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第12話 新人『天然』ナースひよこ

「ごちそうさまでした!本当にありがとうございます」

 倉庫の片隅に置かれた応接セットで仕出し弁当を食べ終えた誠は目の前で班長権限を示すらしいプリンを食べている島田に声をかけた。

「結構旨いだろ?最近は隣の工場が生産調整やら製造部門の他への移転やらの工場機能の縮小で従業員が減って注文が減ったからまずい店は淘汰(とうた)されたからな。それなりに安くて味がいいところだけが残ったってわけ。分かったか?」

 島田はプリンを食べ終えると、そう言ってタバコに火をつけた。

「次は僕はどこに行けばいいんでしょうか?」

 どうやら部隊の全体を今日一日で回ることになると思った誠はそう言って島田の顔を見た。

「次ねえ……管理部は……あそこはいいや、『粘着質』で『変態』な嫌な野郎がいるし、その部下と言っても近くのパートのおばちゃんばっかりで初日に行ってもがっかりするだけだから。それにどうせ明日の朝にはうちの制服を取りに行くだろうからな……まあ、そん時にあそこのおばちゃん達とは仲良くしとくと良いことあるぞ。こまめに掃除をしてくれたりとか、破れた制服縫ってくれたりとか。うちは技術屋だから裁縫関係はまるっきりでな。運航部の女芸人は家事なんてろくにできねえし」

 島田は何か管理部のその責任者の男の人に妙な敵意をむき出しにしてそう言った。

「管理部、ですか……経理とかの人とは確かにあまり相性が良くなさそうですね、僕。結構これから迷惑かけそうなんでしばらくたって落ち着いた時にあいさつに行くことにします」

 大学時代にしていた塾講師のバイトでも事務の人から色々と必要書類の記入間違いが多いと小言を言われ続けていたことを思い出した誠は苦笑いを浮かべながら島田にそう言った。

「そうだ!医務室に行くか?あそこは良い!この部隊の唯一心が休まるオアシスだぞ」

 島田はそう言うと立ち上がり、はだけていたつなぎの袖に腕を通し始めた。

「医務室?お医者さんがいるんですか?まあ、シュツルム・パンツァーなどと言う危険な人型機動兵器を扱うんですから当然お医者さんくらい居ますよね……その島田先輩の様子だと女医さんでも居るんですか?しかも美人の」

 誠はにやにや笑いながら歩き始めた島田の後ろをついて歩き始めた。

「うんにゃ、美人女医さんなんてどこかのAVに出てきそうな人は居ねえよ。隣の工場に『菱川重工病院』があるから、ここには医者は必要ねえんだ。ただ、銃の訓練とかで応急手当とかが必要な怪我に備えて看護師が一人常駐している……」

 そこまで言うと島田は振り返り誠に顔を寄せてきた。

「なんです?島田先輩……」

 近づいてくる島田の顔を見ながら誠は戸惑ったようにそう言った。

「そのナースが……結構かわいい」

「は?」

 真剣な表情の島田に誠はどうツッコんでいいか分からずにいた。

「名前は『神前(しんぜん)ひよこ』。階級は軍曹。ああ、考えてみればオメエと苗字が一緒だな……親戚か?」

 ひよこの話になった途端、それまでの凶暴なヤンキーの面構えから爽やかなお兄さん風の顔になった島田は誠に向ってそう尋ねてきた。

「違うと思いますよ。僕の『|神前《しんぜん》』と言う苗字は母の苗字ですけど、母は一人っ子らしいんで母方の親戚がいるって話は聞いたことが無いですから」

 誠は必死になって乱れた髪を整えようと手櫛を入れて格好を取り繕っている島田に向けてそう言った。

「ふうん。オメエのオヤジは婿養子か……まあいいや、人の家庭の事情に踏み込むのは俺のポリシーに反するからな。俺も聞いて欲しくねえし」

 島田は誠の答えにどこか納得がいかないという表情を浮かべていた。

「でも、『神前(しんぜん)』って苗字は珍しいよな。俺が知ってるのはひよこくらいだぞ……普通『神』の字に『前』と来たら『カンザキ』って読むもんだろ?そう言う奴なら高校の時に居たいけ好かない教師がそんな苗字だった。何度殴ったか分かんねえくらい嫌な奴だった。その度に停学食らって大変だったなあ……」

