バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

第39話 宇宙のかなたでの出来事

 遼州星系第二惑星。

 太陽系なら金星に当たる星はここ遼州星系では『甲武星(こうぶせい)』の名で呼ばれていた。

 そこは遼州独立の英雄、田安高家が理想とした伝統に基づく復古主義的方針により、大正期以前の『日本』が再現された国として、他国の人はこの国を『大正ロマンあふれる国』と呼んでいた。

 そんな甲武国軍第六艦隊分岐艦隊旗艦『那珂(なか)』が浮かんでいた。

 その貴賓室の窓の外には、宇宙船の残骸と思われる『デブリ』が浮かんでいた。

 そこは二十年ほど前の『第二次遼州大戦』の古戦場だった。

 『祖国同盟』加盟国の甲武国攻略を目指す遼北人民解放軍を主力とする『連合軍』が甲武国軍との激闘が戦われた宙域である。

 この宙域は長く連合軍の占領下にあったが、甲武国に返還された後も手が加えられずそのままの状態で甲武国海軍の演習場として使用されている。

 深い椅子に腰掛けた老人は、静かに手にしたブランデーグラスを眺めながら、流れる交響曲に身を任せていた。

 その強い意思を象徴するかのような青い瞳は、彼が目の前に広がる光景の生まれた瞬間を幾つとなく見つめてきたことを示していた。

 そして、その満足げな表情は残骸と廃墟の中で生きることを決意した意思表示のようにも見えた。

 曲は佳境に入り、ティンパニーの低音がブランデーグラスの中の液体をかすかに震わせた。

「閣下。近藤です」

 管楽器の雄叫びが始まろうとしたその瞬間、音楽をさえぎるようにスピーカーから低い声が響いた。

 老人は眉をしかめながら吐き捨てるようにつぶやいた。

「入りたまえ」

 彼は外の胡州帝国軍の駆逐艦の残骸に眠る天上の都にたどり着いたであろう兵士達との語らいを中座させられて、不機嫌になっていた。

 だが老人はそのことで相手を責めるほど狭量な男ではなかった。

 貴賓室の自動ドアが開くと、甲武国海軍中佐の制服を着た、近藤と名乗った神経質そうな、丸刈りの中年の男が部屋の中に入ってきた。

 彼はあの嵯峨が持っていた写真の男だった。

 彼は不愉快そうな老人の様子を気にするわけでもなく、言葉を切り出すタイミングを計っていた。

 ここで無遠慮に実務的な話をしてくるような人間ならば、老人はとっくの昔に近藤に愛想を尽かしていただろう。

 だが、静かに老人の気持ちの整理がつくのを待つ程度の礼儀を近藤は心得ていた。

「近藤君。この曲が何か分かるかね?」

 高らかな管楽器の雄叫びに合わせるように管楽器の高音がその存在を明らかにするような調子で旋律を奏で始める。

 老人はこの部分に至る過程に闖入者があったことは残念に思ってはいたが、手にしたグラスを傾けることでそんな気持ちをどうにか落ち着けるすべを心得ていた。

 そして老人は曲に合わせるように目を閉じる。

「クラッシックですね……私はクラッシックは『ワーグナー』ぐらいしか聞かないもので……閣下に比べると不勉強なもので申し訳ございません」

 老人は再び目を開き近藤と言う甲武国海軍の士官を見つめた。

 正直であることが、美徳であるということは、老人の七十年近い人生で学び取った1つの価値観だった。

 理論を語る者、特に軍の参謀を務めるものは、正直であるべきだと老人は経験から理解していた。

 希望的観測で上官の機嫌を取り繕う虚構の夢想家が、どれほどの敗北を老人に味あわせたかを数えて語り始めれば、その語りの道連れにはグラス一杯のブランデーでは足りない。
 
 近藤はごくりと唾を飲み込んだ。

 ルドルフ・カーンは何も言わず、ただ静かにグラスを傾けた。

 それだけなのに、心臓を握られたような感覚がした。

 まるで、自分の全てが見透かされているような気がする。

 いや、もしかしたら本当に見抜かれているのかもしれない。
 
「……あの、閣下?」

