02nd.05『罰』
この世界の
ついさっきトイレ男を衛兵の詰所に届けた時は真っ青だった空も、今は闇色に染まってしまっている。空が赤かった時間など、道端で会った知り合いと少し立ち話をするのと同じぐらいしか無かった。
「〜〜♪」
そんな暗闇の中で、巨女は路地裏を歩いていた。
夜は彼女が本格的に活動を行う時間帯である。この街を皮切りに世界中の悪の撲滅を目指す彼女は悪党は夜中に動く物だと知っている。暗く人通りも減った夜の街は、人に見られるのを嫌がる悪者達の時間だ。
「♪…………むっ」
そこで地味に夜目が効く巨女は見た。
一人の男が、裏口から建物の中に入ろうとしているのを。
泥棒だ、と巨女は勘付いたが、まだ確証は無い。家の住民や家主の知り合いかも知れない。この段階でとっちめてしまえば、無辜なる一般人を傷付けてしまい衛兵にいつものとは違う厄介になってしまう事に繋がり兼ねない。
よって巨女は気配を消して男に
「やぁ!」
「ッ!」
男の背後まで到達した巨女は元気良く彼に声を掛けた。驚いた男は肩を飛び上がらせつつ振り返る。
「こんな時間にこんな所で何してるんだい?」
「糞ァ!」
どうやら男は悪党で合っていたらしい。
犯行現場を見られた(男から見ればそんな確証は無いが、男は咄嗟に
暗闇の中、やさぐれ男はあまり視界がはっきりとしていないのかも知れない。巨女は微妙に狙いのズレた一撃を振るう右手を掴み取り、刃が自分に刺さらない様注意しながら男が持っていた勢いも使って彼を投げた。一応男の勢いを使いはしたが、実際は投げるのに必要だったエネルギーは巨女の筋肉から賄われていた。
「かはっ!」
背中を地面に強打したやさぐれ男は強く息の塊を吐く。
巨女は携帯しているロープで素早く彼を縛る。やさぐれ男は抵抗したが、巨女の圧倒的な筋力の前には無力であった。一般的な成人男性では巨女には敵わないのだ。
「ふぅ」
一仕事終えた、とばかりに巨女は額の汗を撫でた。それからこの男を衛兵に突き出す前に家の住民に注意喚起をしておこうとドアをノックしようとするが、
「⸺大人しく警告に従う気は無かったの?」
「…………」
背後から聞こえたその声に振り返った。
やさぐれ男が出した声ではない。彼はいっそ不気味なまでに沈黙を保っている。声が聞こえたのは上から⸺奇しくも、巨女がチンピラ達に奇襲を与えたのと同じ方向からだ。
その方向に視線を向けると、朧気にだが、一人の人間が建物の屋根の上に立っている様だった。そういやコイツは前会った時も上に居たな、と巨女は思い出していた。
「聞こえてる?」
「あぁ、聞こえているよ。そりゃもうバッチリと」
屋根の上の人⸺声質からして女。女にそう答えつつ、巨女は全身の筋肉を意識していた。
巨女が前にこの女と会ったのは、五日程前である。
この女はいつもの様に悪党狩りをしていた巨女の前に現れ、次の様な言葉で巨女を脅した。
『正義のヒーローごっこはその辺にしておきなさい。これ以上は命に
勿論巨女はごっこ遊びで悪党狩りをしている訳ではなく、命の危険なんていつも意識している事なのでこの警告を無視していた。一応衛兵に伝えはしたが。
「質問に答えると、私にそちらの警告を聴く気は一切無い。私の目標は世界中の悪を根絶する事。今はその一歩としてこの街の悪の根絶を目指している。大事な一歩目で躓く積もりなど毛頭無い」
「そう。過分な目標を持っているのね」
女は巨女の動機に興味は無い様だった。
女は屋根から跳び降り巨女と同じ高さまで来る。ここで漸く巨女は女の姿をぼんやりとだが見る事ができた。黒い、装飾過多なワンピースに身を包んだ、恐らく一〇代後半の少女だ。
