【原神】からかい上手のナヒーダさん #23 - 最後の腫瘍と膝枕【二次創作小説】

討伐を終え、死域が最後に召喚した遺跡ドレイク・飛空が消滅すると、それまで辺りを覆っていた不気味な霧も嘘のように晴れていった。紫の瘴気が薄れ、洞窟内を見渡せるようになる。
「……見て、旅人」
ナヒーダが指さした先、霧の向こうに隠されていた最後の死域の中心部が、はっきりと姿を現した。黒紫色の瘴気が渦を巻き、不気味な光を放っている。これまでに見たどの死域よりも、その存在感は圧倒的だった。
「これは……今までのものとは比べ物にならないな」
「ええ……ここが、すべての根源よ」
ナヒーダが慎重に一歩前へ進む。紫に輝く髪が、死域からの光に反射して神秘的な輝きを放っていた。今まさに、草神としての威厳を感じさせる姿だ。
「このレベルの死域だと、通常よりも浄化に時間がかかりそうね……。旅人、協力してくれる?」
「もちろんだ」
俺は迷わず頷いた。ここまで来たんだ、最後まで一緒に任務を遂行するのは当たり前のことだった。
ナヒーダは満足そうに微笑むと、死域に向き直る。俺も隣に立ち、さっそく元素の力を送り込もうとするが、ナヒーダが少し考え込んだ様子を見せた。
「……ねえ、旅人。より効率的な方法を試してみない?」
「……嫌な予感しかしないんだが」
思わず素直な気持ちが口から漏れる。ナヒーダはくすっと笑い、俺の方へ振り返った。
「後ろから、私を抱きしめるようにして、元素力を流してほしいの」
「……は?」
あまりにも自然に言うものだから、俺の思考が一瞬停止する。耳が熱くなり、聞き間違いじゃないかと思った。
「そうすれば、あなたの元素力が私に直接伝わりやすくなるわ」
ナヒーダは真剣な表情で説明を続ける。
「さっきの戦闘でも感じたでしょう? 私たちの元素共鳴は特別だったわ。通常の二人がかりで別々に浄化するよりも、私たちの力を一点に集中させた方が、何倍も効率が良いの」
確かに、遺跡ドレイク・飛空との戦いでは、俺とナヒーダの元素共鳴が驚異的な威力を発揮していた。通常ではありえないほどの力が生まれたことは、間違いない。
論理的な説明を受け、一理あるように聞こえる。しかし……
(なんだか怪しいんだよなぁ……)
俺の疑念を見透かしたように、ナヒーダは付け加えた。
「旅人とのこの共鳴能力は、私も初めて体験することなの。だから、最も効率的な浄化のためには、直接的な接触が必要だと思うわ。抱きしめる力が強ければ強いほど、共鳴も安定するはずよ」
「……本当に?」
「ええ、本当に」
ナヒーダは何の迷いもない顔で頷いた。その真摯な眼差しに、嘘を言っているようには見えない。
(いやいや、それでもなんか怪しいぞ……?)
半信半疑だったが、今は浄化を成功させることが最優先だ。俺は深く息を吸い、ナヒーダの背後に回る。
「……わ、わかったよ。やればいいんだな……」
言葉にすると、ますます意識してしまう。震えそうになる手を抑えつつ、そっと彼女の肩に触れる。
「どうやって……?」
「私の背後に回って、少し膝を曲げて。そう、その姿勢なら私の高さにちょうどいいわ」
ナヒーダの指示に従い、俺は彼女の背後で片膝をついた。この体勢なら、確かに身長差が解消される。
「腕は、私のウエストあたりを包むように……」
ナヒーダがさりげなく自分の腰に手を当てて示す姿に、さらに顔が熱くなるのを感じた。
「……っ」
意を決して、そっと腕を回してナヒーダを抱きしめる。小柄な体がすっぽりと腕の中に収まり、ふわりと優しい草の香りが鼻をくすぐった。
(や、やばい……近すぎる……!)
