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第3章 神童たちの会話

“お嫁さんごっこ”がはじまってから三日目。
城の中庭には、今日も花びらが舞っていた。
けれど、昨日までの賑やかな声はどこかへ消えている。
王太子レオニール殿下は朝から乗馬の稽古に行ってしまい、花嫁役のマリーネはお母様に呼ばれて帰ったのだ。

庭に残っていたのは、リシェリアとユリウスのふたりだけだった。
春の午後。柔らかな日差しの下、噴水の水面がきらきらと揺れている。
静けさに包まれる城の一角――まるで、世界の音が一度止まったような時間だった。

「……今日は静かですね」
リシェリアがぽつりと言うと、ユリウスは読んでいた本から顔を上げた。
「静かなの、好き?」
「はい。少しだけ考え事をしたい日には、ちょうどいいです」
「ぼくも」
短く、けれど確かな言葉。ユリウスの声は、相変わらず落ち着いていた。

リシェリアは彼の手元を覗き込む。
「今日の本は……?」
「“神託録(しんたくろく)”。古い言葉が多いけど、面白い」
「女神様の言葉が書かれた本、ですね」
「うん。“神は子に宿る”って書いてある」
「……子、ですか」
リシェリアは自分の胸に手をあてた。
女神の加護を濃く受け継ぐ“祝福の子”。
周囲の大人たちは皆そう呼ぶ。だが――本人にとって、それはあまりに大きな名だった。

「わたしの中に、ほんとうに神様がいるのかしら」
「いるよ」
「どうしてそう思うの?」
「だって、ぼくが見えるものと違うものを、リシェリアは見てる」
ユリウスはそう言って、まっすぐに彼女を見つめた。
その瞳には揺るぎのない光があった。
まるで“信じる”という行為を、すでに知っているかのように。

リシェリアは少し照れくさく笑った。
「ユリウス様は、時々わたしを困らせる言い方をします」
「困らせた?」
「はい。嬉しいのに、答えが見つからなくて困ります」
「……それなら、いい困り方だと思う」

二人は顔を見合わせて、ふっと笑った。
その笑い声が風に乗って、庭の外れの木々まで届く。

その後、リシェリアはふと思いついたように手を打った。
「ねぇ、読書会を開きましょう!」
「どくしょかい?」
「ええ。“神童たちの読書会”です。わたしたちの秘密にしましょう」
「……秘密、好き」
「ふふ、では決まりですね。おやつはどうしましょう?」
「パン、ある」
「まあ、それなら完璧ですわ」

ふたりは石のベンチを机代わりに、本を並べた。
リシェリアは詩集を、ユリウスは神学書を。
ページをめくるたびに、花びらがふわりと舞い落ちる。

「“光は神の言葉なり。影はその形を知るための影法師なり”……。この詩、好きです」
リシェリアが朗読すると、ユリウスは頷いた。
「影があるから、光の形がわかるってこと?」
「ええ。どちらか一方では、世界は見えないのです」
「……ぼくたちも、そうかな」
「え?」
「リシェリアが光なら、ぼくは影。光がいなきゃ、ぼくの形もわからない」
「……そんなこと、ないですわ」
リシェリアは少し頬を染めた。
「ユリウス様は、ご自分で光を見つけられる方ですもの」
「でも、見つけ方を教えてくれたのは、君」

沈黙が少し流れた。
風が噴水の水面を揺らす。
その揺らぎの中で、二人の影が重なった。

――そのとき、遠くで誰かの声が響いた。

「リシェリアー! ユリウスー! 何してるんだー!」

空気が一気に弾ける。
王太子レオニールが、顔を真っ赤にして走ってきた。
「ふたりでこそこそ、なんかしてただろ!」
「読書をしていましたの」
「読書!? つまんねー! そんなのより剣の稽古しようぜ!」
「いまは休憩の時間ですわ」
「だめだ! リシェリアは俺の婚約者なんだから、勝手に弟と遊ぶな!」

その言葉に、リシェリアは一瞬まばたきをした。
そして、静かに言葉を選ぶ。
「……“遊ぶ”という言葉は、間違いではありませんけれど」
「え?」
「でも、“友達になる”ことは、命令で決められることではありません」

レオニールはきょとんとした。
その隙に、ユリウスがそっと立ち上がる。
「兄上、ぼくたちは勉強してただけ」
「勉強!? なんでそんな地味なこと……!」
「でも、兄上。昨日、“王は賢くあるべし”って先生に言われてた」
「ぐっ……!」

図星だった。
レオニールはむすっと口をつぐみ、腕を組んだ。
「じゃあ、おまえら、俺にも教えろ!」
「喜んで」
リシェリアがにっこりと笑う。
そして詩集を開き、指で一行をなぞった。

「“愛とは支配にあらず、選ぶことにあり”」
「しはい? えらぶ?」
「はい。支配は力で縛ること。選ぶは心で結ぶことです」
「むずかしい!」
「でも、王太子殿下なら、すぐにわかりますわ」
「……ふん、まあ、俺だからな!」

その後、三人の読書会はしばらく続いた。
レオニールは途中で飽きて木登りを始め、ユリウスはページをめくりながら説明を続け、リシェリアは笑いながら二人を見守った。
日差しは傾き、影が長く伸びていく。

夕方、マリーネが侍女に連れられて戻ってきたとき、庭の三人は本とパンくずだらけだった。
「まあ、なにこれ! 本だらけ!」
「“神童たちの読書会”ですの」
「……なにそれ、かっこいい!」

マリーネの目がきらきらと輝く。
レオニールはすかさず胸を張った。
「俺もメンバーだ!」
「“神童”ってつけたの、リシェリア様でしょ? わたしも神童になれる?」
「もちろんですわ。誰でも、考えようとすれば神童ですもの」
リシェリアの言葉に、マリーネは照れ笑いを浮かべた。

その日――子供たちの小さな王国に、四人の“神童”が生まれた。
けれど、大人たちはまだ気づかない。
この読書会が、やがて国を動かす“始まり”になることを。

夜。
リシェリアの部屋の窓から、星が静かに瞬いていた。
机の上には、昼にユリウスが書き残した短い詩が一枚。

“光を知らぬ影にも、あたたかさはある”

リシェリアはそっと紙を胸に抱き、微笑んだ。
「……きっと、あなたの言葉は、誰かを救う日が来ますわ」

その小さな呟きは、夜風に溶けていく。
星々が瞬く空の下、子供たちの世界は確かに動き始めていた。

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