「貴方は私達のテリトリーを侵した。最後通牒も跳ね除けた。これから与えられるのはそれに対する罰⸺自らが犯した罪の結果、身を以て受けなさい」
「ッ⸺!!」
相手が少女である事など関係無かった。この女は悪、それもそこそこ深い所に居そうな悪だ。相手の戦力が見た目通りだなんて信じられない。巨女は突撃を開始する。
大きく拳を振りかぶり、黒女の顔面を狙って振り抜く。黒女はそれを柔軟な体を大きく反らせて避けた。彼女はその侭両手を地面に突き、脚を振り上げて巨女の顎を狙う。
「効かぬッ!」
しかし小柄な黒女の、勢いの弱い蹴りなど顎を打たれても巨女のダメージにはならない。巨女は黒女の攻撃を無視して彼女を掴みに掛かる。
一方の黒女は迫り来る巨女の手を無視し、早口だが巨女にも聞こえる声量で何事かを言う。
「
直後、巨女の体が何者かに蹴られたかの如く吹き飛ぶ。黒女はその間に体勢を立て直し、ポケットに入れていた石を投げ付ける。
「
黒女がこう言えば、投げられた石は
「ッ!!」
壁に打ち付けられ、回避行動の取れない巨女は右手で石を払った。手の甲が抉れ、血が噴出する。並大抵の筋力では⸺それこそ巨女の筋肉を以てしても有り得ぬ威力に巨女は瞠目する。石はその侭彼女の手を貫通したが、方向がズレたお陰で頭には当たらずその直ぐ横に着弾した。壁に穴が空く。
「化け物め!」
巨女は歯を食い縛り右手の痛みに耐えた。壁から離れ、握る事もできなくなった右のではなく左の拳で以て黒女を殴らんと突撃する。
自分でも笑いたくなる程ワンパターンな攻撃だが、現状彼女にできる攻撃はこれだけなのであった。謎の言葉で訳の判らぬ術を使うこの女を置いて逃走する事など、巨女にしてみれば有り得ない事だったのだ。この女から目を離して一般人が傷付くよりは、自分が傷付く。巨女はナチュラルにそれを選べてしまう人間だった。
黒女は既に一度見た攻撃を簡単に見切り、背後に避ける。避けながら、
「
などと宣い宙に浮いた。
「このぉっ!」
攻撃が空振った巨女は無理矢理体勢を立て直し、拳を振り上げて黒女を殴ろうとする。しかし黒女は巨女の拳が届かぬ高さまで飛び、難無く避けてしまった。
「これで終わらせる。
巨女も流石に黒女がこう言えばまた訳の解らぬ事が起きると判っていた。
判っているが、何が起こるのかは全く想像が付かなかった。せめて身は守ろうと頭を腕で隠す。
「岩墜ちども潰れず、墜つれば地窪ます。如何にか我墜つれば潰れ、墜ちども地窪まざるや?」
丁度巨女の真上に居た黒女は、そう言った。
そして墜ちて⸺
「⸺ぐぁっ」
⸺巨女を潰し、その上から地にクレーターを作った。
巨女の骨という骨が折れ、肉という肉が千切れ、内蔵という内臓が爆ぜる。辺りに血肉を撒き散らし無惨な死体⸺服に包まれた肉と骨と皮の塊となって、巨女は絶命した。
一方のそれを為した黒女は涼しい様子で、巨女の上を離れた。
「全く、只の筋肉塊の癖して思ったよりも強いんだから……最初っから、上の方から一方的にやっとけばよかった。あぁ、靴が汚れてしまった……新しいの買わないと。ハインツ!」
「あいあいったよぉ。全くいつ見てもバケモンだなおめぇ」
縛られた侭放置されていたやさぐれ男が立ち上がる。いつの間にかロープは解かれていた。
「この女縛り慣れてる上に力強いから結び目がキツい。解くの手間取ったぜ」
「あっそう。早く行くわよ、加勢して姉様に良い所を見せたい」
「姉様は姉様でバケモンだからもう終わってんじゃね?」
「それでも!」
黒女が走り去り、男はその後を追った。
後には人だった物だけが残されたのだった。