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第55話 嵯峨の社会講座と嵯峨の過去の過ち

「第六艦隊提督の本間中将も馬鹿じゃない。むしろ身分制度の厳しい甲武国で『本間様には及びもせぬがせめてなりたやお殿様』と歌われた金持ちだったとしても所詮は平民は平民なんだ。そんな環境であそこまで出世するのは、相当な切れ者の証だ。近藤の旦那が本国政府の意に沿わない危険な行動を取る前に、有りもしない理由をでっちあげて奴を更迭(こうてつ)する可能性がある。本間中将は切れ者だ。そう言うことには慣れてる人だ。部下の不始末を闇に葬るくらいの芸当はできる御仁だ……まあ上に立つ人間というものはみんなそんなもんだ。そうなりゃ甲武国の『連座制』で近藤の配下の一族郎党、家族親類まで全員全財産没収の上、『流罪(るざい)』だ」

 早口に嵯峨はそう話す。内容は完全に司法局の権限を逸脱しかねない内容である。

 そんなことを一士官候補生に話してみせる嵯峨の頭の中が読みきれなくて、誠はただ戸惑っていた。

「『流罪』って何です?」

 誠は意味も分からずそう言った。

「まあ身分制とは無縁と東和育ちのお前さんには分からないだろうな。甲武の『流罪』は半端じゃねえぞ。まるで江戸時代以前のそれだ」

 嵯峨はそう言うと天井に向けてタバコの煙を吐いた。

「僕は歴史には詳しく無いんで……いわゆる『島流し』って奴ですか?」

 少ない歴史知識を駆使して誠は嵯峨に尋ねた。

「そんな甘いもんじゃねえよ。家財も身分もすべて取り上げられて半分壊れかけのコロニーに運ばれてそこで暮らせって身1つで置き去りだ。それこそ一年生き延びられたら奇跡だからな。一切の援助も地元民の助けも無い状況で勝手に生きろって訳だ」

 怯えた様子の誠を嵯峨は何時にもない鋭い目つきでにらみつけた。

「そんな……宇宙で支援も無しに生きるなんてできるわけないじゃないですか!」

 あまりに残酷な甲武の『流罪』に呆れつつ誠はそう返した。
 
「そうなんだ。ほとんどは半年で餓死するわけだ……賢くてそこの住人になり切れる知恵が有れば別だがな」

「餓死?当然ですよね、宇宙では。窒息死しないだけマシってところですか」

 そう言う誠が宇宙の厳しさを理解していることを知って嵯峨は満足げに笑った。

「そうだよ。国賊(こくぞく)は餓死して当然ってのが貴族制国家甲武国なんだ。ひでえもんだ。国を批判する貴族は全員餓死。貴族制が気に入らないと言う平民も餓死。それが甲武。まあ、餓死よりも女はひどい目に逢うんだが……まあそれは言わねえほうがいいか……俺も言いたくないからな。俺は女好きだが無理やりってのは趣味じゃねえんだ。双方の合意を持ってそう言う関係は有るべきだと俺は考えてる……まあこの国ではその合意の仲介が金だと売春だってっことで逮捕されるんだけどな」

 嵯峨の言葉に誠は息をのんだ。甲武国の闇を見た誠はただ黙り込むばかりだった。

「そういう所なんだよ……宇宙なんてのは。あそこは人口が増えるんで困ってるからな。口減らしにそんな制度を作って、それがまだ運用されているんだ。この東和の人口は1億2千万。それに対して甲武国の人口は5億だ。そのほとんどが平民だ。増えすぎた平民が息するだけでも税金がかかる。だったら手っ取り早く『餓死』させれば、誰も手を汚さずに良心も傷まない。そんなところなんだ……この空の向こうはね。自然に生きること自体が難しい世界ではそれが当たり前なんだ」

 そう言って天を見上げる嵯峨を誠はじっと見つめていた。

「東和共和国に生まれたことを感謝しな……ひどいところに生まれようもんなら……死んで当然なのが世の中なんだ……そりゃああんまりな話じゃないの。俺は認めたくないけど俺の育った国、甲武国はそんな国なんだよ……ひでえ国だ」

