第1話
時は享保五年(1720年)、とある邸宅。
「備中屋、お主も悪よのう。」
「いえいえ、柿沼様こそ。」
柿沼が言う。
「廻船問屋であることを利用し抜け荷(密輸)を行い、賂い(まいない、賄賂の事)をわしに渡して抜け荷の証拠をもみ消させた上に、現場を見た漁師を殺めたお主ほどではないわ。」
すると中庭から声がする。
「お主らの悪事、聞かせてもらったぞ!」
「何奴!?」
と言って柿沼が障子を開けると一人の武士が立っていた。
柿沼はそれを見て
「曲者じゃ!出会え!出会えーっ!」
と言うと備中屋も
「先生方!お願いします!」
と叫ぶ。
それらを聞いて柿沼配下の侍と、備中屋に雇われた用心棒連中が次々とやってくる。
武士が
「柿沼外記(げき)。貴様が賂いを受け取り、備中屋の抜け荷を見逃していた事は、既に明白!また、備中屋宗右衛門。貴様が抜け荷の現場を見た漁師を殺害せし事も忠相の調べで明白!」
柿沼外記は
「何を無礼な!貴様は何者だ!?」
と問う。
武士は
「金に目が眩んで主の顔を見忘れたか?」
と返す。
外記は少し考えると思い出だす。
「う、上様!?」
と言って、慌てて平伏すると、備中屋を始め、全員が平伏する。
武士は時の征夷大将軍、徳川吉宗であった。
「柿沼外記!目付でありながら不届き千万!腹を切れ!」
と吉宗が言うと柿沼外記は
「ええい!上様とて構わん!切り捨てい!」
と下知する。
周りの武士と用心棒が一斉に立ち上がり刀を抜く中、一人のやせこけた浪人が声を上げる。
「拙者は御免被る!」
外記は
「何っ!?」
とその浪人を睨む。
浪人が
「上様とて構わんだと?冗談ではない。拙者はやめさせてもらう。」
と言うと備中屋は
「何を言う!貴様!私が雇った用心棒ではないか!」
と叫ぶ。
浪人は
「こんな、はした金で上様が切れるか。」
と言って小判を投げる。
「返すぞ。しかも聞けば貴様ら、悪事を働いているというではないか。その様な者に加担したとあっては、一人娘や亡くなった女房に顔向けが出来ん。」
と言うと近場にいた武士から脇差を瞬時に抜き取り
「上様、及ばずながらご加勢致します。」
と言い、脇差を構える。
吉宗は
「それは助かる。しかし、裁きは忠相に任せる故、無暗な殺生はするなよ。」
と言い、刀を抜き刃を上になる様に持ち替えて構える。
浪人も脇差を刃が上になる様に持ち替える。
外記が
「ええいっ!二人とも切り捨てぇい!」
と下知すると二人に一斉に襲い掛かる。
二人は巧みに剣戟を躱し、峰打ちで打ち倒していく。
浪人が上段から備中屋に脇差を振り下ろすと、備中屋は近場に有った空の鉄瓶で身を守る。
鉄瓶に当たった脇差が折れる。
浪人は備中屋の後頭部に手刀を当てて気を失わせる。
そのまま、柿沼外記に近づいて行く。
柿沼外記は浪人を切りつけるが浪人は紙一重で躱し、外記の脇差を抜く。
外記は
「き、貴様、わしの脇差を!?」
と言うと再び切りつけるが、浪人は再度躱して脇差で峰打ちにする。
全員倒れたところで吉宗が浪人に声をかける。
「助太刀、大儀であった。かなり腕が立つようだが何者だ?」
その問いに浪人が答える。
「某(それがし)、橋本清十郎と申しまして、日本橋北の長谷川町の甚兵衛長屋に住む浪人でございます。」
続けて吉宗は
「そちは自分の刀を抜いていないようであったが、それは大事な名刀か?」
と聞く。
清十郎は
「いえ、これは、竹光に御座います。」
と答える。
吉宗は
「それほど腕が立つのに竹光か?」
と再び問う。
清十郎は
「得物など、二本差しなら一本奪えば済むことですし、相手が複数なら倒した相手から奪えば済むことです。」
と答える。
吉宗は
「なかなか面白い奴だな。今回の件で町奉行から近々呼び出しがあるであろう。忠相にはそちのことは申しつけておく。悪い様にはせぬからありのままを包み隠さず話すがよい。」
と言うとその場を去る。
それを見送ると清十郎も帰路につく。
清十郎が自宅へ着き
「千代、今帰ったぞ。」
と戸を開けると娘が
「おとっつぁん!こんな時間までどこ行ってたのよ!」
と言ってくる。
清十郎は
「どこって、仕事だよ。用心棒の。」
と答える。
それを聞いて千代が
「大黒屋さん以外にも、おとっつぁんみたいな役立たずを雇う人がいるんだ。」
と言うと清十郎は
「役立たずとは酷い言い様だな。」
と返す。
千代は
「刀は竹光、腕っぷしは弱い、瘦せこけて見た目も弱そう、用心棒としては役立たずでしょ。」
と呆れたように言う。
清十郎が
「それにしても、どうして大黒屋さんじゃないことが分かったんだ?」
