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第四章 捜査2課 1

 第四章 捜査2課

 早退した夜、桜木は大打の携帯に翌日から捜査に出ようという内容のメッセージを残していた。
 無論大打刑事は携帯に出ないし、返信もない。全く張りのない話だ。それも情けないことに自分の早退が原因なのだが。
 殺人事件は時間が経つと手がかり、証拠は消えていってしまうことは研修で嫌と言う程叩き込まれた捜査の初歩の初歩だ。急いで捜査に出ないと桜木は気ばかり焦って、翌朝署に向かったのだ。
「今回の殺人事件では、遺体発見当日は現場に私一人、、翌日は鑑識課からの報告会と飛び込みの現行犯の取り調べ、そう言えば聞こえは良いけど、大打さんに振り回されて事件には具体的に手付かず状態と変わりないもん。私としたことが情けないったらないでしょう。今日で3日になると思うと気持ちだけが焦るわ」
 そう思う反面、通勤して早朝の自分のデスクに座って一息つくと彼女は思った。港町署の朝はいつもと同じようにほのぼのと始まり、ほんわかと和やかに過ぎているようだと。
 桜木は署内をゆっくりと見回しながら捜査に出かける準備を始めなければと考えた。
 その気持ちと裏腹に、デスクに座って朝のお茶とかをすすっていると、とっても天気が良いし、昼は河の突堤でお弁当を食べたいとか、大打さんが捉まらないなら捜査は明日からでもいいかと言う気持ちになって来てしまう。桜木は学生時代から自分は根はのんびりやさんなのだと改めて感じてしまう。
 最も強盗殺人事件、広域暴力団の抗争、宗教詐欺などが多発している所轄管内にあっておだやかに一日が過ぎているとお世辞にも言えないのが港町警察署の実態なのだが。そんな中にあって一日の勤務が、ほんわかと過ぎているように思ってしまう桜木の視点の方がおっとりしているのは確実なのだ。
 そこで、桜木は捜査2課の室内を見回して備品の整備と調整を始めてみた。捜査の準備は大打刑事が来てからでも遅くないだろうと思った。
 彼女にとっては、そう言った刑事課の何気ない雑用を自分が毎日せっせとこなしていることが、ほんわかとして楽しい日常業務だったりするのだ。こう行った習性はそれ自体公務員女子の鏡と言えるだろう。
 桜木巡査は、事務機器の整備確認を始めていた。コピーもプリンターも大切に使えば何時までも快適に動作してくれると彼女は信じている。そんなお掃除をしているうちに楽しくなってきた。優美子はプリンターの点検をしながらついつい歌を口ずさみ始めていた。
「どんな色が好き、全部! 全部の色が好き、一番最初に無くなるよー全部のトナーぁ? あれ、変ですねーやっぱり赤が減りが早いですねー」

 そこに大打刑事が出勤してきた。二日酔いで、眠そうだ。
「おい、ひよっこ。昨日のXマンはどうなったんだかな?」
「おはようございます。あの人…ていうかそもそも人ですか? 出来るなら2度と会いたくないです」
「早く署から追い出したいみたいだな。奴の様なタイプが意外に事件解決のカギを握るケースがある。俺の経験だ。だから殺人事件とかの捜査っていうのは一筋縄ではいかないんだ」
「あの人が…ですか? どの事件にどう絡むって言うんですか?」
「署の抱えている殺人事件と、かも知れん…」
「信じられませんけどねぇ。彼があの力で人を殺すっていうなら事件になっちゃいますけど」
「そうじゃないなぁ。」
「はぁ?」
「桜木、お前昨日はあんなどうでもいいストーカーの取り調べでボロボロになって、即行帰ったが、そんな軟な神経じゃ捜査2課の刑事はやっとれんぞ」
「わかってます。でも、自分じゃどうしようもなくて」
「誰かのせいにするな!! そう言うときこそ気持ちの切り替えだ」
 そう言って、大打は窓の外を指さした。
「あそこで散歩させてる2匹のワンちゃん、毎朝出会うと何時もお互いに吠え掛かってる。飼い主が懸命にケージ引っ張ってるが、その手を少しでも緩めたら飛び掛かってしまう。とても危ない状態だ」
「相性悪いんですかね? それとも異性でお互い気に入ってるとか?」
「それが、見ろ」
 大打が指さした方向の2匹はひとしきり吠えあったと思ったら、それぞれが飼い主に引っ張られて反対方向に離れると、向きを変えて何もなかったかのように歩き出した。大打が言う。
「もうすれ違った。あの態度見ろ、2匹とも何もなかったように、前を見てすたすた散歩コースを進んでいくじゃないか」
「ホント、今大声で吠えあって飛び掛からんばかりの勢いだったのに、何処行っちゃったんでしょうね?」
 と不思議そうな桜木に大打が言う。
「気持ちを切り替えたんだ、分かるか桜木」
「はぁ、私は犬以下だと」
「犬もどこかのタイミングで気持ちの切り替えを覚えたんだろう。何時までも気持ちを引きずっていてもどうにもならないことがある」
「私も学習しろという事ですね」
 桜木は自分の警察官としての弱さを、散歩の犬を見せられて指摘され恥ずかしかった。これ
じゃあ大打さんの批判なんて言ってられないと思った。

