第62話 それぞれの女達の励まし
誠は嵯峨から追い出されるように展望ルームから出ると、緊張からくる胃のむかつきを抑えようとハンカチで口を押さえながらエレベータルームにたどり着いた。
彼はとりあえず自分の決断を伝えようと、『特殊な部隊』司法局実働部隊機動部隊長である『偉大なる中佐殿』ことクバルカ・ラン中佐の個室を目指した。
エレベーターが誠のいる階に到着し、扉が開くと中には先客がいた。
そこにいたのは目的の幼女、クバルカ・ラン中佐だった。
「クバルカ中佐!」
誠は嵯峨から告げられた『非情で危険な任務』について確かめようと小さなランに声をかけた。
「なんだ?神前。ここじゃあなんだから話なら食堂で聞くぞ」
そう言ってランは誠に笑顔を向けた。相変わらずどう見ても8歳の女の子にしか見えない。
誠は彼女の大きな目を見て、その脳内が完全に『体育会系鬼軍曹』そのものである事実に気づいた。
誠は幼女にしては迫力のありすぎるランの態度におどおどしながら、エレベーターに乗り込んだ。
「クバルカ中佐の執務室に行くんじゃないですか?」
そう言ってみる誠だが、ランは否定するように首を振った。
「いいや、食堂に行く。アタシの部屋はまだ神前には刺激が強すぎるらしいからな……どうもアタシの理想とする『任侠道』って奴は誤解されてるらしい。この前の東和の国会で『暴力団対策法』っていう法律が通った。アタシ等堅気じゃねぇ人間には人権はねぇっていう法律だ。確かにやくざの中には薬を売ったり女にたかったりする屑も居るのも事実だが……『任侠道』をわかってるやくざはそんなことはしねーんだ。何もかも一緒くたにされるとこっちが迷惑だ!」
「任侠道ですか……それと今、『アタシ達堅気じゃねえ人間』とか言いましたよね?中佐はやくざだったんですか?」
ランの何気ない言葉を聞きながら、誠達はエレベータは食堂のある共有フロアーに到着した。
ランは小さな体で肩で風をきって歩く。誠もおずおずとその後ろに従った。
廊下一面に『魚拓』や大物を釣り上げた記念写真が並んでいた。
「また今日も魚ですか?」
体力自慢の誠も『点滴』と『魚料理』の繰り返しの日々には飽きてきた。
「アタシは慣れたぞ……やっぱ天然物を船上で神経締めした魚は旨いや」
ランはまた珍妙な発言をする。
「そうですか……」
不思議そうにランを眺める誠を見ながら、彼女は食堂に入った。
どう見ても8歳女児のグルメうんちく聞く現実に耐えながら、誠は食堂の奥のテーブルに黙って腰かけた。
ランは誠の正面に座って誠の顔を見ると静かにうなずいた。
「どうせアレだろ?近藤とか言う『クーデター首謀者』を隊長が処刑しろって言ったことだろ?とりあえず、飯を食え。ここのとっておきの肉料理の『かつ丼』をおごってやる」
「はい……」
誠は券売機で食券を買うランの後ろ姿を見つめていた。
周りの非番の隊員達がアジの開き定食やサバの味噌煮定食を運んでいく様を見つめながら誠はぼんやりしていた。
「本当に……魚しか無いんだな」
そう言いつつ誠は嵯峨の言った『逃げろ』と言うことを考えていた。
誠も正直逃げる事を考えていなかったわけでは無かった。
今回は演習ではなく実戦である。
誠にもその事実は分かっていた。
そして『死』がそこに待ち構えていることも誠には理解できた。
死ぬのが好きな人などいないと思っている誠にとって逃げれば確かに死とは関わらずに済むことも分かっていた。
誠は死ぬのが怖かった。
人を殺せる自信も無かった。
誠は逃げることができないと思っていた。
一週間前の誠なら嵯峨の提案に乗って逃げ出していただろう。
逃げるにしてはこの『特殊な部隊』の面々と関わり合いが深くなりすぎていた。
かなめ、カウラ、アメリア、そしてラン。彼女達を見捨てて逃げることはできない。
逃げた誠を軽蔑する視線で見つめる島田を想像すると逃げるという選択肢は誠には浮かばなくなっていた。
「なにボーっとしてるんだ?食えよ」
呆然としていた誠の前にはすでにかつ丼が置いてあった。
その向こうではランが誠を見つめていた。
「はい!」
驚いた誠はそのままドンブリに手を伸ばした。
「今回の出動は結構ヤバいんだ。神前も聞かされたとーり甲武の刑罰は厳しい。負けたら後は無いと敵も必死に戦うだろーな。そして、それなりの死人が出る。間違いなくだ」
