第63話 遥かな星から見守る者達
「お父様、お姉さま達の参加する司法局実働部隊の作戦ですが……まもなく始まります」
甲武国の首都、鏡都の屋敷町の中でもひときわ大きな
甲武建国時に創業したという伝統ある旅館は、政治家達のここ鏡都での活動拠点として使われることが多かった。
そんな格式の高い旅館でも一番品があるとされるところがここだった。
一人の青年海軍将校の姿がその三部屋からなる一室で、枯山水が見える和室に、甲武国海軍式の儀礼服姿で正座していた。
中性的な面差しは
しかし、青年将校の胸のあたりを見ると普通の感覚の人なら違和感を感じるはずだった。
その胸のふくらみは、どう見ても女性としても大きすぎる乳房だった。
その『男装の麗人』は、かの『機械魔女』の妹、日野かえで海軍少佐だった。
庶民的な西園寺家の家風が合わなかった彼女は、名門『日野家』を再興してその当主としてこの旅館の最上級の部屋を愛してやまない父、西園寺義基の前で静かに正座していた。
『甲武のペテン師』
政敵からはそう呼ばれることもある彼女の父である甲武国宰相、西園寺義基は、
「しかし、いくら『廃帝誅滅』の為とはいえ、『法術師』の公開に、この甲武国を利用するとは迷惑な話だ。まるで俺がこの機会を利用して俺が主導で『官派』を叩いているみたいじゃないか。まあ、近藤君は遅かれ早かれ憲兵隊にしょっ引かれる運命だったかもしれんがな。彼は少しせっかちすぎた。『官派』でも弱気な陸軍高官が過激思想の持ち主である彼が決起することを自分達に連絡してきたと陸軍大臣に密告してきたそうだ。どこにでも裏切者がいることを、近藤君も冷静に判断できる人間だったら思いついただろうに」
西園寺義基の書類を眺めながら、かえでは目の前の茶を啜った。
「『お姉さま』からは何か話が無かったのですか?」
どこか色気と姉への『禁断の愛』を感じさせるかえでの口調に義基は苦笑いを浮かべて話を始める。
「かなめからか?いつも通り『女王様』……この国風に言うと『関白太政大臣』になる方法を言ってきたから、『なれば?』って言っといたわ。遼帝室の旦那を連れて帰国すれば誰もが自分を喜んで『関白』に推挙するだろうだなんて……あいつらしい単純な発想だ。政治家の俺としては合格点はやれないな。まああいつの結婚相手を考える手間がなくなるのはいいことだしな……まあ、
義基はかえでの言葉にやる気もなくそう答えた。
「地球のいくつかの政府の特使が、三時間前にここに代表を送ってきたんだ。そいつ等『法術師』の公表に関して『これでお願いします!』なんて俺も知らんような計画並べ始めてたよ、国交のないはずの地球の連中がだ。地球圏は地球圏にとっても目障りな近藤さんを『亡き者』にすることには大賛成だとさ。身内だけじゃ無く地球圏まで敵に回すなんて……近藤さんも本間君の所に飛ばされて完全に冷静さを失っているみたいだね。そんな冷静さを失った彼を誰か『大人』がけしかけたんだろうなあ……。意思の強さは時に自滅を招くという良い見本だ。
分厚い『特殊な部隊』の隊長であり義基の義弟、嵯峨惟基特務大佐からの分厚い毛筆の書類をかなりの速度で読み終えた後、西園寺義基は静かに言葉を飲み込んで腕を組んだ。
「次の庶民院に提出する法案ですか?新三郎叔父様が書かれた……さすがは陸軍大学校首席でいらっしゃる」
かえでは父のいつもの乱暴な口調を無視してそう言った。
西園寺家で嵯峨は嵯峨家に養子に行く前の嵯峨の旧名である『新三郎』とよばれていた。
「そうだ。先の国会で審議不足で先送りとなった憲法の草案と、それに伴う枢密院の改革法の原案だ。まあ新三郎はここ甲武の最高学府の
『甲武国』は現在、『官派』の決起を読んでの戒厳令下にあった。
それを敷くことを決意した宰相とは思えない柔らかい表情を浮かべて西園寺義基は茶を啜る。
かえでは父と『敬愛する姉』の共通点であるたれ目を見て、自分の凛々しいまなざしには無い『愛する姉』西園寺かなめとの血のつながりを見つけて奇妙な安心感を感じていた。
「僕が通っていた貴族の学校『高等予科』では伝説ですからね。叔父様は法律、経済がらみの授業
「まあな、それ以外の授業の時は校庭でタバコ吸ってたらしいからな……真似した馬鹿貴族が、何人も留年してる」
義基はそう言って顔を上げた。
「高等予科じゃ、俺と新三郎、それにかなめか。三代続けて問題児だったからな。その中で成績はなぜか新三郎が一番なんだ。頭の中に電子辞書がつまってる『サイボーグ』のかなめより上なんだぜ?まあ、確かにこの草案、貴族だってことだけで議員席に座ってる馬鹿でも反対できない内容だな。それに運用次第ではそいつ等を政界から追放できる文言まである」
それだけ言うと西園寺義基は立ち上がり廊下の方へと歩き出した。
「お父様!」
かえでは立ち上がって制止しようとした。近藤が決起しここ帝都でも官派の過激派が西園寺義基の命を狙っているかもしれない。
しかし西園寺義基は、振り返って穏やかに笑った。
