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5.闇夜の監視

 ラスケット湖のほとりに、《キングクラブ》のヌシが住み着いた――。
 その影響と被害は甚大な物であり、まず湖での漁業が主となる町の収入は激減した。
 次に、畑で作られる野菜やにも限界があり、山で獲れる肉類も町の食事を賄えるほどの量は獲れない。油などの日用品も含め、全ての価格が高騰しつつあると言う。
 この町にも自警団のような、モンスターに対抗できる者はいるものの、我慢できぬと単身乗り込んだその者たちは、圧倒的な物量を前に、文字通り・()()()()()()()()されてしまったようだ。

「多勢に無勢、って言葉を知らねェのか――」
「シェイラ、“戦える”と言う事は、時にこのような“勘違い”を引き起こす。
 無謀は勇敢でも何でもない。無理だと判断すれば、即座に退くこと――
 これが、戦いにおいて最も大事な“選択”なのだ」
「う、うん……」
「――まぁ、彼らも町を想ったゆえの行動であるだろうし、
 それを反面教師に使うのは、少しばかり申し訳ないが……」
「ひゃっひゃっ! 別に構わんよぉ。考えなしに突っ込み、くたばった奴が悪いのさ。
 未来への教訓にしてくれるなら、アイツらも浮かばれるってもんだ――」

 この老婆の名は〔マッシャ―〕と言い、浅黒く年相応にシミが目立つ肌をしているが、昔は相当の美貌を備えていたのが(うかが)える。
 名は体を表す……との言葉のように、その鋭い拳骨は硬くまるで芋潰しのそれのようでもあった。





 そのマッシャ―婆さんが手配してくれた、ラスケットの町の宿に停泊する事になった三人であるが、今回の任務について頭を悩ませていた。

「しっかし、困ったもんだな……」

 カートは、煤けた床の上で腕を組み、難しい顔をしながら呟いた。
 目の前には今回の任務の依頼書が置かれ、中判金貨三枚と記されている。
 今回の依頼にあたって、任務を一つ追加するべきか否かの会議中だった。

「俺は、今回の《キングクラブ》のヌシ討伐は反対だね。
 “作物泥棒の調査”は受けるが、モンスター討伐は依頼に含まれてねェ」
「どうしてっ! 町の人のためにも、ここは助けてあげるべきだよっ!」
「馬鹿も休み休み言え。俺たちはまだ、“訓練生”の身だぞ?
 レオノーラは“調査”であるから任務を受け、俺たちに与えたんだ。
 それを越え、ついでに“討伐”もしろと言うのは、契約違反にあたるんだよ。
 しかも、こんなシケた町じゃ、報酬も期待できそうにねェし――」

 ベルグは無条件に。シェイラは、任務の先にそれがあるなら受けるべきだ、と象徴していた。
 カートは反対の意志を示しているものの、頭ごなしには反対していない。
 そこに相応の報酬があればやっても良い、と言うのが彼の考えである。
 冒険者はその報酬のために命をかけて、危険な任務を請け負う――依頼と報酬は、切っても切れない関係なのだ。 これに関しては、賛成派の二人も納得していた。

 三者三様の、性格の違いによる意見の相違――。
 パーティーである以上、“討伐”に賛成であるベルグとシェイラだけで、事を進めるわけにもいかない。反対意見を出すカートを納得させには、相応の理由……報酬が必要となるのであった。
 しかしながら、ベルグも手放しに“任務”を受けるわけではない。
 クリアせねばならない問題が他にもあり、少し難しい顔を浮かべながら口を開いた。

「今回の一件――もしかすれば、水位が上昇した事と関係しているかもしれん。
 この所の“自然災害”が原因だとすると、国の案件にもなりかねないな……。
 それに“討伐”を行うのであれば、アンクルガード付きのグリーブも必要になろう……」
「それって。あの木の実の……?」
「それはオリーブだバカ。お前が今着けてる脛当ての金属版だ」
「し、知ってたけど、ちょ、ちょっとだけふざけてみただけなんだから!
 ……で、そのグリ……って防具は、ないの?」
「町のモンから借りるにしても、サイズも強度・ガード付きのもねェだろうよ。
 ……ってことで、この話は終わりだ。夜に備えて休む事にしようぜ。
 下手すると、夜通し見張らなきゃならねェからな――」

