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06th.04『別れ』






 何だか騒がしくなってきた。

「……………………」

 トイレを撫で回しながら、トイレ男は部屋の外から聞こえてくる動騒に耳を傾ける。

 すると間も無く部屋の中に入ってくる者が有った。

「再会の時機が遅れた事、謝罪する」

 前衛兵であった。後ろに別の衛兵、トイレ男をここに逃がした奴も付いている。

「……………………」

 トイレ男は返し方が判らなかったので、取り敢えず会釈をする様に頭を下げておいた、

 前衛兵はつかつかとトイレ男が居る方へ歩み寄り、彼が座るソファの向かいに有るソファ⸺右衛兵が座っていた場所に座った。

「無駄な洒落は無用、故に単刀直入に話させていただく」

 何やら真剣な話が始まる様だ。トイレ男はトイレを脇に置き(しかし手は添える)、ゴクリと唾を飲む。

「簡単に言って⸺こちらはそちらを疑っている」

 謂われの無い疑念がトイレ男を襲った。



     ◊◊◊



 まぁ、(ただ)単純に怪し過ぎたというだけだ。

「そちらを完全に信用し切る事ができない」

 前衛兵は事のあらましを軽く説明した上で、そう結論付けた。

 どうやら彼らはトイレ男を逃がした後、案の定戦闘となったらしい。そして、敵が手を向けただけで人を気絶させたり空中に浮かんだりと常識では説明の付かない事をしていたのだとか。それが巡り巡ってトイレ男への疑念へと繋がった訳だ。

「個人的な推測を述べると、そちらは敵の送り込んだスパイではないか、と思っている。事前準備の為のスパイにしてはタイミングが遅過ぎるから、内部から襲撃に最適なタイミングを外部に伝える役目を持った、な。記憶が無いというのはここに入り込む為の嘘だろう。喋れないというのは、それがバレない様にする為の方便か」

「……………………」

 完全に冤罪であった。

「……いやぁ、流石に疑い過ぎでは?」

 前衛兵の背後に立つ衛兵がそう諌言した。

「黙れ」

 前衛兵はそれを一蹴する。

「その便器はなんだ、そちらは術を扱うのにトイレが必要なのか?」

「支部長、言い掛かりです。気が立ってますよ」

「それぐらい解っているさ。あぁ、確かに私は気が立っている。その上で、有り得る推論を彼に打つけているだけだ。……それで、術を扱う為でないのなら、そちらは何故それを持つ? 理由が有るのか? 有るのだろう?」

「……………………」

 トイレ男は無意識に、脇に置いていたトイレを膝の上に戻した。そして紙に書く。

【憶えてません】

「記憶喪失という設定は随分と便利だな。都合の悪い事は全てそれで隠せる」

「……………………」

 トイレ男は記憶喪失だ。これは演技や偽装ではなく、只の純然たる真実だ。

 しかし、前衛兵の方にそれを確認する術は無い。前衛兵からしたら、トイレ男は『記憶喪失です』と自己申告をしているだけであり、それを証明する何かを差し出している訳ではないからだ。

 そしてその何かをトイレ男は持っていないのであった。

「……………………」

「大体、憶えていないのならば何故そんなにそれに執着する。憶えていないのだろう? 何の思い入れも無いのであろう?? ならば、棄ててしまっても問題有るまい。寧ろその方が円滑に事が進むだろう」

「支部長、お言葉が過ぎます」

「えぇい、(うるさ)い。言っただろう、私は気が立っている。それを彼に打つけているに過ぎない事だって承知している。その上でこの態度だ。もういい、お前はこの部屋を出て他の手伝いをしろ」

「お断りします。支部長が、彼に直接手を上げる可能性を否定できないので」

「……………………」

 チッ、と前衛兵は舌打ちした。

「……何故そんなにあちらに肩入れする? 取り込まれたのか?? 怪しい術で」

「支部長、貴方は疑い過ぎです。幾ら相手が常識の範疇の外に居るからって、それは相手が何でもできるという事にはならない筈です。……それに、彼が黒だとすると、露骨過ぎます」