ランはそう言って箸を置いた。
「そうですよね……戦闘艦に乗った人を殺す任務なんて……同乗しているたくさんの人が死にますね。命令でその近藤とか言う人の部下になっただけなのに」
どんぶりに伸ばしかけた手を引っ込めた誠は、そう言って苦笑いを浮かべた。
「そうだ……結構な数、人が死ぬことになる……身勝手な理想を掲げた上官の尻拭いを押し付けられた連中には同情するしかねーよ」
まじめな表情でランはそう言った。
「軍では上官の命令が全てですからね。特に身分制度の厳しい甲武の命令系統の厳しさは僕にでも予想が付きます」
誠もこの部隊に入ってからこれまで関心も持たなかった社会と言うものを学んでいた。
「そーだ。でもまー近藤さんの部下にも貴族主義に染まっていない連中もいるから出撃を拒否する奴が結構な数いる……そいつ等だけは助けたい……」
ランはそう言うと腕組みをして誠をにらみつけた。
「そう言う人はどうしているんですか?」
誠は箸を置いて真正面からランを見つめた。
「おそらく倉庫や営倉に軟禁されてるだろーな……『那珂』を沈めるとして、ブリッジを一撃で破壊してケリをつけなきゃそいつ等も一緒にお陀仏だ」
ランはそう言いながらどんぶりをかきこむ。
「ブリッジを一撃で……できるんですか?230mmロングレンジレールガンじゃ直撃を食らわせないと無理ですよ。そんなことができるのは西園寺さんくらいじゃ無いですか?うちでは」
「西園寺でもレールガンの有効射程に入れるかどうか……。05式の機動力は絶望的だ。そんな急襲作戦なんてアタシも思いつかねえ。アタシ達には機動力と火力が足りねーんだ。火力がな……でもまーアタシにはその火力を使える奴に覚えがある……そして機動力を補う方法も知っている」
そう言うとランは箸の進まない誠の目を見つめてきた。
「僕……ですか?僕は射撃はド下手ですよ。それともダンビラで何とかしろって言うんですか?西園寺さんが飛び込めない弾幕に僕がどうこうできる訳無いじゃ無いですか。それに機動力は機体の問題であって僕がどうこうできる話じゃありませんよ」
誠がそう言うとランは安心するような笑みを浮かべて立ち上がった。
そしてそのまま食堂のカウンターに向かって歩き出した。
「分かんねーみてーだな……じゃーアタシは部屋で一杯やるから失礼するわ。……久しぶりの固形物だろ……味わって食えよ」
ランは食堂の担当者から小皿に乗せた白子ポン酢を受け取るとそう言って立ち去った。
誠は久しぶりに見る食事と呼べる食事である『かつ丼』を前にランの最後の言葉の意味を考えながら割り箸を手に取った。
「固形物を食べても大丈夫なのか?」
久しぶりのまともな食事である『かつ丼』を食べようとしていた誠に話しかける女性があった。
第一小隊隊長、カウラ・ベルガー大尉である。
いつものようにエメラルドグリーンのつややかなポニーテールを気にしながら誠の前に腰かけた。
「ええ、流動食は飽きたんで。それより今回の任務の詳細を聞いたんですけど、僕……本当に役に立つんでしょうか?ここに居てもいいんでしょうか?」
誠は割り箸を割りながら、誠は直接の上司である美しい無表情な女性に告白した。
「役に立つかどうか……それは私の決めることでは無いな……クバルカ中佐の仕事の
予想通りカウラはそう言うと頬杖をついて誠を見つめた。
「クバルカ中佐は僕じゃないと出来ないみたいなこと言いますけど……本当に僕で良いんですか?」
誠はそう言いながらかつ丼に箸をつけた。
「ああ、それなら問題は無いだろ?私は戦場を用意する……私の機体は電子戦に特化した指揮機だからな。それが私の仕事だ」
どんぶりを持ち上げた誠にカウラはそう言って微笑みを浮かべた。
「僕が必要……?本当に……?」
そう言いながら誠は魚料理しか無い『ふさ』の食堂の貴重な肉料理であるかつ丼のカツを口に運びながらカウラのエメラルドグリーンの瞳を見つめた。
「だから何度も言った通り貴様が必要だから私達は貴様を部隊に配属させた……それだけだ」
カウラはそう言ってかつ丼に食いつく誠に微笑みかけた。
「僕が必要なんですね?」
カツの下の白米を口に運びつつ誠はそう言った。
