第33話 部下は囮にはするが見捨てない男
都内の街中。路上喫煙禁止区域だというのに嵯峨はそれを無視していつものようにタバコをくゆらせていた。
「神前に俺達の『特殊部隊』的なところを見せるには……まだ早かったかな?うちは『お馬鹿さん養成機関』じゃなくて、その本質はむしろかつての地球の『ゲシュタポ』や『KGB』の方が近いって……まあ、今の神前に言っても分からねえだろうな」
そう言って嵯峨はタブレット端末のランからの『状況終了』のメールを見ながらそう言った。
そして、画面をのぞき込んだ後、咥えていたタバコを路上に投げ捨て、タブレットを夏服の胸ポケットに入れた。
東都中央銀座通りは、経済で遼州の大国となったこの国の首都らしく、次々と着飾った人々が行きかう中心街だった。
その大通りに面した人目で一等地とわかる場所にある、
そこの一階には地球のイタリア系ブランドの宝石店が居を構えていた。
イタリアと東和は国交がない。
当然、扱っているのはすべて密輸品だ。
東和政府もそれを黙認しているのが皮肉で、嵯峨は苦笑した。
嵯峨は朱色の鞘と渋めの
周りの買い物客はその姿に怯えたように遠巻きにして、嵯峨の姿を眺めている。
その姿はどう見てもマナーの悪い若い警察官が日本刀を持ってぶらついているようにしか見えない。
すでにその姿が目に付いて警察に通報した者がいたようだが、駆けつけてきた警察官は、嵯峨の制服の袖につけられた司法局実働部隊の部隊章『
「クラウゼ。俺が抜刀したら空気読んで入ってきてよ。まあ、抜くかどうかは……俺の気分次第だ。」
そう言った嵯峨の表情にはいつもの緩んだ調子は無く、まさに『狩る者』のそれが浮かんでいた。
『了解しました』
嵯峨は配置についているであろう運航部を指揮する部長、アメリア・クラウゼ少佐に通信を飛ばした。
そして周りの好奇の目も気にせずに、制服姿には場違いな高級感のその密輸品を扱うにはあまりに堂々とした店の中に入っていった。
それまで店内で接客に従事していた店員達は瞬時に彼の姿に警戒感をあらわにする。
外から覗き込んでいる警官が彼を制止しなかった所を見ていたのか、とりあえず係わり合いにならないようにと自然体を装いながら嵯峨から遠ざかった。
店の中にいた客は嵯峨の手にある日本刀に驚いたような顔をしているが、すぐに店員が彼女達に耳打ちをして嵯峨から離れた場所に移動した。
嵯峨は慣れた調子でショーケースの間をすり抜けながら、ただなんとなく店を見回してでもいるような感じで店の中を歩き回った。
一人の若い女性店員が、意を決したように店内中央に飾られた貴人に似合うような高級感漂うティアラの入ったケースを眺めている嵯峨に声をかけた。
「お客様。警察の方ですよね?他のお客様が不安に思われますので、その日本刀はどうにかしていただけますか?」
勇気を出してそう言った女店員に満面の笑みを浮かべると嵯峨はその店員に語り掛けた。
「お気遣いなく。ここで暴れるつもりはねえよ。まあこの刀はすぐに使う用事があってね、仕舞うにもそんな袋とか持って無いし。ここのオーナー出しな。名目上のじゃねえよ。モノホンの方だ……て、そんなことあんたに言っても分からんか……おい!そこのアンちゃん!」
懐に手を入れたままで、じっと嵯峨の方を他の店員とは違う殺気のこもった視線で見つめていた一人の店員に声をかけた。
店員は上着のポケットに入れていた手を抜くと、表情を接客モードに切り替え何事も無かったかのように嵯峨の方を笑顔で見つめた。
その頬に緊張の色があることを、嵯峨は決して見落とさなかった。
「アンちゃんよう!俺みたいに怪しい人物が来たら案内する方の『本当のオーナー』、今日来てんだろ?そいつのとこまで連れてってくんねえか?手間だろうが頼むよ!」
嵯峨は満面の笑みを浮かべながらそう言った。
アンちゃんと呼ばれた店員は初老の店長らしき人物に目配せををした後、両手をズボンのポケットに突っ込んで挑発的な視線を送っている嵯峨に歩み寄ってきた。
