バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

第40話 冷酷な老人と冴えない青年

 反論の機会をうかがっていた近藤に向けて、カーンは一度笑みを浮かべた。

 そして、静かに言葉を続けた。

「我々と命がけのカードゲームをしているのは『嵯峨惟基』と呼ばれる存在だ。あの男のカードは私には『だいたい』分かっている。ならばこちらも手持ちの札を数えなおして、次に切るカードを選択する。カードゲームの基本だよ……そして情報収集もまた然りだ」

 そう言うカーンの顔には厳しい表情が浮かんだ。

「君のような『まともな軍人』は知らないだろうし、興味もない話かもしれないが、あの男はかつて『軍治安機関』にいたと言う『噂』がある。まあ、あの大戦時の記録が『まるっきり残っていない』あの男のことだから、『治安機関』や『諜報機関』の過去があったとしても不思議はないのだがね……」

 近藤は嵯峨が『甲武国四大公家当主』の『殿上貴族(でんじょうきぞく)』であるがゆえに戦争を避けていたと思い込んでいた。

 嵯峨の消えていた経歴について、カーンがすでに知っていることを確認して静かに黙り込んだ。

「相手が東都共和国の公安当局の電子戦のプロと手を結んでいるのなら、多少の出費はあっても、直接『足』で情報を稼ぐようなことも考えたらどうかね。君の独自に集めた資金はそれには十分耐えうると思うんだが……政治工作だけが資金の使い道では無いよ」

 そういうとカーンは再びグラスを手に取りブランデーに口をつけた。

 近藤はカーンのはぐらかすような調子にいつもと同じ苛立ちを感じていた。

 近藤は自分が今の甲武軍の主流からは外れた立場にあることは十分承知していた。

 多くの『士族』出身の代々続く軍人一族に生まれた近藤にとっては、『軍の民主化』と言う今の甲武の風潮は見過ごしがたいものだった。

 現在、甲武国政権の中枢にある西園寺義基首相は、軍縮を視野に入れた宥和的政策での遼州同盟加盟国の大国として同盟機構内部での発言権拡大を目指すことを選択していた。

 甲武の一方的な軍縮を敗北主義と考える近藤と同志達は、西園寺内閣による軍の特権剥奪に危機感を抱いていた。

 彼らは軍内部でも孤立していく中で、自分達こそが国家の尊厳すらも安易に投げ捨てかねない西園寺義基の『現実主義政策』に異を唱えるべく集まった救国の士だと自負していた。

 西園寺内閣の矢継ぎ早の同盟宥和政策が国を大きく変えつつある今が、それを打倒する最後のチャンスである。

 その信念が近藤を『危険人物』ルドルフ・カーンとの接触を取らせることとなった。

 ゲルパルトの『民族秩序の再興』を掲げる『アーリア人民党』の残党として国を追われてもその理想を推し進める『闘士』ルドルフ・カーン。

 そんな彼が近藤に依頼したのは、『売国奴』である『民派』の首魁、西園寺義基の義弟、嵯峨惟基の率いる『特殊な部隊』の新入隊員『神前誠』の能力の調査だった。

 特に嵯峨が極めて手に込んだ方法で入隊させた若者、『神前誠』が何者だろうが近藤には関心の無い話だった。

 そしてそこに注目するカーンの意図も図りかねていた。

 近藤はようやくそんなあふれ出してくる怒りを主とする感情の整理をつけると、言葉を選びながら話を続けた。

「やはり、この報告書に不手際があったとは到底思えません!金で魂を売る『ハッカー共』が情報改ざんを行っていないことは裏が取れています。ですので……」

「ちがう!ちがう!」

 そんな近藤の言葉にカーンは初めて明らかな不快感の色を帯びた叫びを漏らした。

 交響曲が終わり、再びブランデーグラスに口をつけた後、近藤を見る青い瞳には侮蔑の色がにじんでいるのがわかり、近藤は思わず口を閉ざした。

「君は本当に海軍兵学校を卒業したのかね?あの青年は地球の堕落した連中が注目する存在なんだ。それだけは間違いないんだ。無視できるかね?この不愉快極まりない事実を!なのに君はなぜこのような『見るに堪えない報告書』を私に提出したのか聞いているんだよ!私は!」

「それは……あり得ません。遼州人に地球人にない力がある……そんなものは他愛のないおとぎ話です」

 近藤はそう一言で斬って捨てた。

「そういうことならそうだとしておこう。私から言わせるとこの未開野蛮な遼州人が中心となって行われた遼州独立戦争で遼州圏が地球から独立できたのもおとぎ話だったという話になる。確かにそのような『力』など我々の科学力では解明出来ないのは事実だからね。しかし、その力が意図的に……多くの『敵』達によって隠されていると考えたら……どうだね?分かりやすく言えば『公然の秘密』としてアメリカや東和共和国、遼帝国にとっては『法術師』の存在は『公然の秘密』なんだと私は思っている」