「何度も言わせるんじゃない、貴様はこの『特殊な部隊』には不可欠な存在だ」
「カウラさん……っ!」
誠が思い切りむせたのは、落ちこぼれパイロットの自分を、それほどまでにカウラたちが必要としていることに感動したからだった。
食道に入ったご飯粒を吐き出しつつ誠は息を整えた。
カウラは相変わらず頬杖をついてほほ笑んでいる。
「それより問題なのは西園寺だ。アイツは貴様に入れ込んでいるが……あの通り直情的な性格だからな……戦場で頭に血が上って貴様に迷惑をかけることになるかも知れん。そちらの方が心配だ」
そのエメラルドグリーンの真剣な瞳が誠の顔を捉えて離さなかった。
「西園寺さんですか?確かに僕を連れ戻しに来た時みたいに自分の感情を抑えきれない所がありますから。でも実戦経験者ですよ。僕より役にたちます」
誠は本心からそう言った。
西園寺かなめ大尉。第一小隊二番機担当。
機械の体を持つわりに感情の歯止めが効かない所があるかなめのことを思うと、誠も少し心配になった。
「アイツは感情に任せて銃を撃ちまくるところがあるからな……だが今回は無駄撃ちはしないと思う……アイツもそこまで馬鹿じゃない」
カウラははっきりとそう言った。
しかし、ここは『特殊な部隊』である。
外界の『一般人』が関わって無事に済むという保証は無い。
「西園寺さん……僕を救出に来た時みたいに敵を撃つんでしょうね。それが任務ですから」
いったん手にしたどんぶりをテーブルに置いて誠はそう言った。
「任務の為ならためらわず撃つだろうな……西園寺は。貴様の良心が痛むのを少しは和らげるたとえ話をすると、今回の敵は甲武国の反乱分子なんだ。お前の好きな特撮ヒーローもので言うと『悪の組織』だと思えばわかりやすい。敵は全員、脳改造された『戦闘員』だ。正義の司令官、クバルカ中佐の命令で戦えば必ず『正義』は勝つ。『正義の女改造人間』の西園寺かなめ中尉のバックアップをするのが貴様の任務だ。私はそのための戦場を用意する」
カウラは真剣な表情で誠にそう言うと、気が済んだように誠に笑いかけた。
「カウラさん……『悪の組織』とか……『戦闘員』とか……僕の気を紛らわせようと……『たとえ話』をしたんですね……もしかて……パチンコにそんな台があるんですか?好きなんですか?」
少し誠は感動していた。
さすがに社会人経験が長い女性上司だ。
そう思って誠は少し感動していた。
誠の笑顔にカウラは笑顔で答えた。
彼女は美しいエメラルドグリーンの髪をなでながら立ち上がった。
「確かに私が得意とする台にそう言う設定のモノがあるのが事実だがそれはそれの話だ。神前。貴様は自分を信じて戦え。戦う中で困ったことがあればその時はクバルカ中佐がなんとかしてくれる」
「はい!」
笑顔で頷くカウラの言葉に誠はそう言って頷いた。
カウラは誠に背を向けると食堂を出て行った。
誠は彼女のさわやかな雰囲気になごみながらかつ丼のどんぶりを手に食事を再開した。
誠はカウラが食堂を去るのを見送ると目の前のかつ丼のどんぶりを手に取った。
「さあ、食べるか……そうか。僕は、ここにいていいんだ」
食べるタイミングを『特殊』な上司のカウラに外されたせいで、なんとなく誠はかつ丼に箸を伸ばせずにいた。
そして誠は産まれて初めて自分の居場所を見つけたことに気付いた。
「食ってんだ」
かつ丼とにらめっこをしている誠の正面からハスキーな女性の声がした。
さっきまでカウラとの話題の中心の人だった西園寺かなめ中尉だった。
ライトブルーの実働部隊の制服の左わきには彼女らしく愛銃を入れたホルスターが見えた。
「食べたいんですけど……なかなか口に運ぶ気力が無くて……」
お茶を濁すような言葉を並べて誠はまたかつ丼のどんぶりをテーブルに置いた。
「今度の出動は、アタシが『近藤一派』を全員処刑するからな。射撃が苦手で役に立たないオメエは弾の補給を頼むわ。射撃の下手なオメエには補給担当がお似合いだ。せいぜい弾を運んでくれ」
誠の前に座ったかなめは表情も変えずにそう言った。
あまりにあっさりとした『処刑宣言』に誠は呆然とかなめを見つめた。
「なんだ?オメエもついでに射殺してほしいのか?」
「いえ!違います!……でも……『処刑』だなんて……」
誠は焦ってそう答えた。