と聞くと千代は
「夕刻、大黒屋さんの手代の喜助さんがおとっつぁんに用があるって呼びに来たのよ。」
と答える。
清十郎が
「そうだったのか。何の用かは言ってたか?」
と聞くと千代は
「何の用かまでは言ってなかったわ。明日にでも、おとっつぁんの方から出向いてみれば?」
と返す。
清十郎が
「明日は御番所(奉行所)からお呼びがあるかもしれんから、なるべく出かけたくはないのだ。」
と言うと千代は驚いて
「御番所!?おとっつぁん!何やらかしたの!?」
と大声を出す。
清十郎は慌てて
「大声を出すな。実は今回の用心棒の依頼主の備中屋が悪事を働いていてな。それで、将ぐ・・・・・・い、いや、それで、奉行所での詮議があるだろうという事でな。一応、関係者としてお呼びが掛かるであろうという事なんだ。俺は悪事には加担してないから心配するな。」
と説明する。
千代は呆れて
「もう・・・・・・。どうせ役にも立たないんだから用心棒なんて危険な仕事は辞めて、傘張りだけしてれば良いじゃない。お金にも困ってるわけじゃないんだし。」
と言う。
それに対して清十郎は
「バカ者!傘張りは俺の唯一の趣味だ!傘張りを仕事にしてしまっては趣味が無くなってしまうだろ!」
と返す。
千代は
「いいじゃない。趣味と実益を兼ねれば。」
と言うが清十郎は
「趣味は趣味、仕事は仕事。趣味を仕事にするとろくなことが無いぞ。」
と納得しない。
清十郎が
「そんな事より、腹が減ったから飯にしてくれ。」
と言うと千代は呆れながら
「はいはい。趣味で傘張りやってる浪人なんて聞いたことないわよ。」
と言って食事を用意する。
翌日、昼四つ(午前10時頃)、清十郎の家の戸を叩く者がいる。
「先生!先生!」
清十郎が戸を開けるとそこにいたのは傘屋の上州屋勘兵衛だ。
清十郎が
「上州屋さん、どうしました?」
と聞くと上州屋は
「近くに用事ありまして、ついでに先生のところに寄って、出来上がった分があれば持っていこうかと。」
と答える。
清十郎が入口の脇を指さして、
「そこに10本ほどあるから持っていってくれ。」
と言うと上州屋は傘を見て
「流石、先生!いつもながら見事な出来栄えです!青山百人町の職人たちに勝るとも劣らない!」と褒めちぎる。
清十郎は
「いやいや、某は趣味でやっているだけ。本職の方には、敵わんよ。」
と言う。
上州屋は傘の代金を清十郎に渡すと傘を持って店へ帰る。
それから半時ほど後、再び訪問者がある。
千代が戸を開けると一人の侍が立っていた。
侍は千代を見ると
(なんと美しい娘だ・・・・・・。)
と思い何も言えずにいる。
千代は“日本橋小町”と言うあだ名が付くほどの、有名な美人なので、見惚れるのも仕方がない。
千代が
「あのう・・・・・・?」
と声をかけると侍は慌てて
「せ、拙者、南町の同心で、谷川助左衛門と申す。橋本清十郎という浪人がここに住んでいると聞いて参ったのだが間違いないか?」
と言う。
千代は
「おとっつぁん、南番所の方よ。」
と清十郎に声をかける。
清十郎は立ち上がり千代に変わって対応する。
「某が橋本清十郎でござる。」
と名乗ると谷川が
「南町の同心、谷川助左衛門と申す。お奉行がお召だ。南番所まで同行して頂きたい。」
と言う。
清十郎は
「招致仕った。」
と返すと千代に
「それじゃ、行ってくるぞ。」
と声をかける。
千代は心配そうに
「おとっつぁん、大丈夫?」
と聞く。
清十郎は
「心配するな。大丈夫だ。」
と言うと谷川に
「では、参ろう。」
と言って外に出る。
奉行所は北町と南町に分かれていたが、管轄地域で分かれていたのではなく、月番制で1か月ごとに北と南で交互に仕事を請け負っていた。非番だからと言って休みなわけではなく、内部的な業務は行っていた。“奉行所”という呼び名は役職から来たもので、実際には北番所、南番所で町人たちは奉行所ではなく、“御番所”と呼んでいた。ちなみに、北番所は現在の東京駅八重洲北口付近、南番所は有楽町マリオン付近に有ったとされ、現在も石碑が残っている。
道中、清十郎が
「お奉行からお召があるとは思ってましたが、同心の方がわざわざ呼びに来て下さるとは思いませんでした。」
と言うと谷川は
「3年前に上様が『目明し廃止令』出されてから大っぴらに目明しを使えなくなってな。その上、昨年、南北の番所を補佐していた中町奉行が廃止になったので番所は人手不足なのだ。」
と答える。
そんな話をしているうちに南番所へ到着すると、清十郎は詮議部屋ではなく客間に通される。
座ってしばらく待っていると一人の侍が入って来て上座へ座る。