 カートは言い終わる前に|大欠伸(おおあくび)をし、ベッドの中に潜り込んでいるた。
 目の前で困っている人がいるのに、それに手を差し伸べられない――シェイラは歯がゆさを感じ、小さく唇を噛んだ。

「シェイラも眠っておけ。俺はマッシャ―婆さんから話を聞いて来る」
「う、うん……」
「それと、トイレはちゃんと行くようにな?」
「お、大きなお世話よッ!」

 顔を真っ赤にして起こるシェイラを背に、ベルグはワフワフと笑いながら部屋を後にした。
 幼い頃、おねしょばかりしていたシェイラは、ベルグから“おねシェイラ”と呼ばれていたのだ。

 ・
 ・
 ・

 それから数時間後――。
 パラパラと屋根をうつ音が部屋に響き、それが次第にザアザアとした音に変わっている。
 窓をを打つ雨粒が水膜を作り、明るさを失った外の世界をぼやかしていた。
 その雨音に、微睡(まどろみ)から這い出たシェイラは、懐かしい感触に頭を預けた。

(あ、まだ夢の中か――)

 幼き頃、ベルグと共にベッドで眠り、大きなぬいぐるみのように抱きしめて眠った夢を見た。
 フワフワと柔らかかったそれも、今ではゴワゴワではあるが、その毛むくじゃらの枕が温かくて心地よい――。
 ゆっくりと上下する胸元に顔を埋めていると、思い出のままの温もりにと獣の匂いに、ふいに涙が出そうになってしまう。

(……あれ? じゃあ、今は……?)

 そこで初めて、現実の自分は大人では? と思い出した。
 どうしてここにそれがあるのか……目を開いたシェイラは、半身を起こしそれを確認する。
 真っ暗でよく分からないが、犬の湿った鼻先からすぅすぅと寝息をたてる者が、同じベッドの中に居た。
 空はごうごうと()()()をあげ、雷が近そうだ――とシェイラは思った。

「――な、ななっ、な、何でスリーラインが居るのよッ!?」
「む、むぅぅ……まだ眠い……もうちょっと……」
「『むぅぅー』じゃないの! おっ、起きなさいってばっ!?」

 寝起きがあまり良くない“弟”の口を掴み、ゆさゆさと揺さぶっていると、反対側のベッドからカートも()()()と身を起こした。
 部屋の燭台に火を灯すと、橙の明かりがベッドの中で一悶着起こしている、犬と女を照らしだした。

「……なーにやってんだ、お前ら」
「す、スリーラインが私のベッドの中にっ……」
「ふぁ、あぁぁ……他にベッドがなくてな。俺は特に気にしていないが……」
「私が気にするのっ!? いい? 女の子のベッドの中に勝手に入っちゃダメなのっ!」
「うん、知ってる――」

 流石のベルグでも、見知らぬ女のベッドには入らない。
 そこで眠っているのが“姉”・シェイラだから、“弟”は昔のようにベッドに入った。
 それに、“姉”自身も昔を思い出したのか、無意識に“弟”に抱きついて眠っていたのだ。
 当時の懐かしさに加え、大きくなっても“姉”を頼ってくれた事が、どこか嬉しくなった。
 ――そのせいか、以後ベッドに入ってくる事は禁止せず、『ベッドに入る時は、まず一声かける』と言う方向で話がまとまったようだ。

「《ワーウルフ》に常識がないのか、シェイラがアホなのか……。
 ――で、犬っころ、そこにある書類はなんだ?」
「む? ああ、今回の窃盗事件で盗られた野菜と、その方法についてだ」

 カートは、ベッド脇のチェストテーブルにあった紙の束をベルグから受け取った。
 寝起きの目をシパシパとさせながら、それをパラパラとめくってゆくと――。

「『三日に一度。毎回、野菜二つとカボチャ一つ』、『夜中から未明にかけて現れる』、か」
「勘が良い奴のようでな。待ち伏せや見張りをしている時は来ないようだ」
「『出来の悪い物を盗っている可能性アリ』……ここまで調べてんなら、俺らいらねェだろ」
「――残されていた足跡が、人のそれではないようなのだ」
「となると、モンスターか?」

 それを聞いたシェイラは、ビクッと身体を震わせた。
 もし仮にモンスターであれば、その場で戦闘になる可能性もあったからである。
 しかし、それと同時に『もしモンスターであれば、どうして町を襲わず、僅かな野菜を持ってゆくのか?』との新たに疑問が、皆の中に生まれていた。

