第19話 歓迎されなかった『月』から来た青年
「それにしてもかなめちゃん」
「なんだよアメリア」
細い目をさらに細めてアメリアがかなめに顔を近づける。
間に挟まった誠は二人の胸に体を当てまいとジョッキを持ったままのけぞるように反り返った。
「勤務中、誠ちゃんと随分親しげだったじゃない……いろいろ調べたんじゃないの?誠ちゃんのこと」

イヤらしい笑みを浮かべつつアメリアはビールを飲み干してジョッキをカウンターに叩きつけた。
「なんだよ……調べちゃ悪いのかよ」
ラムのグラスを傾けてかなめがアメリアをにらみつける。
「模擬戦だってわざと負けてあげたんじゃないの?実は」
にやけた調子のアメリアの言葉にかなめはグラスをカウンターに叩きつけた。
「馬鹿言ってんじゃねえよ。アタシはマジだった。こいつが格闘戦以外は並み以下ってのは知ってたけどあれほどとは思わなかった。そんだけだ」
いかにも彼女らしいアメリアの勘ぐりを迷惑だというようにかなめはそう言って目を逸らした。
「あの不思議な板みたいなのが無ければ僕はあの一撃で負けてたと思うんですけど……。アメリアさん、教えてください。あれは何なんですか?」
誠は真剣な表情でアメリアを見据えた。
そんな誠を見ながら相変わらず何を考えているか分からないアルカイックスマイルを浮かべていたアメリアただビールを一口飲んで語りだした。
「あれねえ……誠ちゃんの私生活が監視されていたことと関係があるのは分かるわよね?しかも生まれた時からどこの誰かも知らない連中に」
少しまじめな表情を作っているアメリアの言葉に誠は静かにうなづいた。
「つまり、誠ちゃんには普通の遼州人とは違う『力』があるのよ……これから除隊するかもしれない覚悟の決まってない誠ちゃんには詳しくは言えない。それを誠ちゃんが知ればこのままうちを出て同じように監視される生活に戻った時に命取りになるかもしれない。そんなの私は嫌だもの」
そう言うとアメリアは焼鳥盛り合わせに手を伸ばした。
「オメエには……『法術師』の素質があるかも知れねえんだ」
かなめはそれだけ言うとグラスに残っていたわずかなラム酒を飲み干した。
「『法術師』?なんですそれ?」
かなめが突然言い出した『法術師』と言う言葉に誠は戸惑いつつアメリアを見つめた。
「クバルカ中佐。なんであんなにちっちゃいのに『人類最強』なのかわかる?」
急に誠に向き直ったアメリアはそう切り出した。
「なんでそこでクバルカ中佐が出てくるんですか?僕の話でしょ?今しているのは」
話題を逸らされたと思った誠がそうアメリアに詰め寄るが、彼女の顔は真剣だった。
「そりゃあ……天才的な勘とか、反射神経とか、力でなくてなにか凄いところがあって……いや、クバルカ中佐が『法術師』だから……ですか?」
誠はそう言ってアメリアの顔を覗き見た。
「そう。中佐には自分の身体を動かす意志で筋肉以外の力でパワーを補助する『身体強化』と言う力が常に発動しているの。だから速さだけでなく力も『人類最強』なのは間違いないわね。プロレスラーだって中佐と腕相撲したら完敗するわよ。もっとも中佐はちっちゃいから握り合うことができないでしょうけどね……他にも色々分かってくるわよ、うちに居ると。最初に分かりそうなのはひよこちゃんのそれだと思ったんだけど……島田君と喧嘩になればすぐに分かると思ったんだけど誠ちゃんは島田君の舎弟になっちゃったものね。ひよこちゃんの力を知るのはしばらく先になるかも」
そう言ってアメリアはビールのジョッキを手に持った。
誠は周りを見回した。
