第61話 相容れぬ敵同士の通信
誠を見送った嵯峨は、くわえていたタバコを放り投げると、静かに身を起こして展望ルームのガラスに目を向けた。
何もないはずの展望ルームのガラス一面に、水色の髪の女性の姿が浮き上がった。
「パーラか?通信の当番だったな……今の時間は。すまねえな」
そう言って嵯峨はニヒルな笑みを浮かべた。
『隊長……どうしたんですか?同盟会議からの命令が無茶なことなんて、いつものことじゃないですか!』
嵯峨は思った。
『戦うことしかできなかったはずのパーラ・ラビロフ中尉が、いつの間にか実に魅力的な女性になった……』と。
自分がこの部隊の隊長になって少しは良いことをしている。
嵯峨はそんな感傷に浸りながら真面目な表情を浮かべる画面のパーラを見つめていた。
満足した笑みを浮かべた後、嵯峨の表情が難解な問題を解く学生のような感じに変わる。
「……いや、いい。それよりも、今つながってる通信は、どこからだ?」
パーラの戸惑う顔を見ながら、中年男らしい老成した表情を浮かべた嵯峨はそう言った。
『……それが……よくわからなくて……『甲武国陸軍憲兵少将・嵯峨惟基に回せ』という電文が連続して届いているので、隊長に報告を……と』
目の前の巨大モニターの中でパーラは頭を掻きながらそう言った。
「わかったよ。俺の予想した通りなら、またすぐに同じような電文が届く。それをなんとかキャッチしろ」
嵯峨はそう言って静かに目をつぶった。
モニターに投影されていたパーラの表情がすぐに緊張を帯びる。
『電文来ました!回線回します!』
パーラの言葉に嵯峨は表情を変えずに、パーラと切り替わって画面に投影された近藤貴久中佐の顔を眺めた。
『甲武国、『四大公末席』、嵯峨惟基憲兵少将閣下……』
「違うよ。俺はただの『嵯峨特務大佐』。『特殊な部隊』の隊長だ……甲武を支配している『四大公家』だの閣下なんて柄じゃねえよ」
画面に映った近藤はそう嵯峨に向けて言った。
少し考えごとをしているようなぼんやりとした表情の嵯峨は、静かに胸のポケットのタバコを取り出しながら近藤を見つめながら口を開いた。
『ならば嵯峨大佐。少しお話はできないでしょうか?』
近藤はそう言ってにやりと笑った。
嵯峨はめんどくさそうにタバコに火をつけて展望ルームの画面いっぱいに映る意志の強そうな男の顔をにらみつけた。
「近藤さん……命乞いかい?」
嵯峨はそう言ってタバコをふかした。
その目はぼんやりと展望ルームのガラスに映し出される『海軍官派決起の中心人物』近藤貴久中佐を眺めていた。
『何をおっしゃるかと思えば……自分は、閣下のように『生きることに執着する』タイプではありません』
近藤ははっきりそう言って挑発するような視線で嵯峨をにらみつける。
「そうかい、生きてりゃ俺に復讐する機会もあるんだが……あんたら武家の『八丁味噌』が詰まった頭じゃわからんか。公家の俺には理解不能な発想だ」
タバコをくゆらせる嵯峨に近藤は見下したような笑みを浮かべた。
しばらく二人の間に沈黙が流れた。
嵯峨は静かにタバコを吸うばかりで口を開こうとしない。
近藤もまた、目の前の『異様に若く見える策士』の考えが読み切れずに黙り込んでいた。
「話は変わるが、カーンの爺さんはどうしたのかな?逃げたのかな?俺達の前から……そんなに俺が恐いのかな?あの爺さんは俺と違って、正々堂々と戦う気は無いらしい。それとも、別の機会を待っているのかな?前の戦争じゃそれこそ敵のことを狡猾な手口で追い詰めることで有名だったのに……|耄碌《もうろく》したか?それともより洗練されたのか?」
この嵯峨の言葉は効果的な『一言』だった。
表情を殺していた近藤の鉄面皮が完全に動揺の色に染まる。
