第54話 『駄目人間』の語る演習の真の目的
「ただいま戻りました……」
アメリアと別れた誠は詰所に戻った。
銃の訓練と整備の後で体中にガンオイルの匂いが染み付いて離れない。
「なんだ、オメーも自分から苦手な射撃訓練に行くよーになったんだ。なんだかずいぶんとなじんできたみてーじゃねーか」
ランはいつも通りかわいらしい笑みを浮かべている。
カウラは新人教育はランの仕事と割り切って、誠を一瞥しただけで書類の整理を続けていた。
「そうですかね……僕自身はどうも……射撃訓練は今でも苦手ですよ。アメリアさんも僕が銃を撃つたびに笑ってましたし」
煮え切らない誠のその言葉についにかなめが噴き出した。
それを聞くと誠は穴があったら入りたい気分だった。
「なじんでんじゃねえの?良いことじゃん。射撃が下手なのはすぐに治るわけじゃねえだろ。そんなもんで良くなるならアタシの出番はねえわな。絶対勝ちようのねえ特殊作戦を押し付けられる……アタシにとってはいつもの事だ」
かなめは彼女らしく誠をいたずら好きなタレ目を見せながらつぶやいた。
「馬鹿話はそれくらいにしろ。来週の実働部隊の演習の概要だ。西園寺、神前。貴様等、ちゃんと読んでおけ。とりあえず形だけになるのは間違いないがそれはそれの話だ」
カウラはそう言うと厚めの冊子を誠に手渡した。
「へいへい、カウラ。後でデータで送ってくれや……アタシは文字の活字は読めねえから。どうせドンパチになるんだ。新人の教導部隊がやりそうな訓練内容しか書いてないんだろ?読んでも意味ねえよ。それに今度はこいつを送る連中には筆文字で書いて送るように指導してやれ。アタシは|道風流《とうふうりゅう》を希望するって連絡してやれ。まあそんな文化的な連中が、この東和にいればの話だけどな」
やる気がないかなめは、カウラから演習概要説明の冊子を受け取った。
そして、読むまでもないと執務机の上にそれを投げた。
突然の演習と言う言葉。
いかにも『機動兵器を所有する特殊部隊』風の言葉に誠は違和感を感じていた。
その言葉の重みと手にした書類の重みに誠の胃は緊張して酸っぱい液体の製造を始める。
「これが新入りの僕を迎えての初の部隊演習ですか……」
誠はあまりに分厚い演習要綱のページをめくりながらつぶやいた。
「それがどうした?演習は仕事だ。演習要綱を読むのも仕事だ。仕事が無くて不満だったんだろ?だったら読めばいい」
誠のつぶやきにカウラが表情を変えずにそう聞き返してきた。
それを見た誠は、まったくの無表情と言うものがどんな顔だか判るような気がしてきていた。
「あそこはヤバいって何度も言ってたじゃないですか……前の大戦で甲武国軍の最終防衛ラインとして激戦が行われて、大量のデブリや機雷なんかが放置されているって話もありますよ……それに『近藤』とか言う偉くてヤバい思想の持主がいつ決起するか分からないって言うのに」
誠の言葉にかなめの表情にあざけりが浮かんだ。
「何だ神前?ビビってんのか?情けねえなあ……やっぱりオメエは行くんじゃねえ。そんなもんでビビるようじゃ軍人失格だ。よりセンシティブな判断の要求される武装警察なんて務まる訳がねえ。アタシのくぐった地獄に比べればマシなまともな軍人さんなら普通通る道だがオメエにはそこを通る資格はねえからな」
かなめはあおるようにそう言った。
彼女が激戦を乗り越えてきたことは良くわかるが、その人を小馬鹿にするような物言いには、さすがの誠もカチンと来ていた。
「行きますよ、僕は。分かりました!早速これ読みます!何事も無ければ必要になる内容が書いてあるんでしょ?読みますよ」
誠は机にかじりつくと分厚い冊子の表紙を開いた。
「役所の文章は読みにくいが、それが仕事だ。とは言えそれが仕事だ、今日中に頭に叩き込んでおけ……近藤中佐が決起しなければただの演習で終わる。それだけの話だ」
カウラはそう言うと自分の席に戻って、再び書類に目を通し始めた。
誠もまたその一ページ目から始まる難解な語句を駆使している演習概要文章を何とか理解しようと覚悟を決めて読み始めた。
ようやく悪戦苦闘の末、演習要綱をその内容の理解は別として、とりあえず一通り読み終えた誠は、とりあえず一服しようと廊下に出て、更衣室の前の自販機でマックスコーヒーを買っていた。
「どうしたの暗いじゃん。かなめにでもいじめられたか?アイツはプロの『女王様』だからな。アイツは前の任務の際にSMクラブで『女王様』をしてた。今でも人気が有ってその手の虐められると喜ぶ人がかなめの事を慕ってるらしいや」
誠が突然の声に振り返ると、取ってつけたような『喫煙所』と言う張り紙の下で、嵯峨が退屈そうにタバコをくゆらせていた。
「まあ悩むのも若いうちは良いと思うよ、俺は。まあそうして人間、大人になっていくものだと思ってはいるんだがね」
嵯峨はだれた感じでタバコの灰を灰皿に落とす。
「今度の演習、かなめが言うように休んでもいいんだぜ」
嵯峨は口調を変えずにそう切り出した。
突然の言葉に誠は嵯峨の言葉の意味がわからなかった。
「どういうことです?僕がいないと困るんじゃないですか?」
誠はそんな言葉を口にするのが精一杯だった。
