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第2章 仲人の役目

“お嫁さんごっこ”の翌朝、城の回廊はいつもよりも少しだけ賑やかだった。
理由は簡単で、王太子レオニール殿下が、朝の果物と一緒に「今日も結婚式の練習をする!」と宣言してしまったからである。

侍従たちは「はいはい、練習」「はいはい、ごっこ」と大らかに受け止めているが、当のリシェリアは鏡の前で真剣な顔をしていた。
白いリボンを整え、胸の前で両手を組む。昨日の夜、彼女は一冊の薄い本を読んで就寝した。仲人の心得――宮廷式・略式・村落式まで取り揃えた、子供向けの図解つき。ページの端には、彼女の小さな字でびっしりとメモが添えられている。

(仲人とは、当事者の心を見守り、まじないではなく“準備”を整える人。喧嘩をほどき、道筋を示し、必要なら止まる勇気も持つ……)

五歳の胸にしては少し重たい言葉だが、リシェリアは不思議と背筋が伸びるのを感じていた。
“仲人”に任じられたなら、仲人らしく。遊びだからと手を抜くのは、なにより自分が許せない。

庭へ出ると、噴水のそばでレオニールが仁王立ちしていた。花冠は今日も逆さだ。
「おそいぞ、リシェリア! 今日は誓いの言葉の練習からだ!」
その後ろで、マリーネがきらきらの目で手を振る。「リシェリア様、わたし今日、もっとふわふわのドレスなの!」
そして木陰では、ユリウスがまた分厚い本を抱えている。彼の目だけが静かで、少し眠たそうだ。

「では、はじめましょう」
リシェリアは小さな台帳を開いた。
「まず、入場の順番を決めます。花婿、花嫁、神父、仲人……。昨日は皆さまが好き勝手に歩いてしまったので、今日は段取りをきれいにしましょう」

「好き勝手って言うなよ!」とレオニールはむくれてみせる。
「きれいに歩くともっと偉く見えますわ」
「……それは大事だ!」
王太子はたちまち機嫌を直し、マリーネも「偉く見えるのはすき!」とくるんと回った。花びらが舞い、侍女が慌てて裾を直す。

「それから、誓いの言葉ですけれど」
リシェリアはユリウスの方を見た。
「昨日の文は、とても美しい。ですが、大人にも伝わるように“間”を用意しましょう。読み上げる人が、息を入れられる場所を」

ユリウスは目を瞬き、短く頷く。
「……わかった。句読点、増やす」
「ありがとう。あと、レオニール殿下」
「なんだ」
「“読み上げる間は、笑わない”という規則を作りましょう。笑い声は、誓いの言葉の意味を壊してしまうかもしれませんから」
「……む、むずかしい規則だな」
「できないほど難しくはありませんわ。王太子ですもの」

ぴしりと背筋を伸ばすレオニール。単純である。
リシェリアは手早く台帳に“規則”を書き入れた。
一、入場は右から。
二、花びらは三つ数えてから投げる(投げすぎると足元がすべる)。
三、誓いの間は笑わない。
四、花婿は冠を逆さにしない(王冠は上下が大切)。
五、花嫁は裾を踏まない。
六、神父の本は水場に近づけない(昨日、噴水に落とした人がいる)。
七、困ったら仲人を見る。

七つ目の項目を読み上げると、マリーネが元気よく手を挙げた。
「困ったら、リシェリア様が助けてくれるの?」
「はい。助けます。ただし、“困っていないふり”をしている間は助けられません。助けてと言えるのは、偉いことですから」

マリーネは目を丸くしてから、ふふんと鼻を鳴らす。「じゃあ、困ったらすぐ言う!」
「えらいですね」
リシェリアが微笑むと、ユリウスが紙の端に小さく“困ったら言っていい”と書き添えた。その字は、四歳の手にしては整っていた。

午前の稽古は順調に進んだ。行進のテンポを合わせ、階段では侍女が手を添え、ユリウスは読みの速度を少し落とした。レオニールは三度ほど笑いそうになったが、規則三を思い出してあわてて口を閉じ、ほっぺたがふくらんだ。そこが可笑しくて、マリーネがふふふと肩を震わせる。笑ってはいけないのはあくまで“誓いの間”だけなので、仲人は指で丸印を作って「いまは笑ってもいい時間です」と知らせた。新しい“規則外のしるし”が一つ増え、皆がそれを気に入った。

昼食の時間、城のテラスに小さな影が二つ、こっそり並んだ。
リシェリアとユリウスである。
彼はパンを丁寧に半分に割り、蜂蜜を片側に塗って差し出した。
「……仲人は、いつもまんなかにいる」
「まんなか?」
「花婿と花嫁の、まんなか。神父と参列の、まんなか。誰かが転びそうになったら、手を出せる位置」
「……あなた、よく見ていますのね」

リシェリアは受け取ったパンを小さくかじり、きちんとお礼を言った。
ユリウスの言う“まんなか”は、彼自身の場所でもあるのだと思った。家族のまんなかではない、けれど誰かの言葉を繋ぐ“静かな中心”。
「ユリウス様。あなたの誓いの言葉に“間”を足したら、意味がさらに届くようになりました。ありがとう」
「……ぼくも、ありがとう。理解してくれて」
彼の顔は相変わらず無表情に近いが、耳が少し赤い。