『……貴様……なんでそれを……』
近藤は我慢してきた一言を漏らしてしまった。
この通信は完全に『策士嵯峨惟基』の独壇場と化した。
「いや、逃げたってことは耄碌していない証拠だ。あの爺さん。変な妄執にとらわれてるが、あの人の頭には『脳味噌』が詰まってる。あんたみたいな『八丁味噌』じゃなくて、人間にふさわしい『脳味噌』って奴がね……」
力みの感じられない嵯峨の言葉はどこまでも自然だった。
その態度が近藤をいらだたせるが、嵯峨はかまわず続けた。
「当然、今回は逃げたろうなあの爺さんは。あんた等
そう言って嵯峨は吸いかけのタバコを床に投げた。
近藤は何も言えずにただ怒りの表情で嵯峨をにらみつけるだけだった。

「もっと言おうか?あんたの部下で実際に戦力になるのは1割以下だ。他は単なるあんたへの『義理立て』で戦場にいるだけの『障害物』さ。もしあんたの決起が失敗して罪を問われることになったら、甲武の法律じゃ家族ともども打ち首獄門だ。そんな危ない橋を渡る勇気がある奴がどれだけあんたの部下にいるか……」
嵯峨はそう言うと皮肉を込めた笑みを浮かべて画面を見上げる。
『そんなはずは無い!我々の意思は決して揺るぐことが無い!『貴族の名誉』を回復して『真の甲武国』に革新するために……』
近藤が演説を始めようとするのを嵯峨は手で制した。
「ヒトラー亡き後のナチスは、代行の総統がちゃんと連合軍に降伏してるよ。関係者もすぐに地下に潜って逃げ出してる。あの『鉄の団結』とかを掲げる、『ナチスドイツ』ですらそうなんだ。歴史はそう教えてるんだから認めなよ。近藤さん。あんたは負ける。他にもあんたが確実に負ける理由は有るんだが……それは今教えるわけにはいかなくてね。俺はそれほどお人好しじゃないんで」
『『歴史』は『歴史』だ!我々が新たな『歴史』と『秩序』を打ち立てればそれでいい!』
唾を飛ばしながら近藤は叫んだ。
しかし、人の心理を読むことに長けた嵯峨には微妙に震える近藤の口元から近藤の考えていることは丸見えだった。
『このおっさん、俺の言うことを信じかけてるな……武家としての誇りを取り戻すための戦いだというのに、兵が命を懸ける覚悟がないとしたら……?とか考えてるんじゃないかな?じゃあここが押しどころだ』
嵯峨はそんな自分の推測など表情にも出さず、ぼんやりと近藤の顔を眺めていた。
「人間は基本的に『生きたいんだ』。理想のために死ぬのは格好がいいけど、そんなに簡単に死ねるのは一握りなの。お前さんの乗艦の『那珂』のブリッジの士族出身の連中は、確かにそのレアスキルを持っていて戦力にはなる」
嵯峨は退屈そうに話を続けた。
近藤は仕方なくその言葉を聞いているだけだった。
「だけどさ、他の兵隊はどうかな?俺がちょっと、そいつらの家族にあてた『私信』をのぞき見たら……死ぬ気はないよ、あいつ等。あんた等『士族』と違って連中は『平民』だもの、主君に義理立てする必要はないもの。日々の生活で精いっぱいなんだ。近藤さん達と一緒に地獄に落ちるつもりは無いよ……さて、そいつ等が戦力になるかな?」
何気なくつぶやく嵯峨の言葉に近藤は激高してこぶしを握り締めた。
『『私信』だと!そんなものを見て恥ずかしくないのか!貴様は正々堂々と戦うつもりはないのか!』
裏仕事に従事したことは有るものの、近藤は兵士達の私信を覗き見るような嵯峨ほど卑劣な手を思いついたことが無かった。
「うん、無いよ。俺はプライドゼロが売りだもの。前だけ向いて勝てるなら将棋でもやりな。ついでに戦争もサバゲにしといた方がいいや……撃ち合うのはBB弾でやろうや……我ながらいいアイデアだな。そうすれば人は死なねえ」