「お客様、店内であまり大声を出されても……。こちらになりますので」
店員はあくまで平静を装ってそう言った。
その店員が自分で出てきたことに満足したように嵯峨は頷いていた。
「ああ、知っててやってんだ。気にせんでちょうだい」
嫌味たっぷりにそう言うと、業務用通路へ向かうアンちゃんの後ろについて嵯峨は歩いていった。
彼に従って従業員出入り口からビルの奥へと進む。そしてそのまま人気の無いエレベータルームにたどり着いた。
二人きりになったとたん、店員の表情は敵意に満ちたものから穏やかなそれに代わった。
嵯峨はそれを確認すると静かに店員の肩を叩いた。
「ずいぶん長い『
若い店員の目に急に嵯峨に対する敬意の色を帯びた。
「少将。自分はこういうことは慣れていますから。それにいくら囮にしても『部下の事は決して見捨てない』と言う少将の哲学は良く存じ上げております。そのことを知っているからこそ我等内偵者は閣下についていくんです」
『内偵』任務の仕上げに入った男はそう言って嵯峨に笑いかけた。
見た目がふざけているほど若い嵯峨よりは年上の三十代に見える男は、背広から小型拳銃を取り出す。
この店の本当のオーナーの信頼を勝ち取るべく長い内偵を続けてきた任務からようやく解放されることに安堵した表情が彼には浮かんでいた。
「俺はそういう時は『内偵担当者』に敬意を表して直接出向く質でね。俺も前の戦争の初期は内偵任務とか押し付けられたが、アレは疲れるものだ。当然のことだよ。捨て駒として使い潰される辛さは俺自身が良く分かってるからさ。当然のことをしたわけ。まあ、神前の野郎には理解できないかもしれないけど……まあ若い奴なんてのはみんなそんなもんだよね」
エレベーターは二十五階の最上階へと上昇し続けた。
「その『内偵』経験者としては、お前さんみたいな奴の気持ちはわかるんだ。ようやく自分に戻れるってのは良いもんだ。あとの詰めは俺がやる。安心しな」
銃を構えた嵯峨の指示でこの密輸店に入り込んでいた男は周りを見回した後、安堵の笑みを浮かべながら静かな調子で語り始めた。
「そのターゲットの『皆殺しのカルヴィーノ』は、最上階の専用の私室に入ったまま動く様子はありません。見込みどおりあの男が外惑星連邦の外務省のエージェントと接触しているのは私も知らされています。恐らくターゲットの身柄を他の組織より先に抑えたということで前祝でもしている最中でしょう」
嵯峨は手を上げて若い男の言葉を制した。
「そいつはダミーだよ。何しろ今回の一件は俺の方から積極的に仕掛けてるんだ。地球圏在住の旦那衆も馬鹿じゃねえよ。神前の『素質』の売り手はいくらでもあることくらい、ちょっと頭の回る人間ならすぐわかることさ。値段がつりあがるまで待って、そこで引き渡すってのが
老舗ビルの業務用と思われる粗末なエレベーターに、二人は乗り込んだ。
「じゃあマフィアに火をつけたのは……」
若い男は再び背広の中に手を入れて小型拳銃を取り出した。
「それが分かればねえ……俺だって苦労しねえよ。ただ俺が囮に使ったとはいえ、かわいい部下を拉致られた『特殊な部隊』の隊長としては、ここで1つの『けじめ』って奴をつけなきゃなんねえな。安心しな、すでにオメエさんの家族は、俺の知り合いが『甲武国』の『俺所有の直轄コロニー』へご同道している最中だ。まあこの一件の片がつくまで家族水入らずで過ごすのも悪かねえだろ?内偵中はそれこそ休みも無かったんだ。バカンスとしゃれこむのもいいもんだ」
エレベータは時代遅れな速度でようやく目的の階に到着した。
「まあ、その前に少しだけ付き合ってもらおうか。始末はウチでつけるからな。お前さんは安心して家族との穏やかな日々を想像していればいい」
その言葉に安心したのか、男は嵯峨を頑丈な扉で閉ざされた部屋へと導いた。
あの階下の豪勢な雰囲気はそこには無かった。
有るのは奇妙な殺気だけ。

それが嵯峨にはそれが心地よく感じられるようでにんまりと笑いながら扉を開いた。