第35話 納得のいかない事後処理
初めての戦闘に憔悴しきった誠は、いつものカウラの『スカイラインGTR』で本部に帰った。
誠はそのまま休むことも許されずに『特殊な部隊』の隊長室に呼び出された。
隊長室に入った誠は、『駄目人間』である嵯峨の正面にランと並んで立たされた。
嵯峨の机の上には相変わらず風俗情報誌とギャンブル関係と思われる雑誌が恥ずかしげもなく置かれていた。
目の前には自分と大して変わらない年に見えるのに、執拗に『四十六歳、バツイチ』と主張する風俗愛好者である『脳ピンク』のマイペースぶりに誠はただあきれるばかりだった。
嵯峨は、ぎしぎしと音を立てる隊長の椅子に背を預け、頭の後ろで両手を組んで二人を見つめていた。
「神前。突然で悪いけど、今回は、地球圏マフィアに対する薬物密輸容疑に対する東都警察からの依頼による『おとり捜査』ってことで話が付いたから。あそこは前から東和警察にマークされてたからな……親切な俺達がもたもたしてるからかたをつけてやった。そんなところだ」
唐突な嵯峨の言葉に誠は言葉を失った。
あれは『おとり捜査』などでは無く明らかに自分を狙った拉致事件としか誠には認識できなかった。
「まー、落としどころとしてはそんなもんじゃねーかな?アタシとしてもその方が色々と都合がいーわな」
ランは嵯峨の決定をさもそうなることを望んでいるかのようにそう言った。
二人の上司のまるで打ち合わせていたかのような会話に誠は握った利き手の左手に力を込めた。
事実を隠蔽してでも組織を守ろうとする『|狡《ずる》い大人』を誠は初めて目の当たりにした。
「おとり捜査? それって嘘じゃないですか!僕は、一方的に拉致されたんですけど!あれは地球人の遼州人への人権侵害以外の何物でもないですよ!隊長!あなたには遼州人の誇りってものが無いんですか!」
部隊長自らの捏造に誠は思わず反発した。
これは拉致事件である。
その事件の当事者である自分は地球圏を告発する権利がある。
誠はカウラの運転する『スカイラインGTR』の中でそれだけを考えていただけに嵯峨の言うことには承服しかねた。

「遼州人の誇り? モテないことは、そんなに誇りにならないよ。俺は地球人の国の『甲武国』でその事を十分に知ってモテるように努力したから。それにまさか『特殊部隊』の隊員が民間人に過ぎないマフィアの下部組織に何の抵抗もせずに拉致されましたなんて……そんな恥ずかしい話うちから言い出すわけにはいかないよ……うちはね、遼州同盟司法局直属の実力部隊と言う触れ込みの『特殊な部隊』なの。マフィアの三下にのこのこついて行きましたなんてかっこ悪くてさ、俺も言えなかったんだよ」
そう言うと嵯峨は静かに誠に目を向けた。
「でもそれって嘘じゃないですか!事実と違うじゃないですか!後で問題とかにはならないんですか!」
普段は穏やかな誠が顔を真っ赤にして抗議をするが、嵯峨は軽く手を挙げてそれを制した。
「あのね、事を大きくしてどうすんの?それに遼州同盟と地球は国交が無いんだよね。これでマフィアが『特殊な部隊』の隊員の秘密を握ってどこかの政府の依頼で拉致ったなんてことになったら……最悪戦争だよ?まったく……お前さんのちっぽけな誇りよりも宇宙の平和が大事なの。それが『武装警察』のお仕事なの。分かったかな?お前さんと同じくらいの年の時、俺も同じように世の中を見てたもんだよ……でも世の中はそうはいかないんだ。個人の身勝手な正義感なんてロードローラーで引きつぶすように簡単にぺちゃんこにしてしまう。それが世の中なの」
冷静に、押し殺すような口調で嵯峨はそう言った。
「戦争……」
東和共和国では無縁な言葉だが、その外の世界ではありふれた日常の殺し合いを想像して誠はつばを飲み込んだ。
誠の考えはそこまでは及んではいなかった。
ただ目の前の犯罪に囚われていた。
誠はこの『駄目人間』の底知れぬ恐ろしさに恐怖し、そんな『化け物』に息子を預けた母を恨んだ。
「そこで、まあお前の件は『マフィアが暗黙の了解で見逃されてきた貴金属取引に紛れて行っていた麻薬取引』の現場にうちが突入したことにして、偉い人に報告したわけ。俺が地球系マフィアのボスをパクった件は、まあ連中も嫌な顔してたよ。『国際問題』だとか言いやがるんだ。そのための司法局だろ?東和警察の連中は俺達を舐めてるのか?でもまあそれで戦争になることを避けられるんだから目的的には問題は何もないよね」
嵯峨は上層部のそんな無茶な決定に何の不満も無いと言うようにそう言ってのけた。
「『国際問題』って、なんでですか?犯罪者を捕まえたのに!そんな連中を放置している東和警察と地球圏が悪いんじゃないですか!僕達は警察でしょ?悪い人を捕まえるのが仕事でしょ?地球圏の失態の責任をなんで僕達が取らなきゃならないんですか!」
おっかなびっくり。
そんな言葉がぴったり似合う表情の誠は、目の前の隊長の机に座っている嵯峨に向けてそう言った。
「子供のセリフだな。神前はまだ子供だってことだ」
ランは誠の正論を冷たくそう評した。
