【原神】からかい上手のナヒーダさん #35 - 帰り道【二次創作小説】

眩しい太陽の光を浴びながら、恋人繋ぎをしたまま立ち尽くす二人。スメールの広大な景色が目の前に広がり、洞窟の探索を終えた解放感が胸を満たす。風が頬を撫で、草木の香りが鼻腔をくすぐる。
しばらくの間、言葉もなく景色を眺めていたが、次第に現実感が戻ってくる。
(そうだ、任務は終わったんだ…)
俺はゆっくりと、ナヒーダの手から自分の手を離した。その動作は自然なようで、どこか名残惜しさも含んでいた。
「ナヒーダ、ここで別れようか」
言葉にした瞬間、どこか胸が締め付けられるような感覚があった。洞窟での冒険を共にした日々が、走馬灯のように脳裏を過ぎる。
「スメールの脅威…死域も無事に浄化されたし、俺は次の目的地に向かわないといけない」
フォンテーヌ。次なる旅の舞台だ。妹を見つけるための旅は、まだ続いている。
ナヒーダは微かに表情を曇らせた。一瞬だけ、彼女の翠色の瞳に寂しさのようなものが宿ったように見えた。だが、すぐに普段の穏やかな笑顔に戻る。
「旅人、任務お疲れ様。スメールは、より安全になったわ。本当にありがとう」
心からの感謝を込めて言った。この死域駆除の任務は、単なる依頼以上の何かを俺たちにもたらした。
彼女はそう言って、少し遠くを見るような目をした。その声色には確かに寂しさが混じっていた。だが、次の瞬間、彼女の表情が変わった。
「でも、その前に…」
その言葉に、俺は思わず身構えた。この「でも」は、いつもナヒーダが何かを企む時の合図だ。
「任務の報酬の支払いがまだよね?いくら欲しいの?」
あっ……!!
そういえば任務の報酬を受け取っていない。すっかり忘れていた…しかし、俺は自然な言い訳を思いついた。
「いや…報酬は、いらないよ。依頼がなくても死域は放っておけなかったし、困っている仲間を助けただけだから、モラとかで換算することはできない」
彼女の目に、おなじみの小悪魔的な光が戻ってきている。警戒しなければならない。
「ふふっ、なら、慰労会への参加…つまり『私と一緒に食事をする』という追加の任務を依頼するから、まずはスラサタンナ聖処まで一緒に来てちょうだい。もちろん私の奢りよ♪」
彼女の提案に、俺は少し考え込んだ。確かに、携帯食以外の食事が恋しい。しっかりした料理が無料で食べられるなら魅力的な任務だ。
それに最後のお別れの挨拶をするなら、あの場所が相応しいかもしれない。死域駆除の依頼が始まった場所であり、彼女の神としての居所でもある。
「でもナヒーダと一緒に歩いている姿を誰かに見られたら恥ずかしいな。変な噂が立ったり、騒ぎになるんじゃないか?」
その心配に、ナヒーダは「じゃあ…」と言いながら、自身の荷物を探り始めた。何かを取り出そうとしている様子に、俺は興味を引かれた。
彼女が取り出したのは、淡い黄緑色のコートだった。
「これで変装するわ」
シンプルな説明に、思わず「それだけ?」と聞き返してしまう。
「それだけで変装になるのか?もう少し何か必要じゃないか?」
疑問を呈すると、ナヒーダはくすりと笑った。
「ふふっ、私の服装が分からなければ大丈夫よ。フードを被れば十分」
そう言いながら、彼女はレインコートを羽織り始めた。草神の純白に近い装いの上から、黄緑色のコートが覆い被さる。フードを被ると、彼女の特徴的な髪と顔の大部分が隠れた。
さらに、ほとんど素足が特徴のブーツも脱ぎ、スニーカーへと履き替えた。
確かに、一見しただけではナヒーダとは分からない姿になっていた。神としての威厳が薄れ、ただの小柄な少女に見える。
「確かに少し違って見えるかも」
素直に感想を述べると、ナヒーダは満足そうに頷いた。だが、次の瞬間、彼女の目が再び輝きを増した。
「でもまだ足りないわ」
その言葉に、嫌な予感が走る。
「カップルを装えば自然よ♪」
予想を超える提案に、思わず「えっ?」と声が出た。
「な、なぜそうなる!?」
動揺を隠せない俺に、ナヒーダは論理的に説明し始める。
「考えてみて。仲の良いカップルなら二人が一緒に行動していても、人目を引きにくいでしょう?」
その説明は一見もっともらしく聞こえるが、どこか腑に落ちない。カップルを装う必要性がどこにあるのか…
考えている間に、ナヒーダはさらにフードを深く被り、俺に向かって手を差し出した。
「さあ、手を繋ぎましょう♪」
「それは本当に必要なのか?」
最後の抵抗を試みるが、彼女は「安全のためには、あなたの協力が必要なの」と、半分冗談、半分真面目な口調で言った。
彼女の言葉には、どこか逆らえない説得力がある。それとも、単に俺が弱いだけなのか…
ため息をつきながら、差し出された手を見つめる。先ほどまで繋いでいた手だ。もう一度繋ぐことに、抵抗があるはずなのに、心のどこかで否定できない、不思議な感覚がある。
渋々手を取ると、ナヒーダはすかさず指を絡め、再び恋人繋ぎの形にしてくる。さっきまで自然と形成された繋ぎ方と同じだ。俺も繋ぎ返す。
フードを被った小柄な少女と恋人繋ぎをしている状況に、妙な違和感とドキドキを覚える。見た目だけを見れば、確かに年齢差のあるカップルのようにも見えるかもしれないが…
