06th.14『望まざりし再会』
ってなる筈だったんだけどなぁ。
「……………………」
トイレ男は遠い目をしながら妄想を止め、現実を見た。
夕飯をピリツィーリにしようと決めた所までは現実である。しかし、その後の八百屋に寄ったり香辛料を買ったり諸々の家事をしたりといった
トイレ男が何故そんな妄想に走らざるを得なかったかと言うと……原因は目の前に有った。
こうしてみると只の幼い、一二歳程の少女だ。黒い装飾過多なワンピースを身に纏い、長い黒髪はツインテールになっている。フリフリの袖から伸びる腕は裸だが、ワンピースのスカート部分から生える脚はこれまた黒い靴下に覆われており、その肌の色を見る事は叶わない。その靴下を更に覆うブーツはこれまたリボンだのフリフリだので装飾過多で、可愛いのが好きなら素直にピンクとか着ろよ、と思う。実際、こうして正面から顔を見るとそういうのがお似合いな年齢らしいし。
「今私の事見
「…………、思って、ねぇよ」
しかし、彼女の本性がそんな可愛気の有る物ではないと、トイレ男は知っている。つい癖で首振りだけで返事をしようとして、慌てて言葉を付け足した。約三日ぶりに白女がボコられている。トイレ男をこんなにした罰だ、これぐらいは受け容れてもらおう。
「じゃあ何て思ったの? 私の可愛らしい服と、腕と、手と、脚と、ブーツと、顔を見て何を思ったの?」
「……お前そうい、うキャラだっ、たの?」
ナルシストというか、自意識過剰というか。
どうやらその扱う力は強大でも、精神の方は歳相応らしい。自分が最高に可愛いとか思っちゃうお歳頃だ。トイレ男にもそんな時期が……無かったな、別に。田舎育ちの純朴少年にそんな物は無い。
「今失礼な事考えたでしょ? 顔に出てるんだから」
「……直接読むとかじゃ、ねぇんだな」
「白姉なら兎も角、私にそんな事できないわよ」
そう、黒い服を着た少女⸺黒女は、「馬鹿なの? 白姉の特別性を理解できない馬鹿なの?」とトイレ男を煽る。
「……特別性、てんならお、前も十、分だろ」
「えぇ〜、そんな特別じゃないわよ私? 訓練すれば誰でもできる事だしぃ〜、確かに私は他の人よりはできるけど〜」
別に褒めた積もりは無かったのだが、黒女の中ではそう解釈されてしまったらしく、謙遜しながらも身をクネクネとくねらせている。「…………」、一応敵対関係の筈なんだけど?
というか『誰でもできる』って何だ。なんだ、訓練すれば誰でも腕を伸ばしたり人を止めたりできるというのか? 恐ろし過ぎる。ならば敵方⸺白女、やさぐれ男、黒男トリオ、そして父親とやらは全員あの恐ろしい能力を習得しているという事だろう。……にしては使ってるとこ見てないな? と少し違和感を覚えたが、それは後だ。
「というか、何でトイレなんか持ってんの?」
「……趣、味だよ。……それ、はそれとして、だ。急に現、れてな、んの用だ?」
「ん? あぁそうそう。お父様がお呼びよ」
「お父、様?」
黒女の出した、恐らく特定の人物を指す言葉に首を傾げる。黒女の父親……だろうか? 何の用だろうか……まぁ、考えるべくもない。
黒女の父親という事は、先ず間違い無く黒女と同じく"裏"に潜む者。
詰まりは、トイレ男⸺最近喋れなくなって急にトイレを愛で出した(元)一般男性ではなく、何らかの方法で詰所襲撃の目的を知り、それを止めた男に用が有るのだ。
「…………衛兵に監、視されてんだ、けど?」
「それぐらい勝手に撒きなさいよ……何でぶつ切りで喋る訳?」
「無ち……怪、しまれ、るだろ、うが。ぶつ切、りなのは、喋、るのが苦手なだ、けだよ」
『無茶言うな』と言おうとして、改める。一応、トイレ男は衛兵サイドには『謎の闇組織のエージェント』という形で通っている。黒女の組織にどういうスタンスで立ち回る事になるのかは判らないが、まぁ同じ身分を偽る事になる可能性が高い。そして闇組織のエージェントなら尾行の一人や二人撒けないのは不自然だろう……という事で言い直した。撒く事を求められたら、まぁその時はその時だ。