かなめの右手が銃に向けて動いているのを見たからだった。
「アタシが『近藤貴久中佐』と言う男を処刑すると言うのがそんなにおかしいか?近藤の旦那の本心を知ってて放置していた本間提督みたいに奴に甘い顔をしろとでも?」
表情を殺した『女サイボーグ』の瞳に見つめられると、誠は動くこともできなくなった。
「なんでそんな酷いことが……言えるんですか?人間ですよ、相手は」
誠は目の前の恐ろしいたれ目のサイボーグに語り掛けた。かなめはあっけらかんとした顔になる。

「そりゃあ、近藤中佐は『歴史に名を残したい貴族主義者』だろ?アタシが『上意討ち』にして、『逆族』としてちゃんと歴史に名を刻んでやるのが礼儀だろ?」
「『上意討ち』……って何ですか?」
誠の突拍子もない問いにかなめの表情は凍った。
「『上意討ち』も知らねえのか……お上に逆らった逆賊は殺されて当然なのが『甲武国』なんだよ。あそこの政府に軍人が逆らえばそれは『逆賊』だから討って構わねえんだよ……アタシはアイツみたいな下級士族じゃねえんだ。甲武最高位の貴族様だ。首を取るのに何の遠慮がいるんだよ。それが連中の望んだ貴族主義国家のルールだろ?」
誠は何度聞いてもかなめの言葉が理解できなかった。
目の前の機械の体のかなめがそれなりの高位の貴族の出なのは分かったがその発想は庶民の誠には分かりかねた。
「西園寺さん……確かにクーデターは悪いことですし、貴族主義なんて僕には理解できないですけど……いきなり殺すなんてひどくないですか?」
信じられずに確認する誠を見てかなめはさわやかな笑みを浮かべた。
「そりゃあ東和共和国の理屈だ。甲武には甲武の理屈がある」
誠の庶民的発想の疑問をかなめは一言で完全粉砕した。
「それに、アタシも好きで『貴族』に生まれたんじゃねえんだよ。アタシの先祖の『西園寺さん』が甲武国を作って『貴族制』を始めたんだよ。だからアタシは貴族のトップなんだ」
「『甲武国』を建国?」
考えてみれば『甲武国』は地球圏からの移民が独立して建てた『貴族制国家』である。
『貴族制』と言うことは遼州独立の功労者が貴族になっているのは当たり前だということは誠にも理解できた。
「しかし……近藤の旦那も馬鹿だよな、『貴族主義』とか『官派』とか言うけど、どう頑張っても下級士族の出身の近藤の旦那は『甲武国』じゃこれ以上出世の見込みなんてねえのにな……」
かなめは誠には理解不能な『特殊』な世界観を語った。
誠はただ絶句してかなめのたれ目を眺めていた。
「親父はアタシに言うんだ。『人は尊く生まれるんじゃない。尊くなろうと努力するのが人なんだ』ってな」
「尊く生まれるんじゃ無い。尊くなろうと努力する……」
誠はかなめの口にした言葉を繰り返した。
そして、まだ見ぬ『かなめの父』の言葉に心を動かされた。
「親父は貴族最上位の地位をほっぽりだした無責任な男だが、その言葉は信用してやる。アタシにその位を譲って『平民宰相』として民の政治をしたいというのも許してやってる……親孝行だからな!アタシは」
かなめの言葉には『父』への『愛』が感じられた。
庶民である自分とは違う、かなめの独特の父への尊敬がそこにあると誠はかなめを見ながら感じていた。
「だから、その娘として、『特殊な部隊』の一員として近藤の野望は砕く!『甲武国』一番の貴族として、貴族主義者の連中に『死』を
残酷な言葉を並べるかなめがおどけたように笑う。
「神前。そのためにおめえはアタシのフォローをしろ!アタシの銃の弾が尽きたら弾を運べ!それが本来の『
かなめの言葉に迷いは無かった。
『かわいい正義の味方』であるランが指揮し、『美しいが少し変』なカウラが戦場を用意する。そして、『気高き機械の体』の姫君が
誠はこの『特殊な部隊』が実は『正義の味方』なのかもしれないと思っている自分を発見した。
「神前。食えよ、かつ丼」
誠は少しかなめの素敵な言葉にあこがれて、目の前のどんぶりの中身のことを忘れていた。
「すみません……なんだか……西園寺さんが見かけによらず、立派なことを言うから忘れてました」
そう言うと誠はかつ丼のどんぶりを手にした。
そして誠の心の中には必要としてくれる人が居る限り、誠は戦うしかないという覚悟の念が浮かんでいた。