「ん? 何やってるのかな?」 
 桜木の手元を覗き込むと、プリンター相手に何やら作業をしているようだ。作業に浮かれている桜木の仕草を目ざとく見つけた大打は、すかさずそこに突っ込んで来た。彼女の小さな一挙一動に何かを見つけると突っ込まずにはいられないのが彼の性なのかも知れない。
「ひよっこ、何やってんだ、プリンターでデザインの出力かぁー?」
「朝のお仕事でプリンターの調子を見てるんです」
「それだけじゃないだろう。出してるのは交通安全のポスターか、虫歯予防週間のポスターか?」
「色が調子悪くって」
「何を朝から造っているのかと思えば署内に貼るポスター作りか。虫歯予防のポスターはどうするんだ? 市の公募に小学生から「これだ!」という応募が無かったので、しかたないので桜木が代わりにゴースト小学生やってたりするのか? するとお前のお絵かきレベルは小学生って訳か……? よ、ゴースト小学生!」
「何を言っているんですか、止めて下さい大打さん、私を肴に一人で勝手にストーリーを進めて行かないで下さい! まず第一に、私絵は得意な方ですよ、むしろ……」
「よっ小学生のお絵描きさん! でも、体は大人。お前はコナンかぁ!!」
「口を閉じて下さい。今私がやっているのは、捜査2課のカラープリンターのトナーの交換です。なんか口ずさんでるこの歌気にしないでください。仕事が合ってるかなと思って……小声で口ずさんでいただけです」
「ふーん……でトナーはどうなんだ?」
「それが、いっつも赤の色から無くなっていくんです。世の中の印刷物って赤寄りなんですかね?」
「君の教科書もまっ赤っかってか。もう、覚えてる奴も少ないか」
「教科書に修正入れる話ですか?それ、第二次世界大戦直後の進駐軍の頃の義務教育での話ですか?」
「それのパロディーでもある。実際には国民学校の教科書は筆で黒く修正していったらしいが。それから赤で教科書を塗るというのは共産主義に染まるという風刺の意味になっていた。
 そういう風刺が受ける時代があったんだ、1960年代の終わり頃までは。それより、例の考古学教授今日も発掘現場にお出かけみたいだ。学生達よりかなり早く早朝からな。発掘現場に行ってみれば、何か掴めるかも知れん」
「あ……、はい、すぐインクとトナー交換終わらせます」
「トナーの交換は慌てず、急いで、正確にな。通常の3倍のスピードでやれ! 桜木それが終わったら張り込みに出るぞ」
「はーい!」