「私が南町奉行、大岡越前守忠相だ。その方が橋本清十郎か?」
それに対し清十郎が答える。
「はい。橋本清十郎に御座います。」
大岡が
「上様に助太刀してくれたそうだな。礼を仰ってたぞ。」
と言うと清十郎はかしこまって
「ははっ!有難き幸せに御座います。」
と平伏す。
大岡は
「上様がお一人で城の外に出て悪人を直接成敗するなど、本来はあり得ぬ事。この事は内密にしてくれ。」
と言うと清十郎は
「招致仕って御座います。」
と返す。
大岡は
「清十郎、頭を上げよ。今回の件について詳しく話してくれぬか。」
と、備中屋の件について聞くと清十郎は事の経緯を詳しく語る。
清十郎がすべて話し終えたところで大岡は
「よく分かった。手数をかけたな。ところで、お主に一つ相談があるのだが。」
と切り出す。
清十郎は
「何でございましょう?」
と聞く。
大岡は
「上様に限らず、実は私も一人で悪人の取り締まりに向かう事がある。番所は人手不足でな。」
と話す。
実際、町奉行は現代で言うと、裁判官、警視総監、消防署長、都知事を兼務している様なもので、その業務は多岐にわたる。その割に重追放以上の刑罰に関しては老中や将軍の認可を求めなければならず、町奉行は激務の為に在任中に死亡するものも多かったと言われている。更に、番所(奉行所)に勤める者は与力25騎、同心100人で南北合わせても与力50騎、同心200人の総勢250人。現在の東京都庁の職員が30,000人を超える事を考えれば業務内容の割に人手がかなり少なかったことは想像に難くない。
大岡は続けて
「そこで相談なのだが、今後、お主には色々と力を貸してほしいのだ。浪人という身分であれば用心棒として潜入したり等、我々には出来ない事が色々とできるであろう。」
と言う。
清十郎が
「ひとつ、質問がございます。」
と言うと大岡は
「何だ?」
と聞き返す。
清十郎は
「この様な人手不足な状態で、何故、上様は目明しの廃止令を出したのでしょう?」
と聞く。
大岡は
「目明しのほとんどが、咎人(とがにん=罪人)なのだ。改心してお上の御用を務める者もいるが、お上の威光を笠に着て、ゆすりたかり、袖の下、罪人の隠匿等、やりたい放題の者が多いのもまた事実。それを憂慮しての目明し廃止令なのだ。」
と答える。
清十郎は
「なるほど、分かりました。江戸の町の治安が良くなればそれだけ娘も安心して暮らせます。その為でしたら、某の力、存分にお役立て下れませ。」
と了承する。
大岡が
「それは有難い。では宜しく頼むぞ。ところで、私からも質問があるのだが。」
と言うと清十郎は
「何でございましょう?」
と聞く。
大岡は
「上様がお褒めになるほどの剣技を持ちながら、何故、浪人でいる?それほどの剣技なれば剣術指南役などで仕官の口はいくらでもあろう?」
と聞く。
清十郎は
「某のは剣技などと呼べるものでは御座いません。大岡様は赤穂事件は覚えておられますか?」
と聞く。
大岡は
「おお、覚えているぞ。浅野内匠頭が殿中松之大廊下にて吉良上野介に対し刃傷沙汰を起こしたのを発端に浅野家臣の大石内蔵助ら四十七士が吉良を打ち取った事件であろう。」
と言うと清十郎は
「その通りでございます。某は浅野家にて100石を賜り、馬廻りをしていた橋本茂左衛門の庶子で赤穂で生まれました。一年後、正妻に男児が生まれると、家督争いなどが起こらぬようにと某は赤穂藩の江戸屋敷に預けられ、父や異母弟に会う事もなく江戸で育ちました。某が19歳の時、例の事件が起こり内匠頭様は切腹、赤穂藩は御取り潰しに。その際に赤穂藩の江戸屋敷も召し上げられ、殆どの者は赤穂へ帰り、残った者も討ち入りに参加しておりましたが、某は赤穂に帰っても居場所も御座らんし、さりとて討ち入りに参加する気もなかったので、江戸で浪人として暮らすことにしました。その時に色々と面倒を見てくれたのが亡き妻である、お富です。某はお富を守るために剣技の研鑽を積みました。しかし、某が剣技に長けていることが知られれば、それを利用せんが為に妻のお富を害するものが出てくるかもしれないと思い、刀を竹光に替え、“手近な物を得物にし何も無ければ素手で、相手が二本差しなら脇差を奪い、相手が複数なら倒した相手から得物を奪う”という戦闘術を身に着けました。妻を守る為、そして今は娘を守る為に身に着けた技術で、その為、既存の流派とは違い、特に決まった型なども御座いませんゆえ、他人に教える事など出来ないのです。その為、指南役など出来ませんし、腕が立つことも知られない様にしなければならないので仕官などはできません。それに浪人と言うのは気楽で良いもんです。お奉行様も一度お試しすることをお薦めいたします。」
