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忍び寄る魔の手

 明かりが(とも)った宿舎に入ると、すでに四人が床に車座になって食事をしていた。
 車座の真ん中に、配給以外の食品がふんだんに並んでいた。
 検閲を通過した持ち込みだろう。
 連中は一斉に冷たい視線をこちらに浴びせた。その威圧感にゾッとする。
 いつまでも中に入ってこないからか、顔に傷のある筋肉質の男が低い声で不機嫌そうに言う。
「おう。ボケッと立ってねえで、そこ座んな」
 顎で指す方向は部屋の隅で、そこに座布団が投げ捨てられたように丸まっている。
 邪魔者扱いされたというのが正しそうだ。
 この雰囲気では車座の輪には入れてもらえないだろう。
 一応仲良くなる算段を考えていたのだが、完全に打ち砕かれた。
 部屋の隅に行って座布団を恐る恐る広げながら挨拶した。
「どうも。鬼棘(おにとげ)マモルです」
 奴は「ケッ」と吐き捨てるように言って、こちらを睨み付ける。
「名前なんか聞いてねえ! ガキは小便して寝ろ!」
 腹の底から響くような声。
 その剣幕にビビってしまい、首を縮めて下を見た。マジで震えてきた。
 顔に傷のある痩せた男が「あにさん、初対面でそんなにビビらせたら、あの坊やは漏らしますぜ」と言ってこちらを向く。
「なあ、坊や。お兄さん達はお兄さん達でやっているから、坊やはそこで大人しくおまんま食べたら外行って寝てな」
「外でですか?」
 連中はドッと笑った。
「坊や、今何が起きてるか知ってる? バトルだよバトル。ゲームじゃないよ。そういうときは寝る場所なんか選べやしない。トイレの中だって、塹壕の中だって、ジャングルの中だって、横になれるところはみんな寝床」
「布団はありますか?」
 連中はまたドッと笑った。
「なあ、坊や。塹壕の中で布団敷くのかい? 雨が降りゃ雨に打たれて、今にも爆弾が降ってくるんじゃないか、という恐怖の中で横になるのさ。寝ていて、本当に爆弾が降って来ることだってあるんだぜ。そんときは、瞬時に木っ端微塵。はい、さようなら。今、前線で女共がそういった恐怖に震えながら寝ているはず。何? ここ臨海学校のつもりで来た?」
 連中はヒーヒー言って笑った。
 最初の男が「外に連れ出せ」と言うと、今までしゃべらなかった二人が俺の両腕をガシッと掴み、力尽くで引っ張りながら宿舎から離れた森の中へと引きずった。
 抵抗しても無駄だった。
 外は月明かりが綺麗だったが、森の中は闇同然だった。
 俺は茂みの中に放り投げられると、顔面や腹を10発以上殴られた。
 ボディビルの体格の奴はとても(かな)う相手ではない。
(ここで一暴れしても、あと二人が加勢に入ったら絶対勝ち目がない)
 仕方なく、殴られるに任せた。
「ここで寝る練習でもしてろ」
「実戦の時は、これでも上等な寝床だぜ。そこはフカフカだろ」
 捨て台詞を残して二人は去って行った。
 殴られた痛みでだんだん意識が薄れていった。

 どのくらい気を失ったのか分からないが、何かの物音で目が覚めた。
 夜行性の動物が枝を踏んだのかも知れない。
 しばらく時間が経過していたようなので急に不安になった。
(あいつら……夜中に何をしでかすか分からん)
 そこで、物音を立てないようにソッと宿舎へ戻り、小窓の下にしゃがんで壁に聞き耳を立てた。
 幸い、宿舎の壁が薄いことと、周りに誰もいないと思っているらしく連中は普通の声でしゃべっているので、話の内容がはっきり聞こえた。
「ところで……あの女、気にならないか?」
「うちらのチームのあいつ? 骨皮以外の二人?」
「そう。どっちの女でもいいけど。もう一人は骨皮だからお前にやる」
「こりゃどうも。あっしにお似合いってことで」
「え? あにさんは連隊長殿では?」
「アハハ、婆さん相手にやれないだろう」
「うちらのチームの女共に目をつけるとは、さすが」
「んだんだ」
「おうよ。……で、ちとこれから、かまいに行かないか?」
「いいねぇ」
「うん、いいねぇ」
「でも、騒がれたらどうする?」
「ケッ、騒ぐ前にこいつで」
「なるほど。あにさん、いいもの持ってますねぇ」
「これは缶詰も開けられる十徳ナイフじゃないぜ」
(それって、戦闘用のナイフか何かだ! ヤバい!!)
「やり方分かるよな」
「前もやったから何とか」
「戦争だから、スパイの仕業に出来る。始末したら、あの糞ガキみたいに森の奥へ投げ込んでおけ」
(宿舎に急がないと!)
 腰を屈めながら音を立てないようにそこを立ち去り、明るい時に調べておいた近道を通って彼女達の宿舎へと走った。