 大打がじっと桜木を見ている。妙な間が空いた様だ。
「て、言い方なんだけどこれって、『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』の空間騎兵隊斉藤始の台詞と初代ガンダムのシャア登場のシーンのホワイトベースのブライトの台詞をパロったんだが」
「そのくらいわかりますって」
 桜木は、ちょっと知ったかをした。話を合わせたのだ。
「ちなみに、きみの教科書もまっ赤っかは、夏のSF大会でのガイナックス制作オープニングの『ダイコンフィルム』からだ」
「それは全然知りません。ヤマトとかも元のアニメ作品は見たことないんですけど、いつも大打さんがしゃべっている台詞なんで口癖だと思って自然に覚えちゃいました。今になっても、まるで意味不明ですよね、私にとっては不思議な言葉です」
 大打は、桜木の回答を聞いて、我が意を得たりとばかりに話を続けた。
「だしょうーでも、ラノべ作品も初期にはこういった過去の名作アニメ、漫画、ゲームの台詞を使うことがお約束みたいになっている。その癖逆説的にお決まりのパロディを批判したりな。コメディ作品だとパロディを使っていないのを探し出す方が至難の業になったりする。名作パロディを使ってないとラブコメじゃないと言っても過言じゃないくらいだ。お決まりの笑いってやつだ」
 桜木はアニメネタにしてはレトロだと思ったが、先輩刑事の趣味に口を挟む気もなかった。それにしても、一言は言っとこうと思った。
「そのくらいで、止めといて下さい。業界批判はいろんな人達が迷惑します」
「大丈夫、口から出た言葉はウンコと同じだからな」
 聞いたこともない下品な表現だ、桜木は唖然とした。
「なんですか、それ?」
「毎日出しているウンコの色とか形をしっかり記憶している人なんていないだろう。チラッと見てもすぐ、忘れてしまう」
「それはそうです」
「しゃべる言葉もそれとまったく同じだと言う諺だ。……と諸葛孔明が言っていた。人は毎日しゃべる沢山の言葉にそんなにいちいち責任持ってしゃべったりしていないと言うことの意だ」
「それって孔明じゃなく、大打さんの言葉ですよね。でも、しゃべる言葉には人として責任持った方が良いと思いますよ。私たち大人なんだから」
「俺の友達はトチローの事なの。大人だから、どんなケースになっても自分を守る術は身につけていないといかんのだよ、古代。この諺にはそう言った意味が込められている。あー深い、深い」
「深く無いです。まるで年寄りの子供相手にしてるみたいな……」
 桜木はしまったと思った。つい口から失礼な言葉が出てしまった。あまりにバカバカしくて抑えられなかったのだ。
「何を言う、痴れ者が!」
 いきなりそう言って、大打は桜木を怒鳴りつけた。桜木の方が今時の常識人なのだが、ぐっと堪えることにした。
 そこは上司の戯言を早く話を切り上げたい彼女が一歩引いて謝ることで話をまとめた。 
「すいません……!」
 一瞬、気まずい雰囲気が流れたが、言ってしまったことは仕方がない。
 大打の方が、気分を変えて口を開いた。

「ちなみに付け加えておくと、教訓的な言葉を使ったらその語尾に「古代」と付ける。覚えておけ。そこに古代という人がいなくてもだ。同様に、「でも!」と会話の相手の言葉に異議を差し挟む時には、語尾に「ブライトさん!」と付ける。
 これもお約束だ。
「ねえ」と言ったら『ムーミン』を付けるのも同様だ。「さよなら」と言ったら「お手紙ちょうだい」と続けるのが基本だ。『銀河鉄道』とつなげるのではない」
「お手紙ちょうだいって『ヤッターマン』ですか?」
 桜木が不確かな古いアニメの知識で質問する。
「『ラムネ&40』だ。ちょっと分かりにくいな。メーテルと叫んだ後にパンツメーテルー!とこの言い方はキングで連載当時は流行っていたがその後今日では、完全に死滅したようだ。それは何故かと言うと、なかなか日常生活の中で「銀河鉄道に鉄郎が乗り遅れる」のに類似したシチュエーションが、発生しづらいからだな」
「昔もパンツメーテルとか言ってましたか? 大打さんの脳は完全にお子ちゃまですね」
 桜木は口に手を当てて、声を立てて笑ってしまった。それを見ていた大打は照れるどころか、
「言ってた、言ってた。俺は心はお子ちゃまだからな」
 と嬉しそうに頭を掻いている。彼の脳内はどうなっているんだろう。
「恥ずかしがってください。大打刑事は良い大人なんだから」
 諫めるように桜木は大打に言葉を返した。
「童心を忘れないと言ってほしい。あっと驚くの後に、ためごろうーを付けるくらいに頻度高く言われていた。「もう疲れたよ」と言う時には、その前に「パトラッシュ」と言う接尾語を付けるのもお約束の一つだ。それは例えば、マラソンの後とか山登りの最中とか、肉体的疲労のピークには最適な慣用句だったか。
 他にもあるぞ。大学の卒業を控えた4年生が就職先の研修が始まっている3月に大学の卒業発表が公示された時、卒業必要単位を取得できずに留年が決まったとする。そんな時に、「ハイジはとうとうおかしくなってしまいました」と使うのだ」
「なるほど、じゃあ「おはよう」と言われたら「スパンク」と続けたりするんですね?」
 大打の解説に合せようと桜木が用例を言ってみた。
「全然、ぜーんぜん違う!」
 大打は口を歪めて、桜木の方にプリッと尻を向けて、右手を左右に振った。ただ違うとだけ言えば良いのに、なんてイラつく親父なんだろうと桜木は思った。
「そんな言い方しなくても……」
「だって違うんだもん。おはようでスパンクだとそのまんまだろう。そうじゃなくてな、日常的に使う言葉の前後に味わい深いアニメの名台詞と分かる一言が付くことで、洒落が利いてる使い方にしないといけないのだ。
 アニメのタイトルそのままだとひねりもなにもないからな」

