大型案件
世界は〈言葉〉と〈意味〉で成り立っていて、この辞書界ではすべての〈語句〉が人格を持ち、その〈意味〉を守りながら生きている。辞書にある言葉が築き上げる世界では、人型として形成された四字熟語の活動が、この世界を動かす原動力となっている。ここにも一語句、人格を与えられた四字熟語がいた――。
「――なぁソカ。なんでウチはこんなにヒマなんだと思う?」
そう退屈そうにデスクで頬杖を着く男、その語句を【快刀乱麻】と言う。
■快刀乱麻(かいとうらんま)
こじれた物事を手際よく解決すること。
「快刀」は切れ味鋭い刀。
「乱麻」はもつれた麻。
「快刀、乱麻を断つ」の略で、もつれた事態をスパッと解決する意。
見た目は20代前半の赤髪の青年で、瞳の色は金。丈の長い白コートを羽織り、首元には赤色のマフラーを巻いている。
「本来、探偵事務所なんて閑古鳥の方が良いに決まっていますよ、ランマさん。世の中が平和な証拠じゃないですか」
そう諫《いさ》めるのは、ランマの助手であり、「快刀乱麻探偵事務所」の公認探偵の一語句、【四面楚歌】。ランマより若く、青髪で瞳の色は銀。スーツベストにチェックのズボンを履き、きっちり紺色のネクタイを結んでいる。
■四面楚歌(しめんそか)
四方を敵や反対者に囲まれて、味方がいない様。孤立無援の状態。
【故事】中国は楚の項羽は、四方を漢の劉邦軍に囲まれ、漢軍から聞こえてくる楚の歌に、民がすでに漢軍に降伏したのかと絶望したことから。
「それはそうだけどよ、こんなんじゃ、商売上がったりだわ」
「まあ、確かにこのまま何の依頼も来なければ、彼らにお給料を支払えませんが……」
ソカがデスクに座る、三語句に目を向けた。彼らはみな、この「快刀乱麻探偵事務所」で働く、公認探偵達である。その中の一語句――メガネ姿の【千変万化】が眠気を噛み殺しながら言った。
「ふぁああ、ねっむ。この間の報告書も提出したし、ワシはもう帰ってもええやろ?」
「何言っているんだ、バン! まだ就業時間だぞ。帰って良いはずないだろ!」とソカが一層語尾を強めて首を振った。
■千変万化(せんぺんばんか)
めまぐるしく変化する様子を表す。
「千」「万」は数量の多いことを表す。
「変化」が数限りなく起こるという意。
バンは椅子の背もたれに全体重を傾けると、一つに束ねた紫色の長髪を左右に振った。
「いやいや、そうは言うても、なーんもすることなんてあらへんやん。ヒマ過ぎて体がなまりそうやから、パチンコでも行ってくるわ」
ほな、と言って立ち上がったバンの髪をソカが掴む。
「こらバン、すぐにサボろうとするな。パチンコなんてお兄ちゃんが許さないぞ」
「いたたたたっ……! 暴力なんてソカちゃんらしゅうないで! つーか、いつまでも兄貴ヅラせんといてーや!!!」
バンは派手なピアスやネックレスをつけている。紫のTシャツに白シャツを重ね、瞳の色と同じ銀のポーラ・タイをだらしなく下げている。ソカと同じサ行語句であり、この辞書界ではバンの方が少しだけ後ろに掲載されていることから、兄弟のような間柄なのである。
「――ふん。ぎゃあぎゃあ煩いんだよ、エセ関西弁野郎」
「なんやて!? お前の方こそ辛気臭いツラ下げて『ソカソカ』煩い変態ストーカー野郎やないかい!」
「ちょ、バン。いちいちアンさんに突っかからなくて良いからっ……」
ソカがバンとアンの間で仲裁に入る。
「ソカあああ♡ さすがはぼくの番《つがい》となる語句だな。お前はぼくの味方だろ?」とアンがソカを抱きしめる。
「ちょ、アンさん! そういうことはやめてくださいと言っているでしょ!」
全身サブイボのソカが全力で拒絶する。バンがソカの腕を取り、自分の方に引き寄せた。
「ソカちゃんに触れんなや、変態!!」
「ふん。ソカはぼくの可愛い崇拝者だ。お前こそぼくの愛しいソカに触れるんじゃない!」
「お前のような他者を疑うことしか知らん語句に、ソカちゃんを渡すわけないやろ、【疑心暗鬼】……!」
■疑心暗鬼(ぎしんあんき)
何でもないことまで疑う状態を表す。一度疑い始めると、何でもないことまで不安や恐ろしさをかんじたり、人に根拠のない嫌疑をかけたりする意。
「暗鬼」は暗がりに潜む鬼の意。「暗」は「闇」とも書く。
