◇嵐の予感◇
古くから伝わる話がある。
人々が近寄らない森の奥の奥、忘れ去られたその場所には、時折異界の門が繋がることがあると――異界の門が開くたびに、決まって大岩を削り出したような砦が突然現れるのだという。
三人はカインの部屋にいた。
一本足の丸テーブルを囲んで茶を飲み、カインが作った焼き菓子を食べ、シュケルの話に耳を傾ける。するとカボチャがフォーマルな白手袋をはめた手で、飲んでいたお茶をテーブルへと置いた。
「つまり、魔王さまが感じ取った異変とやらを調べに行った先であれに出くわし求婚されたと?」
カボチャは出来れば信じたくないと顔をしかめる。
「えぇ、彼を撒くのに思いのほか苦戦しまして気付いたら一月近くかかりました」
「そんな、まさか、お前が?」
「そんな、まさか、私がです」
シュケルはフフフと笑う。それが本当なら先程カボチャが咄嗟に反応出来なかったのはまぐれでもなんでもなく、実力で相手の速さに負けたことになる。となると、確かにやっかいだ。
「はっきり断ればいいじゃないか」
「もちろん率直に申し上げましたよ。しかし先程貴方も見たでしょう?
始終あの調子で、こちらの話を都合よく解釈されてしまいまして」
カボチャとカインはあぁと視線をそらし、確かにあの様子じゃあそうかと納得する。
「彼は〝異界〟から来たと言っていました」
聞き慣れない言葉にカインはきょとんとした。
「いかいってなに?」
その言葉になんだかんだ面倒見の良いカボチャは紙と硝子ペンで文字を書き、それを見せながら言う。
「カァー! まったくそんな事も分からないのか! いいですか異なる世界と書いて異界です。近いけどこことは違う世界って意味ですよ。古くから森の奥がそこと繋がっていると言われてるんです」
カインはその紙を両手で引っ張って眺めながら「なるほど異界か~面白そうだな!」と、子供のように瞳をキラキラさせる。その様子に呆れながら、カボチャはシュケルに話の続きを促した。
その話によると、あのマハルと言う男は異界の王子なんだそうだ。彼が言うには子供の頃こちらに迷い込んだ際、シュケルに助けられたと。
その後異界へ帰ってからもシュケルの事を忘れられないままマハルは大きくなった。
そして好きでもない者との祝言が眼前に迫り抗議したという。自分には心に決めた者がいると。すると王は、ならば連れて来いと言ったそうだ。
そしてマハルはもう一度、このアケドラルへ――
「うぇ、なんか色々気持ち悪いです」
シュケルの人物像が若干歪んでいるカボチャは、シュケルがなんの見返りもなしに子供を助けるか?と一瞬受け入れがたかった。だが自身がそもそもこの城で働くきっかけになった時の事を思い出し、そういや薄情な奴ではなかったと仕方なしにその話を受け入れる。
「ちなみに歳は二十二だそうですよ」
「に、にじゅうに? ……人間でいくとですか? それとも」
「この世に生を受けて二十二年目です」
「こ、子供じゃないか……」
「俺今年で二十五だけど、二十二も二十五も人間だと大人だし俺は魔王の恋人だぜ」
むっとして抗議するカインの言葉にそう言えばそうだったと、突然のように思うかも知れないが実は魔王とカインはそのような関係で、だからこそカインはここにいる。
あれはそう、かれこれ十年ほど前のこと、もっと遡るとカインが赤ん坊の頃からの話になるが、今回この話は主軸ではないので割愛するとして……しかしと、カボチャは眉をしかめる。
本来の見た目こそ若いが魔族であるカボチャはおよそ千二百歳、そのカボチャよりもシュケルは歳上なのだ。いくら魔族でいえば人間の二十代前半、二十代後半と変わらないといえど、二人にとってはもはやマハルなど生まれたての赤子のようなもの。たとえ異界の時間軸が異なっていたとしてもこの年齢差は冗談でもきつい。
ただもうそこまでくれば歳など関係ないだろうと言えなくもないが、魔王でさえカインが突然押し掛けて来たあの日から十年目にして、折れるような形でようやく彼を受け入れたのだ。
「てかなんでそんな事知ってるんです?」
「どう撒いても直ぐに見付かってしまうので、先に相手の素性をと、たまに世間話を」
「のんきな」
「短気は損気ですから」
「……それ、僕の事言ってんじゃあないだろうな」
「そんなつもりはありませんよ。それにしても……短気の自覚があったとは」
フフフと笑うシュケルに、おのれシュケル馬鹿にしやがってと、出かかった言葉をなんとか呑み込む。
「おそらく彼の風を操る力で私の居場所を特定しているのでしょう。……さて」
シュケルは椅子から立ち上がる。足元へ転がって来た彼の水晶が無邪気に目を輝かせ、シュケルを見上げる。まるで絵を書いたような小さな瞳はどこか愛嬌があり、まるで遊んでほしくて仕方がない様子だ。
「フフフ、あとは任せましたよ」
水晶は任せてと言わんばかりにシュケルの足元の回りをくるくると転がる。
「ここも時間の問題です。私はもう暫く城を留守にしますが……」
言いきる前にカボチャが「何を言うかと」止めに入る。来たなら来たで追っ払えばいいだけだと。
「それにお前……!」
思わず声を荒げたその時、突如、窓から烈風が炸裂した。鋭く、猛々しい風が部屋を蹂躙する。テーブルも椅子も、棚も紙も、抵抗する間もなく舞い上がり、空中で乱雑に踊った。茶器が高く跳ね、茶菓子は粉々に砕けて宙を舞い、あらゆるものが風に巻き上げられ、まるで異界からの圧が室内を席巻したかのようだ。
カボチャとカインは腕で頭を庇い、飛び交う物の嵐の中に立ち尽くす。その隙間から、目の前にいたシュケルが――忽然と姿を消した。
「!?」
慌てて窓の外に目をやる。暴風の只中、シュケルが誰かに抱えられていた。藍白の衣が翻り、水浅葱の瞳、そして――風に揺れる、水浅葱色の長髪。
「マハル!」
カボチャが叫ぶ。するとシュケルが振り返り、どこか楽しげに笑った。
「言った通りでしょう」
「シュケル、やはりここにいたか。探したぞ」
マハルは優しく声をかける。その直後、視線が鋭く変わった。カボチャとカインを睨みつけるように睨み、
「ソナタら、よくも騙したな……!」
騙した覚えは一切ない。だが、あまりに思い込みが強すぎるその性格は、もはや一種の才能である。
「だがまぁいい。この通り、取り戻した。あとはシュケルを嫁にするだけ――此度のことは、許してやろう」
言い終わるやいなや、再び風が渦を巻き、彼らの姿は暴風と共に一瞬で掻き消えた。
残されたのは、物が散乱した部屋、青ざめたカボチャ、ぽかんと口を開けたカイン、そしてあたふたと転がる水晶のみ。
シュケルが拐われた。あっという間だ。しかも、その姿は――
「……シュケル、お姫様抱っこされてた」
「言うなボケ! 身の毛がよだつ!」
カボチャはパンプキンの被り物の中で青筋を立て、舌打ちしながら窓枠に足をかける。もっとも、その足はこの姿では他者には見えないのだが。
「今すぐ追いかけますよ!」
「おう!」
二人は窓から身を躍らせた。
一人――いや、一つ、取り残された水晶はハッと我に返ると、慌ててどこかへと転がっていった。