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06th.18『一日の終わり』






 トイレ男は多少迷いながらも建物を出た。

「……………………」

 外はもう真っ暗だった。暫しその場に立ち尽くして目が慣れるのを待ち、遠くの物が朧気に見える様になると歩き出した。そして直ぐに立ち止まる。

「……………………」

 道を憶えていなかった。

 この侭突き進めば、進むべき方向も判らず迷い、変な奴らに遭うかも知れない。かと言って部屋に戻って道案内を頼むのも空気が許さない。

 どうすればいいかオロオロしていると、ふと背後に気配がした。

 そして振り向けばそこに居る白女。

「ッ!!」

 いつかの恐怖を思い出したトイレ男は本当に一瞬心臓を止めた。

 一方の白女はそんなトイレ男の事など気にも掛けず、

「……監視役はその辺に置いておいたから、案内する」

 とだけ言ってトイレ男の横を通り過ぎ、スタスタと歩いていった。

「……………………」

 トイレ男は深呼吸しつつ、腕の中のトイレを意識して心の平穏を保つ。そして彼女の後ろを付いていった。

「……………………」

「……………………」

 二人とも喋らない。喋る事が無い。

 何回か角を曲がり、端に大きなゴミ箱の有る路地に出た。白女がそのゴミ箱を開け、壁を力任せに引き剥がすと、監視役の衛兵⸺髭面が転がり出てきた。

「……………………」

 目と口に黒い布を巻かれ、縄で後ろ手に縛られている。意識が無いのか反応が無く、ただ呼吸により胸だけが動いていた。ゴミ箱の中は一応は綺麗だったのか、多少の埃以外で汚れている様子は無い。

 白女は彼を持ち上げるとトイレ男の方に差し出し、

「表通りに出てから解放してあげて。アーニと会ってからの記憶は見えなくしてる」

 と言う。

「……………………」

 衛兵である髭面はしっかりと鍛えているのが制服越しにも判り、トイレ男には持ち上げるので精一杯であろうと思われた。

「……? どうしたの?」

 トイレ男は明らかにヒョロヒョロもやしのひ弱系男子だと言うのに、白女には平気で髭面を担げると思われているらしい。そんな訳有るか。

「……持、てねぇよ」

 トイレ男は脳裏で白女をボッコボコにしながら言った。

「そうなの?」

「……見、るか、らに俺は筋肉と、は縁の無、さそうな弱、々しい男だろ、うが」

「そうなの?」

「……そ、うだよ」

 そうなんだ、と白女は意外そうである。「…………」、いや、確かに白女も筋力が有る割に鍛えている様には見えないが、それはゆったりした服を着ている所為だ。服の所為で体のラインが見えず、鍛えている様に思えないのだ。鍛えてるのに。トイレ男と違って。

「……………………」

 筋トレ始めようかなぁ。真面目にそう思った。

「じゃ、表まで私が持っていく」

 白女はそう言って、再びスタスタと歩き出した。「…………」、ありがたい。これで道が判らないという事を明かさないでよくなった。色々と今更な気もするが、できるだけ弱味は見せたくない。