アンは左目を真っ黒な前髪で隠し、金色の瞳で、黄色地に青蓮華の長着、細帯の着物姿を着流している。
「ちょっと二人とも! 一応お互いに相棒なんですから、喧嘩なんかしないでください!」
今度こそ強く仲裁したソカに、間髪入れず、ぎゅっと抱き付くアン。
「怒った顔も可愛いぞ? ソカ♡」
「やめてくださいっ、気色悪い!」
「――ほら、ソカ先輩も嫌がっていることですし、そろそろ黙らないと、所長にスパッと斬られてしまいますよ?」
「メイ君……」
ソカが立ち上がったメイを見上げた。にっこりと笑う、探偵の中では一際若い男。
メイは透き通るほど綺麗な緑色の髪を耳にかけた。短髪ではあるものの、サラサラヘアーの長身。グレイのシャツを着て、髪と瞳と同じ、緑色のネクタイをきっちりと結んでいる。シャツの淵も緑で統一され、見るからに好青年。「快刀乱麻探偵事務所」でも一番のイケメンと称されるほど、その顔面力は高い。
「ふん。ヒヨッコの分際で、大人の会話に入ってくるな、【明鏡止水】」
■明鏡止水(めいきょうしすい)
邪心のない、明るく澄み切った静かな心境。
「明鏡」は、一点の曇もない鏡。
「止水」は、流れが静止して澄み切った水のこと。
「これだから偏見野郎は。すぐに頭に血が上るのは、ジジイの証ですね」
「なんだと!?」
「――ああもう、黙れてめえらっ……!!!」
ランマから大目玉を食らい、シュンと身を縮める、四語句。
「まったくてめえらは、真っ昼間から喧嘩しやがってっ……! そんなに暴れ足りねえなら、ソカと一緒に散歩でもしてきやがれっ……!」
「え? ランマさん。それって一体……」
どういう意味なのか――。もちろん、バン、アン、メイの三語句は分かっている。
「いや、ソカ(ちゃん、先輩)と同伴したら超絶不運に巻き込まれるんで、結構(や、だ、です)」
三語句が声を揃えて言い放った後、真面目にデスクワークを始めた。
「わかりゃあイイんだよ。ったく、不運も使いようだなぁ、ソカ」
ランマがデスク上で新聞を広げ、そのままフェードアウトした。一語句取り残された、ソカ。
「……え?」
街を歩けば粗暴者と遭遇。不要な喧嘩に巻き込まれ、振り回される。正しく、犬も歩けば棒に当たる、といった具合に、ソカはその〈意味〉から不運な目に遭いやすい。そのことわざを言い換え、ソカも歩けば暴漢に当たる、と言い始めたのは、一体誰なのか。
所長席で新聞を読むランマが、盛大なクシャミをした……ところで、事務所の呼び鈴が鳴った。
「おいソカ、いつまでも突っ立ってねぇで、さっさと客を出迎えろ。久々の依頼だろ?」
「え? ……あ、ハイ。すぐに」
釈然としないままソカがドアを開けると、そこにはメガネにスーツ姿の若い女形の語句が立っていた。ソカに向かい深くお辞儀し、神妙な面持ちで顔を上げた――。
依頼人の前で、ソカが淹れた紅茶から湯気が立つ。ソファでランマとソカと向かい合いながら、今回の依頼内容を話し始めた。
「――私の名前は【孟母三遷】と申します。職業は教師で、三文字学園高等部の3年A組で担任をしております」
「三文字学園って、あの三字熟語の学生語句が大勢通っている……?」
依頼内容のメモを取るソカが、三文字学園について知っていることを口にする。
「ええ。私達教師はみな四字熟語なのですが、生徒の大多数は三字熟語です。この辞書の世界において、三字熟語は子供のようなもの。三文字学園は、そんな『三字熟語の健全な人格醸成と世の中に貢献できる語句になる』ことを理念とする学園でして、それはもう、多種多様な語句達が通っております」
どこか苦悶の表情で話す【孟母三遷】。ぎゅっと胸を掴み、沈鬱とした顔を伏せた。
「……三文字学園と言やぁ、学園長は創設者である【是非曲直】だよなぁ。最近、教育者の鑑だっつうことで、教育褒章を受章したことで話題になってたな。新聞でもコラムが掲載されているぜ?」
ランマが先程まで読んでいた新聞を開き、テーブルに置いた。そこには【是非直曲】の顔写真と共に、彼が書いた教育コラムが掲載されている。
「アンタのボスは、相当教育熱心らしいな。それで、その教育者の鑑である是非学園長の部下が、一体何の依頼があるってんだ?」
ランマの口元が緩んでいる。しかしその金瞳は、しっかりと依頼人――【孟母三遷】を見据えていた。