「なんだか分からないけど『力』があるからっていい気になるなよ。何でわざわざ政情が安定していない甲武国の、しかも殆どの宙域が使用不能になってる演習場を選んで訓練しようなんておかしいと思わないか?」
嵯峨はそう言いながら、吸い終わったタバコの火をゆっくりともみ消した。
「近藤とか言う過激派が決起するからですか?」
誠は余裕でタバコを吸い続ける嵯峨に向けて卑屈な表情を浮かべてそう言った。
「そいつはそうなんだがねえ……」
この人に隠し事は通用しない。
誠は観念したようにうなづく。
嵯峨は再び胸のポケットからタバコを取り出すと火をつけ、上体を起こして天井に向けて煙を吐いた。
「大体はかなめから聞いてるかもしんねえが……」
そう言った嵯峨の目は、先ほどとはうって変わった鋭いものだった。
「今回の演習宙域は胡州海軍第六艦隊の管轄だ。しかも隣の宙域には遼州星系最大の地球のアメリカ軍の基地がある小惑星が存在する。そのくらいは演習の綱領に書いてあるだろ?」
「ええ、まあ……」
誠は嵯峨の言葉に引っ張られるようにして肯定して見せた。
しかし、確かに改めてその事実を突きつけられると、いつ衝突が起きてもおかしくないその緊張した宙域に行くことの意味がさらに不可解に思えてきた。
嵯峨は話を続けた。
「第六艦隊司令の本間中将は軍の政治干渉には否定的な人だ。近藤の旦那達、『
そう言うと嵯峨は苦笑いを浮かべてタバコを咥える。
そして彼は話を続ける。
「まあその『官派』の連中がちょっとおかしな動きしてるんで、ある人物の『素性』をリークして、どう言う反応が出るか試してみたんだ。そしたらまんまと食いついてきやがってね」
「誰の情報をリークしたんですか?」
すかさず誠はそうたずねた。
「お前さんのだよ。こういう時は俺みたいに普段駄目な人間が言う方がリアリティがあって便利なんだ。ああ、俺が駄目なのは昔からだけどね」
嵯峨は表情も変えずにそう答えた。
あまりにも唐突な言葉に誠は息を呑む。だが嵯峨の表情は変わらない。
「そんなに僕が変わってるんですか?」
自分はただの一般的な遼州人であると誠は思っていた。
剣道場主の母と全寮制私立高教員の父の間に生まれた普通の人間。
誠はそう自覚していた。
そんな国や組織が求めるような力は無いと思っている。
確かに脳波に一部、他の人類には見られない特徴的な波動が有ると言われたことはある。
また神前という苗字は『遼帝国』の『帝室』が東和共和国に『亡命』した人達の末裔だとされるが、誠の家は普通の家庭である。
奇習と呼ばれるものは何もない。
東和宇宙軍に入隊した時も特に変わったところはなかった。
『この脳波は……遼州人に時々あるんだよね、この異常な波動』
入隊時の身体検査で脳波を見ていた医者が言ったのはそれだけだった。
誠はそれがどういう意味かは理解していなかった。
ただ何かある。
誠は嵯峨の様子にそう確信した。嵯峨はさらに続けた。
「お前さんは『あるシステム』を効率的に運用することができる可能性があるってのが、『その筋』の専門家の一致した見解だ。そのシステムの発動により使い方によっては勝ちようがない戦いすらあっさりひっくり返すほどの力を持っていると軍人である俺は見た。俺はそいつがいずれどっかの勢力につかまってモルモットにされるのがかわいそうで部隊に引き取ったんだが……まあいいか、そんなことは」
そう言うと嵯峨はタバコを灰皿に放り込む。
「あるシステム?何ですか?『法術増幅システム』とか、ちょっと|眉唾《まゆつば》の話ばっかり聞いていたんで」
「俺は文系でね、そういったことは専門家に任せるさ。うちなら技術部の士官とか、看護師でありながら『法術師』の能力を独自に学んでいるひよこに聞けば分かるかもしれんがね。俺、そう言うの興味ねえんだ。『兵器は動いてなんぼ』ってのが戦場での俺の信条でね。まあひよこの詩の調子が良い時に聞いてみろや……まあ島田には聞いても無駄だな……アイツのおつむじゃ理解不能な話みたいだからな。整備班では法術関係のシステムを任されている西って言う若造に聞くと良い。この隊の最年少で甲武国の平民出身だが結構切れる使える奴だ。そいつに聞け」
誠の目の前で、嵯峨は相変わらずの『駄目人間』を演じていた。
そんな嵯峨の表情が急に緊張感を帯びたものに変わった。
「それより今回の演習はデブリの多い宙域での最新鋭シュツルム・パンツァーである『05式特戦』の運用訓練……と言うのは建前で、実際の狙いは『官派』の金庫番を狩りだすこと。特に武闘派として知られる、第六艦隊参謀部副部長・近藤貴久中佐の首を取ることだ。あの旦那も俺みたいなはみ出しものに狩られるなんてのはずいぶんとまあ災難な話だわな」
「近藤中佐の首を取る……」
『駄目人間』の言いだした『好戦的』な言葉に、この『特殊な部隊』が、本来『機動兵器を所有する特殊部隊』である事実を誠に再認識させた。
嵯峨はそう言うと派手に煙を吐き出した。
「それだけじゃない、出来れば第六艦隊の連中に身柄の確保をされる前に迅速に動く必要があるな……近藤さんが派手に動くと甲武国の特別ルールの『連座制』でやたらと死人が出そうなんだわ。その前に近藤の旦那を始末する必要がある」

目の前の『稀代の策謀家』は誠の目の前で本来の姿を現した。