と答える。
大岡ははっはっはっと笑うと
「お主の亡き妻や娘を思う気持ちはよく分かった。そうまでして韜晦(とうかい=才能や身分を隠すこと)するのであれば、お主の腕前は出来る限り内密にすることにしよう。」
と言う。
それを聞いて清十郎は
「ありがとうございます。」
と礼を言う。
大岡が
「ときに、お主の御父上と異母弟はどうなった?」
と聞くと清十郎は
「父は分かりません。異母弟は・・・・・・恥ずかしながら18歳のおりに大阪で遊女と心中したとのことです。」
と答える。
大岡が
「そうであったか。いらぬことを聞いてしまったな。許せ。」
と言うと清十郎は
「とんでもございません。お気になさらぬように。」
と返す。
大岡は
「此度の件、真に大儀であった。上様より金子を賜っておるので有難く頂戴するがいい。」
と言って清十郎に金子を渡す。
清十郎が
「とんでもございません。その様なものは受け取れません。」
と言うと大岡は
「上様から賜ったものを返却するなど無礼にあたる。いらなくとも持って帰れ。」
と言う。
清十郎は頭を下げ
「有難く頂戴いたします。」
と言って金子を受け取る。
大岡越前との謁見が終わり長屋へ帰る途中、大黒屋の手代の喜助にばったり出会う。
喜助は
「先生!丁度いいところへ。実はお宅に伺うところだったんですよ。」
と声をかける。
清十郎は
「何か用か?」
と聞くと喜助は
「旦那様が大事な話があるからという事で呼びに来たんですよ。」
答える。
清十郎が
「大事な用?」
と聞くと喜助は
「詳しい話は分からないんですが、急いで呼んで来いとの事で・・・・・・。」
と返す。
清十郎は
「分かった。では参ろう。」
と言って喜助と大黒屋へ向かう。
大黒屋へ着くと奥の座敷に通される。
座敷では大黒屋宗右衛門がすでに待っていた。
大黒屋宗右衛門は両替商から始め、続いて呉服問屋、小間物問屋を始めると、自ら呉服屋と小間物屋も開店、自分の店に呉服や小間物を安く卸し他よりも安い価格で販売、呉服と小間物で女性客を抱え込み、一代で大店にのし上げた、やり手の商売人である。
清十郎は
「大黒屋さん。今日はいったい何の御用で?」
と聞く。
宗右衛門は
「実は昔から懇意にしている米問屋の越後屋さんを助けてあげて頂きたいんです。」
と言う。
清十郎が
「どういうことですか?」
と聞くと宗右衛門は
「越後屋さんはお上御用達の米問屋で、お上にも米を納めてるんですが、その献上米を越後の農家から仕入れて運んでくるんです。しかし最近、その通り道である蕨宿と板橋宿の間に大規模な盗賊団が出没しているらしいんです。規模が大きくお上ですら返り討ちに会い尻尾を掴めないでいるとか・・・・・・。その上、越後屋さんの“お上御用達”の利権を狙う商売敵が盗賊どもを支援して焚きつけているとかいう噂もありまして・・・・・・。それで今、越後屋さんは護衛の為に用心棒を集めているそうなんです。先生の腕なら盗賊ごときに後れを取ることもないと思いますし、越後屋さんは私にとっては恩人なんです。何とか助けてやっちゃくれませんか?」
と頼み込む。
清十郎は
「分かりました。大黒屋さんには贔屓にしてもらってるし、その恩人という事であれば引き受けましょう。」
と快諾する。
宗右衛門は
「ありがとうございます!越後屋さんに先生の話はしてありますので、お名前だけ名乗って頂ければ後は、すんなりと話が進むと思いますので、何卒、宜しくお願い致します。」
と言うと手代の喜助に越後屋までの案内をさせる。
喜助の案内で越後屋に着いた清十郎は中の座敷に通され店主を待った。
しばらくすると50代くらいの貫禄のある男が入ってくる。
「私が越後屋吉兵衛です。こちらは番頭の茂吉です。」
と言って二人は清十郎の向かい側に座る。
吉兵衛が説明を始める。
「大まかな話は大黒屋さんから聞いていると思いますが、越後の国から米俵を大八車に乗せて運んできます。1台につき6俵、大八車が3台で合計18俵。宿場2つ毎に人員を交代して、蕨宿からは、こちらの番頭の茂吉が手代3名と丁稚15名を連れて、ここまで運んできます。上尾宿に着いた時点で飛脚が知らせに来ますので、そうしましたらこちらを出立、蕨宿で荷を受け取ります。しかし、蕨の宿と板橋の宿の間に賊が出没するようになっているという事で、蕨宿からここまでの護衛をお願いしたいのです。」
清十郎が
「大黒屋さんの話では、お上御用達の利権を狙う者が賊の後ろ盾になっているとのことだが。」