ごくりと息を呑んだ【孟母三遷】は、おずおずと今回の依頼について話し始めた。
「……実は今、学園内で生徒が行方不明になるという事件が頻発しておりまして。ある日、学園内の至る場所に『謎解き七不思議』というものが張り出されたことをきっかけに、生徒達による謎解きが流行しました。1から6までの七不思議の謎を解き、最後の7の真相に辿り着いた生徒が、忽然と行方不明になる――。そんな事件がすでに5件発生しております」
「つまり、七不思議の謎を解いた生徒達が何者かに連れ去られた、ということですか?」
メモを取るソカに、「噂では、すべての謎を解くと、異世界に引き込まれてしまうと……」と【孟母三遷】が俯く。
「私の受け持つクラスの生徒も行方不明になってしまい、今なお、安否確認もままならない状況です。当然、『謎解き七不思議』は禁止されたのですが……」
今回の依頼について、アン、バン、メイの三語句もそれぞれのデスクから聞いていた。各々、この事件の真相について、考察を馳せる横顔を見せている。
「しかし、事が事なだけに、僕達探偵よりも統監本部に相談された方が宜しいのではないですか? 多数の生徒が行方不明になってしまうなんて、もう立派な事件ですよ?」
ソカの見解に、【孟母三遷】は首を横に振った。
「先程、【快刀乱麻】さんが仰られた通り、是非学園長は今、三文字学園での教育を認められたことで、さらなる発展を目指しております。この世界の秩序と平和を守る統監本部に通報すれば、事件が世の中に露見し、学園の名誉も今後の展望もすべて泡となって消えてしまう。そうなれば、三字熟語に満足行く教育を施す場がなくなってしまうと、そう案じておりまして。今回、私がお願いして、探偵の方々に内々に事件解決に向けて動いていただこうと進言したのです。すべては行方不明になった生徒を助け出し、再び平和な学園生活を生徒達に送らせるため。どうか、この事件の謎を解き明かし、行方不明になった生徒達を連れ戻していただきたいのです――!」
なりふり構わず、【孟母三遷】が頭を下げる。依頼を受けるかどうかは、所長であるランマに託されている。ソカは、じっと紅茶の水面を見つめるランマの答えを待った。
「……今回の依頼人は、女教師の【孟母三遷】か。その〈意味〉は確か……」
掌をかざした【孟母三遷】。その〈意味〉が浮かび上がる。
■孟母三遷(もうぼさんせん)
身の回りの物事から影響を受けやすい子供のために、環境が大切であるという教え。また、子供の教育に労を惜しまないことのたとえ。
【故事】孟子の母が、墓地の近くから市場の近くへ、さらには学校の近くへ三度も住居を移し、孟子の教育のために良い環境を得ようとしたことから。
「いかにも教育者って感じの〈意味〉だな。【孟母三遷】だから、愛称は……」
「生徒達からは、もーちゃん先生と呼ばれることもあります」
ようやく笑みを浮かべた【孟母三遷】。マ行語句の証である、メイと同じ緑色の瞳。薄桃色の長い髪を、ポニーテールで肩の横に流している。
「もーちゃん先生か。いや、俺らがそう呼ぶのもなぁ。ここはモーボ先生だな。つーか、アンタも故事由来の語句なんだな。ウチのソカと同じだ」
にししと笑うランマ。ソカはモーボと目が合うも、気まずさからその瞳を伏せた。
この世界では、故事由来の語句が故事上がりとして差別を受けることも多い。生きた人間が元になったことから、そういったものを嫌う風潮を創り出したのが、【一】族と呼ばれる、一から始まる華麗なる四字熟語であった。彼らは差別対象を創り出すことで、自らの権勢を絶対的なものにしようと目論んだのである。
「……私は自分が故事上がりと揶揄されようとも、自らの〈意味)と〈成立ち〉を恥じる気持ちはありません。私達故事由来の語句は、元となる人間がいることで、自分と他者の痛みを強く理解できるから。ねえ、そうでしょう、【四面楚歌】さん」
モーボに微笑まれ、ソカは面食らった。確かにソカの中には、元となった人間である項羽の絶望も、無念な気持ちもあった。だからこそ、他者には一層優しくありたいと願う。
ソカは自分の胸にある確かな気持ちに触れると、「ええ、そうですね、モーボ先生」と笑った。
