Chapter 01
勝手にOP主題歌 〜MC TYSON - WEST SIDE KANSAI feat. Eric.B.Jr〜
神様は忙しいみたいだ。すべての人間に目を行き届かせるのは、どうやら難しいらしい。
剥がれたコンクリート、錆びついた自転車、歪んだ郵便受け、干からびた洗濯物と希望が、風に揺れている。
大阪府大阪市浪速区。とある廃れた市営住宅に、戸狩翔とがりしょうという男の子が生まれた。
父親は古典的なダメ親父で、仕事もなにをしていたのかもわからない。夜な夜なアルコールと眠剤でぶっ飛んでは、妻と息子に暴力をふるった。
そしてしまいには、別で女を作って、その女との間にも子供を設け、翔が小学五年生の時に一方的に離婚を突き出して出ていった。その女が何者なのかも、それから父親がどこでなにをしてるのかも、翔の知った事ではなかった。
暴力的な父親がいなくなった事は翔にとって良い事のように思えたが、厄介な事があった。それは母親が父親を未だに愛していた事だった。完全に心が病んで、息子である翔に対して非常に無関心だった。
翔が中学に上がる頃には、パートも無断欠勤するようになり、生活保護で食い繋ぐのがやっとの状況だった。
翔は母親が働かず貧乏な事はどうでもよかった。それよりも自分の事より憎き父親の事を愛している事が気に食わなかった。
ある日の夜、あまりにも目に余り、自分たちが父親にされてきた事を熱心に語り、父親がどんな人間だったのか忘れているのか問い詰めた。
「まぁ昔の人やし、あぁ見えていいとこもある」
翔はわけがわからなかった。
「そうか、いいとこが少しでもあったら自分の子供を殴ってもええんやな」
「自分の子供?」
「俺やろ。見とったやんけ何回も。目の前で。止めもせんと。まぁどうせ止めたらまたオカンも殴られるから別にええけど」
「そんなんせえへんよあの人は。なに言うてんの?」
母親は笑いながらそう嘯いた。現実逃避なのか本気で忘れてるのかはわからない。
だが翔は「自分の愛した男が子供を殴るような人間ではない。私はあなたよりもあの人の味方」と言われているような気がして、胸が締め付けられた。
自分の家なのに、自分がよそ者のような気がした。そして自分の母親なのに、自分が息子じゃないような気がした。
気がつけば家中の壁を殴りつけて穴だらけになっていた。母親はそれにも無関心だった。
そのうちそのストレスは、学校生活にも支障をきたすようになった。
普通の公立中学ではあったものの、元々活発なタイプではなかった翔は、小学生の時仲良かった友達は限られており、その数少ない友達は別の中学に行ってしまっていた。
まだまだ十二才のガキンチョが、複雑な家庭環境、不安定な精神状態で、全く新しい顔ぶれの中でまともなコミュニケーションを取る事は困難だった。
興味本位でクラスメイトが話しかけてくれても、まるで喧嘩を売るような話し方になってしまい、いざ仲良くなっても、少し気に食わない事があるだけですぐに殴ってしまい、みんなから避けられるようになっていた。
そのおかげで二年に上がる頃には、いわゆるヤンキーという種類の人間に気に入られ、つるむようになった。そしてその悪友たちと、毎晩悪さを繰り返していた。
別に夜に外にいたいわけじゃなかったが、家には帰りたくなかった。
喧嘩が好きなわけじゃなかったが、一人になるよりはマシだった。
万引きのスリルがクセになったわけじゃなかったが、どうせ晩飯はなかった。
小さい体には大きすぎるストレスが、やり場のない怒りが、有り余るエネルギーが、心と体に常に循環していた。それを発散するかのように、遊び方がだんだんと派手になった。
間も無くして〝ボッコン〟と呼ばれるマイナスドライバーを使った原付の窃盗が流行り出した。元々免許が取れない年齢だからこうするしかないと変な理由を付けて、罪悪感もなしにひたすら窃盗を繰り返した。
兄貴や先輩のお下がりを持ってる奴らはそれに乗り、持ってないやつは自転車でその原付に後ろから足で押してもらって移動した。そして目当ての原付が停めてある場所まできたらボッコンしてそれに乗り換える。
それからは、その原付でフルスロットルで走りながら、通り過ぎる街のあらゆる物を蹴って壊したり、ただコンビニにたむろしてバカ話をしたり、夜景を見に行ったり。
足がつかないように、その日の遊びが終わる頃には、河川敷の端の海に繋がる方まで行って、そのままドボンするのがいつもの流れだ。
帰りはニケツか、窃盗自転車のけつ押しを駆使して帰った。
そんな荒んだ生活を歩んでいたにも関わらず、ただ一人、ヤンキーでもない、どちらかというと真面目な部類の丸井歩睦まるいあゆむというクラスメイトとも仲が良かった。
歩睦は常に冷静で、かつ朗らかだった。翔にも物怖じしたりしないし、かといって否定する事もなかった。
「翔はかっこええよな。なんか自分を持ってるっていうか、なんか上手く言われへんけど、一生懸命生きてるって感じするわ」
「なんやそれ」
なぜか翔も歩睦には怒りを覚える事もなく、むしろ癒しにも似た感情を抱いていた。
休日には二人で歩睦の家で遊ぶ事も少なくはなかった。歩睦は同級生なのに、色んな知識があって、勉強だけじゃなく、音楽や本、映画なんかにも詳しかった。翔はそれに興味を示す事はなかったが、歩睦の話は面白いと感じていた。
不良仲間といる時みたいにふざけたり、バカ笑いする事はなかったが、自分も〝普通〟の人間だと思える貴重な時間で、大切に思っていた。
三年になる頃には、家に学校の先生が来るようになった。日頃の悪事がバレたのかと思っていたが、母親がどうやら学費を払えていないらしい。実は生活保護費のほとんどは、パチンコに消えていた。
「もし経済的に厳しいなら、今のままでは高校はおろか中学もまともに卒業出来るかわかりません。いっそ養子に出したり、親戚に預けた方があの子にとってはいいかもしれませんよ」
母親は「そうですね」とだけ呟いた。
一週間も経たないうちに、荷物をまとめさせられていた。先生に良いきっかけを貰ったと言わんばかりに用意周到だった。翔にも、別に何の未練もなかった。
「こんな汚い街、出て行きたいと思ってたとこやしちょうどええわ」
心からそう思った。