「ふーん、お好きなように言ってて下さい。私は絶対に付けませんからね。使い方全然分からないし」
「いいのかそんなことを言い切って。将来、桜木が真性オタクの男性と結婚する運命の時が訪れた時に、今とはまた違う台詞を言う事だろう」
「オタクと結婚はないでしょう」
「オタクとはな、ある分野に精通した知識と理解を持った人種を指す言葉だ。そこに収集癖を持った人たちを指すコレクターとの違いがある。ロケットエンジンオタクが宇宙に人を飛ばすんだ」
「それなら、結婚はありますね。その人尊敬できそう」
「だしょう。他にもアニメオタクは日本で初めて作られたアニメーションから現在までの全作品を収集してるとか、美少女フィギュアオタクは好きな美少女フィギュアは等身大まで全て収集しているとかだ」
「絶対、趣味が合わなそうですよね。そういう人は同じタイプの女性と結婚するのが良いと思います。ホント」
「良いとこどりをしたいってわけだな。若いくせにそういうところは妙に狡いヤツだな、桜木は」
「何ですかそれ、旦那はずっと一生一緒に過ごす男性なんだから趣味の価値観も同じじゃなきゃ嫌ですよ。そこは我儘言わせてください。私だって結婚には夢持ってますから」
「だから、ケツの青いひよっこだっての」
「ヒヨコのお尻は青くないです」
「上げ足を取るな」
「大打さんこそ」
「良いかよく聞け、宇宙ロケットを設計している世界最高の頭脳を持った天才肌のイケメンのエンジニアが、濃い―――アニメファンだったらどおするんだ、えっ? SFマニアだったりする話は世間ではいくらでも聞くぞ」
「そ、それは……」
「そうだろう、オタクかどうかなんて、実は二の次の属性で本人の性格が大事なんじゃないのか」
「そうです。すみません、私間違ってました。今日は朝から大打さんに誤ってばっかりですね」
「分かればいい。だがな今そんなことを言っていても拘留中の小日向、奴もアイドルオタクだぞ」
「ゲッ、また吐き気が」
「そう度々だと悪阻じゃないかと心配にならないか?」
「なりませんて」

「生理的にオタクが嫌いと言ってもな。俺には何時かオタクの膝元に媚びへつらう桜木の姿が浮かんで仕方ないのだ」
「また、そういう不吉な予言をする」
「その時が来ても、私イエスは桜木を咎めたりしないだろう。ただ優しく桜木に微笑みかけるだけだろう」
「今度はイエス・キリストですか。ご安心を。結婚式に大打さんはお呼びしませんから。私男性をオタクかどうかで区別して見たりしませんから。もう―――、私をおかずに話を進めないで下さいって言いましたよね、大打さん!」
 その桜木の叫びをシカトして大打は続ける。
「新婚家庭で日曜日、桜木が休みの時くらい優美子と家の手伝いとかして下さいと旦那に媚びると、その時プラモデル作成に忙しかった旦那は、「今忙しいねん!」とか言ったら、そこで旦那にラブラブなお前はすかさず夫に好かれよういう疾しい下心から「ヤッタランがそう言うなら仕方がない」とか返すんじゃないのぉー、さ、く、ら、ぎ、ゆ、み、こーよぉー」
 桜木は大打の言葉が全く意味不明だった。そこで一切無視して、コピー機の点検を終え、バックの中に捜査、張り込みに必要な備品を詰めて準備を整え始めた。
「用意が出来ました。出掛けましょう大打刑事」
 大打はそのきっばりと仕事の顔をした桜木巡査の一言に逆らえない。それまでのうだうだした無駄口は終わりにして彼女に従って、駐車場に向かった。
「うむ…………」

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