第24話 初めての休日と訪問客
走りっぱなしの一日を消化した誠は、パーラの四輪駆動車で寮まで送られると早めの夕食をかきこんでそのまま泥のように眠った。
パイロット教習課程でもこんなに体を痛めつけるようなことは一度としてなかった。
疲れた脳に浮かんでくるのは体育会気質のランの偉そうな笑顔だけだった。
それにうなされつつ誠は道場の生活習慣から日の出と同時に目覚めた。
「なまってるな……大学時代は運動なんてほとんどしなかったからな」
転属三日目の土曜日は休日だった。
誠は筋肉痛に苦しみながら朝食をとるとそのまま寮の自室に戻ってベッドに横になった。
寮の天井にはシミが浮き、薄汚れていて、いかにも中古の建物を借りてでっち上げたものだということを誠に思い知らせた。
「今日は……初めての休日か……どうしようかな……」
足も腹筋も鉛のようになって動くこと自体かなりつらい。

そんなことを感じながら天井を眺めていた誠の目の前に茶髪のヤンキーの顔が急に現れた。
「うわっ!」
「なんだよ、気の小さい野郎だな」
ノックもせずに誠の私室に入り込んだ島田はタバコをくわえたまま誠の顔を覗き込んでくる。
「いきなりなんですか⁉」
突然の出来事に慌てながら誠は島田のタバコから出る煙をあおいだ。
「ああ、オメエ宛にお前の母ちゃんからの荷物だと。なんだよ……まだ母ちゃんが恋しいのか?」
そう言うと島田は部屋の中央に置かれた大きめの段ボール箱を指さした。
「僕はマザコンじゃありません!」
誠はそう言うとベッドから起き上がって段ボール箱の傍らに立った。
「なんだよ、見せろよ……あれか?AVとか入ってるのか?」
にやけた表情の島田をにらみつけると誠は段ボールに手をやった。
「中身は分かってます!住む場所が決まったら送ってくれって頼んどいたんです」
「へー」
野次馬根性で見つめてくる島田に見られながら誠は段ボールを開けた。中には道具箱と戦車のプラモデルが入っている。
「なんだ?それだけかよ」
呆れたような調子で島田が誠を見つめてきた。
「いいでしょ!とりあえず休みの日にやることが無いと困りますから」
誠はそう言いながら部屋に備え付けられた机の上にそれらの品物を並べた。
「なんだプラモかよ……つまらねえの。しかも見たことが無い戦車だな。こんなの売ってんだ」
やる気のない表情の島田に見守られながら誠は戦車のプラモデルの箱を段ボールから取り出す。
「地球のイタリア製の密輸品で高価な品物なんですよ……M13/40。カッコいいでしょ!」
自慢げにパッケージを見せつけてくる誠に島田は明らかに関心を失ったような死んだ目で誠を見つめてくる。
「戦車だろ?戦車と言えば普通パンサーとかレオパルドⅡとかじゃねーのかよ」
島田の言葉に誠は人差し指を立てて諭すような視線を送った。
「そんな普通の戦車は中学時代に卒業しました!究極の戦車はイタリア戦車です!戦車は戦うマシンじゃ無いんです!そこには人が乗っている……その背後には果てしないドラマが隠されているんです!」
誠のコアな趣味にドン引きしながら島田は立ち上がると大きくタバコをふかした。
「そんなもんか……そのM13とか言う奴。性能良いの?」
島田は誠が持った戦車のプラモの箱を見ながらそう尋ねた。
「あんまりよくないですよ……敵が装甲が鬼のイギリスのマチルダ歩兵戦車とか、Ⅿ3リー戦車の75ミリ砲とかだったんで……一方的にやられました」
「なんだよ、意味ねえじゃん。兵器は勝ってはじめて兵器なんだ。俺ら整備班には死にに行く操縦手の為のメカを弄る気分になんかなれねえな」
明らかに島田の戦車のプラモへの関心は薄らいでいた。
