第37話 流されて覚悟を決めさせられた誠
誠は一人、休日に一度来ただけの豊川の駅のターミナルで不安げな表情を浮かべて一人たたずんでいた。
真夏の午後の空気は彼の首の周りにまとわりついて汗を染みださせる。
「もう二度と来ないだろうな……この駅には……僕は決めたんだ。僕は除隊する。英雄なんて真っ平だ」
そう言って高架になっている駅舎の階段に近づいていく。
そんな誠の背後でバイクの轟音とクラクションの音が響いた。
歩行者は多いもののあまり車を見かけない豊川駅のロータリーに響く聞き慣れない爆音に誠は驚いて振り返った。
「西園寺さん……」
そこにはビッグスクーターにまたがったかなめの姿があった。
誠の歩いていた歩道の脇にスクーターを停めると、素早くそれから降りてヘルメットを外した。
その表情は厳しく、気弱な誠を怯ませるには十分なものだった。
「神前!止まれよ!」
かなめは一言叫ぶとそのまま誠に向かって急ぎ足で歩み寄り、誠の襟首をつかんだ。

殺気を込めた視線で誠をにらみ付けてくるかなめの視線を見ると、誠は黙ったまま顔を逸らした。
「おい!返事をしろ!アタシの顔を見ろ!この薄情者!」
かなめは前進にまとった怒りを誠に叩きつけるようにそう叫んだ。
誠はとりあえず自分の襟首をつかんでいるかなめの手を振りほどくと、身なりを整えながらかなめの鋭い視線と目を合わせた。
「脅したって無駄ですよ。僕はもう決めたんです。僕は除隊して実家に帰ります。西園寺さん。僕はもう『特殊な部隊』とは関係のない人間なんですよ」
少しひねくれたようにそう言った誠はそのまままっすぐなかなめの視線から目を逸らした。
「関係ないだと? ふざけたことを言いやがって!オメエはアタシの部下!アタシがそう決めた!だから辞めるなんて認めねえ!『僕は決めた』だ?そんな権限はオメエにはねえ!部下は上官の指示に従う。それが軍の常識だ!」
激しく情熱的に、かなめはそう言うと誠の襟首をつかんでバイクへと引きずっていった。
「何をするんですか!離してください!僕は帰るんです!」
強い力で誠を引きずっていくかなめに抵抗する誠だが、野球で鍛えたその腕力をもってしてもサイボーグのかなめに勝てるわけも無かった。
「1回ひどい目見たからって臆病風に吹かれやがって!そのたるんだ根性を叩きなおしてやる。アタシと一緒に本部に来い!」
そう言い放つとスクーターの椅子を持ち上げて中からヘルメットを取り出し誠に投げてくる。
「僕はもう西園寺さんとは関係無い人間です。無茶は止めてください」
投げつけられたヘルメットを返そうと誠の胸倉をつかんでいるかなめの右手にヘルメットを押し付けた。
そんな誠を見てかなめはひとたび彼から手を離し大きくため息をついた。
かなめは自分の感情を抑えきれないというように頭を掻きむしると、意を決した表情を浮かべて再び誠の制服の襟首をつかんだ。
「そんなオメエの決めたことなんてアタシには関係ないね!アタシは自由人だ。そしてアタシは今でもオメエの上官だ。アタシが決めたらオメエは黙ってついてくればいいんだよ!」
誠の手から手荷物を奪い取ったかなめはそのままそれをスクーターのシートの下に押し込む。
「そんな無茶苦茶な……まるで理屈が通って無いじゃないですか」
かなめが現れた時から誠は彼女が自分を連れ戻しに来たことは分かっていた。
そして自分の理系脳では強引な彼女を説得できないことも知っていた。
誠はとりあえずは彼女の押しに負けてそのままスクーターにまたがったかなめの後部座席に乗った。
今はかなめの気の済むようにするしかない。
そして話をして誠の情けないところと決意の強さを知れば、いくら強引な彼女でもあきらめるに違いない。
誠はそう思うとかなめの細い腰にしがみついてスクーターの発進に備えた。
「行くぞ」