「うむ、大体の予想はついているが、モンスターである可能性が高いだろう。
 しかし、これらがやって来た時期が《キングクラブ》が来た頃……。
 これに何か因果関係がありそうだ、と踏んでいる」
「ま、それを調べんのが、今回の俺たちに仕事だ――そろそろ見張りに行くとするか」

 カートは鞄から黒に近い深紫のストールを取り出し、慣れた手つきでスルスルと顔に巻き付け始め顔の下半分を隠した。
 ベルグは、マッシャ―婆さんから貰った、張り込みに必要になる食糧と飲み物、そして“天秤”を持ち、シェイラは手にした槍をぐっと今一度握り直している。





 ざあざあと大粒の雨粒が落ちる中、三人は畑が見える軒下を目指した。
 偵察や見張り、潜伏などにおいては、雨に濡れる事も|厭(いと)わないといけない。
 だが、そう言った状態に慣れていないシェイラは、身体に張り付く服、水が染み込んだ()()()()の靴が気になって仕方がない様子であった。

(うぅ……ぐちゅぐちゅ言って気持ち悪い……)

 外に出てすぐに水たまりを踏んだため、靴を水浸しにしてしまったのだ。
 ベルグは裸同然であるし、カートは元から慣れている――シェイラに関しては、このような訓練も受けていないため、濡れた服から下着にまで侵食してきたそれらに、ただ不快感しか感じていない。
 それどころか、尻や腹が冷え、胃の痛さまで感じてしまっている。

「うぅぅ……」
「む、冷えたか?」
「う、うん……」

 腹を押さえている姿に、ベルグは心配そうな表情を浮かべながら尋ねた。
 暑さと荷物になると思っていたため、上に羽織る物を置いて来てしまっていた。

(やっぱり、荷物になっても後悔するより良いよね……)

 備えあれば憂いなし――と、シェイラは痛感した。
 “弟”に心配させないようにしているのだが、吹く風が濡れた身体の体温を奪ってゆく……。
 一度、寒さで震えた身体は抑えられず、その柔らかい肌と肉を揺らし続けてしまう。
 早く終わらせたい……と思っていた矢先、急に背中を扇ぐ風が止み、その背に温かい何かを感じ始めていた。

「す、スリーライン!?」
「これで多少はマシであろう――?」

 背後からシェイラを抱きしめるように、ベルグが身体を密着させていたのである。
 その獣の毛も濡れてはいるものの、人肌ならぬ獣肌の優しい体温で、そこがじんわり温かくなってゆく。
 獣の腕は右肩から左肩に回され、まるで毛皮のマントをまとったかのようであった。
 ベルグの|逞(たくま)しく太い腕に、“弟”ではなく一人の“男”の腕と思ってしまい、シェイラの体温は内側から少し上昇してしまっていた。
 背から内から温かく感じると、今度はシェイラの胸元からも、何か温かい物を感じる。

(あ、あれ……この宝石……)

 人肌で温められていたからではなく、その石が熱を持っていたのだ。
 何の石か? と不思議にも思ったが、石からも内なる熱を発するそれを両手で包み、冷えた腹のヘソの部分に当て、冷えた胃の痛みを落ち着かせてゆく。
 ――その時、真っ暗な闇の中でうごめく“何か”をカートが察知した。

「おい、何か来たようだぞ――」

 カートが指を指すが、シェイラには何も見えていない。
 目をこらしてようやく『何かが動いているかも?』と思う程度である。
 だが、夜目が効くベルグの獣の目にはとんでもない物が見えていた。

「あれは……我々の探しているモノではない。これはマズいかもしれん……」
「何だ?」
「カニだ。《キングクラブ》の手下か――四十センチほどのが四、五匹いる」
「な、何だとッ……もう町まで下って来たってのか!……」
「斥候……いや、単に腹が減ったから来ただけ、かもしれん。
 ハサミで畑の土を掘り起こし、土ごとジャガイモらを食っている」
「は、畑やられたらダメだよ! 町の人の食べる物なくなっちゃうじゃない!」

 シェイラは、内からふつふつと湧きあがる何かを感じた。
 何の抵抗も出来ないまま、()()じっと耐えるしかないのか――と。

「ここは人を呼び、町の者を警戒させよう。
 シェイラ、急ぎ警鐘を――お、おいっ、シェイラ! どこに行くッ!」

 耐えきれなくなったシェイラは、ベルグやカートの静止も振り切り、畑に向かって駆けていた。

しおり