遣いを与えないとサボるのだ。
 前払いと言うより、小遣いと言った方が正しいか――。
 着払いなどさせると、相手先に届くのは何ヶ月後になるのか分からん」
「は、早く言いなさいよね……。足が痒くて堪らない元王子みたいに、
 地面をドンドンしてるお姉ちゃんは、本当に鬱陶しいんだから……」

 聖なる力を帯びたバッシャーは持ってない、と言おうとしたが、ベルグは口を閉じた。
 レオノーラのお説教はまだ終わりそうにもなく、しょんぼりと涙目で怒られ続けるレオノーラを見て、心の中で『すまない』と口にしている。

 怒られる原因となった《キングクラブ》のヌシは、“断罪者によって裁きを受けた”ことになっているため、その場にいた“訓練生”には何のお咎めもない。
 “独裁”による罪の意識を感じていたシェイラであったが、ベルグの『その身を食べ、命を繋げる事も弔いだ』との言葉に頷き、カニ料理はもう嫌だと言うほど食べていたのだった。

(しかし、“思わぬ報酬”があったと言えど、目標までは程遠いな……)

 カニの身も報酬でもあるのものの、それは形に残るものではない。
 手元に残るのは、町から得た小遣い程度の金と、《コボルド》からの宝石一つ。
 目的のシェイラの借金返済には程遠い、とカートとベルグは難しい顔をしている。

「このエメラルドと、報酬合わせて――まだ果てしない数字だな」
「うむ……。暴利による不当な請求部分を除いたとしても、金貨三百ぐらいか。
 卒業しても、シェイラの言う通り一山当てねば厳しい物があるな」
「いや、これなら卒業しねェ方がいい。出た瞬間から“ 取り立て”が再開されるぞ」
「……どう言うことだ?」

 “冒険者”として死んだ者は全て自己責任であるため、悪党にとっても利用価値が高いらしい。
 いくら借金があると言えど、【訓練場通いの者には、一切“取り立て”を行ってはならない】との暗黙のルールがある――と、カートは言う。
 シェイラは、それを知ってか知らずか、その身に危険が迫りかけた頃に訓練場に入った。
 このルールは悪党が決めただけであり、時には手段も選ばぬ事もあるものの、“訓練場”には“断罪者”と、目の上のたんこぶの“スキナー一家”――いくら“ワルツ”と言えど、火中の栗に手を出すほどのリスクは負わないはずなのだ。

「スポイラーも、どうしてそこまでシェイラ拘るのか、分からねェな。
 確かに、男とらせりゃ倍は稼げそうな身体つきはしてるだろうが……あんなレベルのは他にごまんといるしよ。
 シェイラを“商売女”にさせるなら、俺なら百分の一ぐらいの投資で済ませるぜ?」
「へぇー……アンタって、あんなのがいいんだぁ?」
「な、なんだよ急に」
「べぇつにぃ――」

 ローズは急にふんっと鼻を鳴らし、唇を尖らせている。
 シェイラの身体を値踏みするように眺め、評価したカートが気にいらなかったのだ。
 ベルグも呆れて鼻を鳴らしたが、カートの言葉に同じ疑問を抱いていた。

(確かに、シェイラには悪いが、そこまでの投資を行う価値があるのだろうか?
 いくら“冒険者”に、シェイラの身体に利用価値があるかもしれぬと言えど……。
 それにシェイラも、どうして訓練場にやって来たのだ?
 あの子が自らの意志で、“冒険者”になる選択をするとは思えんが……)

 と、多くの疑問を残している――。


 ◆ ◆ ◆


 その噂の中心となっていたシェイラは、二時間ほどこってり油を絞られていた。
 ラスケットの町に向かった時と同じく、帰りも同じように徒歩である。
 行きとは違い、帰りは一日で帰って来られたのだが、疲れた身体にレオノーラのお叱り――シェイラの身体は身も心も疲れ切り、途中から何を話しているか全く理解できていなかった。

「あぁー……疲れた……」

 部屋には戻らず、訓練場の図書館へと足を向けていた。
 小さく、どこかカビ臭い部屋であるものの、紙とインクの匂い彼女の心を落ち着ける。
 天窓から差し込む光の中で、フワフワとホコリが舞い、鼻がむず痒くなっていた。
 名目上は三日間の謹慎処分を受けたため、部屋の中で本を読んで引きこもろうしてたのである。
 《キングクラブ》を討伐した事に関しては、レオノーラも怒ってはいたがどこか嬉しそうでもあり、“訓練の賜物”と言うことで深くは咎められなかった。
 しかし、依頼を飛び越えた事についての責は避けられない。

「えっと……この本は読んだ事があるし、この本は――堅そう。うーん……」

 本を読むのが好きであるが、あまりビッチリと書かれたのはダメである。
 面白そうと思った本には最後の数ページが破られていたり、推理小説には表紙にトリックと犯人が書かれていたりと、碌でもない物ばかりのようだ。
 辞典のような分厚い本はスル―しているので、他に読めそうな物が何一つない――小さな図書室内を何度もぐるぐると周っていると、ふとある本がシェイラの目に留まっていた。

