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 鉄製の重い扉を前に、ヴィオレは荒い呼吸を繰り返していた。

 レゾンのいる最下層から、研究所のエリアまで。さらに研究所の五フロアを駆けあがり、ようやく着いたのが扉の前だった。

 ハイジアの行動可能範囲には限りがある。

 許可がなければ研究所から出ることはできない。浅間の下層にある施設でもかなり広い部類ではあるものの、そこまで移動を制限されているのはハイジアの他は犯罪者くらいだ。

 唯一浅間の外へ出ることができるくせに、浅間の中では自由を制限される。

 じゃあ浅間から逃げればいいじゃないか。と考えたハイジアは、これまでに何人かいるらしい。彼女たちがペストの支配する世界で生き延びることができたのか、当然ながら知るものはいない。

 そしてヴィオレは、浅間を出る覚悟など決められるはずもなかった。右足首の鈍い痛みが、その正しさを証明している。浅間の外で生きていくには、ヴィオレはあまりに弱すぎる。

 ドアノブをひねり、肩で扉を押すと、青い空が見える。

 青い空のように見せた、天井だ。

 浅間は、地下都市としてはかなり大きい部類に入る。それでも視覚的な閉塞感とは恐ろしいもので、頭上にある天井や町の外にある壁を意識できるようになってしまうと、人間は少なからずストレスを抱えることになる。

 だから、天井や壁は青く、さらに壁の内側には木々を植えて森林を作り、遠景があるように見せるのだ──と、ヴィオレはかつてレゾンから聞かされた。

 ずきり、と胸の奥が痛む。

 なにも思い出したくない。なにも考えたくない。その一心で走り続けたのに、立ち止まった瞬間には頭が余計な働きをしてしまう。

 ヴィオレは研究所の屋上へ出て、転落防止用の柵を掴んだ。

 振り返れば、浅間の中央を貫くエレベーターが確認できる。地下都市・浅間という巨大な円柱の中にある細い柱は、一本の中に二基のエレベーターを内包しているはずだった。

 片方は、浅間の外へ直通するハイジア専用のもの。

 もう一方は、各層を移動する人間と物資のためのものだ。

 その景色は、浅間の外にも似ている。見張り台のある塔は、エレベーターを擁する柱と同じものだ。似ても似つかない青空もどきを無視すれば、ヴィオレが守ってきたものはこの柱だったようにも思えてくる。

 三層に分かれた浅間の構造など、知識で理解していても想像はしにくい。実感の湧かないものより、分かっているものの方が守りやすいのは当然のことだ。

 ヴィオレはいつも、浅間の塔を守ってきた。

 本来の役割を果たせないなら、せめてそれだけでもしなければならないと思っていた。

 そこまで考えて、ヴィオレは自嘲の笑みを浮かべた。視線を上げすぎて落ちかけたフードを押さえながら、下を向く。

「……本当に、バカみたい」

 五年間浴び続けたため息はなんだったのだろう。

 十年前、浅間の外から戻ってこなかった四人のハイジアはなんだったのだろう。

 彼女たちの一人たりとも、ヴィオレは忘れたことはない。見張り台で保護され、レゾンの元で教育されたヴィオレを、当時活躍していたハイジアたちは妹のようにかわいがっていた。

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