かなめはそう言うとスクーターを急発進させた。
誠はかなめの強引さにとりあえず合わせるようにして彼女にしがみついてスクーターの後部座席で黙り込んだ。
「神前。無茶な女だと思ってるだろ?済まねえが……こういう
かなめは、自分でも理由の分からない焦りを感じながら、かなめの細い腰にしがみつく誠の腕を叩いた。
「オメエがいなきゃ……何かが変わっちまう気がする……アタシの勘だ。それが勝手な言い分なのは分かっちゃいるが今アタシに言えることはそれだけだ」
どこか悲しげにそう言うかなめの言葉を誠は黙り込んだままで聞き流した。
「無茶苦茶ですよ……」
そう言いながらも誠は反抗できない自分の弱さにため息をついた。
「オメエに話があるんだ……きっとオメエの気が変わる話だ。機械好きのオメエならきっと気が変わる……きっとな」
かなめは自信ありげにそう言うとスクーターを加速させた。
かなめのスクーターはそのまま国道を司法局実働部隊の隊舎に乗り入れた。
そこで強引に誠をスクーターから引きずり下ろしたかなめはそのまま足をシュツルム・パンツァーが置かれている格納庫に向けた。
「やっぱり連れ戻して来たんすね、西園寺さん。さすがですよ」
本部のシュツルム・パンツァーハンガーには相変わらず三機のシュツルム・パンツァー05式が固定されていた。強引に連れてこられたことに何か一言でも口を挟もうと思っていた誠の前で整列していた整備班員の前に立っていた島田がそう言って笑った。
「オメエの好きなメカだぞ。理系大学での技術屋なら胸が躍らないか?」
かなめは先ほどまでの殺気を消してにこやかに笑うと、憮然とした表情の誠に向けてそう言った。
「別に……僕が好きとか嫌いとかもうどうでもいいじゃないですか。もう僕には関係の無い話です」
不服そうに誠はそう言った。
かなめに無理やり腕を引っ張られてきた誠は右腕のしびれを気にしながらオリーブドラブの東和陸軍標準色のカウラの機体を見上げた。
「カウラさんの機体なら神前でもなんとか動かせますよ……姐御のにはシートがちっちゃくて乗れねえし、西園寺さんのは脳と直接リンクするデバイスが必要なんで生身じゃ乗れませんけど」
島田は感慨深げに05式を見上げた。
「カウラは元々自分の機体を自分の専用機って思ってないからな……乗ってみるか?実際に」
にこやかに笑いながらかなめは誠唐突にそう言った。
「え?良いんですか?クバルカ中佐の許可とか必要なんじゃ無いですか?」
かなめの提案に誠は少しばかり心を動かされた。
確かに誠にはここに来てからシミュレータのコックピットに腰かけたことはあったが、実機に乗った経験は無かった。
島田はニヤニヤ笑いながらかなめに目を向ける。
かなめはわざとらしく咳ばらいをした。
「叔父貴に許可は取ってある。この機会を逃したら一生シュツルム・パンツァーのコックピットに乗る機会なんて無いぞ」
「そうだぞ!巨大ロボは漢のロマンだ」
二人の雑談を聞きながら誠は目の前の鉄の巨人を見上げた。
決して量産されることの無い失敗作『05式』。
しかし、その重シュツルム・パンツァーならではの重厚なフォルムが誠の心を動かしているのは確かだった。
「これと同じ機体が来るんですね……僕が乗るはずだった機体……」
辞めるのはコックピットを覗いてからでもできる。
意思の弱い誠は抑えきれない好奇心からそう口走っていた。
「なるんだよ!これはオメエの機体だ!アタシが決めた!オメエはうちに必要な人間だ!人から言われなきゃそんな当たり前のことも分からねえのか!この馬鹿野郎!」
「それは西園寺さんの権限じゃ無いでしょ?それにこの『05式電子戦特化型』は専門の訓練を受けたパイロットじゃなきゃ扱えませんよ。そんなパイロットうちにはカウラさんしかいません!」
明らかに一人突っ走っているかなめに島田が茶々を入れる。