 嵯峨のあきらめたような言葉を聞いて誠はただ自分の世間知らずぶりに唖然とするだけだった。

「そんな国……変えないと……。誰も何も言わないんですか?」

 誠は正直な気持ちを嵯峨にぶつけてみた。

 嵯峨は誠の真面目な表情に少し嫌な顔をするとタバコの煙を天井に向けて吐いた。

「|義兄貴《あにき》……ああ、かなめの親父な。甲武国宰相である西園寺義基はその現状を変えたいんだと……身分とか豊かさとか。そんなもん人間の価値じゃねえだろってのが義兄貴の思想。でも、それは異端なんだな、あそこでは……どこまで言っても身分がすべて、富がすべて。国のすることに間違いはないと国民のすべてが信じ切ってる……信じられない人間の所には憲兵隊がやってきてしょっ引く。それがあの国の真実だ」

 嵯峨の言葉で誠はあのかなめが尊敬しているらしい改革派の政治家、かなめの父西園寺義基の姿を想像した。

「そんな……当たり前の話じゃないですか!人間はそれぞれに価値があるはずです!それに国に不満が有ったらそれを理由に憲兵隊が来るっておかしくないですか?当然でしょ?そんな国、おかしいですよ……どうかしてますよ……」

 思わず誠は自分の言葉が激しくなっていることに気づいて少しうつむいた。

「そりゃあ……理想論だよ。あくまで空気が普通にある環境の東和共和国の国民ならではの考えだ。空気が普通に手に入らない世界での現実はそんなに甘かあねえんだよ。生まれながらに貴族や士族には特権がある。貴族には年金が支給されてるし、士族は優先的に軍や警察、役所に勤められる。豊かな平民だって自分の(せがれ)が脳なしでも延々と豊かな暮らしを送ることができる……空気が金を出さなきゃ手に入らない世界ではそんなものは常識なんだ」

 嵯峨はそこまで言ってしばらく黙り込んだ。

「遼州はな……あの地球の『憎悪の民主主義』の二の舞は舞いたくねえんだよ、遼州に住んでる元地球人はな。だからそんな生きにくい世界で民主主義を否定した生き方を貫いている」

 嵯峨はそう言って皮肉めいた笑み浮かべた。

「『憎悪の民主主義』?」

 誠には嵯峨の言葉が理解できなかった。

「そうだ。敵を作り、煽り、踊り、狂う。そう言う民主主義だ。どこの世界でも民主主義が終わる時には必ず現れる政治状況だ。古代ローマ帝国や古代インドにも民主主義は有った……ってお前さんは歴史は苦手だったな」

 嵯峨は得意の見下すような視線で誠を見つめた。

「ええ、ローマとかインドは知ってますけど……ローマってイギリスですか?」

 歴史知識の著しく欠如した誠はまたここで無知を披露した。

「イタリアだよ……ったく。お前さんの非常識は小学生レベルだな。話は元に戻るけど、地球人の文明が始まった時からすでに民主主義は有ったんだ。それが古代期の終焉とともに忽然と姿を消した……」

 そう言うと嵯峨はタバコを灰皿に押し付け続きのタバコに火をともした。

「へー……」

「分かってねえ面だな。まあ、俺も言いたいことがあるから続けさせてもらうぞ。多数決ですべてを決める民主主義……その『多数決』ってのが曲者なんだ。ローマが民主制から帝政に移る原因は『富の偏在』に有ったというのが歴史家の見方だ。『富の偏在』が『多数決』で物事を決めるという制度そのものを矛盾したシステムに変えてしまった」

 嵯峨は知識人らしい余裕のある態度で誠に向けてそう語りかけた。

「『富のへんざい』……あのー『へんざい』って?」

「あのなあ……お前、本当に大学出てるの?金持ちと貧乏人の格差がデカくなったってこと!結果として富める者が自分の主張を通す手段として民主主義を利用した……金を配って自分に投票するように仕向ける政治家ばかりになった。そしてそれに反対する人間も対抗するだけの金のある富める者しかいなくなった」

「でも……庶民はいたでしょ?お金の無い庶民はどうしたんです?自分達の生きる道を守ろうとするでしょ?普通は」

 明らかに馬鹿にする調子の嵯峨に誠は何とか食い下がろうとした。

「なあに、富める者同士の対立だから、庶民は完全に蚊帳の外なの。選挙権を行使できる人間に選挙制度に違反しない程度の便宜を図って自分に投票するように仕向けたの。結果として賢い奴はそのおこぼれにあずかろうとそれぞれの主張をふれて回って何とか富める側に立とうとするだけさ……結果生まれたのが『憎悪の民主主義』って奴だ。貧しいものも自分の利益なんて忘れて敵を憎むために歪んだ思想の指導者を選んで歓喜する世界。神前よ、さすがに『アドルフ・ヒトラー』は……知ってる……よね……」