「それは貴方の問題でしょう? ……コミュ障なの?」
「そっちもこっ、ちを招くっつう体、裁を取るんなら、こっちの都合に、も配慮し、て欲しいモ、ンだな。……まぁ、そうだ」
こうしてトイレ男はコミュ障になった。
「はぁ? 何言ってんの? こっちがやってんのは『招待』なんて生温い物じゃなくて『招致』。貴方に拒否権は無いわよ。……大変ね」
「ンならそ、っちはこっちへ、のリスペクトが足りな、いな。俺はお前、達に易や、すと従う積もりな、んて毛頭無、い。……ほっとけ」
「なら来ないの?」
「そうは言、ってない。一度は顔合、わせなきゃっ、て思、ってたし」
拒否すると言った場合、どの様な報復……というか、酷い目に遭うか判らないので、『こっちからも行こうと思っていた』という嘘を織り交ぜる事で『易々と従ったのではない』という体裁を取り繕う。
『取り繕う』と説明しなければならない辺り既に崩壊の予兆が見える体裁だが、それでも黒女には効いたらしい。「ふーん。じゃあ、行くわよ」とトイレ男に背を向けた。思ったより頭の方は弱いのかも知れない。いや、まだ一〇を少し回った程度の少女と考えるとこれぐらいが当たり前か。
後方の確認もせずにズンズン進む彼女の後を追う。こうして無防備に背中を向けているのは信頼から……では勿論無く、襲われても返り討ちにできるという自信が有るからだろう。歳相応の万能感だ。しかし実際、トイレ男がどの様に襲い掛かっても勝てるヴィジョンが浮かばないので、それは現実に即した万能感でもあるのだった。「…………」、自分の時はどうだっただろう? 自分がこれぐらいの歳の時に抱いていた万能感は……無かったか。純朴な田舎育ちの少年にそんな物は無いのだった。
「……あ、衛、兵はどうすんだ?」
「んー? もうこっちで何とかしとくわよ」
「……殺すな、よ」
「そりゃ、今更かもだけど、こっちもなるべく衛兵に喧嘩は売りたくないんだから当たり前でしょ。何とかするのは白姉よ」
「……白姉、か……」
白姉⸺白女は、トイレ男の推測では記憶処理も可能である。多分、今日の監視役である髭面も、巨女と同じ様に感覚を奪われ、記憶を消されるのだろう。哀れだ。だがそれだけなら、トイレ男は別にいいかと思えた。同じ事をされた巨女が健康その物で、副作用等は無いと考えられたからである。……完全に無いとは言い切れないが、その時はその時だ。
トイレ男と黒女は路地裏に入る。先程までは家へ急ぐ人々が大勢居たのだが、ここに入った途端にそれは消える。それがこの"路地裏"という場所の性質だ。
路地裏⸺より正確に言うならば『路地裏
この街が出来た当初は無かった、街の暗い部分だ。
恐らく最初は、只の住宅街だったのだろう。しかしそれが、長い時と様々な細々とした要因の所為で、人の寄り付かぬ寒々とした場所になってしまった。路地裏区画は主としては街の一部に広がっているが、その他の部分にも網目の様に、通りと通りの隙間を縫う様に広がっている。二人が入ったのはそういう所だ。
そこから糸の上を通る様にして、路地裏区画の中心部へと向かってゆく。時折人を見掛けるが、酔っ払っていたり、異常にコソコソしていたりと真面な奴が居ない。そんなのはトイレ男ぐらいだ……彼を果たして"真面"に分類できるのかどうかはさておいて。
暫く歩いて、トイレ男は或る館の正面まで案内された。
「ここが私達の本拠地よ」
「……結、構あっさ、り教え、るんだな」
「お父様がいいと言うもの」
黒女は「本当にこんな奴に教えてもいいのかしら?」と肩を竦める。どうやら、お父様とかいう存在の言う事に多少の疑念は抱けど反対するという事はしないらしい。黒女ぐらいの歳頃なら、親の言う事、特に父親の命令には不服従を貫きたくなる所だろうに……どうやら何から何まで歳頃の女の子、という訳ではないらしい。
「さぁ、入るわよ」
「…………あぁ」
黒女がドアを開けた。トイレ男は緊張しながら、そしてそれを隠そうと努力しながら、それを潜った。