と言うと吉兵衛は
「あくまでも噂です。確証がある訳では御座いませんので、何とも・・・・・・。」
と答える。
清十郎は
「もし、今回失敗したら、次のお上御用達は誰になるであろう?」
と聞く。
吉兵衛は
「おそらく、井筒屋利兵衛になるでしょうな。御旗本の岡野成旭(おかのなりてる)様が後ろ盾に付いておられる。無役とはいえ、950石の直参のお旗本、それなりの影響力はあると思います。」
と答える。
清十郎が
「なるほど。それでは今回の賊の中には侍も混じっている可能性があるな・・・・・・。」
と言うと吉兵衛は不安そうに
「大丈夫でしょうか・・・・・・?一応、先生の他に用心棒を護衛として20名ほど雇ってはおりますが・・・・・・。」
と言う。
清十郎が
「心配はござらん。上納米は必ず守ってみせましょう。」
と言うと吉兵衛は
「おお!何と頼もしい!」
と言い、続けて
「ところで、先生。報酬の方はいかほどをお望みで・・・・・・?」
と聞く。
清十郎が
「・・・・・・箱一つ。」
と答えると吉兵衛は驚いて
「箱一つという事は、千両箱の事で・・・・・・?」
と聞く。
清十郎は
「無論。」
と返す。
吉兵衛は
(何と法外な・・・・・・。しかし大黒屋さんは『橋本先生一人いるだけで、間違いなく成功するでしょう!』と言っていた。大黒屋さんがこの私に嘘をつくとは到底思えない。それほどのお方なのか・・・・・・?背に腹は代えられんか・・・・・・。)
と考え、
「茂吉、持ってきなさい。」
と茂吉に千両箱を持ってくるように命じる。
しばらくして茂吉が千両箱を持ってくる。
茂吉が清十郎に千両箱を差し出す。
清十郎はそれを持ち上げると、立ち上がり
「何だこれは!?バカにしておるのか!?」
と叫んで千両箱の中身をぶちまける。
吉兵衛と茂吉は驚いて
「どうされました!?」
と聞く。
清十郎は
「某は箱が欲しいだけだ!中身はいらん!」
と怒鳴る。
吉兵衛と茂吉は
「は?」
と困惑する。
吉兵衛は恐る恐る、
「箱だけでよろしいので・・・・・・?」
と聞く。
清十郎は
「左様。傘張りの道具を入れるのに丁度良いし、頑丈そうなので前々からこの箱が欲しかったのだ。大黒屋さんに何度かお願いしたが、どうしても金子で払わせろと言って箱はくれなかったのでな。箱を頂けるのであれば非常に有り難い。今回の依頼、必ずやり遂げようぞ。」
と言う。
吉兵衛は呆れながら
「どうぞ、宜しくお願い致します。」
と返す。
茂吉は
「それでは、飛脚が参りましたら、呼びにまいりますのでそれまではご自宅にいてください。おそらく早くて3日後、遅くとも5日後になるかと思われますので宜しくお願い致します。」
と説明する。
清十郎は
「あい分かった。」
と言って空の千両箱を抱え嬉しそうに帰路につく。
茂吉は
「大丈夫でしょうか・・・・・・?」
と不安そうに吉兵衛に聞く。
吉兵衛は
「分からん。しかし大黒屋さんを信じよう。」
と返す。
清十郎は長屋に戻ると同じ甚兵衛長屋に住む、大工の熊吉の住まいを尋ねる。
「おーい、熊吉!いるか?」
熊吉が戸を開けて
「おう!竹光の先生!どうしたんでぇ?」
と聞く。
清十郎はこれ見よがしに千両箱を見せつけて
「用心棒の以来の報酬としてもらったんだ。」
と自慢げに言う。
熊吉が千両箱を見て驚いて
「ちょ、ちょっと持たせてくれねえか?こんな大金、一生拝めそうにねえからせめて千両の重みを味わってみてえんだ。」
と言うと千両と言葉を聞いて熊吉の妻の妙も出てくる。
清十郎は
「いいぞ。ほれ。」
と言って熊吉に千両箱を渡すと熊吉は
「あれ?軽くねえか?」
と言って箱を開ける。
熊吉が
「何でえ!空じゃねえか!」
と言うと清十郎は
「用心棒の仕事で千両ももらえるわけあるまい。報酬は箱だけだ。」
と言う。
それを聞いて熊吉は
「そりゃそうか!竹光の先生が用心棒で千両ももらえるわけねえわな!」
と言って大笑い。横にいた妙も笑っている。
清十郎は
「ちゃんと金子で報酬をもらったら、近いうちに飲みにでも行こう。」
と言って自宅へ帰る。
実はこれは清十郎の策略で、千両箱をそのまま家に持ち帰ったら、家に千両あると思われて押し込み強盗などに入られる可能性が高くなる。そこでゴシップ大好きなおしゃべり女である妙に“千両箱を持ち帰ったが中身は空”という状況を見せて長屋を始め近隣に吹聴させる事により押し込みに入られることを避けているのだ。今までにも何度かこの方法を使っており、自分の刀が竹光であるという事も“熊吉に伝える”→“熊吉が妙に伝える”→“妙が世間に吹聴する”という形で広め、自分の力を隠している。