 倉庫からの出口で立ち止まった島田は昔を思い出すように遠い目をすると、くわえていたタバコを投げ捨てながらそう言った。

「停学ですか。やっぱり先輩はヤンキーなんですね。話は戻りますけどなんでも隣の大陸にあるあの『遼帝国』の帝室の関係者が国内で内乱が有ったりしてこの東和共和国に亡命すると『|神前《しんぜん》』って苗字を名乗るしきたりだって母からは聞いてますけど」

 誠はあまり社会常識のない理系人間だったので母からの受け売りの知識をひけらかしてそう言った。

「『帝室』ねえ……ひよこは庶民的な雰囲気なんだけどね……オメエも『ザ・庶民』って顔だしな」

「それ褒めてないですよね、それ」

 少しカチンときた誠を無視するように背を向けた島田はそのまま本部棟の中に足を踏み入れた。

「じゃあ行くからな」

 そう言って急ぐ島田の後に続いて誠は足を速めた。

 運航部に向かう廊下を左に曲がると、そこには小さな白い看板に明らかに女性の書いた筆文字で『医務室』と書かれているのが目に入ってきた。

「ここだ」

 島田はそう言うと気合いを入れるように咳払いをして扉を開いた。

「ひよこちゃん!居るー?」

 彼は軽い調子でそう言って医務室の中に誠を案内した。

「失礼しまーす」

 誠は仕方なく島田に続いて医務室に入った。

 医務室の中はまるで中学高校の保健室のように、白いパーテーションが目に付く明るい壁紙の張られた部屋だった。

「はーい」

 
挿絵


 パーテーションの奥から出てきたのは、小柄なカーリーヘアーの髪の『少女』だった。

「こいつが今度来た……」

「誠さんですよね!私も苗字が『|神前《しんぜん》』なんですよ!奇遇ですね!」

 小柄な実働部隊の夏季勤務服姿のひよこが誠の目の前に飛び出してくる。

 そのどこか天然の女子が持つ独特の勢いに押されて誠は思わずのけぞった。

「ごめんなさい……大丈夫ですか?」

 ひよこは正直、『かわいい』感じだった。

 年齢は幼く見えるが、看護師と言うことは短大か専門学校は出ているはずなので二十歳ぐらいと言う所だろうか。

 誠はなんとなくうれしくなって彼女のまん丸の瞳に恐る恐る目を向けた。

 照れている誠の顔をどんぐりのような丸い瞳が見つめてくる。

 思わず誠はこれまでの女性陣には感じたことのないときめきを感じながら頭を掻いた。

「神前ひよこさんですよね?」

「はい!神前ひよこです。今年の春からこの実働部隊にお世話になってます!」

 そう言って笑いかける幼く見える姿を見て誠は思わず頬を赤らめた。

「こう見えても東和陸軍医療学校の看護学科卒の正看護師だぞ!まあ、包帯を巻くのは……うちの兵隊の方が得意だけど」

「すみません……私、不器用なんで……私には『ポエム』しかないのかな……」

 島田が口を滑らすとすぐにひよこは落ち込んだように首を垂れた。

「いやあ!うちも若いのが多いから!前のおばちゃんが定年で辞めたからどんな人が来るかなーとかうちの馬鹿共が言ってたところにひよこちゃんみたいなかわいい子が来て!」

「でも……私……新米だし……経験もあまり……」

「関係ないから!経験とか無くていいから!」

 いじけるひよこと焦る島田の掛け合いが繰り広げられる。

 そのコンビに誠はただ何も言えずにたたずんでいた。

 次の瞬間、誠は背後に視線を感じて振り返った。

 ドアの隙間から整備班の制帽の白いつばがいくつも覗いているのが見えた。

「島田先輩……あの人達……」

 ひよこに愛想笑いを続けている島田に誠は思わず声をかけた。

「言っとくぞ神前。オメエが下手にひよこに手を出すと……血を見るぞ……ひよことオメエの部隊の小隊長はコアなファンが多いからな!実際ひよこちゃんの手を握ったこの前来た馬鹿なパイロットには俺自ら死の鉄拳を繰り出してやった!そんくらいの覚悟は持て!」