 そうして無言で歩く事暫く。二人と一人は表通りへと出た。

「ぃしょ。じゃぁね」

 白女は髭面を降ろすと、それだけ言って路地裏に戻っていった。

「……………………」

 トイレ男はそれを見送ってから、緊張から解放され溜息を吐いた。黒女と会ってから続いていた張り詰めが消えた所為か、減った腹が強い自己主張を始める。

「……………………」

 それを誤魔化そうと、寝かされた髭面の方を見る。放っておくのも可哀想だったので解放してやる。縄を苦闘しながら解き、目と口を封じる布を外す。

「……………………」

 髭面は眠っていた。すぅー、はぁー、と安らかな寝息をしている。

「……………………」

 むさ苦しいおっさんの寝顔なぞ見たくないので、肩を揺らして覚醒を促す。

「……………………」

「すぅー、はぁー、すぅー……は?」

 少しして髭面は目を空けた。そして目の前に居るトイレ男に驚き、

「は? は? ……は?」

 周囲の状況が記憶に有るのと全く違っているのに困惑した。

「……………………」

「え、えーと、ツァーヴァス氏、これは一体」

 トイレ男はどう説明したものか困った。

 結局、

【過労で倒れたんですよ貴方】

 と書いた。余談だが、彼はここ数日ですっかり文字を書くのが速くなった。

「は……俺が、過労? 倒れた? 仕事中に? え?」

「……………………(コクコクと何度も頷く)」

「え……あ……」

 髭面は暫く唖然とした後、

「……今日はもう帰ります……」

 と漸く立ち上がり、トボトボと歩き去った。

「……………………」

 トイレ男の監視はいいのだろうか?

 まぁいいのだろう。そう結論付けて、トイレ男も帰路に付く。見憶えの有る場所だったので、迷う事無く帰宅できた。

 そして家の前で、トイレ男は絶望していた。

「……………………」

 思い出した。夕食が無い。しかも明日の朝御飯も無い。今思い出した事だ。

 こんな時間でもう八百屋や香辛料の店は開いていない。やっている店が有るとすれば……歓楽街だろう。だがトイレ男はあそこが苦手だ。夜だというのにキラキラギラギラと輝きやがって。しかもあそこに居る奴らは妙にテンションが高いので、絶対トイレについて絡まれる。「…………」、トイレ男はもう遥か昔に感じられる、チンピラに襲われた時の事を思い出した。大男と小男は元気だろうか。元気にした結果巨女にボコられているのだろうか。どうでもいいが。

 トイレ男は逡巡の果て、食事は諦める事にした。今日の晩御飯と明日の朝食は無しだ。代わりに明日の昼は休みを長めに貰ってパーッと食う。もう予算なんか気にせずに肉と肉と肉とパンを食う。決めた。もう覆さない。

 トイレ男は家に入ると、灯りを点けず着替えもせずに寝室に直行した。そしてベッドにダイブ。今日はこれ以上何かをしていると空腹に耐えられなくなるので、もう何もしないで眠ると決めたのだ。もう覆さない。

 モゾモゾと毛布に入り、トイレを抱えてから、今日の⸺具体的には館での事を考える。

「……………………」

 黒女や白女に黒男達、そして襲撃の黒幕と正面切って会った。

 黒女は意外と子供っぽかった。黒男達は判らないが、黒女と仲がよかった辺り案外幼いのかも知れない。

 白女は……気マズい所に堂々と話し掛けてくれたので、思ったより優しさを持ち合わせているのかも知れない。でも、髭面をゴミ箱に入れていたので、持ち合わせていないかも知れない。どっち付かずだ。

 茶男は、何というか、苦労してそうだった。トイレ男の正体(そんな物は無い)が判らず、約束師(なこうど)の変なテンションに付き合わされ。あの様子だと普段から黒女達に振り回されたりしているのかも知れない。黒女が茶男をあーだこーだ振り回す映像は脳裏に易々と浮かんだ。「…………」、黒女なら物理的に振り回す事もできそうだと思うと少し笑えた。

 何というか、こう、人を殺せる様な奴は心の無い冷たい奴らだと思っていたのに、想像よりも人間味の有る奴らだった。

「……………………」

 複雑な気持ちである。人を殺せる様な、精神のタガが一つ二つ外れてる様な奴には自分達と同じ様に笑ったり泣いたりして欲しくないと思う一方、怖くないでよかったと安心する心も有る。

 そういえば、やさぐれ男は居なかった。彼はどうしたのだろう。彼もまた、茶男と同じ様に振り回されているのだろうか。或いは断固拒否できているのだろうか。黒女の護衛役みたいなポジションであった事を考えるに、振り回されている可能性が高そうだ。哀れである。……哀れみを覚えるなんて。

 そんな事を思いながら、トイレ男は段々と落ちる様に眠った。



     ◊◊◊



 翌朝。

 色々と準備をしてからトイレ片手に家を出ると。

「やっほー」

「……………………」

 何でだよ。

 ドアの前に居た黒女に内心でそう突っ込んだ。

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