 彼女達の宿舎の前に辿り着くと扉を叩いた。
 全速力で、ただし腰を屈めて走ったので、息が切れそうだ。
 後ろを振り返ったが、幸い、連中の姿はない。
 宿舎の中で誰かが扉に近づいてくる足音がする。
「はい」
 ミキの声らしい。暗号は俺からだ。
「富士山麓」
「オウムはおごる」
「人並みに」
 扉が開いた。やはりミキだった。
 彼女はパッチリした目をさらに見開いて言う。
「どうしたの、その顔? 酷い怪我してる」
 俺は彼女の心配を余所(よそ)に、急いで扉をくぐり、声を押し殺すように言った。
「昼間の胡散臭い奴らにやられた。詳しくは後。扉を閉めて」
 ミキは素早く扉を閉める。
「今から胡散臭い奴らがこっちに来る。電気消して。扉を叩かれても、何と言われても、上官だと言われても、絶対に開けないこと。本物の上官だったら俺が責任を取る。床に伏せて。窓から見られるかも。早く!」
 ミキ以外は全員床に伏せた。ミキは電気を消して伏せた。
 部屋の中は真っ暗になった。
 小窓があるが、そこから覗いても外の明かりが届いていないので見えないはずだ。
 俺は両方から腕を組まれた。
 たぶん、右はミイ、左はミキ。ミルはミイの右にいるはずだ。
 組まれた両方の腕が小刻みに震えている。両側の二人の震えが伝わっているのだ。

 2分ほどすると複数の足音が扉の前に近づいて来た。
 足音が止まった。少しの沈黙。
 その時、小窓の向こうで人影が動いたように見えた。
 ヒソヒソ声がする。聞き取れない。
 また沈黙。
 ついに、コンコンコンと扉がノックされる。
 周りの宿舎に聞こえないような音だろうが、暗闇で背中を叩かれた時のように心臓がバクっと飛び上がった。
 両腕がギューッと絞られる。二人が力を入れているのだ。
「マモルだけど。ちょっと開けてくれない?」
 背筋が凍るように冷たくなった。悪寒が走るってやつだ。
 小声で俺の声を真似るへたくそな奴だが、その真意を知っているだけに笑えず、却って恐怖が募る。
 またコンコンコンと扉がノックされる。
「マモルだけど。ちょっと開けてくれない?」
 二人ともその言葉の裏を理解したらしく、悪寒が走ったのだろう。
 両腕にブルブルと震える振動が伝わってくる。

 少し沈黙が続いた。
 また小窓から人影が動いたように見えた。
 ヒソヒソ声がする。これも聞き取れない。
 今度は、ドンドンドンと扉が叩かれた。
 これも周りの宿舎には聞こえないほどの音だろうが、これにはさすがに肝が冷えた。彼女達も同じはずだ。
「あー、あー、連隊長殿の伝令である。ここを開けなさい」
 小声で男が伝令を語っているが、偽伝令であることはバレバレだ。ここの連隊には女兵士しかいない。
 またドンドンドンと扉が叩かれた。
「貴様ら、連隊長殿の伝令であるぞ。ここを開けなさい」
 今度は、ドンドン、ドンドン、ドンドンと叩かれた。
(早く周りが物音に気づいてくれ! それともいっその事、こちらから騒ぎを起こして周りに気づかせるか?)
 しかし、今ここで飛び出して行っても、森の中の二の舞だ。
(ここで震えているしかないのか? もし踏み込まれたら四人相手に戦えるか!?)

 その時、遠くの方で女の低い声がした。
「貴様ら! そこで何をしている!」
 その声には聞き覚えがある。
 サイトウ軍曹だ。
 目の前に光明が差してきたように思えた。
 走り寄る複数の靴音がして、声が扉のすぐそばで聞こえた。
「この時間に出歩くのは規則違反! しかも、男が女性用の宿舎に何の用か!」
 男達は無言だった。
「営倉に連れて行け!」
(営倉とはいつの時代だ……)
 複数の靴音が遠ざかった。

 ところが、立ち去ったはずが誰かが扉をコンコンとノックする。
(残党はいないはずなのに誰だ!?)
 心臓がバクバクと音を立て、息が詰まる。
 とその時、扉の向こうで聞き慣れた声がした。
「サイトウだ。入ってもいいか?」
 俺はホウッと息を吐き出し、小声で「サイトウ軍曹だから大丈夫」と言うと、ミキは電気をつけて小声で「そこで丸まって」と言う。
 意味を理解したので、床にゴロリと横になり、膝を抱える姿勢で丸まった。
 ミイとミルが手早く座布団で全身を隠してくれた。
 それから扉が開かれる音がした。
「男共が何かやっていたみたいだが、被害はなかったか?」
 サイトウ軍曹の声が間近に聞こえる。彼女がこっちを見ていないか心配になった。
 ミキが明るく答える。
「大丈夫です。」
「それは良かった。いつもこうやって四、五人で敵が来ないか巡回しているが、敵どころか味方でも夜這いにうろつく碌でなしの連中もいるからな。さっきの奴らは、たぶんその類い。お前達も気をつけるんだぞ」
「はい」
「……あ、それから」
「何でしょう?」
「そこの座布団はきちんと片付けておくこと。いいな?」
 俺の心臓は凍り付いた。おそらく、彼女達全員も同じはずだ。
「わ、分かりました」

 扉が閉まった。
 1分くらいしてから座布団が取り払われた。
 全員で一斉に深い安堵の溜息をついた。
 そして、声を立てずに笑った。すると、ミキがギュッと抱きついてきた。
「ありがとう……」
 ミキに前から抱きつかれた状態で、今度は後ろから誰かにギュッと抱きつかれた。
「あ、あ、ありがとう……」
 ミイだ。
 次にミルが三人を抱きかかえた。
 彼女は何も言わなかったが泣いているようだった。

(俺……救ったんだよな……これで全員救ったんだよな)

 サイトウ軍曹達に捕まる可能性があるので、このまましばらく彼女達の宿舎に隠れ、日が昇る前にコッソリと自分の宿舎に戻った。
 スパイみたいな気分だった。
 扉は、偶然か知らないが、開いたままだった。中にはもちろん誰もいない。
 牛肉缶詰とコッペパンは手つかずのまま床に転がっていた。食べる気がしない。
 座布団の上で横になったが、興奮と震えで(ほとん)ど眠れず朝を迎えた。

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