『僕は必要な人間……そんなことを言われたのは産まれて初めてだ……僕は必要なのか……この『特殊な部隊』には……』
誠は恐る恐るそのままコックピットに上がるエレベータに乗り込んだ。
同乗したかなめがそれを操作してコックピットのところまで上がった。
「凄いだろ?燃えてくるだろ?」
かなめの口調はいつものどこかひねくれたものとは違って物凄く素直なモノだった。
「燃えるってのは……そこまで熱くなる|質《たち》じゃ無いです。でも凄いのは確かです。開きます?コックピット」
「ちょっと待てよ……島田!」
「分かってますよ」
島田がカウラの05式の足元にいる技術部員に目配せするとコックピットのロックが解除された。
「メカですね……」
誠はそう言いながら分厚いコックピットの分厚い装甲板の間に開いた隙間に体を押んだ。
「全天周囲モニター……シミュレーターと同じ構造なんですね」
狭苦しいコックピットに大柄な体を押し込みながら誠はその中を見回した。
「決まってんだろ。それじゃなきゃ訓練の意味ねえだろうが!うちのシミュレータは05式のコックピットを完全に再現している」
思わず出た誠のため息にかなめは上機嫌でそう言った。
「こいつはさっき島田が言ってたように『05式特戦甲型電子戦仕様』って奴だ。カウラは小隊長だから通信機能が充実した機体に乗ってるわけだ。しかも、指向性ECMよる電子戦装備のおかげでこいつのECMの直撃を食らえばシステムにマニュアル要素の無い機体は即スクラップだ……」
かなめの言葉を聞きながら誠はレバーや操作盤を眺めた。
以前誠が使ったシミュレータに有った見たことのない装置の代わりに電子戦関連の物と思われるモニターとレバーが並んでいる。
「東和のお家芸の『電子戦』ですか……この機体は同盟司法局の持ち物じゃないんですか?よく東和宇宙軍が配備を許可しましたね」
誠は少し嫌味を込めてそう言ってみた。
「うちは『軍事警察機構』なんだ。警察任務に必要なら東和に断る理由はねえよ。第一、東和の国是は『中立不可侵』だ。その理想と合うんなら悪魔にだって技術を売り渡すだろうな」
そう言ってかなめは満面の笑みを浮かべた。
「どうだ?気に入ったか?これの『法術師専用型』がオメーの機体になる」
誠は突然背後から声をかけられて驚いて振り返った。
そこには嵯峨とランが立っていた。
「別にいいんだぜ。うちを出て行っても。それもまた人生さ。お前さんの乗るはずだった機体には俺が乗れば済むことだ。実は俺も『法術師』なんだ。『素質』はお前さんほどでは無いがな」
嵯峨はそう言うとそのまま巨人の足元に歩いていった。
「それじゃあ困るんじゃないですか?あの、『廃帝ハド』とか言う悪い奴を倒すのに」
誠はそう言うが嵯峨は誠を一瞥しただけでその足元を撫で続けていた。
「うちの戦術のパターンは減るが。仕方ねーだろうな。他に適当なパイロットも来ねーだろうから……それに『廃帝ハド』が悪い奴かどうかは分かんねーだろ?」
ランは少しうつむきながらそう言った。
「でも『力あるものの支配する世界』っておかしくないですか?そのために『厄災』が起きるんでしょ?それを防ぐ手段が減るなんて……」
誠はランの言葉にそう言って抵抗して見せた。
「『厄災』が起きるかどうかは別として……。どんな世の中でも実力のある人間が上に立つのは当然の話だ。奴は『力が有るのに虐げられている遼州人』に希望を与えることになる……まあ、結果として力の無い地球人がどーなるかは奴が天下を取ってから決まる話だろうがな。それ自体が『厄災』と言えば『厄災』か」
頭を掻きながら答えるランに誠は黙って頷いた。
そんな二人の間に嵯峨が割って入った。
「俺は思うんだ……力はね、責任なの」
「責任?」
誠は嵯峨の言葉の意味も分からずオウム返しで言葉を繰り返した。
