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第一話 転生

 おいらの前世の名は真田昌幸(さなだまさゆき)

 この後漢末期の数百年後の東にある島国から転生して生まれ変わった。

 前世ではおいらは小姓(こしょう)から大名まで立身出世した。

 合戦や築城、国の統治で手柄を得て、また、病で死ぬまでに、あらゆる知識と経験を学んだ。

 例えば戦術、戦略、謀略、築城術、武芸、忍術、馬術など限りが無い。

 全て真田家を守る為………。

 だが、徳川家康(とくがわいえやす)を敵にしたのが運の尽きであった。

 二度も信濃(しなの)の上田城の籠城戦で徳川から勝利し、それ以前に北条(ほうじょう)上杉(うえすぎ)、徳川を手玉に取った気でいたのが間違いで、豊臣秀吉公(とよとみひでよしこう)から表裏比興(ひょうりひきょう)の者と呼ばれ評されたので誇らしく増長していた。

 結果的に天下分け目の関ヶ原(せきがはら)の合戦で徳川家康の東軍が石田三成(いしだみつなり)の西軍に勝利した為、西軍の味方をしたばかりに紀伊(きい)九度山(くどやま)蟄居(ちっきょ)させられ真田の里に戻れず無念に死んでしまった。

 そして転生して生まれ変わったら、何と農民の息子………。

 ただし、名が気になる………。

 何と三国志で、(しょく)を滅ぼした()の大将軍と同じ名の鄧艾(とうがい)である。

 今は荊州の襄陽で口減らしとして、食うに困って地主の言いなり通りに田畑を耕しているが、まだ、おいらは生まれて五歳なので、僅かな穀物や樹の実、山菜では空腹で身体も小柄だ。

 そこで、前世で九州に滞在していた時に屈強な島津(しまづ)足軽(あしがる)を観察した所、他の国の足軽が雑穀を食べるのに対して、主に多くの肉を食らう事を知り、手頃な石を鳥や兎に投げ付けたり、簡単な罠を作り猪や鹿、蛇、狼、虎、熊等の狩猟を行い腹を満たし、余った肉や毛皮を売り銭を貯め、その合間に武芸で身体を鍛え、広い川や湖、丘や山等の地形を調べている。

 何故なら、六年後、魏の曹操(そうそう)新野(しんや)劉備(りゅうび)達を滅ぼす口実で荊州に侵攻して来る。

 あの中華一の軍師、諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)でも侵攻を防げ無かった。

 そんな事を考えながら満月の明かりを頼りにして、深夜に新野の城を竹簡(ちくかん)に筆で書いていると、後ろから気配を感じた。

 まさか! 狼? 虎? 新野の警備兵か?

「ほっほっほ。こんな小さな童が城の地形を竹簡に書いているとは中々見所がある」

 おいらは懐の布袋から石を握り、怪しげな白髪の老人に投げ付けようとした時。

「待て待て童よ。驚かした事は謝罪しよう。儂は司馬徽(しばき)と申す。童よ。名を聞かせてくれぬか?」

 心の中で鄧艾は興奮を抑えるのが大変だった。

 何故なら、前世の時、主君武田信玄(たけだしんげん)公の(かわや)の書物庫に、中華の歴史書の中で、司馬徽なる人物は、後の劉備の軍師、徐庶(じょしょ)龐統(ほうとう)、諸葛亮孔明の師であると読んだ事がある。

「おいらの名は鄧艾にございます。あの高名な司馬徽様とは知らずお許し下さい」

 と草の地面に額が付く位に平伏した。

「これこれ、頭を上げよ。そなたは童だが、儂の弟子にならぬか? 学びに来るだけで食事や銭を与えても良い。そなたにはそれだけの価値は有る。儂は平和な荊州を戦乱から守り、いつか中華から戦乱を終わらす為、才の有る者達を集めて私塾を開いているのだ」

「司馬徽様。是非、弟子にして下さい。お願いします」

「よろしく頼むぞ鄧艾。それと司馬徽様では他人行儀過ぎる。皆、水鏡(すいきょう)先生と親しみを込めて呼んでおる」

「はい。水鏡先生」

 心の中では劉備の軍師三人に会うのが楽しみだと思い始めていた。

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