店内は『特殊な部隊』の隊員達ばかりで占められている。秘密が漏れる心配が無いので誠に真実を話しているんだろう。それにしても信じられないことがある。誠は頭に浮かんだ質問をぶつけることにした。
「でも……そんな力があるならなんで発表されないんですか?遼南内戦ではクバルカ中佐は昔の地球の戦争で活躍したエースと同じように聞いてますよ。それが『法術師』としての力によるものだと分かったら……」
地球人に無い力を持つ異星人である遼州人の存在。それがなぜ公にならないのか、そしてそのことを政府はなぜ発表しないのか。いくら理系脳で社会常識ゼロの誠でも、そこには疑問しかなかった。
「分かったら何なの?その力を地球人に利用されるだけよ。地球人は遼州人の『力』を利用しようとしている。遼州にしても、地球圏と距離を保つには『法術』があるのかないのかはっきりしない状態の方が都合がいいの。だからその存在には勘づいていても地球も遼州も誰も発表しない……まあ、誠ちゃんはあまりに『法術』が普通の環境で育ったからよくわからないかもしれないけど……なんと言っても母親があの人だもの当然だわよね」
アメリアはそう言うと口の渇きをいやすべくビールを飲み始めた。
「『法術』が普通の環境ってどういう意味なんですか?僕は普通の高校教師の父と剣術師範の母の息子ですよ。そんな変わった環境にいた自覚はありません」
目の前の糸目の大女が言う『法術が普通の環境』の意味が分からず、誠はそう聞き返した。
「いずれ、貴様も知ることになる。だが、酒に酔って聞くような話では無いんだ。ただ貴様は普通の家庭に育ったわけではない。そのことだけは隊長から聞いている」
それまで黙っていたカウラがそう言って焼き鳥の並んでいる皿を誠に差し出した。
「確かに飲んで話す話題じゃ無いですよね。でも僕の母さんが何者なのか……いつか教えてくださいますよね」
「約束する。貴様が覚悟を決めた時、うちに確実に残ると決めた時に話すように隊長から言われている」
誠はカウラの差し出した皿から砂肝を取ると口にくわえた。
「僕が……特殊な環境で育ったなんて……」
そんな自覚は誠にはまるで無かった。自分の家庭が普通の核家族だと思っていた。
「いいじゃねえか、『法術師』であろうがなかろうがオメエはオメエだろ?それで良いってアタシが言ってんだから」
ラムのグラスを傾けながらかなめはそう言ってニヤリと笑った。
誠は自分に何かしらの秘密があるらしいことだけは理解できた。
四人の座ったカウンターは深刻な雰囲気に包まれていた。一方でテーブル席の整備班や運航部の隊員達は誠達の話題など聞いていないというように大声で談笑していた。
「なんか湿っぽくなっちゃったわね。これじゃあ酒がおいしくなくなるじゃないの。じゃあ、これまで来た5人のうちを出ていったなパイロットの話をしましょう!連中に比べて誠ちゃんがどれだけマシか……今日一日でよくわかったから」
それまでの深刻な表情を満面の笑みで染めてアメリアはそう言って誠達を見渡した。
「えー、あの馬鹿どもの話か?それこそ酒がまずくなるぜ……同盟司法局の偉いさんがうちに力を持たせまいと送り込んだ一般人なんて……興味ねえや」
アメリアの提案にかなめは嫌な顔をしながらラムの入ったグラスをすすっている。
カウラはと言うと特に関心が無いというように静かに烏龍茶を啜っていた。
「その『法術師』の可能性が無いパイロットの中で、一番最初に来たのは……」
烏龍茶のグラスを置いたカウラはそう言って首をひねった。
「オミズよ!オミズ!」
嬉しそうにアメリアが叫んだ。
その表情は喜色満面と言う言葉を絵にかいたようなそれだった。