 再びグラスをテーブルに置くとカーンは椅子に座りなおし、氷のような青い瞳で近藤をにらみつけて静かに語り始めた。

「確かに今度あの『特殊な部隊』に入った神前誠少尉候補生。彼の出自に不自然なことは書類上無い。あえて言えばとてつもなく『乗り物酔い』がひどいことぐらいだ。だが、そもそもこんなに不自然なことが無い人物をなぜ嵯峨君が選んだのか?そう考えてみたことは無いのかね?」

 カーンはそう言うとブランデーグラスを静かにテーブルにおいて近藤を見つめた。

「嵯峨惟基……甲武国陸軍大学校で卒業証書を破り捨てて、『全権督戦隊長』以外の任官を拒否する!と大演説をぶった男だ。」

 近藤はその言葉に思わず眉をひそめた。

 当時海軍に任官していた近藤は陸軍大学校の卒業式でそんな話があったことは聞いたことが無かった。

 だが、カーンの口ぶりや陸軍の体面重視の体質からすれば、それは単なる伝説ではないのだろうということからそれは事実なのだろうと察しがついた。
 
「……その話、本当なんですか?」

 念のため近藤は尋ねてみた。

 だが、カーンは答えなかった。

 ただ静かにブランデーを飲み干すだけだった。

「話を戻そう。君は認めたくないだろうが、私の知っていることを話そう。あの男には『運』がある。そして、別の名前で同じ顔をした男が、崩壊寸前の遼大陸戦線で指揮した貧弱な装備の大隊が遼北人民解放軍の千倍の戦力相手に『負けなかった』と私は聞いている。私はそんな『不敗の男』興味があるね。君は興味が無いようだが、私には『興味』がある」

 近藤は目の前で敵を誉めつつその言葉に酔いかけている老人にそう言われて言葉に詰まった。

 見るべきものを見落としていた。

 そのような老人の言葉を聞けば、老人が何を言わんとしているか、そして報告書を提出したことに関して一番欠けているものは何かを察することができた。

『この老人は私と甲武国の『官派』の同志達を『利用』している。恐らく、あの嵯峨惟基と呼ばれる存在も……ならば、我々も動いて……出方を見よう』

 近藤はそう思いながら静かに『貴賓室の闘士』に頭を下げた後、敬礼した。

 敬礼を終えて納得した顔をした近藤を見て、カーンは満足しながら話を続けた。

「敵であれ尊敬すべき人物だよ、嵯峨君は。地球圏や他のどの確認された軍事勢力にも彼ほどの人材はいない。敵として当たるに対して彼ほど愉快な人物はいないよ。そんな彼が選んだ人材なんだ。敵に値する嵯峨君が選んだ人材なんだ。彼が選んだ青年が私達を失望させるような『語るに足りない凡人』では無いと考えるのが当然の帰結だろ?」

 そう言うカーンの口元に満足げな笑みが浮かんでいるのに近藤は気付いた。

 そして、その笑みはカーンの踏み越えてきた、敵味方を問わない死体の数に裏打ちされていた。

「君には分かるまい、近藤君。敵と対峙することが、どれほど楽しいものか……前の大戦では開戦から終戦まで『大本営』勤務か……それでは仕方がないね」
 
 カーンはゆっくりと笑った。

 それは、死を楽しむ狂人の笑みだった。

 「近藤君はこの私の胸に湧き上がる『愉快な気持ち』は近藤君には理解できないだろうな……一度も実際の戦場を目にしたことのない君には……おそらく理解できまい……」

「『愉快な気持ち』……ですか……」

 カーンの問いに近藤は口をつぐんだ。

 自分の『第二次遼州戦争』の開戦から敗戦までの経歴が軍の参謀部勤務だということはカーンも十分に承知しているはずだった。

「それならばこの件も含めて少しは前線の地獄と言うものを味わった方がいいのかもしれないな……君は。司令部の『楽観主義的』な空気は、人間の闘争本能をすり減らすものだ。そしてその闘争本能無しには、既存の秩序を変えることは難しい。一方、君は認めたくないようだが、嵯峨君はもし私の情報が確かなら、戦争の『裏側』で常に最前線に身を置いていた人物だ……彼なら私の高揚する気分を説明できるだろう」

 近藤にはカーンの言葉は理解できなかった。

 戦争には表も裏も無い。

 強いものが勝つ。

 そう思っている自分をカーンは憐れむような目で見つめている事実が近藤には許せなかった。

『……私は選ばれた軍人として大本営にいた男だぞ……』
 
 目の前で交響曲に聞き入る老人を見ながら近藤は拳を握りしめた。
 
『あの戦争では、現場で血を流した者たちの悲鳴を、ただ報告書の数字として見ていた。それしか許されなかった。それがどれほどの屈辱だったか、カーンには分かるまい。そして今、また同じことが繰り返されようとしている……。俺はただ『机上の空論』を語るだけの軍人として終わるのか……?前線を知らない安全な後方でぬくぬくと作戦指示だけを出していた男として……』
 
 近藤にはカーンの言葉は理解してはいけない『呪い』の様にしか聞こえなかった。

 それと同時に勝てるはずの戦いに敗れていく最前線の兵士達に感じた負い目と言うものも思い出して近藤はただ黙り込むしかなかった。

「戦争はね、政治なんだよ。中でも嵯峨君は特に『見えない敵』と常に渡り合う必要のある困難な仕事をしていたようだ。君にはそれを知る機会は十分にあったんだ。君は前の大戦でも、そして今でも知ろうとしなかった。……それだけだ」