妙は早速長屋中に空の千両箱の話を広め始める。
清十郎が
「今戻ったぞ。」
と言って長屋の自宅に入ると千代が
「おかえりなさい。」
と言って出迎える。
千代は千両箱を見ると驚いて
「その千両箱、どうしたの!まさか盗んだんじゃ・・・・・・!?」
と言う。
清十郎は
「盗んだものをこんなに堂々と持って帰ってくるわけなかろう。そもそも俺が盗みなどするわけなかろう。これは用心棒の報酬だし、そもそも箱だけだ。」
と言って開けて見せる。
千代は
「報酬が箱だけなの?」
と聞く。
清十郎は
「傘張りの道具を入れるのに前々から欲しかったのだ。」
と言って早速、傘張りの道具を入れ始める。
千代は
「今度の仕事はどんな仕事なの?」
と聞く。
清十郎は
「蕨の宿場から日本橋までの荷物の護衛だ。他に腕利きの用心棒が20人程いるらしいからたいして難しい仕事ではない。」
と言って千代を安心させる。
千代は
「危険な仕事じゃないなら良いけど・・・・・・。」
と言いながら夕飯の支度をする。
清十郎は翌日南番所に出向いた以外はお呼びが掛かるまで自宅で趣味の傘張りに耽っていた。
3日後、昼五つ(午前8時頃)清十郎の住まいの戸を叩く者がいる。
「橋本様、橋本様!」
清十郎が戸を開けると少年が立っていた。
少年は
「私は越後屋の丁稚で聡太といいます。今朝、飛脚が着きまして、荷が上尾の宿場に着いたそうです。つきましては蕨宿に向かって出立いたしますので越後屋までいらしてください。」
と言って他の用心棒を呼びに走って行った。
清十郎は身支度を整え、越後屋に向かう。
越後屋の前に番頭の茂吉、手代3名、丁稚15名、護衛の用心棒23名が集まると板橋の宿にむかって出発。
板橋宿で一泊、翌日、蕨宿へ到着して一泊、更に翌日の八つ(午後2時頃)、荷を引き継いで板橋宿を目指して出発する。
人気のない林道に入ったところで、いよいよ賊が現れる。総勢30名ほどで皆帯刀している。
血気盛んな用心棒が4,5名切りかかって、賊を切り伏せるが返り討ちにあう。
清十郎が
「某が行こう。」
と言って前に出ようとすると一人の浪人が清十郎の肩を掴んで
「お主、ちょっと待て!」
と言って止める。
この男は石川左馬之助という越後屋お抱えの用心棒。
左馬之助は清十郎の刀を抜き竹光なのを見て
「やっぱり・・・・・・。お前知っているぞ!竹光侍とか呼ばれている橋本清十郎だな!?」
と言うと清十郎は
「ほう、某を知っているのか。」
と言うとすかさず
「ちょっと借りるぞ!」
と言って左馬之助の刀を抜き、そのまま流れる様な動きで賊を5人斬り倒す。
左馬之助が
「な・・・・・・!」
と言葉も出ずに驚いていると、倒した賊から刀を奪った清十郎が戻って来て
「返すぞ。」
と言って左馬之助に刀を返す。
清十郎は直ぐに振り返ると賊に向かっていく。
左馬之助は
「竹光を持ち歩いているヤツが、何であんなに強いんだ・・・・・・?」
と驚きながら向かってくる賊を斬る。
しかし、賊も手練れが多く護衛の用心棒たちも数を減らしていく。
賊が頭目一人になった時には用心棒は11人にまで減っていた。
清十郎は頭目の前に出ると
「貴様には御白州に出てもらわねばならんからな。」
と言って刀を峰を下に持ち替える。
頭目が
「何言ってやがる!」
と言ってる間に清十郎が峰打ちで倒す。
すると木の陰に隠れていた武士たちが姿を現す。その数は20名ほど。
武士の一人が
「なかなかの腕利きがいるようだが、ここで失敗するわけにはいかんのでな。悪く思うなよ。」
と言って他の武士たちと一緒に切りかかってくる。
清十郎は
「そろそろ血糊で切れ味が悪くなってきたので、お主の脇差をもらう。」
と言うと斬りかかってきた武士の袈裟斬りを紙一重で躱すと懐に入り、脇差を抜き後ろに回って斬りつける。武士はそのまま倒れ絶命する。
しかし、相手が武士で数も多いという事で用心棒側は圧倒的に不利で更に数を減らしていく。
残った用心棒は4人、一方、武士たちは12人。
このままでは越後屋の奉公人に被害が出ると思った清十郎は大声で
「お主ら!どうせ全員を殺すつもりなのであろう!それならば、今、某を殺さねばその願いは叶わんぞ!」
と言う。
武士たちは
「何っ!?」
と言って一斉に清十郎の方を見る。
清十郎は続けて
「今残っている全員でかかれば或いは望みがあるかもしれん。しかしそうでなければ貴様ら如き、某の敵ではない!」
と言う。
清十郎の足元に多数の躯が転がっているのを見た武士たちは
「確かにこの男、只者ではないな。」