「性能じゃないんですよ!戦車ってのは!ちっちゃいわりに戦場では頑張ったんですよ!エルアラメインの戦いでは敗走するドイツ軍の背後を守って奮闘して!命を懸けて戦ったんですよ!イタリア軍が逃げるしか能が無い軍隊なんて嘘です!あの戦いを見ればわかります!」
「へー。それでどうなった?」
関心なさそうに島田がそう言うのに誠はうつむきながら言葉をつづけた。
「全滅しました……アリエテ師団がそれでドイツアフリカ軍団司令のエルアラメインの戦いは枢軸側の敗北に終わったんです」
「だろうねえ……20世紀初頭の戦車にしたら形が時代遅れの格好だもん」
島田は冷ややかにそう言うとタバコをくゆらせた。
「まあいいや。プラモでも作って気を紛らわせりゃそれでいいんだ。今日、明日と休みなんだから、体を休めて月曜に備えろよ」
そう言って島田は部屋を後にした。
「さてと……ニッパーや紙やすりはあるけど、他にもほしいものがあるからな。よし!今日は豊川の街に出てプラモ屋を探そう!『特殊な部隊』のしごきなんかには負けないぞ!」
誠は自分に言い聞かせるようにそう言うと立ち上がって私服の入ったバッグに手を伸ばし、街に出かける準備を始めた。
「いっぱい買っちゃった」
それから数時間して誠は初日に行った月島屋のある商店街で見つけた小さな模型店で買った袋を下げて寮の自分の部屋の扉を開けた。
「あれ?空調は止めたつもりだけど……」
ひんやりとした空気に違和感を感じながら部屋の戸を開けると、誠はそこに人影を見つけた。
「よう!」
おかっぱ頭に黒のタンクトップ。
そして左脇には愛銃『スプリングフィールドXDM40』。それは西園寺かなめ中尉だった。
「なんだ、西園寺さんが来てたんですか……」
誠は安どのため息をつきながら手提げ袋を部屋の片隅に置いた。
「なんだ、男子下士官なんて消耗品の兵隊に割り当てられた割にいい部屋じゃねえか。島田が寮長をやってるって聞いてたからもっと壁に落書きでもしてあるような部屋を想像してたのに」
「なんでそんなゲットーみたいなイメージなんですか?島田先輩は何者なんですか?」
さすがの誠もかなめの島田に対する偏見には異論を覚えた。
「そりゃあヤンキー」
ベッドに腰かけて真顔でそう答えるかなめを見ながら誠は呆れたように立ち尽くす。
そんな誠はかなめの隣に置かれた意外なものに目をやった。
「あのー……それ、ギターですか?」
誠はかなめの足元にあるギターケースを見てそう言った。
「なんだよ。アタシが銃以外を持ってるのが不服か?」
「そんなことは無いですけど……」
かなめは誠に絡みながらギターケースを開けた。
年季の入ったアコースティックギターがかなめの手の中に納まる。
「なんだかギターって……西園寺さんにぴったりですね」
「褒めてもなんもでねえぞ」
そう言って、かなめは笑いながらギターを軽く撫でた。
いつものガサツなかなめとは違い、その手つきには優美さを感じさせた。
「好きなんですか?ギター」
誠は腕慣らしにギターをつま弾くかなめを見ながらそう言った。
「嫌いで弾く馬鹿はいねえだろ?それよりいつまで立ってるつもりだよ。そこに座れよ」
ベッドに腰かけたかなめは部屋の中央で立ち続けている誠にそう言った。
仕方なく、誠はその場に腰かけた。
「西園寺さん」
「アタシは自由人なの。ギターを弾きたいときに弾いて歌いたいときに歌う。それだけ」
そう言うとかなめはギターをかき鳴らし始めた。
「聞いとけ。アタシの歌」
そう言うとかなめはゆっくりとした曲を弾き始めた。