背中にはナヒーダの白い髪が触れ、その柔らかさと香りで頭がクラクラする。この距離感は心臓に悪い。
「ふふ、いい感じね。そのまま、頭を私の背中に預けて。そうすれば、あなたの元素力が私の体を通して、最も効率よく届くわ」
また一つ、新たな指示が加わる。俺は既に混乱状態だったが、言われるままに頭をナヒーダの背中に軽く預けた。
「そのまま、力を流してちょうだい」
ナヒーダは満足そうに微笑むと、浄化を始める。俺も必死に意識を集中し、元素の力を彼女へと送り込む。
じわじわと、二人の元素力が混ざり合い、光が強まっていく。確かに、これまでの浄化とは違う感覚だ。ナヒーダを通して力が増幅され、死域へと届いていく感覚が鮮明に感じられる。
「……今、どのくらい進んだ?」
「3%くらいかしら」
(遅っ!)
「じゃ、じゃあもっと集中するぞ……!」
俺はさらに力を込め、元素力を送り込む。
「今度は?」
「7%……ね」
(さっきよりはマシだが……!)
「ほら、もっと強く抱きしめれば、もっと効率が上がるかもしれないわ」
「なっ……!?」
ナヒーダのからかうような声に、思わず腕の力が緩む。そのとたん、彼女は小さく身体を震わせた。
「ああ、今、接触が弱まったから進捗が少し遅くなったわ」
「わかった、わかった!」
俺は少し意を決して、再び彼女をしっかりと抱きしめた。こうして抱き続けているうちに、ナヒーダの体温や柔らかさに少しずつ慣れてきて、最初ほどの動揺はなくなってきた。
そして、二人の元素力の共鳴はさらに強まっていく。死域を取り巻く紫の瘴気が、少しずつ晴れていく様子が見えた。
「今度は?」
「……9%ね」
(あれ、さっきより遅くなってね?)
妙な違和感を覚えたが、ひとまず順調に進んでいるようだし、進捗確認もここまでにして、集中を続けることにした。
俺の腕の中で、ナヒーダの小さな体がわずかに動く。彼女の吐息が腕に触れ、その温かさに思わずドキリとする。
俺たちの元素力が混ざり合い、死域を浄化していく様は、神秘的な美しさすらあった。
(……さすがに50%くらいは行ったか?)
ふとそう思い、目を開けると――
「……え?」
死域の中心部は、すでに完全に浄化され、消滅していた。瘴気は完全に晴れ、清らかな空気に満ちている。
「お、おい……もう終わってるじゃないか!!」
俺が驚愕の声を上げると、ナヒーダはいつもの落ち着いた声で答えた。
「ええ、さっき終わったわよ?」
「だったら言えよ!!」
俺のツッコミを受けながら、ナヒーダは小さく微笑んだ。
「予期せぬ事態を避けるために、最終確認をしていたの」
「……最終確認?」
「ええ。予想より早く浄化が完了したから、念のため完全に死域が消えたか確認していたのよ」
「…………」
嘘か本当か分からないその説明に、俺は何も言えず、ただナヒーダをじっと見つめる。
「でも、旅人がしっかり支えてくれたおかげで、スムーズに終わったわ。ありがとう」
ナヒーダは振り返り、優しく微笑む。その顔は、いつもの小悪魔的な表情ではなく、純粋な感謝の色が浮かんでいた。
「……っ!」
なぜかその笑顔を見た瞬間、先ほどまでのツッコミどころや、抱きしめていた感触が一気に蘇り、俺の顔は一瞬で熱くなった。
「……ま、まあ、終わったならいいけど……!」
勢いよくナヒーダから距離を取り、顔をそむける。胸の中で鳴り響く鼓動を抑えることができない。
(くそっ、やっぱりナヒーダには敵わない……!)