と言って清十郎の周りを取り囲む。
その状況を好機と見た左馬之助が武士を後ろから斬り倒す。
しかし、近くにいた武士が反撃し、左馬之助は何とか躱すも腕に深手を追ってしまう。
武士の一人が
「お前の小細工は失敗に終わったようだな。」
と清十郎に言うが
「いや、そんなつもりは御座らん。まとめてかかって参られい。」
と返す。
武士たちは一斉に清十郎に切りかかる。
清十郎はわずかな間合いの差を見て、間合いの近いものに近づき間合いを詰めると脇差を突き刺し、抜くと当時に近場にいた武士を斬りつける。更に次に間合いの近い武士の剣戟を躱し、すれ違いざまに腹を切りつけ囲みを抜ける。
清十郎は脇差を捨て、足元に転がっている武士の死体の握っている刀を奪うと
「さて、そろそろ本気を出そうか。」
と言うと、又も流れるような動きで瞬く間に5人を斬り伏せる。
残った3人の武士は恐れをなして逃げようとする。
清十郎は
「逃がしはせん。」
と言って一番遠くの武士に向かって刀を投げる。刀は武士の身体を貫き、武士は倒れる。
一番近くにいた武士の後頭部に手刀を浴びせて倒すとその刀を奪い、もう一人を峰打ちで倒す。
左馬之助が腕の傷を抑えながら清十郎に駆け寄り
「貴殿のお陰で助かった。この通り、礼を言う。」
と言って頭を下げる。
清十郎は
「これが仕事だから、礼を言う必要など御座らん。」
と言う。
左馬之助が
「貴殿、本当に竹光侍の橋本清十郎殿か?」
と聞くと清十郎は
「左様。」
と返す。
左馬之助は
「これが竹光侍の本当の力か・・・・・・。」
と感心する。
清十郎は左馬之助と近くに寄ってきた二人の用心棒に向かって言う。
「このことは済まぬが内密にして欲しいのだ。」
左馬之助が
「どういうことです?」
と聞くと清十郎は
「某の力を利用せんが為に娘に害を及ぼす輩がいるかもしれんし、用心棒の仕事で斬り合いをしているなどと知ったら娘が心配するのでな。」
と答える。
左馬之助は
「なるほど、分かり申した。しかし、越後屋さんには?」
と聞く。
清十郎は
「越後屋さんは大黒屋さんから聞いておそらく知っている。そうでなければ報酬に“箱一つ”と言った時に千両も持って来やしないだろう。」
と言う。
他の三人は
「報酬に千両も!?」
と驚くが清十郎は
「いや、中身は返して、もらったのは箱だけだ。」
と言うと他の三名は理解不能になり困惑する。
清十郎が
「ところで、お主らの名前も聞いておきたい。」
と言うと他の三人が名乗る。
「拙者は石川左馬之助。」
「某は渡辺佐門」
「拙者は山本喜三郎」
清十郎は
「では、佐門殿、喜三郎殿は茂吉さんに頼んで縄をもらってきてくれ。」
と言いながら手拭いを出して左馬之助の傷口に巻いてやる。
佐門と喜三郎が縄を持ってくると清十郎は
「それで息のある3人を縛り上げるのを手伝って下され。」
と言う。
佐門が
「どうするのです?」
と聞くと清十郎は
「こやつらには聞きたいこともあるし、南の番所に届ける約束になっておるので。」
と答える。
武士二人と賊の頭目を縛り上げると、それぞれ大八車の米俵の後ろの隙間に乗せて逃げられない様に縄で固定する。
板橋宿に着くと宿場の番所に事の経緯を知らせるとともに、捕らえた者は南町奉行の大岡越前に引き渡す約束になっている旨を伝える。
板橋の宿場で一泊した後、宿場で大八車を一台借りて捕らえた武士と賊はそちらで運ぶ。
昼七つごろ(午後4時ごろ)越後屋に無事到着。
越後屋吉兵衛が出迎える。
「無事に届いたか。」
と安堵の表情で言う。
直後に用心棒の数が大分減っていることに気付き、左馬之助に問う。
「一体何があった?」
左馬之助は
「実は、賊に襲われまして・・・・・・。しかも賊のほかにも武士が多数おりまして用心棒で生き残ったのは我々4人だけで拙者も手傷を負ってしまいました。しかし、こちらの橋本殿が、まさに獅子奮迅のお働きで何とか命拾いしたような次第で・・・・・・。」
と報告する。
吉兵衛は
「大黒屋さんの言っていたことは本当だったか・・・・・・。」
と清十郎の働きに感心する。
吉兵衛が
「橋本様、此度は、真に有難う御座います。何かお礼を・・・・・・。」
と言うと清十郎は
「報酬はすでに頂いてますからお気になさらぬよう。」
と返す。
吉兵衛は
「いえいえ、橋本様のお働きを考えれば、空の箱だけでは全然足りません。」
と言う。
しかし清十郎は
「今回は某が箱が欲しいと申して、その箱を頂けたのですから充分です。某は罪人をお奉行に引き渡さねばならぬのでこれにて。」
と言って大八車を引いて南番所に向かう。