「小隊長って……カウラさん?コアなファンって……」

 島田は誠の耳にそうささやくと頭を掻きながら部屋の扉に向かった。

「じゃあ、ごゆっくり!オメエならひよこちゃんの手ぐらい握っても俺は許す」

 整備班の野郎共の敵意の視線を浴びながら、誠は明らかにひよこを意識している島田の背中を見送った。

『オメエ等!覗きは犯罪だぞ!つまらねえことしてるくらいならランニング!グラウンド十週!走れ!それと神前の野郎はこれまで来たひ弱なもやし共と違って俺が認めた男だ!下手な気起こしたらただじゃ済まねえからな!』

 医務室の外で島田の叫びがこだました。

「誠さん……」

 島田を見送った誠のすぐそばにいつの間にかひよこが立っていた。

 誠はひよこのふわふわした黒髪に視線を送る。

 思わずその肩に手を伸ばしてもいいんじゃないかと言う妄想にとらわれそうになった時、ひよこは一冊の本を誠に手渡した。

「あの……」

「これ、私の詩集なんです……読んでくれますか?誠さんの気に入ると良いんですけど……」

「詩集……?」

 文系科目まるでダメの誠には歌心などあるはずもない。誠にとって初めて見るポエムノートは不思議なものに思えた。

「詩集……詩……歌……」

 独り言をつぶやきながら誠はそのポエムノートの表紙を開いた。

 あまりうまくないウサギとタヌキのようなものが描かれた裏表紙に誠は少し嫌な予感を感じていた。

 次のページには確かに詩が書いてあった。

『夏の風……少し暑い日々……夏の風……生き物を育てる風……夏の風……どこまでも突き抜けるような青い空……夏の風……夏の風……いつまでも吹き続ける夏の風……』

 硬直しながら誠はひよこの詩集を黙読した。

 正直、誠には意味がよくわからなかった。

「どうですか?」

 まじまじと見つめて来るどんぐり目玉のひよこの前に誠はドギマギしていた。

 これまで女友達どころか男友達すら出来なかった『もんじゃ焼き製造マシン』体質の誠にひよこは無神経に接近して顔を向けてきた。

「まだ一ページしか読んでないんですけど……」

 誠がそう言うと、ひよこは明らかに落胆したような表情を浮かべる。

 女性にまるで免疫のない誠はただ頭を掻いて愛想笑いを浮かべるだけだった。

「いや!僕は国語がまるでダメだから!漢字が読めるだけで!詩とか、歌とか全然わからないんだ!うん!」

 そう言う声もイメージに生きるひよこには届かなかった。

「そんなこと関係無いです!わからないんですね……伝わらないんですね……私の言葉……やっぱり私のできる事って言葉にできないことばかりなんですね……私は心を伝えたいだけなのに……」

 明らかに落ち込んでいるひよこに誠はただ苦笑いを浮かべていた。

 そして、誠に分かったことは、ひよこがあまりに天然すぎてとても誠の手に負える女の子では無く、そうなるとここには長居は無用だということだった。

「ごめんね……僕は他にも挨拶をしなきゃなんないところがあるから!」

 爽やかお兄さんを演出しつつ、誠はそのまま医務室の扉に手をかけた。

「はい!誠さん!頑張ってくださいね!」

 また明るくなったひよこの声を聴いて誠はひよこに見送られて医務室を後にした。



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