「敵が常識の範疇の外に居るというのなら、こちらが想定し得る事は全て可能であると想定するべきだ。……露骨過ぎで逆に怪しいという事も有ろうよ」

 前衛兵と衛兵が言い争っている。最早トイレ男は蚊帳の外だ。

「それではどこまでも想定を広げなくてはなりません。今回の場合、想定が広くなればなる程に、こちらの取れる手は減っていく事にはお気付きの筈です」

「勿論だとも。だから先ずは不確定要素である彼をどうにかするのだ」

 そこで前衛兵は漸くトイレ男に注意を戻した。

「そちらは認めないのだな? 自分がスパイであると」

「……………………」

【認めた場合、どうなりますか?】

「言う訳無かろう?」

「……………………」

【認めなかった場合は】

「言う訳無かろう?」

「……………………」

「安心してください。認めなかった場合、あんまりにも酷い事をする様であれば私が止めてみせます」

 衛兵がそう、トイレ男を安心させる様に言ってくる。

「……………………」

 トイレ男は少し考えた末、

【認めません】

 そう結論を出した。

「…………フン」

 前衛兵は詰まらなさそうにその字面を見、

「服を含めた持ち物を全て没収し、窓の無い部屋に監禁しろ。没収品も厳重に……いや、そこまでの人手は無いな。袋に入れて私に寄越せ」

 そう衛兵に命令した。

「……………………了解」

 衛兵に取って、これは許容範囲の様だった。

 前衛兵が立ち上がり、挨拶も無しに退室する。それを見届けた衛兵はトイレ男に向き直り、

「では着替えを持ってこさせるので、服を脱いでいてください」

 と言う。彼はその侭ドアの方に歩み寄り、それを少し開けると、その辺に居た衛兵に服を一着持ってくる様に頼んでいた。

「……………………」

 仕方無しに、トイレ男は服を脱いだ。

 下着も脱いで全裸になるも、新しい服はまだ来ていなかったので、脱いだ服を纏めた。畳み方を憶えていないのでぐちゃぐちゃに丸めただけだが。

 軈て衛兵が新しい服を放ってきたので、それを受け取り着用する。衛兵の制服と同じ様な緑色の、しかし一切の装飾の無い簡素な服だった。

 そこにトイレを抱えればトイレ男バージョン2の完成だ。

「あ、トイレも貰いますよ」

「……、…………、……………………、!?!?」

 トイレ男は困惑した。

【没収するのは持ち物だけでは?】

「はい。なのでトイレも貰います」

【これは持ち物ではないです】

「…………、?」

 衛兵が困惑していた。

 トイレ男に取ってトイレは最早自らの一部であった。それを誰かに預けるなんてとんでもない暴挙である。トイレ男に取ってそれは命の核を他人に握らせるに等しい行いなのだ。

「…………えー、服を返すので、それだけでも頂けませんか?」

 そして皮肉な事に、衛兵に取って最も没収するべきであるのがトイレなのであった。トイレ男を擁護しはしたが、それはそれとして怪しいのである。

「……………………(首を横に振る)」

「…………困ったなぁ」

 衛兵は後頭部をポリポリと掻いた。

「どうにかできませんか? こちらも手荒な真似はしたくないのです」

「……………………(首を横に振り、断固拒否徹底抗戦の意を示す様にファイティングポーズを執る)」

「……………………仕方有りませんね」

 衛兵は再びドアの元まで歩き、作業中だった何人かの衛兵を呼び寄せた。

「絶対に壊さない様に、行って」

「っし」
「やるかぁ」
「……何でこんな時にこんな変な奴の相手しないといけないの?」

 トイレ男を羽交い締めにせんと三人の屈強な衛兵達が迫る。

「っ!!!!」

 トイレ男は頑張った。

 しかし虚しく、瞬く間に拘束されてしまった。

「っ、!!」

 『殺せ!』と紙に書きたかったが、片腕を拘束されており、もう片腕でトイレを持っているので難しかった。

「じゃあ、頂きますね」

 そして衛兵が動けないトイレ男からトイレを奪い取る。トイレ男はせめてもの抵抗に身を捩ったが、まるで無駄であった。

「……その侭三階の……いや、もうこの部屋でいいか。彼だけをこの部屋に残して、ここの鍵を閉める」

「解った」

「俺鍵取って来るわ」

 衛兵の一人が拘束役を外れる。拘束の緩んだその隙を突いて脱走を試みたトイレ男であったが、隙は瞬く間に別の衛兵によって塞がれた。「…………」、虚し。

 その後も有りと有らゆる隙を突き捲ったトイレ男だったが、どれも虚しく、結局トイレを衛兵から取り返す事のできぬ侭、部屋に監禁された。

しおり