「ああ、居たなそんな奴。印象薄くて顔も名前も憶えてねえけど……アイツが最初だったか……そうだ、アイツが最初だ。うんうん」
かなめは自分自身を納得させる為にそう言ってラム酒のグラスを傾けた。
「オミズ……女性だったんですか?元キャバ嬢とか。あの隊長の趣味ならあり得る話ですけど」
取り残されていた誠はそう言って、なぜか嬉しそうな表情を浮かべているアメリアに尋ねた。
「違うわよ。男の子……400年に渡り提唱されつつこの20年くらいまで実現しなかった遼州同盟の締結を最初から提案していた遼州の月の『ハンミン国』は知ってるわよね?」
アメリアは社会知識ゼロの誠を試すかのようにそう言った。
「知ってますよ。毎晩空に浮かんでる月に人が住んでるって子供のころは驚いたもんです。確かあそこの公用語は韓国語でしたよね?」
珍しく見つかった社会知識の引き出しを引っ張り出して誠はアメリアにそう言った。
「『ハンミン国』の第一公用語は確かに韓国語で合ってるわ。でも第二公用語は日本語。同盟会議の演説とかテレビで見ないの?各国の代表が日本語で演説してるじゃないの。まったく社会常識が無いのね、誠ちゃんは。まあ、あの国は資源に乏しいから主にナノマシン関係の技術と観光で食ってるのよ。『ハン流』の芸能人の歌とかドラマとか見たこと無い……わよね、誠ちゃんは。アニメとエロゲ一筋だから」
呆れたようにアメリアはそう言ってビールを一口飲んだ。
「知ってますよ!あの国のナノテクノロジーは東和と並んで地球を凌駕してますからね。まあ、たしかに『ハン流』のドラマとかは見たこと無いですけど……」
誠は自分の偏った趣味を指摘されてうつむきがちにそう言った。
「あの国のお国柄なのか、その子も真面目そうな子でね……角刈りで目つきが鋭くて典型的な『軍人』って感じだったわよね。まあ、見た目に反してメンタルの方は弱かったみたいだけど」
いぶかしげに尋ねる誠の言葉をアメリアはビールを飲みながら軽く否定した。
「オメエが初対面のアイツに水ぶっかけるからだろ?運航部の入り口で……ドアを開けたら上から仕掛けられていたバケツでドシャ―って」
かなめは呆れたようにそうつぶやいた。
「水ですか!いきなり失礼じゃないですか!」
かなめの言い出した言葉で誠は運航部の入り口で逢った『金ダライで歓迎事件』のことを思い出した。
マイク片手にカラオケでロックを熱唱して馬鹿騒ぎしている運航部の女子隊員の様子を見ればそれくらいのことはやりかねないと誠にも察しがついた。
誠は呆然としてアメリアの底知れない不気味な笑顔をのぞき見た。
「かなり怒っていたな……水くらい拭けばいいのに」
「そりゃあ初対面の人の頭に水をぶっかければ普通怒りますよ!」
常識人に見えて完全に『特殊な部隊』に染まっているカウラの薄い反応に、誠は思わず強めに叫んでいた。
「つうわけで、水をぶっかけられて激怒したそいつはせっかくアタシ等がここでなだめる為の宴会を開いてやったというのに、そのまま次の日に叔父貴にタクシー券を渡されて豊川駅からさようならしたわけだ……この店でもずっと黙り込んだままで……ああ、つまらねえ酒だったなあの日の酒は。あの国は東和にあんまりいい感情を抱いていねえからな。どうせ東和の『アナログ式量子コンピュータ』の秘密を探れとか上から言われてきたんだろ?アタシも甲武国出身で甲武陸軍上層部にはそんな命令も受けてるが……そんなもん真面目にやってられるかよ!」
薄ら笑いを浮かべながらかなめそう言って笑った。
「僕は……残るつもりですから……」
「本当に?本当に?」
冷やかしてくるアメリアを冷めた目で見つめながら誠は砂肝を平らげた。