「そりゃあ正論を言えばそうなんだけどさ。世の中そんな正論だけじゃ回って無いのよ。外交問題ってのは微妙なもんなんだよ。地球圏と遼州星系同盟の関係は特にセンシティブなんだよね。やれ『人権』がどうの、『私的財産権』がどうのと騒ぐんだよ、お互いに。社会に出ればそう言うのがあるんだよ……分かったかな?社会人になったばかりのお前さんには理解不能かもしれないけど、それをすぐわかる物わかりの良さってのも社会じゃ必要とされるんだわ」
嵯峨は適当にそう言うと静かに目を机に落とした。
「まあ、東和警察も神前の『素質』を表沙汰にせずに、あの『地球圏犯罪者』の大物の身柄を拘束して、拘留を続けようって言うんだからな。俺に文句の1つも言いたくなるのは分からんでもない。だけどカルヴィーノの行動は遼州同盟の許していた活動域を逸脱するものだったから、何とかなったみたいだけど地球圏もとりあえずだんまりを決め込んでるみたいだし」
直立不動の姿勢をとっているランと誠を前に嵯峨はそう言ってほほ笑んだ。
「じゃあ僕の責任は……」
恐る恐る誠はそう言ってみた。
嵯峨は顔色1つ変えずに語り始めた。
「聞いてなかったのか?そもそもお前さんは、あそこに自分で突入したって言うことで口裏あわせも済んでるんだ。東和警察の連中もそれで書類が作れるって喜んでるんだから問題無いだろ?まあどうせ東都警察の連中には、俺は信用なんてされてないんだから、お前が責任云々言う話じゃないよ。まあここの上部組織の司法局の本局には報告義務があるから、それなりの書類出して東都警察の面子も考えずに捜査範囲を超えて暴走した俺達の責任のことに関しての処分を待つ形だが……『中佐殿』……。さすがに今度は『減俸二ヶ月』は食らうかな?俺もお前さんも無茶しすぎたわ」
嵯峨はそう言うと誠の隣で何も聞いていなかったかのように平然としているランに声をかけた。
『減俸2か月』
その言葉に誠は思わず背筋に緊張が走るのを感じて隣のランに目をやった。
ランは全く動じるそぶりもなく、話を向けられたランは頭を掻きながら嵯峨に対する言葉を探っていた。
「まー、うちらの神前の『素質』をうやむやにするための無茶で迷惑をかけた、『関係各所』の苦労を考えっとそんくらいが妥当じゃねーですか?西園寺の馬鹿が同盟に非協力的なベルルカンの失敗国の大統領に『発砲』しかけた時は、部隊全員下期のボーナス全額カットだったし」
ランがさらりとそういってのけたのを見て、誠はただ驚きに目を白黒させるだけだった。
『こいつ等本当に『特殊な部隊』だ!毎回そんなに懲罰を受けてる?よく解体されないな』
誠は危険度においてもここは『特殊な部隊』であることを再確認した。
「じゃあ神前。報告書も何もいらないから。まあしばらく頭冷やしてじっとしてろや。これからは知らない人に声をかけられてもついて行かないという、小学生でも分かってる常識を実行してくれれば、それで良い」
そう言うと嵯峨は目の前の書類に目を墜とした。
「行くぞ。処分は覆らねーから何を言っても無駄だ」
いつもの小さな八歳ぐらいの女の子にしか見えないランの体から、誠を|竦《すく》ませるような強力な『殺気』が放たれる。
ランは誠の腰をかわいい手で叩いて、誠に隊長室から出ていくように合図した。
「それじゃあ失礼します!」
誠はこの組織のあからさまな組織防衛の意図のと世界の不条理に納得がいかない表情のまま勢い良く扉を開けて出て行った。
その様子を見送りながら嵯峨はひじを机の上についてその上に顔を乗せて残って立っているランを見つめた。
「『中佐殿』。黙りこくってないでちったあ、フォローしてやれよ。一応、お前さんの直下の部下だろ?機動部隊の隊長はお前さんってことになってるんだから。アイツの腹の中は社会に対する不満で一杯だよ?どうするよ?こんご機動部隊としては?ね、隊長殿」
ランは頭を掻きながら嵯峨を正面からにらみつけた。
「確かにさ……アイツは気が小さくて拉致された事実にばかり目が行って、その原因である自分の『力』に気づいてないけどでもそこを何とかするのが上司って奴じゃないの?」
嵯峨は目の前の書類をいじりながらそうつぶやく。
しかし、ランは黙って嵯峨を見つめているだけだった。
「分かるよ……典型的な問題児ならパイロット候補生をぶっ叩いて育ててきたお前さんの領分だから……人物的には優等生の神前は扱いづらいってところなんだろ?でもさ、組織じゃん、うち。そんな人材のえり好みは言ってられないの。それに俺達の『敵』を倒すにゃどうしたって神前の力が必要になるんだ……アイツしか今のところは居ないんだよ。『光の|剣《つるぎ》』を発動できる『法術師』になれるのは……今後は見つかるかもしれないけどな」
沈黙を続ける幼女に、嵯峨は諦めたように視線を落とした。
「俺の負けだよ。そうだな、起きちゃったことはどうにもならねえが、問題はこれからのフォローだな。機動部隊隊長さんには苦労かけるが、よろしく頼むよ。神前の性格からして俺の決定への不満と自分の置かれた立場の危険性に気づいて辞めるとか言い出しかねないぞ。そこを何とかするのが上司であるお前さんの仕事だ」
完全に嵯峨の言葉を無視して黙り込むランに根負けして嵯峨はそう言うとタバコに手を伸ばした。
「そんなことは言われなくても分かってんよ!しゃーねーなー……了解しました!」
手で謝罪の意図を表明している嵯峨の言葉を背に、ランはめんどくさそうに頭を掻きながら部隊長室を後にした。