「安心していいよかえで。この部屋を狙撃できるポイントはすべて遼州同盟の司法局の公安機動隊が制圧済みだよ。さすが、『武装警察の特殊な部隊』の隊長、嵯峨特務大佐のご威光という奴だな」
甲武国の首都、鏡都の空は金色に輝き、硫酸の雨が今日も降り続いていた。

「それより、かえで。本当にいいのか?新三郎の『特殊な部隊』は『特殊』すぎるぞ。お前さんがある意味『特殊』なのは誰でも見ればわかるが、あの『特殊な部隊』に自分で転属を希望したら通るだろうが……二度と甲武国海軍には戻れないと思うぞ。確かにお前の『女癖』で海軍から何度俺がどやされたか分からんが、それだけの実績を上げているんだ。今からでも遅くない。考え直さないか?」
西園寺かなめと日野かえでと言う『奇妙な姉妹』の父親、西園寺義基は『父親』の顔でそう言った。
かえでの『女癖』の悪さは、筋金入りだった。
特に高貴な身分の若く美しい既婚者と見ると目が無かった。
かえでは舞踏会があると聞けば必ずそこに出向いてそう言った女性を物色した。
同性愛とは無縁に思える高貴な家の妻達を次々と彼女の美貌と甘い言葉で篭絡して次々と寝取った。
結果これまで24人もの、かえでの魅力に抗えなかった女性たちの子宮に、人工授精で自分のクローンまで孕ませていた。
かえではこの悪行を『マリア・テレジア計画』と呼び、いずれはその娘達がかえでの言うことならなんでも聞く『民派』を支える手足となることになることを狙った。
『僕は愛する女性を、ただ愛しただけです。彼女たちは皆、僕を求めました。それが罪でしょうか?』
軍法会議で審問官に問われてそう答えたかえでを傍聴していた西園寺義基は苦笑いで眺めていたのは今となってはいい思い出である。
「僕の浮名の話は良いんです。僕は『お姉さま』を愛するために生きていると思ってます。そして、『お姉さま』の愛しているものはすべて僕も『愛する』んです」
義基は娘の反応を予想していたが、あまりに予想通りの反応にただ何も言えずに黙り込んだ。
「それに、あの友達の少ないお姉さまに『下僕』ができたと教えてくれました。僕に見せびらかしたくなるような面白い『下僕』だそうです。お母様からも僕の『許婚』としてはどうかと言われました……僕の『許婚』としてふさわしいか、じっくり見極めさせてもらうつもりです」
「『下僕』ねえ……俺は貴族の位をかなめに譲って平民になった。じゃあ俺も奴の『下僕』か?」
義基はため息交じりにそう言った。
「お姉さまが認めた下僕なら、僕も認めます。それだけのことです」
かえでは淡々とそう言った。義基はその言葉に大きくため息をついた。
「その下僕はお母様の古くからの東和のご友人のご子息だそうです。お母様の言う通り立派な体格の方で……僕もこの方が『許婚』ならそれでいいのかと……」
義基は自分の二人の娘があまりに『特殊』な男女観を持っているのは知っていたが、迷惑をこうむるのは自分の政敵の『官派』の貴族主義者なので放置していた。
そもそも彼は頭の上がらない『甲武の鬼姫』の2つ名を持つ妻康子の勧めもあって、『特殊』な姉妹の暮らしに介入しない主義であった。
「へーそうなんだ……まあがんばれや」
西園寺義基は奇妙な生命体を見るような眼をしてそう言うと、再び部屋の上座に座った。
「それにしてもかなめの奴め。アイツは都合のいいところだけ『貴族』を使いやがる……アイツも貴族は嫌だと念誦言ってるくせに。俺は貴族が嫌だから平民になった。アイツにも俺の気持ちが分かる日は……たぶん来ないだろうね」
皮肉めいた笑みを浮かべながら義基はそう吐き捨てた。
「お姉さまはお姉さまなりにお父さまを尊敬していると思いますよ。西園寺家の庶民的な雰囲気を嫌がりもせずずっとお父さまを見守っているじゃないですか」
「お前さんの貴族趣味は康子譲りか……アイツにも困ったものだ。今回の近藤の一件も康子はあいつの屋敷に出入りしている貴族主義の連中から事前に知ってたと思うぞ。それをことが陸軍の内通者経由で俺のところまで回ってくるまでだんまりだ。夫婦ってのはそんなもんじゃ無いと思うんだがな」
愚痴るようにつぶやいた義基の表情が真剣なものに変わった。
「かえで。早速、海軍の中でも信用できる陸戦部隊一個中隊を呼んでくれ。この書類は最高レベルの機密書類だ。できれば司法局の作戦終了時まで伏せておきたい。それと……くれぐれも『東和共和国』に戻っても『許婚』のストーカーとして逮捕されないでくれよ。これ以上恥をかかされるのはいくら俺でもごめんだ」
「承知しました」
西園寺義基のその言葉を聴くと、すぐさまかえではタブレット端末で海軍省との打ち合わせを始めた。
「さあて……今回の近藤さんの決起で連座する人達をどう救済するか……勝者は情けを持たねえと嫌われるからな……新三郎の憲法の草案を使って他に逃げようのない『逃げ道』を用意してやるのも良いか……連中にとっては屈辱でしかないかもしれないがね」
『官派』の殺害目標第一位である、『平民宰相・西園寺義基』は人懐っこい笑みを浮かべてそう独り言を口にした。