頬の熱を抑えながら、俺は静かに拳を握りしめた。
「これで任務完了だな。依頼主もすぐそこにいるし、報告は済んだも同然か」
俺は少し気を取り直して、ナヒーダに向き直る。彼女は少し考え込むような表情を見せた後、首を傾げる。
「まだよ?」
「え? でも死域は全部浄化したじゃないか?」
「家に帰るまでが遠足、って言うでしょ? 洞窟から無事に出るまでが任務よ」
ナヒーダは当たり前のように言う。
「確かに脅威は去ったけど、まだこの地下深くにいるわ。それに……」
彼女は周囲を見回し、少し声を落とした。
「さっきの激しい戦いで洞窟の構造が弱くなっているかもしれないわね。実際、天井からも少し砂が落ちてきているし……」
俺も見上げると、確かに所々から細かな砂が落ちてきていた。遺跡ドレイクとの戦いは相当な衝撃を洞窟にもたらしたようだ。
「もう少し休憩して、それから帰りましょう。疲れているでしょう?」
ナヒーダの言葉に、俺は改めて自分の体の疲労を感じた。確かに、これだけの激戦と元素力の放出で、かなりのスタミナを消費している。
「……そうだな。少し休もう」
俺は素直に頷いた。
「ただ、ここはあまり安全じゃないわね。もう少し安全な場所に移動しましょう」
ナヒーダは立ち上がり、洞窟の奥の方に目をやる。
「あそこなら、天井もしっかりしているみたいだし、少し狭いけど休むには十分よ」
指さした先は、少し狭まった通路の奥に小さな空間が見える。確かに、そこなら上からの落石の心配も少なそうだ。
俺たちはそこに移動し、小さな空間に入った。思ったより狭く、二人でちょうど座れるくらいのスペースだ。
「ふぅ……ここなら安心ね」
ナヒーダは満足そうに言うと、地面に腰を下ろした。俺もその隣に座る。
どっと疲れが押し寄せ、俺は深く息をついた。背中を岩壁に預け、肩の力を抜く。
「……お疲れさま」
やわらかな声とともに、ナヒーダが近づいてくる。すでに隣に腰を下ろしているのに、さらに距離を詰めるように身を寄せる。
「ふふ、あなたの頑張りのおかげで、予定よりも早く終わったわね」
「……さすがに疲れたな。少し休んだら帰ろう」
そう言いながら深く息をつくと、ナヒーダは何か考えるように指を唇に添え、ふと俺を見上げた。
「ねえ、旅人」
「ん?」
「ちょっと、膝を貸してくれないかしら?」
「……膝?」
俺の理解が追いつかない。
「ええ。せっかくだから、あなたの膝の上で少し休みたいの」
……いや、ちょっと待て。
「俺の膝で!?」
思わず聞き返すと、ナヒーダは「当然のように」頷いた。
「だめ? この地面、結構ゴツゴツしていて硬いのよ。あなたの膝なら、少しは柔らかそうじゃない?」
言葉とは裏腹に、ナヒーダの目は「断らせる気なんてない」って言っている。
「い、いや……」
答えに詰まっている間に、ナヒーダはもう動いていた。ふわりとした髪が揺れ、俺の膝の上にそっと頭を乗せる。
「……ん、ちょうどいいわね」
膝にじんわりと伝わる柔らかな感触。ナヒーダの髪がふわっと広がり、俺の太ももに軽く触れる。その重さは驚くほど軽く、それでいて確かにそこにいるという実感を与えてくる。
(……まじか……)
ナヒーダの無防備な横顔が、すぐ近くにある。長い睫毛がかすかに揺れ、規則正しい吐息が耳に届く。彼女の瞳は穏やかに閉じられ、普段は常に知的な輝きを放つ目元が、今は柔らかな安らぎに満ちている。
心臓の音が、いやに大きく感じられた。
「……ふふっ、なんだかあなた、緊張しているみたいね」
「っ!? そ、そんなことない!」
焦って否定するが、ナヒーダは気にする様子もなく、再び瞳を閉じる。
(ああもう、完全に翻弄されてる……!)
