バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

第38話 ファーストミッション

「やってるな!」

 『ちっちゃくて偉大なる中佐殿』と呼ばれているクバルカ・ラン中佐は笑顔で部隊の広すぎるグラウンドを眺めていた。

 今日も神前誠曹長の一日はランニングから始まる。

 他の司法局実働部隊の隊員は一応ジャージに着替えて誠が走る様を眺めているが、彼に付きあってまじめに走るのは、誠と同じようにこの『特殊な部隊』になじめずにいるこの部隊唯一の真人間のパーラ・ラビロフ中尉くらいだった。

 他の隊員達はいつものように疾走する二人の後ろをめんどくさそうに歩いている。

 しかし、『特殊な部隊』ではそれはいつもの光景だった。

「まじめだねえ……」

 ジャージに着替えてすらいない誠の上官に当たる西園寺かなめ中尉は、のんびりとその光景を眺めていた。

 「あー、暑いなぁ」
 
 かなめはジャージに着替えもせず、アイスキャンディーを口にくわえていた。

「西園寺さんは……サイボーグだから走らなくてよくていいですね」
 
 誠が嫌味を込めてたまたますれ違った時にそう言うが、かなめは涼しい顔で返した。
 
「体力消耗はパーツの寿命を縮めるんだよ。つまりアタシは動かない方が金がかからねえの。それとも何か?神前がアタシの義体の予備パーツの金を出してくれるのか?」

 鈍感なかなめには嫌味など逆効果でしかなかった。
 
「払えません……うちは普通の一般家庭なんで」

「だったら黙って走れ!アタシの機嫌を損ねるようなことは言うな!部下としては当然の配慮だ!」

 かなめの理不尽な言動に納得できないまま誠は走り続けた。

「貴様のうちの草野球チームのエースになるんだ。体力は大事だろ?」

 こちらは一応ジャージには着替えている、誠所属の第一小隊小隊長カウラ・ベルガー大尉はいつも通りの仏頂面でタフネスを見せつける誠に目をやっていた。

「神前君!まだ走るの?」

 戦闘用人造人間、『ラスト・バタリオン』であり、一般の女性とは比べ物にならない体力の持ち主であるパーラにしても平気で二十キロを超えるランニングをこなす誠についていくのがやっとだった。

「僕、体力だけが取り柄なんで。大学の陸上部のハーフマラソンとかにも助っ人で呼ばれたこともあったんで」

「……ああ、そうなの。……すごいわね」

 確かに誠はパイロットとしては三流以下だが、かつて高校で硬式野球部に所属していた時には『都立の星』と呼ばれたサウスポーだったので、その運動神経と体力は人並み外れたものがあった。