 返事がない。だが、確かに感じる。

 この静寂こそが、彼の「尋問」なのだと。

 
挿絵


 あの数千万の非アーリア人や共産主義者や民主主義者が味わったゲルパルトが誇った『秘密警察』の尋問術の最たるものを今自分が味わっているのだと近藤は確信した。
 
 老人は静かに口を開いた。

「リヒャルト・シュトラウスだ。『ツァラトストラはかく語りき』だよ、憶えておきたまえ。教養は人の大小を左右する重要な要素だ。君も少しは勉強が必要のようだね」

 閣下と呼ばれた老人は静かにブランデーグラスに口をつけた。

 老人の機嫌が直ったことに少し安堵した近藤は流れる交響曲に耳を傾けた。

 かつての老人のルーツにも当たるドイツで生まれた一人の哲学者と、その思想を音楽にするという試みを行った音楽家に敬意を表するように近藤はしばらく沈黙した。

 そして老人がブランデーグラスを紫檀(したん)の組細工をあしらった貴賓室の執務机に置いたのを確認して話を切り出した。

「例の報告書は読んでいただけましたでしょうか?」

 近藤はそう一言一言確かめるように言った。

 老人の目に生気の炎のようなものを近藤は感じた。

 悠然と構える老人の名はルドルフ・カーンと言った。

 遼州系第四惑星系を領土とする大国『ゲルパルト連邦共和国』。先の大戦の敗北まで『ゲルパルト帝国』と名乗っていた軍事大国の秘密警察のトップを務めた男だった。

 彼は地球圏各国政府や遼北人民共和国の特殊警察が血眼になって探している先の大戦の『第一級戦争犯罪者』である。

 その屈強な意思は遼州外惑星の大国であり先の『第二次遼州戦争』で地球圏に反旗を翻したゲルパルトを追われた同志達を、敗戦後二十年にわたり指導している人物ならではの力を持っていた。

「ああ読ませてもらったよ」

 それだけ言うとカーンは近藤を試すような沈黙を作り出した。

 数多くの敵対危険分子の拷問に立ち会ったことのあるカーンにとって、聞きたいことを尋ねるより、沈黙することの方が人に真実を語らせる鍵になることをわかっていた。

 カーンに黙って見つめられて、近藤は額に汗がにじむのを感じていた。

 カーンは静かにブランデーグラスを眺めていた。

「ところで、君は敵に対する敬意と言うものを持っているのかね?あの報告書の内容はいい。ただ、もしそういうものが君に少しでもあったのなら、あの『身勝手な推測と予測』に裏付けられた報告書を私の目に触れさせる様なことはしなかったと思うね。『法術師』を少し見くびりすぎだ」

 カーンは冷たくそう言って近藤を突き放した。

「しかし閣下。わが国には『法術師』のデータが不足しています!甲武国にも数少ない遼州からの移民の中に稀に『法術師』がいるのは確かで、軍は調査の依頼を政府にしているのですが……」

「身分制度があり、地球の日本の高貴な血筋の持ち主には国を統治する権利がある。その国是が『法術師』に関しては悪く働いているね。地球人は遼州人より優れたものでなければ平民の遼州移民達を支配することができない。時折起きる『人体発火事故』で『法術師』の中に発火能力者、『パイロキネシスト』がいることは分かっているが、甲武ではそれも原因不明の事故として無かったことにされている。困ったものだ」

 そう言って老人はブランデーを口に含んだ。

「『パイロキネシスト』の利用方法については西モスレム諜報部の対遼帝国工作班の方が詳しいだろうね。人体発火は人間の水分をすべて使って水蒸気爆発を起こさせることができる。君達、甲武軍人の『護国の軍神』特攻隊員達の行った自爆攻撃を素手で行うことができるんだ。西モスレムの反同盟主義者が仕切っている対遼帝国工作班は遼帝国西部のイスラム化のために効果的にこの原始的な自爆攻撃を使っている……まあ、君たち甲武軍人にはその程度の知識も無い訳だ……『法術』に関してはゲリラ以下の知識しかない正規軍……遼州独立時の地球軍から何1つ進歩していないとは悲しいことだ」

