04th.08『勝利宣言』
「がぁッ!」
壁に強く叩き付けられ、前衛兵はそんな音を出した。
前衛兵に暴行を加えた人物⸺大黒男は更に彼に歩み寄る。
「くッ」
その手にはナイフが光っていた。
前衛兵は応戦せんと腰の剣を抜く。キラリ、とどちらかというと儀礼用だが、何とか実戦に耐えられなくもない程度の剣が光を反射する。
「鈍《なまくら》だなぁ」
大黒男は前衛兵の剣をそう評した。
「誤ってはいない」
前衛兵は苦々しそうにそう返した。
「そうかい」
大黒男は自分で言った癖にそれ程興味が無い様だった。
さて、と大黒男は思案する。
物陰に隠れての奇襲で最初の一撃は取れた。が、活かせなかった。思ったより相手の立て直しが早かったのだ。どうやら自分は敵を低く見積っていたらしい。今ああして剣を構える姿も、大黒男からは攻めるのは難しい様に見える。
なので大黒男は時間を⸺仲間が到着するまでの時間を稼ぐ事にした。
「知りたいか? 俺達が何故こんな事をしているのか」
「…………話すのか?」
「話そうとも」
前衛兵が困惑しているのが伝わってくる。が、最後は好奇心が勝ったのか、無言で続きを促してきた。
「じゃあ言うけどな⸺実の所、俺達にも判らん」
「……………………」
前衛兵の目がスゥッと、猫か狐かの様に細まる。
「まぁまぁ聴いてくれや。俺達は依頼を請けてここに居る。どっかの誰かさんが俺達に金を払って、俺達にこんな事をさせている訳だ。どっかの誰かは知らない」
どうだいアンタも? 金払ってみるか? と肩を竦める。前衛兵は無言で考えた後、指を三本立てた。
「はっはー、残念だったな。それっぽちじゃ俺達は寝返らない⸺訳じゃねぇけどな。悪いが依頼は親を通してくれ、でないと裏切り者扱いされちまう」
話を戻すぜ? と大黒男。
「で、その依頼主とやらだが、全く何考えているかが知れねぇ。親によるとこれが初めての依頼っつう訳じゃないらしいわな。詰まり俺も知らない所でこんな意味不明な事やらかす奴の言う事を聴いてたって訳さ……おいおい凄むなよ」
時間稼ぎがバレ始めたのか、前衛兵から怒気が漏れ始める。大黒男はビビりつつ、
「今回の依頼だが、メインはアンタの殺害。そしてその他に『できるだけ派手に』っつうのも有る。俺的には全く動機が見えねぇんだけど、アンタ的には? 衛兵の視点で教えてちょ」
「……国に喧嘩を売っている様に思える」
「はー、成程。そう来るか」
大黒男は割と本気で感心した。彼には思い付かなかった考えである。
「その後は? 何で喧嘩売ろうとしてるのかとかは?」
「知らん。貴様、時間を稼いでいるな」
遂にバレた。大黒男は舌打ちした。まだ仲間は⸺
「あ、ディグリー。何してんの?」
「お、アーニちゃんベストタイミング。流石我が妹」
「ディグリーより強いし、血は繋がってないんだけどね」
居た。丁度黒女がそこを通り掛かったのであった。
敵の数が倍になり一気に形勢不利となった前衛兵は何故もう少し早く動かなかったのかと歯噛みした。
「それじゃ紹介するね。コイツが今回のメインディッシュ、マエンダさんでーす」
「ふーん。おっさんね」
「おいおいそんな事言うなよ。そういうお前もいつかはおばs」
結構強めに叩かれた。痛い。
「……………………」
これから殺し合いを始めるというには余りにも弛緩した雰囲気に、前衛兵は怒気を露わにする。舐められていると感じたのだ。
「おっとぉ、今更怒っても仕方無いぜ支部長さん?」
しかし大黒男はそれを余裕に、軽く受け流す。
「アーニが来た時点で、俺達の価値は確定したんだからな」
◊◊◊
「……………………」