怒りに任せて叫ぶ近藤に嵯峨はやる気のない表情で答える。
「『甲武国』の憲兵資格ってのは便利でね。『大本営勤め』の近藤さんには理解できないでしょ?そんなところに戦争の結果が噛んでるなんて。兵隊もね、人間なんだ。彼等には『戦後』を生きる義務と権利がある。俺達職業軍人はそれを時々忘れちまうんだよ。でも、あんたも前の戦争が終わった後まで部下達の面倒見たの?見てないでしょ?それがあんたの頭の中の『八丁味噌』の限界だ」
近藤の怒りに震える顔を見ながら嵯峨はそう言い放った。
「そこまで見られちゃうんだな、俺達、諜報や憲兵をやってた人間には。憲兵隊には兵士の『私信』を検閲する権限があるんだ。『甲武国』の軍人の家族とか恋人とかに宛てた手紙を見る権限が俺にはある。他の軍隊にも大体あるよ、似たようなのが。俺はそいつに『嘘』を混ぜて敵の『兵隊』を使い物にならなくするようなお仕事もした経験があるわけ。いやあ、見事に引っかかったよ『お馬鹿な地球圏の兵隊』達。おかげで戦争が始まった当初はあんた等『甲武国軍大本営』の無能を証明するような作戦でも通用したんだ。その点は感謝してもらわないと『作戦屋さん』」
近藤は嵯峨と言う男を図りかねていた。
同志であるルドルフ・カーンが言うように、嵯峨が『食えない男』であることは認める。
だが、やり方が汚すぎる。
私情を利用して兵隊をかく乱しての勝利など近藤は望んではいなかった。
「汚いものを見るような視線だね、近藤さん。戦争とはそもそも殺し合い。『きれい』とか『汚い』とか贅沢は言えないんだ。違うかな?俺は間違ってるかな?」
近藤は『年齢と見た目が一致しない化け物』を目にしている事実に気づかないほど愚かではなかった。
「俺は『東都共和国二等武官』の仮面の下でそんなお仕事をしていたわけ。大使館の中で消息を絶った後の俺は『戦争の汚さ』をうんざりするほど見てきたんだ。だから、俺は戦争は嫌いだよ。近藤さんみたいに自分にとって都合のいい作戦を立案することで『甘い蜜』を吸ったことがねえからな、俺は」
そう言って嵯峨は画面に映し出される近藤を『殺意』を込めた力強い視線で睨みつけた。
「近藤さん。俺達『特殊な部隊』、遼州同盟司法局実働部隊は、あんたを『クーデター首謀者』として処刑する。俺と高名な『偉大なる中佐殿』ことクバルカ・ラン中佐がその首を落とす。多少の被害が出るが、くたばるあんたの知ったことじゃねえがな」
嵯峨の言葉に近藤の表情が固まった。
近藤の口から、彼自身も意識していないだろう低い呟きがかすかに聞こえた。
『我々は、決して屈しない……!』
小さな絞り出すような近藤の言葉とともに画面が突然消えた。
近藤が不愉快さのあまり通信を遮断した結果だった。
「自分の都合のいいようにしか物事を考えられない『脳なし』には、綺麗に見えるのかな?『戦い』は。さっき歴史云々言ってたけど……『歴史』は生き残った人間が書くんだ。死んだ人間には『歴史』を書く資格がねえんだよ」
そう言うと嵯峨は、大きな展望ルームのガラスの外に広がる世界に目をやった。
「近藤の旦那は自分が負けた後、家族がどうなるかって考えてんのかな……旦那の娘さんはそれはもう美しいお嬢さんだって話じゃないの。流刑地でそこを生き延びた『野獣達』犯されて殺されるその様を想像してるのかな……それも覚悟の上ってことか……そんな法律をあんたがた貴族主義達者達は認めてるんだから当然か」
そこには宇宙のゴミとなった『戦闘機械の残骸』が無数に浮かんでいた。それはかつての激戦の跡を思い出させる遺構だった。
嵯峨はそれを見ながら戦争とはそういうものだ。歴史のページに名を残すのは、生き残った者だけ……だという信念を確認していた。