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26.宝物庫

 鬼ノ城の宝物庫──城主のみが開くことの許される特殊な鬼術が施された黄金造りの分厚い両扉に向かって、巌鬼は両手を差し伸ばした。

「──ふん!」

 そして、一息力を込めて押し開けると、パッパッパッ──と燭台の火が次々と灯り、宝物庫の内部を明るく照らし出した。
 宝物庫の内部には、日ノ本の村々への度重なる襲撃によって、鬼人たちが新たに収奪してきた財宝が並べられていた。

「……桃太郎によって鬼ヶ島から"奪われた"財宝……いったいどれだけ取り戻せたのかしらね?」

 巌鬼の背後から宝物庫の内部を覗き込んだ鬼蝶が声を発すると、巌鬼は宝物庫を見回しながら低い声で返した。

「──まだ一部ですらないな……宝物庫と呼ぶには、まったくもって数が足りん」

 巌鬼は苛立たしげにそう告げると、かなりの広さを持った蔵のような造りをしている宝物庫の内部に足を踏み入れた。
 大小の金塊と銀塊に小判、各種の宝石、絹織物、茶器、鎧、兜、刀、掛け軸、黄金の仏像──価値の有りそうな物品が置かれてはいるが、宝物庫の広さに対しては随分と殺風景であった。

「──桃太郎に財宝を奪われる以前の、豊かな宝物庫の状態に戻す。それもまた、鬼ヶ島首領としての俺の重要な役目だ」

 巌鬼が太い腕を組みながら言うと、満面の笑みを浮かべながら宝物庫を覗き込んだ役小角が声を掛けた。

「かかかか……! 温羅坊、おぬし、もともと宝物庫がどのような状態だったかなど知らぬだろうが──桃太郎がやって来たのは、おぬしがまだ"奥の間"を這いずっていた頃なのじゃから……かかかか!」
「…………」

 そう言った役小角が右手に持った黄金の錫杖で床を突きながら宝物庫の中に入ってくると、巌鬼は不愉快な感情を隠さずに横目で睨みつけた。

「ふむ……まぁ、わしは物に執着せんから何とも言えぬが……確かに、かの悪名高き鬼ヶ島の宝物庫がこのような有り様では、死んでいった鬼どもに対して示しがつかぬわなぁ──かかかかッ!」

 役小角は笑いながら宝物庫に置かれた物品を美術館の展示品でも見るかのように観察して回った。そして、名のある水墨画家の手によって描かれた山水画の掛け軸の前で立ち止まると、役小角は細い目を更にグッ──と細めた。

「──んん……こりゃあ……なんとも見事な贋物(にせもの)。一銭の価値もないのう……かかかか!」

 役小角はあざ笑うように言うと、その言葉を聞いた巌鬼が、肩を怒らせながらドシ、ドシ──と足音を立てて隣までやってきた。そして、太い腕を伸ばして壁から掛け軸をむしり取ると一切の躊躇なく、両手で勢いよく二つに引き裂いた。

「──これで満足か? クソジジイ──」

 巌鬼が引き裂かれた掛け軸を床に落としながら、ギロリ──と役小角を見下ろして言うと、役小角は何もなくなった壁を見つめながらおもむろに呟いた。

「……すまんのう──わしの中の"一言主"が、うるさいのよ」
「……あ?」

 役小角の小さな声を耳にした巌鬼は、眉根を寄せて聞き返した。すると、役小角は至近距離で巌鬼の顔を見上げ、にんまりとした不気味な笑みを浮かべながら口を開いた。

「──わしの中の"一言主"がのう。"ギャアギャア"と喚き立てておるのだ……"千年間"──ずっとな」
「……ッ」

 細い目の奥にひそむ深淵を写した漆黒の眼(まなこ)で、巌鬼の黄色い鬼の目を見つめながら言う役小角。巌鬼は役小角から放たれる異様な雰囲気に臆して目を逸らしすと、二人の会話を後ろで黙って聞いていた鬼蝶が役小角に対して尋ねた。

「……行者様、"一言主"とは……?」

 鬼蝶の言葉を聞いた役小角はちらりと鬼蝶を横目で見ると、相変わらずの笑顔ながらも、どこか神妙な面持ちで口を開いた。

「──"神"だ。葛城山に棲んでいた愚かな山の女神よ──わしを侮り、謀(たばか)ったゆえに体内の社(やしろ)にて捕らえた」

 そう告げた役小角は、自身のへその下、丹田のあたりを黄金の錫杖の三つの金輪が並んだ頭をチリン──と鳴らしながら指し示した。

「……"神"を体内の社に捕らえるとは……いったいどのような術なのでしょう……?」

 鬼蝶が興味深げに尋ねると、役小角は巌鬼の前から歩き出した。そして、宝物庫の中を見て回りながら話し出す。

「──名を"社神の術"という。体内に荘厳な法力と呪力の社を練り上げ、その奥深くに"神"を封じ込める──命がけの"陰陽術"を、わしは千年前にやってのけたのだ」

 黄金の仏像の前で足を止めた役小角がその圧巻の仕上がりを眺めながら言うと、鬼蝶は息を呑んだ。

「……"陰陽術"、にございますか……行者様が法術と呪術に精通していることは知っておりましたが、まさか陰陽術も扱えるとは存じ上げておりませんでした……」
「かかかか……! 陰陽とは文字通り、陰と陽の兼ね合い……聖なる法術と邪なる呪術の融合によって生み出される至高の技の領域なのじゃよ……それに何を隠そう──"陰陽術"はわしが創り出したのでな」
「……っ!」

 役小角の言葉に驚愕した鬼蝶。役小角は、静かに合掌する黄金の仏像に対して、左手を持ち上げてスッ──と片合掌を返した。

「──"社神の術"を成功させるためには、まず"一言主"がわしの体を乗っ取ろうと取り憑いたところを逆に引っ捕らえる必要がある……こう簡単に言ってはみたが、当然、そのまま乗っ取られて終わる可能性だってあれば……練り上げた社が"一言主"の神力に耐え切れず、わしの体が破裂する可能性だって大いにあった──」

 役小角は千年前を振り返りながら目を細めて語ると、黙って話を聞く鬼蝶と巌鬼の姿を横目で見やった。

「しかし、当時のわしは既に齢100を超えておった。老いぼれ切って、あとは死ぬのを待つだけの身……ならば、"不老不死"の賭けに打って出ようと思い至ったのよ」

 役小角は胸元まで伸びる白い髭を左手で撫で下ろすと、千年前の日ノ本を懐かしむように穏やかに目尻を下げた。

「それに、あの頃の日ノ本はわしが創設した"陰陽道"の最盛期……芦屋道満と安倍晴明という二人の冴えた陰陽師が京におっての。わしの神捕らえの策に"面白い"と言って協力してくれたよ」
「……鬼蝶、その二人の名、知っているか?」

 役小角の言葉を聞いた巌鬼は、鬼蝶に向けて低い声を出して尋ねた。

「……ええ、よく知ってるわ……どちらも非常に腕の立つ、伝説的な陰陽師の名よ」
「……ふゥむ」

 巌鬼は鬼蝶の返答に納得いかないような声を漏らして返すと、役小角は鬼蝶の回答に満足げな笑みを浮かべながら話を続けた。

「千年前のわしの力量では、単独で成功させることは到底不可能。道満と晴明、二人の優秀な"弟子"の手助けあってこその"社神の術"……神捕らえの荒業だったわけじゃ──」

 役小角は感慨深げにそう言うと、"千年間"にわたって"一言主"が捕らえらている体内の社が存在する丹田に左手をグッ──と押し当てた。

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