初日にカウラの『スカイラインGTR』の中で聞いた二十世紀の女性シンガーの曲を思わせるどこか切ない旋律が誠の部屋に響いた。
『「……アイツのことを……思いながら……アイツが誰かのものになる夢を見て……』
彼女のかすれたような歌声にマッチした悲しげな旋律だった。
『……アタシもいつの間にか違う男に抱かれて……それで良かったと安心してる……』
悲しいすれ違いの恋の歌。
どこかかなめに似合っているようで誠は彼女の歌に聞き入っていた。
かなめが歌うのは道ならぬ恋に悩みつつ前を向いて生きていく強い女性の歌だった。
『西園寺さん……歌が上手いんだ……』
誠はサビに行くにしたがって盛り上がっていくかなめのギターと歌声を聞きながらそんなことを考えていた。
かなめの絶唱が終わると、ギターの音が止み静寂が訪れた。
「西園寺さん……」
誠は笑顔で気持ちよく余韻に浸っているかなめの顔を見つめた。
「これは昭和の歌手にインスパイアされてアタシが作ったアタシのオリジナル曲。いつもは中島みゆきや竹内まりやのコピーを弾いてるが、オメエにはアタシのオリジナルを聞いてもらいたくなった。路上でも聞けねえレアな曲だぞ。ありがたく思え。アタシは歌いたいから歌った。アタシは趣味で休日には駅前の路上でこんなことをしている。そん時はほとんど昭和歌謡のカバー曲ばかりだがな……ははーん。その顔はアタシがそんなことをするのは意外だって思ってる面だな」
ギターを仕舞いながらかなめは誠をいつものガラの悪そうな視線でにらみつけた。
「そんなこと無いですよ!強く生きていく女性を歌うのは西園寺さんに似合ってると思いますよ!」
取り繕うように首を振りながらそう言う誠をかなめは白けた瞳で見つめていた。
「今日ここに来たのはアタシの気まぐれだが……話は変わるが、オメエには残って欲しいんだ。うちにな。歌ってる間にアタシはそう思った。そんな時のアタシの勘は大体あってる。オメエにはここに残る必要がある。それがオメエの為にもなる。アタシはそう思ってる」
そう言いながらかなめはギターケースを膝に乗せて誠のベッドに腰かけた。
「残って良いんですか?」
誠はかなめの本心かららしい言葉に少し心を動かされながらそう言った。
「そうだ。オメエをうちに根付かせるのが隊の方針だけど、それだけじゃねえ。アタシ個人の勘がオメエはうちに必要な人間になるって言ってるんだ。アタシの勘は間違いねえ。さもなきゃアタシはそもそもここでこうしてギターを弄っちゃいねえ」
「必要な人間……ツッコミですか?」
誠は気まぐれそのもののかなめの言葉に半信半疑でそう返した。
「確かにオメエのツッコミはうちに必要だが、それだけじゃねえよ。オメエの人柄がうちみたいなはみだしもんの寄せ集め部隊には必要なんだ。まずは、アタシのギターのリスナーとして必要だ。それだけの理由じゃ不満か?」
そう言うとかなめは立ち上がって帰り支度を始めた。
「もう帰るんですか?」
慌ててそう言った誠にかなめは呆れたようなため息をついた。
「アタシの勝手だろ。アタシは好きに生きてるの。オメエがどうこうできることはねえよ」
そう言って笑いながらかなめは誠に背を向けて歩き始めた。
「あの、寮の入り口まで送ります」
「いいよ。オメエも昨日は一日走って疲れてんだろ?しばらくは姐御の基礎体力トレーニングが続くから……そいじゃ!」
軽く笑ったかなめはそのまま誠の部屋を出て行った。
「西園寺さん……あれがあの人なりの気の使い方なんだな……『リスナーとして残って欲しい』か……それも悪くないかも」
誠はなんだか優しい気分に包まれながらかなめの座っていたベッドの縁に腰を掛けてぼんやりと部屋を眺めていた。