「隊長の言うことも一理ある。アタシには力があるが力の使い方を間違えていた。それを隊長が正してくれた。そん時の恩は一生かかっても返せねー」
ランは嵯峨の言葉に同調するようにそう付け加えた。
「そう、責任。力があってそれを生かそうと思ったらその力に責任を持って正しく使わなきゃいけないんだよ。あれだ、神前よ。お前さんは自動車免許持ってんだろ?」
「ええ、まあ」
突然話を振られた誠はあいまいにそう答えた。
「免許を持ったら道路交通法に従わなきゃならない。事故を起こしたら罪に問われる。それが力と責任の関係だね……俺達、遼州人の持つ力もそうだと思うんだ……力は権利じゃない、それを乱用する人間は罰せられなければならない……俺は昔憲兵だった」
「憲兵?」
東和共和国軍には憲兵隊と言うものは無い。
むしろ憲兵隊の存在する嵯峨の出身国である甲武国の憲兵隊の不条理を一般人に押し付けて平気で虐殺を行う行為はよく東和と甲武の政治問題に発展することもあった。
「憲兵隊は武器も持たない庶民を武力で支配する。しかし、その武力の背景に正義が無いとただの『暴力機械』でしかない。俺はそのことを身に染みて知っている。だから力には責任を伴うことは嫌と言うほど知ってるんだ……なんだ?その顔は?憲兵隊の事を知りたいって面だな。それはお前さんにはまだ早いよ……あれは力を行使する側もされる側もどっちにとっても地獄の世界でしかないんだ」
そうはっきりと言った嵯峨の瞳はいつものたるみ切ったそれとはまるで違う鋭さを帯びていた。
「じゃあ、僕が残れば……」
誠は自分専用の機体を目にして少し心を動かされていた。
「そりゃあ歓迎するさ。お前さんが最後のうちの希望だなあ。うちの『特殊な部隊』っていう汚名を返上する機会をくれる救世主になるかもしれないねえ」
それとない嵯峨の言葉に誠の心の中で何かがはじける音がした。
「僕は……残ります! この『特殊な部隊』に!」
誠の叫び声を聞くと嵯峨は少し困ったような顔をした。
「本当にいいの?色々面倒なことさせられるし……場合によっては『人殺し』をするかもしれないんだよ」
「人殺し?」
嵯峨の言葉に誠はひるんだ。
先日拉致されたときの死体の姿を思い出し、自分のやることが暴力に対する暴力の応酬だということに気づいた。
「そうだ。こいつは兵器なんだよ。兵器は人を殺してなんぼ。だから、こいつを動かすってことは、最悪人が死ぬ……それでもいいのか?その覚悟はあるのか?」
嵯峨は珍しく真面目な調子でそう言った。
いつもの『駄目人間』ではない、『大人の男』の顔がそこにあった。
そしてその『大人の男』の顔を見て、誠はもう一度ここに残るかどうかの判断を迫られた。
『でも、本当にこれでいいのか?たった今まで、『英雄なんて真っ平だ』と思っていたのに?本当に僕に人を殺す覚悟があるのか?……でも、もし僕が戦わなかったら、誰かが代わりに戦うことになる。それが誰かの命を奪う結果になったら?……僕は、それを受け入れられるのか?人殺しを僕以外の人間がする……しかも僕が逃げたせいで……その負い目を一生負って生きていく……そんな人生……僕は御免だ』
「それで……平和が守れるなら。『廃帝』の『厄災』を防ぐことができるなら」
誠の心はいつの間にか決まっていた。
自分には力が有る。それは嵯峨も認めている。
なら力のある誠が戦うしかない。
誠の決意は固かった。
「いいんだな?後悔しても知らないぞ。お前さんの乗り掛かった舟の行く手には嵐が待ち構えている。命の保証も無い。それでも良いのか?」
嵯峨はしっかりとした口調でそう言った。
誠は静かにうなずいた。
「僕以外にできる人間が居ないなら、僕が戦います……隊長の目に狂いは無かったと後でうならせて見せますよ」
誠はそうしてこの特殊な部隊に残ることを決めた。