 近藤はカーンの言葉の意図を図りかねた。

「自分達、『戦争指導者』は決して『楽観主義者』などではありません!」

 ようやく近藤の発した言葉にカーンは静かに首を横に振った。

「そうかな?私から見れば君達はあまりに『楽観的』だ。その『楽観主義』が前の大戦の敗戦を我々に味あわせた。私はそう思っているよ。嵯峨君も、きっと同じことを言うだろう。間違いなく」

 嵯峨と言う名前を口にするたびにカーンは愉快そうに眼を細めた。

 近藤は黙ったまま静かにカーンを見つめている。

 その意思と寛容が混ざり合うような落ち着いた言葉とまなざし。

 言っていることにはそれぞれ反論はあったが、近藤はカーンと言う闘士の怖さを再確認した。

 意思と経験と洞察力。

 そのすべてにおいて自分はカーンの足下にも及ばないことはこの数分で改めて自覚された。

「それでは例の計画を早める必要があるのでは?表面的にはわからないことでもこちらから動いて見せれば馬脚を現すこともありますから。少なくとも読書ばかりで頭の回転の良くない『中佐殿』あたりが暴走してくれれば……いくらでも手は打てますが?それでおとぎ話に言う『法術師』とやらの実力の程がわかれば……」

 そんな近藤の言葉に、カーンは落胆したように視線を外のデブリへと移した。

「いや、それについて君が口を挟む必要は無い。下がりたまえ」

 カーンは強い口調でそう言った。

 その語気に押される様にして近藤は軍人らしく踵を返して部屋を出て行こうとした。

「ですが……」

 再び口を開いたカーンの言葉を聞くべく近藤は振り返る。

「私達の組織とこの艦隊の行動は無関係であると言うことを証明できるのであれば、君達は独自に君がおとぎ話だという『法術師』の実力調査に動いてくれてもかまわないがね……すでにこちらは『下準備』ができているんだ。あとは君の決断次第……まあ自由にしたまえ」

 その一言に、近藤は親が新しいおもちゃを与えられた時のような笑顔を浮かべた。

「わかりました!それでは我々は独自に行動を開始します!」

 呪縛(じゅばく)から解かれたというように近藤は軽快に敬礼をした。

 そのままはじかれたように貴賓室を後にした。

 実直に過ぎる近藤が去って部屋は沈黙に包まれた。

 カーンは再びブランデーグラスを眺めると満足げにうなづいた。

「君は君にしてはよくやったよ、近藤君。あくまで『君にしては』だがね。昔の中国のことわざに『狡兎(こうと)死して走狗(そうく)煮らる』と言うものがある。兎を狩って使い終わった『猟犬』は煮て食われる運命なんだよ、どこでもね。……さて、君達『猟犬』の『肉』にありつくのは私かな?『嵯峨君』かな?……いやいや、第三勢力の『ビックブラザー』の線もあるな……」

 カーンはそう言うとほほ笑みながらブランデーグラスのそこに残った液体を凝視した。

 楽章が変わって始まった楽曲の盛り上がりにあわせる様にして、カーンはブランデーを飲み干した。

 静かにため息をつくとカーンは手元のボタンを押した。

 外の景色を映し出していた窓が光を反射してモニターへと切り替わる。

 そこには冴えない表情の新兵が、いかにも恥ずかしげに映り込んでいる身分証明書の写真と横に説明書きが映し出された。

「『神前誠(しんぜんまこと)』……君は何者なんだね?私は君があの『特殊な部隊』の五人目の覚醒した『法術師』であるという結論にはたどり着きたくない。『秩序の守護者』を自任する私にも望まない結論くらいあるものだ。『無秩序を望む』嵯峨君と言う存在を私は許すことができないんだ。『特殊な部隊』の存在を私は認めることができない」

 カーンはその写真をもう一度見つめた。

 何の変哲もない、冴えない若者が写っている。

「だが、彼の目に浮かぶものは何だ?かつて、私が目にしたことのある者たちと、同じ『光』を宿しているような気がする。……君は、嵯峨君が仕掛ける最後の『切り札』なのか?」
 
 カーンは静かに問いかけた。

 その姿はまるで孫に語り掛けるようにも見えた。

 手元のボタンを押すといくつもの『神前誠』の日常を写した写真が映し出される。

「まあいい。近藤君も新たな『法術師』かもしれない神前誠と言う新兵を『英雄』にする戦いの『噛ませ犬』を志願してくれたことだ。じっくりと見させてもらおう。ちゃんと『法術師対策』の糸口を見つけるための『(おとり)』ぐらいは勤め上げてくれよ。近藤君」

 カーンは近藤の出て行ったドアに目を移した。
 
「嵯峨君とのこのゲーム……私は心の底から楽しんでいるよ。君たち『猟犬』がどんな結末を迎えるのか、じっくりと見させてもらおう」

 
挿絵


 そう言うと、カーンは静かにブランデーを飲み干した。


しおり