そこへ、ぱたぱたと軽い足音。
第二妃が現れた。陽の色を含む笑みで二人を見つめ、「まあ、仲良くおやつ? 可愛い神父さまと、頼もしい仲人さま」と手を叩く。
「あなたがリシェリアね。昨日の“ごっこ”、たいした采配だったわ。王宮の大人たち、皆にこにこしてたもの」
「身に余るお言葉です」
「いいえ、余ってなんていないわ。……それにしても、ユリウス。あなたの文字、きれいね」
「……うん」
照れたような、照れていないような、短い返事。第二妃はくすりと笑って、「続けていらっしゃい」と肩に手を置く。
その目つきは、ただ甘やかすだけではない、どこか遠くの地図を読み解く人のそれだった。

午後の稽古には、王妃もふらりと現れた。レオニールの母である。
艶やかな衣に、飾り羽根の扇。視線ははじめから息子にだけ注がれている。
「まあレオニール、今日も凛々しいこと。……それで、そこの子は?」
子、とはリシェリアのことらしい。
侍女が慌てて耳打ちする。「王妃様、リシェリア様は殿下の婚約者にございます」
「まあそうだったかしら。可愛いわね、飾りにちょうどいいわ」
飾り。
扇の先で空を撫でるような一言に、空気が一枚薄くなる感覚を、リシェリアは確かに受け取った。胸の奥で何かがちいさくしぼむ。
けれど彼女は、笑顔を崩さない。崩さないと決めていた。
「王妃様。今日は殿下の行進がとてもお見事で、皆さまが見惚れておられましたの」
誉め言葉を先に。場を整えるのも、仲人の役目。
王妃は満足げに頷き、「それならよろしいわ」と去っていった。
風鈴が鳴ったような、短い来訪。置き土産は、胸のうちに残るかすかな影。

(飾りにちょうどいい――)
心の中で言葉を転がす。飾りはきれいだ。人を喜ばせることもできる。でも、飾りは“役目”を持たない。
リシェリアは台帳を握り直した。
(わたしは飾りではありません。役目を持つ人でいたい。だれかの間に立って、転ばぬように一歩を支える人で)

夕方、最後の通し稽古。
ユリウスの読み上げは、今度は誰にでも意味が届く速さで、音の角が丸くなっていた。
マリーネは裾を踏まないように歩き、困った瞬間は指で“助けて”の小さなしるしを作る。リシェリアはすかさず位置を入れ替え、彼女の肩に軽く触れ、足の置き場所を指さす。
レオニールは最後まで笑わず、終わった瞬間に頬をぷしゅうと膨らませ、「いま、笑っていい?」と聞いた。
「いまは笑っていい時間です」
仲人の丸印。王太子は晴れやかに笑い、侍従たちから小さな拍手が起こった。

その後、レオニールは唐突に言った。
「なあ、明日は本番をやる。マリーネ、ちゃんと来いよ!」
“本番”。彼の中で、遊びはだんだん本気の色を帯びていく。
マリーネは「もちろん!」と頷き、目をらんらんと輝かせる。
リシェリアは一礼して言った。
「では、仲人として、最後の調整を。……殿下、ひとつお尋ねしても?」
「なんだ」
「花嫁と花婿が“どうして結ばれるのか”、殿下のお言葉で、明日わたくしに教えてください」
「どうしてって……好きだから!」
「では、好きとは何か。明日、式の前に三つだけ言葉を。『好き』の中身を教えてください。マリーネ様も同じ質問をいたします」

レオニールは少し考えてから、胸を叩いた。
「任せろ! 三つくらい、余裕だ!」
マリーネは「好きって、かわいいとか、キラキラとか?」と首を傾げる。
「それも一つの答えですわ」とリシェリアは微笑んだ。
ユリウスは肩に本を抱え直し、ぽつりと言う。
「……言葉は、内側の形。空の雲より、ちゃんと手で触れる」
「ええ。だから、言葉にしてみましょう」

皆が解散したあと、夕焼けの庭に、リシェリアとユリウスだけが残った。
噴水の水音が、遠くから帰ってくる鳥の声と混ざる。
「リシェリア」
ユリウスが、名を呼んだ。
「仲人は、いつやめるの」
「え?」
「役目を終えたら、やめるの?」
「……そうですね。役目が終わるなら。わたしは役目でここにいるから」
それは、彼女なりの誇りであり、少しだけ切ない本音でもあった。
ユリウスは短く息を吸い、何か言いたげに口を開き――やめた。
「明日、誓いの言葉、もっと上手に読む」
「楽しみにしています」

その夜。
王妃はサロンで友人たちに語った。「うちの子は天才よ」と。
第二妃は机に地図を広げ、静かに国境の風向きを読む。その目は、子供たちの遊びの先にある現実の方角を同時に見ていた。
教師たちは噂した。「祝福の子は、どうやら“仲人”としても非凡だ」と。
侍女は囁いた。「神父役の小さな殿下、あの子はきっとよい声になるわ」と。

そして、リシェリアは机に台帳を開いたまま、眠りについた。
最後のページに、小さく書きつける。
――“好き”の中身。三つ。
自分なら、どんな言葉を選ぶだろう。
飾りではなく、役目として、誰かをまんなかで支えるために。

明日が来たら、また花びらを三つ数えよう。
一歩、二歩、三歩。
笑うのは、丸印の合図のあとで。

小さな仲人の夜は、女神に見守られながら静かに更けていった。

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