彼女の寝顔を直視するのが恥ずかしくて、俺は天井を見上げるしかなかった。洞窟の暗がりに目を凝らし、心を落ち着かせようとする。
――それにしても。
すぅ、すぅ……
穏やかな寝息を立てるナヒーダは、まるでさっきまでの小悪魔のような態度が嘘のように、静かで愛らしい。いつもは人を翻弄するような知的な輝きを持つ目元も、今は穏やかな表情で、まるで普通の少女のようだ。
(……ったく、こういうときだけ天使みたいな顔しやがって……)
俺は静かにため息をつきながら、膝の上のナヒーダをそっと見つめた。
ここは地下深くの洞窟。辺りには誰一人おらず、二人だけの静かな空間。さらには秘密めいた小部屋で、普段はからかってくる草神様が、今は無防備に自分の膝で眠っている。
この特別な瞬間が、胸の奥に温かい感覚を広げていく。
(なんだよこれ……ナヒーダはいつも俺を翻弄するけど、今はからかってもないのに、胸がドキドキするじゃないか……)
普段は聡明で小悪魔的な彼女の、こんな無防備な姿を見られるのは貴重だ。もう少しこうしていても良いかもしれない。洞窟から出るのはその後でも……
と、同時に頭をよぎる。このまま長居して何か問題が起きたら? 早く洞窟から出て、安全な場所に戻るべきではないか?
俺の中で、ずっとこうしていたい気持ちと、早く洞窟から出たい気持ちが葛藤する。
膝の上でナヒーダが小さく身じろぎした。その動きに、再び心臓が高鳴る。彼女の長いまつげが少し震え、ふわりと優しい吐息が漏れる。
(……まあ、少しくらいなら……)
結局、俺はその場に留まることを選んだ。膝の上で眠る草神を起こすのは、なんだか申し訳ない気がした。それに、この静かな時間は、俺自身にとっても貴重な休息だった。
時間がゆっくりと流れていく。洞窟の静けさの中、ナヒーダの寝息だけが小さく響く。
(こんな風に草神を膝枕してるやつ、テイワット大陸でも俺くらいだろうな……)
その特別感が、妙な誇らしさとなって胸に広がる。
やがて、ナヒーダの瞳がゆっくりと開いた。まどろみの中から覚めたその表情は、いつもの知的な鋭さはなく、純粋な少女のような柔らかさに満ちていた。
「……ん、少し寝てしまったみたいね」
彼女はそう言って、ゆっくりと起き上がる。その背中が俺の胸から離れていくのを、妙に寂しく感じた。
「気持ちよかったわ。ありがとう、旅人」
立ち上がったナヒーダは、少し照れたような、でも満足そうな笑顔を浮かべる。
「あ、ああ……」
俺も慌てて立ち上がる。なぜか顔が熱い。
「じゃあ、そろそろ行きましょうか」
ナヒーダは軽やかに身を翻し、歩み始める。
「……ああ」
俺もその後に続く。まだ膝に残る彼女の温もりを感じながら、地上への帰路を辿り始めた。
死域の消えた洞窟は、来たときとは違う表情を見せている。闇と不安が消え、光が道筋を照らしているようだった。
俺たちは並んで歩き、時折会話を交わしながら地上を目指す。これまでの冒険を振り返ったり、今後の旅路について語ったり。普段の小悪魔的なナヒーダではなく、穏やかな知恵の神との会話は、不思議と心地よく感じられた。
そして、この特別な体験が、俺たちの絆をさらに深めたことは間違いなかった。
(ナヒーダと過ごした時間は、旅の中でも特別なものになるだろうな……)
そう思いながら、俺たちは出口へと歩みを進めていった。