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10話

 翌日。
 事務所のデスクで、葦原はパソコンのディスプレイに向かっていた。
 画面上には、『ダイブ処理報告書・蛇室正司』のタイトルが表示されている。
 キーボードを叩きながら、葦原はひとつひとつ、言葉を選ぶように報告書を綴っていった。



 <世界観ダイブ報告書/依頼ナンバー:WCE-0453>
 対象クライアント:蛇室正司《へびむろしょうじ》(19歳・男性)
 主訴:世界観の肥大化による視界喪失、自己同一性の希薄化
 分類:視覚回避型認知歪曲/記憶封鎖型

[世界観の特性]
 記憶の封印によって視覚が欠損した白濁領域。
 音を主軸に構築された不安定世界観。象徴的存在として「盲目の蛇」が顕現。

[歪みの核]
 過去に視ることを拒否した「恋人の死」の記憶。
 事故現場における自己回避と罪悪感が、視覚の削除および世界観構成能力に影響。

[処理方法]
 ダイブ者(葦原)が対象記憶を“語る”ことで視覚構造を再構成。
 建早の介入により怪異を撃破、視認機能の復元と共に世界観安定。


「……うん、だいたいこんな感じでいいかな……」

 最後に軽く息を吐き、画面の送信ボタンを押す。
 その瞬間、背後から低い声が飛んできた。

「葦原、次だ。準備しろ」
「えっ、もうですか!?」

 建早が、ファイルを一冊投げるようにデスクの上に置く。
 紙の束の表紙には、クライアントの名前と年齢、そしてひとつの不穏なラベルが付いていた。

 [記憶混線型・中度進行]

 資料を手に取って、葦原が目を通す。葦原は、クライアントの年齢の項目を見て、目を見開いた。

「91歳……ですか……」

 <世界観観察記録/依頼ナンバー:WAI-0461>
  高齢者認知混線案件
 対象クライアント:百足敬之助《ももたりけいのすけ》/91歳/男性
 [主訴]
 過去の記憶との混線により、自我と時間軸が崩壊中と思われる。
 
[分類]
 記憶混線型と推測。

 [症状]
 世界観が複数層に分裂・時代錯誤的構造を持つ。自己と他者の区別不明瞭。認知音声の外部漏出あり。


 建早が、矢継ぎ早に言った。

「高齢者のケースは、歪みの原因が長年蓄積した記憶そのものにあることが多い。今回は、自我が崩れているタイプだ。ダイブ中、何度も世界観が《《飛ぶ》》可能性がある」

 建早が、表情を変えず淡々と語る。

「人格も不安定。子供の頃の人格になったり、若い頃の人格になったり、現在の自分になったり。ひとつ間違えば、ダイブ者……俺達まで認知混線に巻き込まれる」

 葦原は、口元を引き結び手元の書類を閉じた。

「でも、その人の《《今》》を取り戻してあげないとです」

 珍しく、建早が一瞬だけ微笑した。

「それが俺たちの仕事だ」
「はい!了解しました!」

 葦原は勢いよく立ち上がった。踵を返して、建早がER装置のあるダイブ準備室に向かう。
 彼の後を追って、葦原は歩き出す。まだ、身体に残る疲労感。それが、心に残かすかな熱と混ざり合う。
 準備室のドアが、静かに閉じた。


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