今日もツチノコを食う
初めて登る山だったが、それほど高い山ではなかったし、登山道も整備され、雪の降る季節は終って、初夏に近かったので、日帰り登山で迷うことなくすぐに下山できると思い、余分な食料を持って来なかった。余分な食料は荷物になる。山に慣れて来ると、どうしても荷物を軽くしたくなり、そのためつい余分な食料を持って来なかった。だが、こうして道に迷ってしまうと、重くなってもいいから、少し余分に食料を持ってくればよかったと、いまさら遅いが後悔する。もう道に迷って四日ほど過ぎていた。時々スマフォを取り出して、電波が入らないか試すが、アンテナが立つ様子はない。
地図はない。スマフォの登山アプリを頼りに登って、頂上までは予定通りすんなりついた。あまりにも順調に頂上に着いたので油断していたのだろう。下山途中に、登って来たときと、景色が全然違うと気づいたときには、スマフォの電波が届かない、森の中にいた。すぐに引き返し、正しいルートに戻ろうとしたが、登山道には戻れず、さまよっていた。日帰り登山のつもりだったから、食料だけでなく、登山計画書みたいな面倒くさいものも提出しなかった。アプリ頼りだったから、地図もコンパスもない。つまり、もしものときの備えを一切していなかった。
山を舐めるなとよく聞くが、後悔先に立たずという言葉通りの状況だった。幸い、二日ほど前に、湧き水が出ているところを見つけて、そこで水分は補給できたが、食い物は見つかっていない。
「腹減ったぁ・・・」
空腹と疲労で、ため息を吐きつつその場に座り込む。
「ちょっと休憩」
休みながら、周りを見渡すが、木ばかりで、同じところをグルグル回っているような気もする。だが、俺は独り暮らしで、仕事先も無断欠勤だと上司が怒っているだけで、俺が山で遭難しているかもと思い立って探してくれそうな心当たりもない。
ここで死ぬのか。
ふとそう思ったとき、近くの落ち葉だらけの地面がガサゴソと動いた。
「ん、なんだ?」
なにか小さな獣でもいるのかと思ったとき、その近くの茂みが大きく動いた。
熊かと思ったが、それは人間だった。浮浪者のようなボロボロの恰好をしていたが、木の先端を削って作ったらしい手製の槍で、俺の目の前の地面を突き刺した。
「ん!?」
槍を刺された地面が暴れた。
男はしっかりと槍で獲物を突き刺したのを確認するようにそれを持ち上げた。槍で突かれたそれが、必死にもがいている。蛇に似ていたが、蛇ではない。
「ツチノコ?」
想像図でみたような胴の太い生き物が、その槍に貫かれていた。
「お、あんた、まだ生きてるのか。良かった。ここに迷い込んだお仲間は、大抵、俺に出会う前に死んでたからな」
ツチノコを仕留めた男が二ッと笑っていた。きちんと歯磨きしていないのか、何本か歯が欠けていた。
だが、浮浪者でも、誰でもいい。
「た、助けてくれ」
思わずそう呟いていた。人と出会えた安堵からか、下した腰を上げられなくなっていた。
「ああ、いいぜ、助けてやるよ。それより、どっちから来た、地図持ってないか」
「たぶん、あっちから。地図はない。スマフォのアプリを頼りに登ったんだが、途中で道に迷って、電波が届かなくてさ迷っていた」
「スマフォの電池は残ってるのか」
「まだ残ってる。けど電波が届かなくて役立たずさ」
「なるほど、まだスマフォは生きてるんだな」
「・・・」
「お、悪い、ちょっと待ってな、今食わせてやるから」
男がそう言ったのが聞こえたが、疲れていた俺は、そこで気を失った。
次に目が覚めたのは、香ばしい臭いを嗅いだからだ。
「ほれ、これ食え。調味料はないが、ちゃんと食えるぜ」
それは皮を剥いだツチノコを串刺しにして丸焼きにしたワイルドな肉だったが、とにかく食らいついて胃に流し込んだ。
「こ、これ、ツチノコですよね。でも、意外に美味しいですね」
「空腹だったら、何でも美味いだろうさ。それに、この辺はこいつらの生息地だ。まだ、何匹だっているさ」
「でも、ツチノコって幻の生き物で、希少なんじゃないですか」
「いくら珍しくて希少でも、自分の命が大事だろ」
「そ、そうですね」
食べずらい骨を残して、何とか一匹食い終わると腹が満たされたせいか、思わず欠伸が出る。
「あ、あの、どうしてここに?」
そのボロボロの恰好から登山者の安全を守るレンジャーではなさそうだ。
「あんたと同じだよ、この山を下りられなくなって、迷っていたら、ツチノコを見つけた。こいつら、普段は地面に身体を埋めるように隠れていて獲物が近づくまでじっと動かない。だから、長い槍を使って、こいつらが隠れて盛り上がっている地面に槍をぶっ刺せば、簡単に捕まえられるというわけさ」
「あの、山を下りられなくなったと言いましたけど、どれくらい?」
「さあ、忘れちまった。俺はスマフォの電池が切れてから、日付を見てないからな。ま、電波が届きそうな場所までは案内してやるよ。山を下りられなくなったけど、それぐらいは案内できるくらいこの山には詳しくなったから。とりあえず、もう少し休みな。すぐ暗くなるから明日の朝一で電波が届きそうな場所に案内してやる」
「では、失礼して寝かせてもらいます」
俺はそのまま翌朝まで眠った。かなり疲れがたまっていたのだろう。寝心地の悪い地面だったが、しっかり爆睡して、気分が良かったが、すぐに、あの男がいないのに気が付いて焦った。
あれは夢だったのかと思ったが、ちゃんと近くにツチノコを焼いた焚火の後が残っていたし、俺が食べ残した骨も、地面に捨てたままだった。
ハッとしてポケットを探ったが、スマフォがなかった。
あいつ、電波の届く場所に一人で行き、一人だけ助かるつもりか。
それから、俺はあいつを探して山をさまよったが男は見つからなかった。あいつは逃亡犯か何かで、一緒に助かると何か都合の悪い事情があったのかもしれない。
それから俺はあいつの残した槍を参考にツチノコを捕らえて生き延びることに専念した。
生きていれば、いずれ、あの男に復讐できる機会もあると信じて、今日もツチノコを食う。