「知ってます!髭の昔の人です!」

 誠の叫びに嵯峨はあきれ果てたという顔でタバコをふかす。

「あのなあ……それ言ったら歴史上の人物は全員昔の人だ。民主主義と言うシステムを利用して独裁者にまで昇りつめた男さ。うまくいかない時代になるとそれを誰かのせいにしたくなるもんだ。それを『ユダヤ人』や『共産主義者』のせいにして憎悪をあおって民主的に政権を握り、独裁者になった。この時は金でなくイメージで民衆を操った。人間、イメージや印象で簡単に敵を見つけ出して正義の一票を投じるもんだ。それが民主主義の持つ決定的な欠点だ」

「それが『憎悪の民主主義』ですか?」

「いいから聞きなさいって。民衆にとってヒトラーの主張は正義に見えた。自分達が貧しいのは全部『ユダヤ人』や『共産主義者』のせいなんだって言うヒトラーの主張に踊ったんだ。まさにヒトラーのイメージ戦略の勝利だな。だからヒトラーは政権を取れた……」

 そう言う嵯峨の目はいつもの駄目人間の鉛のような瞳に戻っていた。

「『悪夢の世紀』と呼ばれた21世紀は、もっとひどい。金持ちがメディアを支配し、すべての言論を統制しようとしたんだ。さらにネットに金持ちのお気に入りのインフルエンサーを大量に雇って有る事無い事書きまくらせた。すべてが真実なのか嘘なのか区別のつかなくなった有権者は悪意を持った金持ちにとっては自分の権威を補強するマシーンと化した。民主主義がただの『政府がやる事こそが正義』と言うことの権威付けのマシーンと化したんだ。正義なんてそんなもんだ……正義は憎悪を生み、憎悪は悪を生む……俺は嫌いだね、『正義』って言葉が」

 
挿絵


 嵯峨はそう言うと一息ついたというようにタバコを口にくわえた。

「隊長は、正義が嫌いなんですか……? じゃあ、何のために僕たちは戦うんですか?」

 誠には嵯峨の言うことが理解できなかった。

 正しいから正義である。誠はそう思っていた。いや、誰もがそう思っていると思っていた。しかし、嵯峨は明らかにそうは考えていないようだった。

「俺は前の戦争で自分の国では『正義』とされているものの為に人を殺した……うんざりするほどの数をだ。俺の当時の軍の身分は治安維持を行う憲兵隊の隊長だった。あらゆる手段を用いて治安を維持しろと言うのが上の命令だった。国家に逆らう可能性のある思想の持主は片っ端からしょっ引いて処刑した。それは俺の国、甲武国が戦争に負けたことで『悪』だとされた。でも、俺が命令書を受けとった時は、確かにその命令書に書いてあったことは『正義』だったんだぜ……」

「でもそれは隊長の意志じゃ無かったんでしょ?上の命令だったんでしょ?軍と言うものはそう言うものですから……」

 誠にはそう言うことしかできなかった。だが、誠の直感が嵯峨はこの経験から自分達を身を挺して守ろうとして自分にこんな話をしているんだと教えていた。

「なあに、俺達武装警察には『正義』の命令書が送られてくる……作戦が終わった時、それが実は『悪』に置き換わっている……なんてことがよくあるもんだって話さ……今回もそうなってもおかしなことは1つも無いな」

 そう言うと嵯峨はタバコをもみ消して立ち上がった。

「うちのちっちゃい中佐殿に、本でも紹介してもらえ。アイツは見た通りのちっちゃいおつむのわりに読書家だからな。ローマの話をしたら『ガリア戦記』あたりを紹介してくれるだろうし、ヒトラーって言うとニーチェやハイデガーなんかの哲学書を推薦するだろうが……その前にお前さんは小学校の社会の教科書あたりからやり直せよ」

 嵯峨は立ち去り際にそう言うと誠に背を向けて隊長室に向けて歩き出した。

「そうですか……」

 誠は嵯峨の言う固有名詞が何1つ理解できずにただ茫然と立ち尽くすしかなかった。


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