 皮肉めいた老人の言葉に近藤は口を真一文字に結んだ。

「報告書とはすべてありのままの事実を報告するから『報告書』と呼ばれるのだよ。推論と決めつけだけで書いていいのなら、それはタブレット紙の見出し記事と同じ価値しかない。まあ君の情報網がそれどまりなら話はわかるが。私の情報網が捕らえたCIAの工作員が吐いた『法術師』の『素質』の多様性はこの報告書では説明がつかない。いや、一工作員の知りうる『法術師』の素質なんてたかがしれている。私が望んだのはアメリカ政府や東和共和国政府が握っているであろう『法術師』の可能性に少しでも近いものが記された報告書だ。それでなければ無意味だよ」

 そのカーンの否定にまみれた言葉を聞くと、思わず近藤は額の汗を拭っていた。

 手にした情報の価値を過小評価されたという事実が彼の語気を激しいものとした。

「ですがカーン閣下!現状として我々があの情報統制に優れた『東和共和国』内で表立って我等と同志達が動ける範囲といえば……悔しい話ですがかなり限られています!その中でできる限りのことを調べ上げたつもりです!それに『法術師』などは多少脳波に異常がある遼州人程度のモノです!何するものでもありません!軍人は銃と剣で戦ってこそ軍人です!発火能力などテロリストに独占させておけばいいんです!」

 近藤は机に両手を突いて叫んだ。

 だが、カーンは表情を1つ変えることもなく、ただ感情的になった近藤をはぐらかすように再びブランデーグラスを手にした。

「言い訳は生産的とは言えないな。情報統制に関していえば向こうには、東都共和国の『切り札』の『公安機動部隊』と言う存在がある。まあ、君のような『金集めが得意なだけ』の軍人は見過ごしてしまうものかもしれないがね……まあ戦争に資金が必要なのは事実だが……情報はそれ以上に重要なんだ。そこのところを私は君に理解してほしいんだ……『ビッグブラザー』……君もその存在は知っているだろ?」

 近藤は表情を変えることが出来なかった。あっさりと自分を『金集めが得意なだけ』と斬って捨てる老人の残酷さにおびえていた。
 
「『公安機動部隊』……確かに、同盟機構にその名があることは事実です。しかし、閣下。その全員が軍用義体のサイボーグばかりで構成された部隊を同盟機構の少ない予算で維持するなど不可能な話です。噂では、彼らは遼州の全ての情報を握り、時には国家をも動かす存在だと囁かれていますが……そんなものが実在するなんて、バカげています」
 
 近藤は必死にそう言った。
 
 だが、カーンの視線は変わらなかった。
 
「そうか?君がそう言うなら君の中ではそうなんだろうね」
 
 その一言が、近藤の背筋を冷たくした。

「では、なぜ甲武国の諜報部は東和での活動に制限を加えているのかね?その理由を私にも納得が出来るような形で説明してくれないか?」
 
「……っ!」

 近藤も大本営勤務の際、東和共和国への諜報活動に上官達が怯えていた事実を思い出した。

 その事実を思い返すと言葉がなかった。
 
「話を戻しますが『ビッグブラザー』の存在は知っていますがそんなものは『東和共和国』の国是である一国平和主義の道具でしかありません!嵯峨と言う男が東和共和国の『公安』を味方につけているというのは、あくまで噂です!あの男が時に『時代を読み切った』ような手を打つのは偶然です!それは嵯峨と言う男が作り出した『虚像』だと私は判断しました!」

「そうか?なら、そうしておこう。それが『虚像』なら、この報告書には矛盾が無いと読める。まあ、読むまでもなく、『結論』ありきで書いてあるから、この報告書に『矛盾』が無いのは当然だな」

 そう言ってカーンは静かにグラスをテーブルに置いた。

しおり