「まぁ、今は手持ち案件もねぇことだし、この依頼、『快刀乱麻探偵事務所』で受けてやるよ。ただし、報酬はキッチリと貰うぜぃ?」
「ええ、勿論ですわ。すべてが解決した後、私が差し上げられるものはすべて差し上げます」
「よし。んじゃ早速、契約書にサインしてくれ。おい、ソカ。モーボ先生との契約書を作成してくれ」
「はい」
ここからは事務手続きだ。探偵業より事務仕事の方が得意なソカが、依頼人である【孟母三遷】との契約書を作成していく。専用の契約書に、万年筆で今回の依頼内容と、その成功報酬について記述していった。その契約書にサインしたことで、ようやくモーボも安堵の表情を浮かべた。
「しっかし、こりゃ今回、結構な依頼だなぁ。七不思議の謎の解明に、消えた生徒達の救出。A級案件か、もしくはそれ以上か……」
「すみません。私達教師も、『謎解き七不思議』を解き明かそうとしたのですが、どういうわけか真相に辿り着けずじまいでして……」
「その『謎解き七不思議』は今、学園では禁止されているんですよね? 一体どんな内容なのか見せていただけますか?」
「ええ、勿論。ここにそのメモ書きがあります」
そう言って、モーボがスーツの胸ポケットから一枚のメモ用紙を取り出した。
【謎解き七不思議】
1.音楽室に飾られた〇〇の肖像画の目が光る。
2.保健室の〇〇像が動く。
3.夜な夜な〇〇像が走る。
4.階段の段数が変わる。ただし条件あり。〇〇の時のみ。
5.トイレの〇〇さん。
6.鏡の話。〇〇が覗くと……。
7.???(7つ目を知ると、とんでもないことが起きる!?)
七不思議の内容に、ふむとランマが考察の構えを見せる。
「この〇〇に入るものをすべて解き明かせば、最後の7つ目に辿り着く。そういうことみてぇだな」
「7つ目って……、『7つ目を知ると、とんでもないことが起きる!?』って書かれてますけど!? とんでもないことって……?」
「まあ、とんでもない目に遭うってこったろ?」
お前がな……という視線でランマがソカを見る。
「――へえ。面白そうな案件ですね。ぜひこのボク――【明鏡止水】にも携わらせてください」
ソカの頭上から、ひょいと「謎解き七不思議」メモを取り上げたメイ。
「今回、三文字学園に潜入するのは必須。なら、このイケメンならば、すんなりと生徒に紛れ込めますよ」
「メイ君。確かにイケメン生徒として、他の女子生徒達からモテそうだね。それじゃあ僕は教師として――」
「いや、お前は生徒として潜入だ」と間髪入れずにランマが言う。
「え? 僕、生徒なんですか?」
「そりゃそうでしょ。しかし、ソカ先輩は安定の不運発動でクラスメイトからイジメに遭って、調査どころじゃなくなるでしょうが」
「えっ? 僕、いじめられっ子確定?」
「――そんなん必然やん。ならワシは【千変万化】としての変身能力を活かして、学園内のあらゆる語句に化けて内偵するわ」
バンがメイの隣に立ち、モーボに変身した。色っぽい仕草に、「バンも一緒かぁ……!」とソカが嬉々と笑う。
「まぁ、メンドイけど、このままヒマすぎて死ぬよりマシやからな」
「ふん。騒々しいガキどもが大勢いる学園に潜入なんて御免だな。ぼくは今回、パスだ」
「おー。今回、アンはパスか。せっかく体操着姿のソカが拝めるかも知れねぇってのに」
「体操着ぃいいいい!!!」
あられもないソカの体操着姿を想像し、鼻血を吹き出したアンだったが、鼻の穴にティッシュを押し込むと、「ぼくは天才、【疑心暗鬼】だ。生物教師として潜入しよう」と、きっぱりとした表情でモーボに握手を求めた。
「よし。今回『快刀乱麻探偵事務所』総出で、この大型案件をスパッと解決してやる」
ランマの頼もしい発言に、「はい! ありがとうございます!」とモーボが笑った。
「僕とメイ君は生徒で、バンはその都度誰かに変身して、アンさんは生物教師。なら、ランマさんは……?」
「俺か? 俺は決まっているだろ? どんな不良生徒も拳で黙らせる、鬼の体育教師だ!」
「……暴力教師で逮捕されるんだけは勘弁やで、所長」
こうして正式に【孟母三遷】から依頼を受けたことにより、「快刀乱麻探偵事務所」総出で、三文字学園への潜入調査が決まった。
――・――・――・――・――・――・――・――