 一応は剣道場の跡取り息子と言うこともあって護身術ではそれなりの実力もある。

 逆に考えればどうしてそこまで操縦技術が低いのかが全く説明がつかないのが誠と言う存在だった。

「そうだ!まずは体力!次に気配り!そして根性!それがあればあとはどうにでもなる!操縦技術?そんなもん知るか!経験を積めばそんなもん何とかなる!」

 一応、機動部隊の指導教官であるはずのランは高らかにそう言い放った。

 彼女の『体育会系新人教育』の矛先が誠に向けられているおかげで他の隊員は楽ができているので、誰もランの暴言を止めるものはいなかった。

「じゃあ、走りますんで」

 ご機嫌なランの言葉に釈然としないものを抱えながら誠はそう言うしなかった。
 
「……なんで俺はこんなことを……」

 走りながら、誠は小声でそう言った。

 誠は自分の決断を後悔し始めていた。

 どこまでも続くグラウンド。汗が目に入り、息が上がる。

「神前!良い走りだな!まだまだ行けるぞ!」

 ランは満面の笑みでそう叫んだ。
 
「いや、普通に考えてパイロットの訓練ってこういうもんじゃないよな?」

 だが、彼の疑問は誰も聞いてくれなかった。

「じゃあパーラ。アタシは隊長に呼ばれてっから。神前がさぼろうとしたらどつけ……殴っても蹴ってもいいぞ」

 ランはその小学校三年生ぐらいのかわいらしい姿から想像できないような物騒な言葉を吐いた。

「私は嫌ですよ!パワハラなんて!」

 ちっちゃな上司の過激な言葉に冷や汗をかきながらパーラは水色の髪をかき上げて笑っていた。


 
 実働部隊、隊長室。

 相変わらずの四十六歳バツイチには見えない若すぎる『駄目人間』、嵯峨惟基特務大佐が、隊長室でぼんやりと風俗情報誌を読んでいた。

 同じく、やけに迫力のある八歳女児にしか見えない『中佐殿』、クバルカ・ラン中佐は黙って立っていた。

「おい、ちっちゃいの。俺はいつ、神前を立派な『陸上選手』にしてくれって言った?あんなに走らせたら……そのうち潰れちゃうぞ」

 嵯峨は相変わらずぼんやりと紙面の裸の女性のグラビアを見ながらそう言った。

「ずっと走ってりゃ、この前みたいにうちから出て行こうなんてつまんねえこと考えられねーだろ?それにうちに居つくように逃げ道を潰せって、アイツが来る前にアタシにそう言ったな?隊長は」

 まるで自分の誠へのしごきを『褒めてくれ』と言わんばかりの大きな態度でランはそう言い放つ。

「逆効果だよ……疲れた果てに精神を病んで首でも吊られたら気持ち悪いでしょ?神前の逃げ道を潰す方はな、俺が各方面にねじ込んで『法的』な方法で色々やっといたから」

 嵯峨はさらりと恐ろしいことを言った。

 そして、手元の小さなバッジをランに見えるように差し出した。

 それは東和共和国では『弁護士バッジ』と呼ばれるものだった。

 それの意味するところは、嵯峨がこの国の『弁護士資格』を持っていて、法律関係のスペシャリストであることを意味していた。

「だからさあ、『中佐殿』。お前さんは神前を『普通に教育』してやればいいの。『特殊な教育』は要らないの。うちはただでさえ『特殊な馬鹿』の集団だと思われてるんだから……これ以上俺に手間をかけさせんなよ……本当に神前の野郎は精神はともかく体力的に潰れるぞ?このままじゃ」

 相変わらず嵯峨はランとは目を合わせずに、雑誌を読んでいる。

「大丈夫だ、神前はタフだからな。あのくらいのしごきは屁でもねえ!それに社会人の駅伝選手は毎日もっと走ってんぞ。それに比べたら手ぬるいくらいだ」

 反省の色の全く見えないランを嵯峨が見つめる。

 そこには落胆の色が見えた。

「それはその人達が『駅伝選手』として社会人チームを持ってる会社に入ったからでしょ?それがお仕事なんだからそっちはそっちでいいの。今の世の中、無茶苦茶走らせるのは『しごき』って言って労働基準監督署なんかがパワハラ認定してくるの。二十世紀末の『体育会系社会』には似たようなのあったのは事実だけどさ。違うでしょ、普通」

 ランは完全に無視を決め込んだかのように視線を嵯峨の緊張感の感じさせない瞳に向ける。

「ランよ。確かに、いつでもどこでも生き物の歴史には『そんな組織』ばっかりなのは事実だけど、ちょっと違うじゃん。生きていれば『そういう組織』に入らない方が難しいなんて、普通の人は知らなくていいの。社会を知らない『おめでたい人』と、見て見ぬ振りができる『残酷な賢い人』も、世の中『そういう組織』ばっかりなのは、察してるよ」

 嵯峨は『法律家』らしく、あいまいな断定回避ワードを駆使してそう言った。

 そして大きくため息をつき、別の『下世話な大人の情報誌』に手を伸ばした。

「神前も馬鹿だよな。少しかなめが良いこと言ったらコロッと辞めるのやめるって……あそこで逃げてりゃ辛い思いをしなくて済んだのに。まあ、俺には奴に残ってくれた方が都合がいいのは事実だけど」