夜五つ(午後8時頃)、岡野成旭の屋敷。
「此度の、越後屋の献上米を奪って越後屋からお上御用達の権利をはく奪し、わしが井筒屋を次のお上御用達に推挙するという計画は失敗の様だな。」
と岡野が言うと井筒屋利兵衛は
「まだお城に運ぶまでの間がございます。」
と言う。
岡野が
「そうだな。何か手はあるのか?」
と聞くと利兵衛が
「はい。私に考えがございますれば・・・・・・。」
と言ったところで中庭から声がする。
「そうはいかんぞ!」
岡野が立ち上がって障子を開け
「何奴!?」
と言うと
「橋本清十郎・・・・・・。人呼んで竹光侍。」
と名乗る。
すると
「これは先を越されたようだな。」
と言って武士が入ってくる。
清十郎が
「こ、これは・・・・・・。」
と言うと岡野が
「何だ?貴様は!?ここが旗本950石、岡野成旭の屋敷と知っての狼藉か!?」
と叫ぶ。
後から入ってきた武士が
「旗本だというのなら、俺の顔は知っておろう。」
と言うと岡野は
「う、上様!?」
と言って庭へ降りて平伏する。
それを見て利兵衛も慌てて庭へ降りて平伏す。
吉宗は
「貴様らの悪事は、この橋本清十郎によって全て露見した。岡野成旭、旗本らしく潔く腹を切れ!」
と命ずる。
しかし岡野は立ち上がり
「こうなれば上様とて構わん!曲者じゃ!出会え、出会え!狼藉者を斬れ!」
と下知する。
岡野配下の侍が多数出てくる。
そこへ
「どうやら間に合ったようですな。」
と言ってもう一人、武士が入ってくる。
清十郎が
「お奉行!?」
と言うと吉宗は
「なんだ、忠相、遅かったな。」
と言う。
大岡は
「井筒屋利兵衛!貴様は白州で裁く!大人しくいたせ!」
と言う。
岡野が
「構わん!まとめて切り捨てい!」
と言うと侍たちは一斉に襲い掛かる。
吉宗と大岡は刀を抜き峰打ちで次々と侍を倒していく。
清十郎も近場の侍から脇差を奪い峰打ちで倒す。
皆、将軍や奉行を相手にするより、弱そうな痩せこけた浪人を相手にした方が勝てると踏んで清十郎に向かってくる。
しかし清十郎は巧みに躱し次々と峰打ちで倒していく。
岡野と利兵衛も同じく清十郎に向かっていく。
岡野が
「浪人風情が!」
と言って斬りかかるが紙一重で躱すと峰打ちで倒す。
利兵衛は
「お、岡野様!」
と言って慌ててるところを打ち倒される。
全員片付くと吉宗、大岡、清十郎が中庭に集まる。
大岡が
「清十郎。此度の働き、大儀であった。」
と言うと吉宗が
「清十郎。越後屋からはいくらもらった?」
と聞く。
清十郎は
「箱一つ。」
と答える。
吉宗は
「何!?千両もか!?」
と驚いて聞く。
清十郎は
「いえ、文字通り空の千両箱の箱だけを頂きました。」
と言う。
吉宗が
「越後屋に謀られたか?」
と聞くと清十郎は
「いえ、傘張りの道具を入れるのに丁度良いと思いまして、箱だけを要求したのです。」
と答える。
吉宗は
「無欲な奴だ。気に入った!俺から褒美を取らす。」
と言うが清十郎は
「いえ、その様なことは・・・・・・。」
と遠慮する。
大岡は
「上様からの褒美、受け取らぬは失礼だぞ。」
と受け取るように促す。
清十郎は
「それでは、有難く頂戴いたします。」
と言う。
吉宗は
「よし。それでは明日午前中に忠相に預けておく故、明日の午後にでも南番所で受け取れ。では俺は町方が来る前に消えるとするか。忠相、後は頼むぞ。」
と言って去って行く。
清十郎も
「では某もこれにて失礼仕ります。」
と言って岡野の屋敷を後にする。
清十郎が家に帰ると千代が御冠であった。
「おとっつぁん!こんな時間まで何処に行ってたの!?」
清十郎は
「ちょっと一仕事あったんでな。」
と答える。
千代は
「何の仕事?まさか悪事じゃないでしょうね?」
と聞く。
清十郎は
「俺が悪事など働くわけなかろう!内容は話せんがお奉行様直々の御用だ。心配するな。」
と言う。
千代は
「本当でしょうね?」
と念を押す。
清十郎は
「証拠に、明日お奉行様からご褒美を頂けることになっておる。南番所まで着いてくるか?」
と聞くが千代は
「分かった。そこまで言うなら、おとっつぁんを信じる。」
と言って食事を用意する。
千代は
「今日はもう間に合わないけど。明日、ご褒美を頂いたら鯛にでもする?」
と聞く。
清十郎は
「鯛など贅沢な・・・・・・秋刀魚で良い。」
と答える。
千代は
「分かったわ。明日は秋刀魚を用意しとくわね。」
と嬉しそうに返す。
翌日、 岡野成旭は切腹、表向きには病死と発表された。
井筒屋利兵衛は死罪、その他の者は遠島(島流し)を申し付けられた。