「まるで幼い子を誘拐する犯人のようね」
ナヒーダが突然言い放った言葉に、思わず赤面する。
「余計なことを言わないでくれ…」
彼女の言葉には「背徳感」というニュアンスが含まれているため、不必要に意識が向いてしまう。
「冗談よ♪」
ナヒーダは笑うが、その笑顔には油断できない何かが潜んでいる。
「きっと周りから見ればカップルではなく、はぐれないように手を繋いでいるだけの兄妹として見えるでしょうから」
その説明に、少し安心する。確かに、外見だけ見れば彼女と俺は兄妹に見えるかもしれない。レインコートを着た小柄な少女と青年。自然な風景だ。
でも、実際には「兄妹」というよりは「姉弟」のような関係であることを考えると、また混乱する。精神的にはナヒーダの方が上であることは間違いない。だが見た目は明らかに幼い。この複雑な関係性にどう向き合えばいいのか。
「でも必要なのよ、変装の一環として」
ナヒーダが繰り返し強調する。その真剣さも、からかいも、どちらも彼女らしさだと感じる。
「わかったよ、わかったから。行こうか」
最終的に降参し、歩き始めることに同意する。ナヒーダの満足げな微笑みには、また小悪魔的な光が宿ったままだった。
恋人繋ぎで歩き始める二人。不思議と足並みが揃い、自然と肩が近づく距離感。レインコートを着たナヒーダの姿は、普段の神々しさよりも親しみやすく、隣を歩く感覚も違和感がない。
「あ!さっそく人が来たわ!」
突然の言葉に、俺はパニックになった。反射的に周囲を見回すが、道には誰も見当たらない。
「これも冗談よ♪」
楽しそうにくすくすと笑うナヒーダに、肩をがくりと落とす。
「おいおい…ここまで来てふざけるなよ…」
文句を言いながらも、心のどこかで安心していた。こういったからかいこそ、俺の知るナヒーダの特徴だからだ。
「だって、あなたの反応が面白いのだもの。あなたの驚いた顔、いつ見ても新鮮よ」
そう言いながら、彼女は俺の手をギュッと握り直した。その仕草に、胸がざわめく。
互いの手の温もりを感じながら、道を進む。草木の多いスメールの景色は、洞窟の暗さとは対照的に明るく活気に満ちている。鳥のさえずりや、時々吹く風が、日常の賑わいを感じさせる。
風が吹くたび、ナヒーダのフードが少し揺れる。その下から垣間見える翠色の瞳が、時折俺の方を見上げては、意味ありげな微笑みを浮かべる。
変装したナヒーダと恋人繋ぎで歩く状況が、現実離れしているようで、同時に不思議と自然にも感じられる。洞窟内での「キス」の話や「恋人繋ぎ」が、この状況に繋がっていると思うと、感慨深いものがある。
「何を考えてるの?」
ナヒーダの声に、思考から引き戻される。
「何でもない」
誤魔化しながらも、視線が彼女の方へ向いてしまう。レインコートの下から見える彼女の横顔は、草神という存在を忘れさせるほど、一人の少女としての魅力に溢れていた。
「もうすぐスメールの街並みが見えてくるわ」
ナヒーダが遠くを指さした。確かに、地形の起伏の先に、スメールの特徴的な建物の輪郭が見え始めている。
そこは賑やかな街。多くの人々が行き交い、活気に満ちた場所だ。
「ねえ、スラサタンナ聖処に着いたら、あの続きの話をしましょうか?」
ナヒーダが突然、意味深な言葉を口にした。
「あの…?」
一瞬理解できなかったが、次の瞬間に「あ」と悟る。洞窟での「恋人同士」や「キス」の話だ。
顔が熱くなるのを感じた。あの話の続きとは…彼女は本気で「考えておいて」と言ったことを覚えていたのか。
「そ、それは…」
言葉に詰まる俺に、ナヒーダはくすくすと笑いながら手を強く握った。
「楽しみにしているわ。あなたの答え」
この複雑な感情をどう整理すればいいのか。
スメールの街並みが徐々に近づいてくる。そこに向かって歩みを進める二人の手は、まだしっかりと繋がれたままだ。
「私、日常の公務から離れて、あなたとこうして過ごせる時間がとても楽しいわ」
突然の告白に、またしても心臓が跳ねる。
「俺も…(どちらかと言えば…)楽しいよ」
素直な気持ちを口にした瞬間、ナヒーダの顔が明るく輝いた。
「それじゃあ、スラサタンナ聖処までまだ少し時間があるし、いろいろ話しましょう」
彼女の提案に、頷く。これからスラサタンナ聖処までの道のりは、決して短くはない。だが、この繋がれた手の温もりと共に歩む時間は、きっと貴重な思い出になるだろう。
「ところで、さっきの話の答えだけど…」
俺が意を決して切り出そうとした瞬間、ナヒーダが人差し指を俺の唇に軽く当てた。
「それはスラサタンナ聖処に着いてからね。楽しみは取っておきましょう」
その仕草と言葉に、また背筋に電流が走る。彼女の計算されたからかいに、いつも翻弄されっぱなしだ。
それでも不思議と腹は立たない。むしろ、この駆け引きのような関係が心地よいとさえ感じる自分がいる。
恋人繋ぎで並んで歩く二人の影が、スメールの大地に伸びている。洞窟の中では見えなかった影が、今はっきりと地面に映し出される様子が、何か象徴的に思えた。
目の前に広がるスメールの街並みと、その先にあるスラサタンナ聖処。俺たちは手を繋いだまま、一歩一歩前に進んでいく。
草の香りを運ぶ風が、二人の間を通り抜けていった。