 タバコをマックスコーヒーのロング缶に置いた嵯峨は、ランの存在を無視したようにスルメを口に運ぶ。

「隊長は嬉しいんだろ?本当は。これで隊長の『敵』との戦いの手駒が1つ増えた。良いことじゃねーか」

 ランはそう言ってニヤリと笑った。

「誠の奴は純粋すぎるよ。若いんだな。それに比べて、俺達……ちょっとひどい大人だったかな?」

 そして嵯峨は手元の袋から取り出したスルメを噛みながら、静かに視線を机に落とす。

「かもな」

 ランも少しは自覚があるようで静かに頭を掻いた。

「『中佐殿』。ちょっと、頼みたいことがあるんだ」

 そこまで言うと、嵯峨は読んでいた雑誌を机に置き、オートレースの予想新聞の下から一枚の写真を取り出した。

 そして、嵯峨は軍人風の丸刈りの東洋人の写真をランの前に置いた。

「なんだよ……この軍服。『甲武国(こうぶこく)』の『海軍軍人』……それも『エリート』だな。(つら)で分かるよ。その野郎をどうしろってんだ……」

 
挿絵


 ランの視線の先で嵯峨は静かに目を閉じる。

「ちょっと、『殺生(せっしょう)』をしてくれ。『社会的』に消してくれ。『生物学的』には興味がねえから。俺」

 そう言うと嵯峨は静かに雑誌を閉じた。

「『殺生』とは穏やかな話じゃねーな」

「まあな……軍事警察ってのはどうしてもそう言うことをすることになるんだ。嫌になるよ」

 そう言って嵯峨が静かに頷くのを見てランは静かに辺りを見回した。

「地球圏のどこかが仕掛けてそうな盗聴器の件だろ?たぶんあるんじゃないの?連中の優秀さは前の大戦で対峙した俺には嫌ってほどわかるよ。でも聞きたい奴は聞けばいいさ。そいつを仕掛けた地球圏の連中にもそれを利用して情報を収集するさらに一枚上手の『ビッグブラザー』にも関心の無い話だから。その『ビッグブラザー』からの情報のおこぼれにあずかってる遼州圏の諜報機関の連中には関心のある話かもしれないがね。でも、所詮連中は『社会的』には人間扱いされてるだけの『有機物』だもん。俺みたいに『脳味噌』が入ってる『人間』の言葉なんざ……分からねえよ」

「その言い草、人を見下しているようで嫌いだね」

 ランはそう言って苦笑いを浮かべた。

「なあに、人の思い込みのもたらす|業《ごう》って奴さ。あと、いつも俺達を嗅ぎまわってる『廃帝』の方は今回は動いている気配はない……今のところだけどな。『ビッグプラザー』はすべて分かったうえでガン無視だ。当然だろうな、東和共和国『だけ』の平和と言う奴の目的とは関係のある話じゃねえから」

 茶を片手に嵯峨はスルメをかじった。

「この写真の男を社会的に抹殺する中で神前が『廃帝』対策のために、俺達と同じ『法術師』として『素質』を開花させるのが俺の本当の目的なんだ。この男のことは、正直、どうでもいい。たんなる『廃帝』と『ビッグブラザー』との戦いの『狼煙(のろし)』くらいの意味しかねえから」

 沈黙が続く。

「なあに、こいつが『エリート』過ぎて……『甲武』の貴族至上主義過激派の『官派(かんぱ)』をあおって『クーデター』とか言うのするとかしないとか。そうすると色々面倒なんで消えてほしいというだけの話。遼州同盟の偉い人の多数決の結果、そう決めたわけ」

 その街並みや雰囲気から『大正ロマンあふれる国』ともいわれる『甲武国』。

 だが、その下にマグマのごとく軍部や官僚を中心とする貴族主義者の集団である『官派』と、現在政権にある民衆を支持基盤とする『民派』の対立があることはランも知っていた。

「『クーデター』か……『廃帝』がお気に入りの甲武国陸軍は動かねーのか?」

 ランは男の写真を手に取るとそう言った。

「今回は陸軍の『官派』は置き去り。俺のところに話が来た段階ではの話だけどね。まあこの男がなんか動くと呼応して動き出すのは目に見えてるがね……まあつまんねえ話だろ?」

 嵯峨はそういうと大きな隊長の椅子の上で大きく伸びをする。

「お耳障りは勘弁ね『中佐殿』。『甲武国』は俺の育った国だ。俺が一人で処理できれば文句はねえわな。それこそ今は無き『遼南共和国』出身の『中佐殿』の手を煩わすのはどうもねえ……いずれ奴が事を起こした暁には司法局実働部隊にも正式に指示が出るはず……命令書の『書式』は知らねえけど」

 そう言うと嵯峨は静かにタバコをふかして再び通俗雑誌に手を伸ばした。

「……以上。お話は終了。ご拝聴ありがとう!自称『善人』の『人間以下の糞虫』さん!」

 嵯峨はわざとらしく大声を張り上げてそう言った。

 その視線は、その言葉とは無関係にグラビアに張り付いていた。

「隊長も好きだねー」

 ニヤニヤ笑っている嵯峨の顔を見てランは心底呆れたようにため息をついた。


しおり