終わった。そう思った。
裏口の外には白女が立っていた。そうだ、敵が裏口の事を知らないなんて保証は無かったじゃないか。知っていたなら押さえていて当然。そして今回の場合は知っていたという訳だ。
「……………………」
トイレ男は硬直した。白女の方は、彼女の方から何かする積もりは無いのか、沈黙していた。
トイレ男は逃げる気になれなかった。路地裏で追い回された時、トイレ男は白女から逃げ切れなかった。最初⸺前々々回もそうだ。路地裏で白女に遭遇したトイレ男は逃げたが、逃げ切れなかったのだ。今回は何とか衛兵に保護されたとはいえ、その衛兵がもう頼りにならない以上、ノーカンである。これまで二回とも無理だった。ならば三回目も無理だろう。しかも付け加えれば、その三回目には仲間が⸺敵の仲間が居る。
「……………………」
不思議と腕の中のトイレに意識が向いた。向けさせられた、というのがしっくり来る様な向き方だった。
ふと、これに頭を打つければ時間が巻き戻るという事を思い出した。
「……………………」
白女から逃げるのは二回無理だった、そして三回目も不可能に近い。一方トイレに頭を打つけて時間が戻る現象は三回起きた。ならば四回目も起こるのではないだろうか。そう感じた。トイレの方もそう言っている気がした。
チラ、と白女の方を見た。
「……………………」
「……………………」
トイレ男に喋る事に対する恐怖を植え付けた彼女はトイレ男の行動を待っている様であった。後手に回っても勝てる⸺そう思われているのだろう。トイレ男の方も、
「……………………」
トイレ男は再びトイレを見た。
実行すれば再び時間が戻り、そして再び記憶を失うだろう。
しかし、今回みたいに記憶を取り戻す事も有るかも知れない。そうしたら、襲撃に対しもっと上手く備えられるかも⸺或いは、襲撃その物を無くせるかも知れない。
「……………………」
ここでむざむざ白女にやられるよりはとても好い。そう思った。
「……………………」
白女の方を見た。彼女は未だ音を立てずに佇んでいる。
後ろの方を見た。丁度黒男が下りてくる所だった。彼は黙ってトイレ男⸺そして白女を見た。そして、トイレ男に関しては白女に任せる積もりになったのか、彼は踵を返していった。
「……………………」
白女を見た。彼女は喋らない。しかし喋っている所を見た訳だから、喋れないという事は有るまい。喋る必要が無いから喋らないだけだ。
それが少し贅沢に思えた。喋れるのに、喋らない。喋れないトイレ男には、彼が喋れなくなる理由を作った女がそうしているのが何だか腹立たしかった。「…………」、イライラしてきた。
だから、戻る前に少し言ってやる事にした。
「……………………」
スゥー、と息を吸い、フゥー、と吐く。それを何度か繰り返す。繰り返しながら、頭の中で或る妄想をする。
白女をボッコボコにする妄想だ。彼女に馬乗りになり、顔面を殴る殴る殴る何度も殴る。そうしているといつの間にか彼女がそんなに怖くない様に思えてくる。⸺怖い物が有る時はそれに打ち勝つ妄想をするとよい、トイレ男がどこかで聞いた豆知識だ。
「……ぉ、おい白、女」
久し振りに喉を使った。
「……………………」
白女は沈黙を返した。白女と呼ばれたのが不服だったのかも知れない。
「ぉ、俺は、俺は、」
「……………………」
「いつ、か勝って、やるからな⸺お前に」
「…………?」
状況的に可怪しく聞こえたのだろう、白女は首を傾げた。
それを見て、トイレ男は一応の溜飲を下げた。
そして⸺頭を、強くトイレに、打ち付けた。
⸺頭を、打つけた。