偽名選定
――私立三文字学園。
広大な敷地の学園に、初等部から高等部まで、多種多様な三字熟語の学生語句が多く通っている。広く優秀な教師と生徒を募り、学期内の採用、編入も多い。
ゆえに。今回、学期内ではあるものの、すんなりと四語句の編入と教師枠の採用が叶った。高等部3年A組にソカ、1年C組にメイが編入生として潜入し、体育教師としてランマ、生物教師としてアンが潜入する。バンは変身能力を活かし、状況によって、生徒にも教師にも校務員にも化ける手筈でいる。
生徒の大多数が三字熟語であるため、当然、ソカとメイは三字熟語として偽名での学園生活を送ることになるのだが。
「――潜入調査は名前が命だからな。勿論、生きた語句の名前は使えない。すでに黒塗りされた、この世界から消えた語句を名乗る他ないんだが……」
今回、「快刀乱麻探偵事務所」の探偵達が秘密裏に潜入していることを知っているのは、学園内でも依頼人である【孟母三遷】と、学園長である【是非曲直】のみである。
モーボによって学園長室に案内されたランマ達は、時間に追われて忙しない様子の【是非曲直】と対面した。テーブルを挟み、ソファに腰掛けた【是非曲直】。スーツ姿できっちりとネクタイを結び、黒髪で凛々しい眉毛をしている。見た目の年齢も、ランマ達と遜色ないほど若く見える。
「すみません。今色々と忙しいものでして。今回、このような事件に巻き込んでしまい、学園長として申し訳なく思っております。恥ずかしながら、何故生徒達が行方不明になってしまったのか、皆目見当もつきません。諸事情あり、統監本部に通報することも阻まれる状況です。ここは是非、探偵の皆様にお力添えをいただき、内々に解決することを願っております」
「ああ。依頼人から諸事情云々はすでに聞いている。俺達も早期解決に向けて動くつもりでいるから安心してくれ。それよりも、ここに学園名簿はあるか?」
「学園名簿ならございますよ。持って参ります」
立ち上がった【是非曲直】が、学園長席のデスクの引き出しから分厚い冊子を持ってきた。
「こちらになります」
――三文字学園 学園名簿
黒表紙には、そう金字で銘打ってある。
「ここには、学園に通うすべての生徒と、教師の名前が載っているんだよな?」
「ええ、勿論です」
名簿の中身を確認しながら、ランマがページを捲っていく。
「この辞書の世界で名簿と銘打つものは、その語句の生き死にを表すものでもある。つまり、この世界で命を落とした語句達の名前は黒塗りされているわけだが……」
「わぁ、意外と多いですね」
ランマの隣に座るソカが名簿を覗き、素直に言葉を発する。
「不慮の事故や病死、あるいは自殺など、黒塗りされた要因はいくつかありますが、我々は元より、永遠の存在ではありませんからね。人格を与えられた語句であろうとも、その〈意味〉に押しつぶされ、死を選ぶこともあります。三字熟語もまた、その幼さゆえに、自ら命を絶つことを選ぶ子達がいます。それを思い留まらせんとする教育の場として、この三文字学園は存在しているのです」
「そうか。それはご立派だな。さすがは教育褒章を受章されただけはある」
「お褒めに預かり光栄です。ですが、それもこれも、この学園で教育者として生徒達を指導している先生方のおかげなのですが」
にっこりと笑う【是非曲直】が、ソファの後ろに立つモーボを見つめる。
「いえ、私達は何も……」
「この中には、当然行方不明になった生徒達の名前も載っているんだろう? 黒塗りされているか確認したのか?」
「勿論です。彼らの名前はまだこの名簿にしっかりと載っています。なので、亡くなってはいないはずです」
そう確信を持って、【是非曲直】が答える。
「そうか。まぁ、取り急ぎ必要なのは、生徒として潜入する二語句分の名前だからな。俺とアンは今回、本名のままが適任そうだからこのまま潜入するとして……、あとは、この学園は行ごとに学年分けされていると聞くが、具体的にはどういった分け方なんだ?」
「それは私から説明いたします」
モーボが改まって説明する。
「この学園は、初等部から高等部までありますが、今の学年分けでは、高等部3年が『あ~か』行、2年が『さ〜た』行、1年が『な〜は』行。中等部3年が『ま』行、2年が『や』行、1年が『ら』行、そして初等部が『わ』行と再教育を望む語句達が通っています」
「そうか。なら高等部3年のソカは『あ〜か』行から、高等部1年のシスイは『な〜は』行の、黒塗りされた三字熟語から偽名を選べ。できれば、昔の世代の奴らから選ぶのが望ましいが」
「確かに。うっかりその語句を知っている生徒と出くわすと、潜入調査がバレてしまいますからね。慎重に選ばなければ……」
ソカが学園名簿の『あ〜か』行のページを開きながら、慎重に偽名を選ぶ。
「あ、これなんて良さそう!」
ソカは黒塗りされている三字熟語を指さした。そこには、漢字表記では黒塗りされているものの、よみがなと〈意味〉はそのままの状態で残っている。
「どれや?」
バンが覗き込むと、そこには【こううんじ】と表記されていた。
「こううんじって、まさか【幸運児】かいな? ソカちゃんが【幸運児】って……」
「ソカは普段不運に見舞われることが多いからな。その反動も相まっての【幸運児】なんだろう? 良いじゃないか、ソカ。ぼくは幸運なお前も大歓迎だぞ♡」
アンが全肯定するも、隣ではメイが「【幸運児】なのに黒塗りされているなんて、いわくつきなのでは……?」と縁起でもないことを言う。
「いーんじゃねーの。不運が幸運に勝るか、幸運が不運を上回るのか、これは見ものだろ?」
ニシシと笑うランマに、「僕だって幸運にあやかりたいんです!」とソカが声を張って主張した。
「それじゃ、ボクは『な〜は』行からということなので……」
該当ページの学園名簿を捲りながら、メイが不意に怪訝な表情を浮かべた。隣から覗き込んでいたバンとアンも同じように訝しがる。何かに気づいたであろう探偵達に、薄っすらとランマも笑った。
「……あった。これはボクにしか名乗れない特別な語句ですね」
「うん? 一体どんな三字熟語なの?」
ただ一語句、何も気づいていないソカだけが、能天気に訊ねる。
「ボクは……ボクこそが、この世界で一番のイケメン語句だと思っています。なので、――【美丈夫】。これ以上、ボクに相応しい語句はありません――!」
自信満々に告げたメイに、「はは。さすがはメイ君。イケメンの座は誰にも譲らないね」とソカが苦笑した。
こうして、ソカとメイの潜入名――偽名が決まった。
■幸運児(こううんじ)/【四面楚歌】
運の良い子。
■美丈夫(びじょうぶ)/【明鏡止水】
美しく立派な男児。
パタンと閉じられた学園名簿を【是非曲直】に返したランマが、「それじゃ」と言って立ち上がった。
「どうか行方不明となった生徒達を無事に連れ戻してください」
そう頭を下げて願い出る【是非曲直】に、「ああ。必ず依頼は成功させる」とランマが胸を打つ。
「だが、どんな結果になろうとも、俺達は依頼人の望みを最優先で叶えるがな」
学園長室のドアの前で、五語句の探偵達が各々の役目を担う表情を浮かべている。
学園長室を出た五語句は、学園内の廊下を歩きながら、それぞれの準備のため、言葉もなく散り散りとなっていった。
明日から本格的に潜入開始である。事件解決に向け、それぞれがしっかりと前を見据えて歩くのであった。