「これ、タイトルがない……? 何だろ、印刷ミスとかかな――」

 手に取ってみると、古ぼけているにも関わらず、あまり読まれた痕跡のない本であった。
 何か飲みながら読んでいたのか、端々にふやけた箇所があるだけで、それ以外は特に変わった所がない。
 中は何の変哲もない恋愛小説のようだが、シェイラは一文字一文字しっかりと目で追うぐらい、その紙面に書かれた文章に惹かれているようだ。
 僅かに部屋の中の時が止まっていた。彼女は急にそれをパタン……と閉じ、室内に誰も居ないのを確認すると、それを胸元でしっかりと抱えながら、いそいそ部屋を後にしたのである――。

 ・
 ・
 ・

 陽が暮れ、夜のとばりが降りたあぜ道を足早に抜けた。
 久しぶりに会う女将との会話もそこそこに、シェイラは急ぎ足で自室へと戻った。
 早々に部屋に戻ったベルグやカートも、それぞれ思い思いの時間を過ごしている。
 部屋に入ったシェイラは部屋の鍵を落とし、高鳴る胸を抑えながらベッド脇に腰を落とした。

 図書室で読んだページの続きに目をやる――。
 それは、ある日突然、家を乗っ取られてしまった令嬢が、どん底から這い上がる話である。
 どこにでもあるような話であるのだが、シェイラは小説の中の女の子の境遇に親近感を抱いていた。……いや、それよりもシェイラが惹かれたのはもっと他の場所であった。

【家を追い出された女は、明日を生きようと必死だった。
 ある日、食う物に困った女はついに決心し、金を持ってそうな男に話を持ちかけた。
 男は口元を歪め、女と共に路地裏に入るやいなや、ズボンをおろし怒張した性器を取り出した――】

 ページをめくるシェイラの手が早く、僅かに息が荒い――。
 官能的……官能小説と言っても過言ではないそれに、シェイラは食いついていたのだ。
 時おり身じろぎし、尻を浮かせている。

【少女は、ついに決心した――。
 出来るだけ金の持っていそうな男が良かったが、“私”がそれを許さない。
 せめて”初めて”だけは、自分の納得のいく相手にと思っていた。
 男は若い。日雇いの男か、得たばかりの賃金を握りしめ、“少女”に会いに来る。
 いつしか、少女もその若者を待つようになっていた。
 下卑な大人の後、来られると凄く嫌になった。早く来ると、その日は耐えられる。
 臭う大人のそれと違い、口の中で全てを露わにする若いそれを待っていた。
 いつしか“少女”がそれを欲し始め、“若者”もそれを欲した――】

 本の中の少女は、金のために男のそれを咥え悦ばせていた。
 だが、いつからか熱心に足を運ぶ若者に恋をしてしまったのだ。
 オンボロの連れ込み宿のベッドの上で本を開き、その時を待っていた――いつしか、“金”を得る方法から“愛”を得る方法に移り始めようとしている。
 どく……どく……と、胸の鼓動が早く、何かを期待しているようだった。

【若い男女は何も知らぬ。
 互いの名すら知らぬ二人は、ベッドの上で並んで座るだけであった。
 永い時が過ぎ、覚悟を決めた男は、ついに女をベッドに押し倒した】

 シェイラも、無意識にベッドの上に転がった。
 仰向けに、ページをめくり続ける――本の中の少女が、まるで自分のような錯覚を起こしている。汗が雫となり、その柔肌の上を滑り落ちた。
 衣類の中はむわりとした熱気を帯び、じっとりと汗ばんでいる自分に驚いてしまう。
 窓まで締め切っているため、部屋の中は蒸し暑い……それすら気づかないほど、彼女は作品に没頭していたのだ。
 顔を赤く、手に湿り気を残したまま、シェイラはページをめくった。
 そこは、今まさに“少女”から、“女”になろうかとしていた時であった――。

【男にはあり女には無いモノ、女にはあり男には無いモノ――汗ばむ身体はもう互いに足りぬモノを欲している。だが、男は少女に、もう一つ求めたものがあった。
 『貴女の名は何と言うのですか?』
 と男は尋ねた。
 少女は答えるのを躊躇った。これまで名を名乗る必要がなく、名がない故に、男を悦ばせるだけの身体でも耐えて来られたのだ。
 もし、己の名を言えば、己が消え、別に何かに置き換わるとすら感じていた。
 『教えてください。貴女の名が知りたいのです』
 男の熱意に、少女はもう消えてもいいかと思った。
 “ここ”でずっと生きる。そう覚悟を決めた少女は、小さな口を開いた。
 『私の名は――』 】

 本を読んでいる少女は、そこに綴られていた文字が理解できなかった。
 声をあげる前に、目と意識がその文字を追ってしまっている。
 
【『シェイラ・トラル――』】

 “本の中の少女”は、“本を読む少女”の名を名乗ったのだ。

しおり