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7話 いったい何者?

 のんびりとした午後。
 忙しいランチタイムは終わり、穏やかな時間が訪れる。

 客がまったくやってこないわけではないので、気を抜くことはできないが、それでも、激戦のランチタイムと比べると楽ができる。

 客足が途切れたところで、ビアンカは、休憩がてら椅子に座り読書を楽しむ。

「ど、どうですか、まだ欲しいですか?」
「うーあ」
「えっと……欲しいんですね? はい、どうぞ」
「だぅ」
「えへへ、美味しいですか? よかった。ふふ、いっぱい飲んでくださいね。えへへ」

 店内の端で、娘にミルクを飲ませているアリサの姿があった。
 先日買った哺乳瓶を使っているものの、おっかなびっくりという感じで、どこか手つきが危うい。
 それでも一生懸命に娘の面倒を見ている。
 娘の愛らしさに笑顔を浮かべている。

 そんなアリサを見て、ビアンカは口元に笑みを浮かべた。

 ああして四苦八苦しているところを見ると、昔の自分を思い出す。
 初めての育児の際は、とんでもなく苦戦したものだ。

 昔の自分を見ているようで、懐かしい気分になる一方……
 ビアンカは疑問を抱く。

 それにしても、アリサはいったい何者なのだろう?

 母親初心者で、当初はとても気が弱いように見えたのだけど……
 ドルクが暴れた時は、鉄拳制裁をしてみせた。

 ありえないことだ。
 その場にいたビアンカは、ついつい我を忘れて、ぽかんとしてしまうほどに驚いた。
 表から様子をこっそりと様子を見ていた人も唖然としていた。

 ドルクは性格に問題はあるものの、それでも一流の冒険者なのだ。
 ギフトを持ち、並の冒険者なら束になってかかっても相手にならない。
 事実、乱闘でそれは証明された。

 それなのに……

 アリサは、そのドルクを一撃で沈めてしまった。
 ギフトで守られている鉄壁を貫いて、たったの一撃で。
 そんなことができる者なんて、聞いたことがない。
 可能なのは、世界を救った英雄くらいではないだろうか?

「……ふむ」

 もしかしたら、その可能性もあるのではないか?

 世界を救った英雄の顔を見たことはない。
 国王に拝謁するようなものなので、一般庶民である自分にはそんなことは不可能だ。
 ただ、どのような人なのか? という噂くらいは聞いたことがある。

 その噂の中に、エルフの聖女が含まれていたはずだ。

 同性異性問わず、見る者の心を虜にしてしまう絶世の美少女。
 その心は優しさで満ち溢れていて、例え魔物であろうと手を差し伸べずにはいられない。

 彼女に与えられたギフトは『聖女』。
 回復魔法のエキスパートであり、また、どんな戦闘も対処できるプロでもあった。
 彼女がいなければ、魔王討伐は不可能だったと言われている。

「んー」

 ビアンカはアリサを見て考える。

 絶世の美少女だろうか?
 その通りだ。
 エルフであるためか神秘的な雰囲気をまとっていて、普通の人よりも何倍も目を引く。
 彼女にならなにをされてもいい、と思う人はたくさんいるだろう。

 慈悲深いだろうか?
 その通りだ。
 捨て子を自分の娘として育てようとするなんて、普通はありえない。
 見捨てないとしても、そのまま孤児院に預けるのが普通だ。
 自分の娘にしてしまうなんてこと、誰にできるだろうか?

 強いだろうか?
 その通りだ。
 荒くれ者ではあるが、実力は確かなドルクを一撃でのしてしまった。
 あのような真似、他の誰にもできないだろう。

「もしかして、本当に……」

 ビアンカは、ますます疑いの眼差しを強くした。

 そんな目で見られていることも、アリサは気づかない。
 気づかないというよりは、他のことを気にする余裕がない。

 なぜならば……

「あああああっ、あうーーー、うーあー!!!」
「あぁっ、ど、どうしたんですか!? 突然、泣き出してしまうなんて……えっと、えっと……ミルクがおいしくなかったんですか? でも、さっきまで普通に飲んでいて……」
「あーうー!!!」
「あああぁ、ご、ごめんなさい。えっと、えっと、えとえとえと……!?」

 もしかして聖女なのでは?
 とビアンカが密かに思っている女性は、大パニックに陥っていた。

 我が子がなんで泣いているのかわからず、あたふたとするばかりだ。
 そこに威厳というものは欠片もない。
 ちょっと情けないくらいだ。

 確かに、絶世の美少女だ。
 とても優しい。
 ありえないほどの力を秘めている。

 しかし、赤子を前にひたすらにおろおろする姿は、世界を救った英雄とはとても思えない。
 いや、もしかしたら、それは演技なのかもしれない。
 正体を隠すため、あえてポンコツなフリをしているのかもしれない。
 普通なら素だと思うところだが……
 英雄なのだとしたら、それもありえる。

 実際は、アリサは素で慌てているポンコツなのだが……
 英雄ではないか? と疑うビアンカにとっては、彼女の行動の全てが計算されたもののように思えた。

 ただ、英雄だとしたら、なぜアリサはこんなところに?
 なぜ赤子を育てている?

 アリサが英雄だとしたら、きっと、自分には想像もつかない深い考えがあるのだろう。
 例えば、あの赤子が次代の英雄となるとか。
 あるいは、新たな脅威に対抗する鍵になるとか。

 そんなことをあれこれと考えるビアンカだけど……

「あっ! おむつが……なるほど、そうだったんですね。ごめんなさい、気づくのが遅れて。すぐに変えて……って、さすがにここだとまずいですね。ちょっと待っていてくださいね」

 赤子が泣く原因を突き止めたらしく、アリサは明るい顔に。
 それから、親の使命感に満ちた顔になり、赤子を抱えてダッシュで二階へ。

 アリサはとても真剣に育児をしていた。
 ぎこちなく、慌ただしいところは多々あるものの……
 一生懸命に育てている。
 そして、大事な娘として、ありったけの愛情を注いでいる。

 ビアンカも子供がいるため、そのことはよくわかった。

「……案外、なにも考えていないのかもね」

 赤子は特に、世界にとって特に重要というわけではないのかもしれない。
 アリサが一生懸命になっているのは、ただ単に、己の娘だから。
 血が繋がっているとか繋がっていないとか、関係ない。

 どのような経緯で親子になったとしても、アリサはすでに母親で……
 赤子のことをとても大事に想っている。
 それが、全ての答えのような気がした。

「アリサが英雄だとしても、今は、一人の母親……か」

 ビアンカは小さく笑い、読んでいた本をパタンと閉じた。

 母親の先輩として、アドバイスの一つや二つ、しておこう。
 そんなことを思い、ビアンカは二階へ向かうのだった。

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