第10話 青空の下でのヤンキーとの遭遇
廊下に出た誠を待っていたのは、人影は全く無いまま続く廊下だった。
「どこだ?入口はあっち」
そこまで言って軽く周りを見回す。
右に顔を向けると、この建物に入ってきた時に使った自動ドアが見えた。
「つまり、反対に行けばいいんだな」
独り言を言いながら、誠は入口の反対側に進んだ。
突然行き止まりになったが、そこには物々しいドアがあった。
「なんか、秘密基地っぽいな。こういう時は右側に……」
そう言いながら誠は扉の右側に大きな緑色のボタンを発見した。
その下には赤いボタンがある。緑のボタンが出っ張り、赤いボタンはへこんでいる。
「こういう時は出っ張ってる方を!」
誠は勢いよく緑色のボタンを叩いた。緑のボタンがへこみ、赤いボタンが出っ張る。
それを合図にゆっくりとその鉄の扉が開き始めた。
「こういう時はドライアイスで煙が出ると雰囲気出るんだけどな」
ここがすでにどこかおかしいところであることを確信した誠は、そう言う風に変な思考をすることでなんとか自分のどうかしている運命に立ち向かうことを決めていた。
扉が開いた向こうから音楽が聞こえてきた。
不良が好きそうなロックンロールである。
うんこ座りのヤンキーがタバコを吸いながら車座になって、隣のスピーカーから流れているあれである。
「まさに不良のたまり場って感じ」
誠はおどおどしながら足を踏み入れた。
すぐにガソリンエンジン用のオイルの匂いが鼻を突いた。
そして、ガソリンをはじめとする揮発油の匂いが混じった刺激臭が鼻を突く。
床はオイルのしみ込んだ跡が点々と残り、壁の向こうではエアツールの音が響いていた。
『匂いが……』
理系大学なので自動車部があり、大学に入った時に新入生歓迎レースでその匂いを嗅いだが、これほどその匂いが染みついている場所に行ったことが無い。
三十メートルぐらいの奥行き、幅は相当あるとしか誠にはわからない。
車、いわゆるガソリンで走る『旧車』が並んでいた。
「すいませーん」
人影がまるでないので、誠は叫んでみた。
誰も来ない。
相変わらずロックンロールが流れている。
「誰かいますかー」
今度は少し大声で叫んでみた。
「うるせーな、いい曲聞いてんだよ。雑音混ぜんな……」
ジャッキアップした白と黒のツートンカラーのガソリンエンジンの旧車の下から声が聞こえた。
「あのー島田さんですか?」
車の下から出てきた身長185センチの誠よりさらに大きな恰幅の良い男がはい出してきた。
水色のつなぎは整備班の指定のものだろう。
右胸に『実働部隊』の刺繍がある。
空調が無いのでむっとした空気の中、顔中油だらけの男は立ち上がった。
「ちげーよ。班長は駐車場。またバイクでもいじってんだろ」
そう言うと大男は再び車の下に潜ろうとする。
「まったく、邪魔しやがっって。班長が『こいつはこれまでの
そうぶつぶつ言いながら男は車の下に潜ろうとする。
「あのー駐車場は……」
仰向けになって車の下に入ろうとする大男に声を掛けた。
「あっち」
右手の方を指さすと男はそのまま車の下に潜りこむ。
「こういう時、何を言っても無駄ですよね……」
誠は遠慮がちにそう言った。
「わかってんなら行けよ!ガソリン車の旧車のバイクの前で座って、タバコ吸ってる上半身裸の兄ちゃん。そんな馬鹿他にいねーから。格納庫の入り口からすぐわかる!さっさと行け!俺は忙しいの!」
顔だけ出したオイルまみれの男はそう吐き捨てるように言うと、誠を無視して車の下に潜ってしまった。
「なんだかなあ……」
とりあえず上半身裸の馬鹿そうな男を見つけたら声を掛けようと決めて、誠は歩き出した。
誠は高さ二十メートルを超える大きな扉の隙間から外を眺めた。
そこにはこれまでの話を総合した結果、あるべき場所にあるべき駐車場がそこにあった。
広い駐車場に車の数はまばらで、その中央に明らかに場違いなランの黒い最新型の高級自動車があった。
多くはスポーツカー、そして税金が安くなる『軽自動車』の可愛らしい車が並んでいる。
誠は車の見本市と化している駐車場に足を踏み入れた。
「スポーツカーは技術部の人達のかな?技術系の人は男が多いからこう言うスポーツカーに金を惜しまない人多そうだな。運航部の女子は基本的に軽かな。ポップな色は女の子っぽいもんな。それと……どう見ても型落ちの軽。これも技術部の男衆だな。金が無くて廃車置き場にある鉄くずを再生した……そう言う先輩いたな……大学時代も」
そんな独り言を口にしながら、誠は学生時代を思い出していた。
「上半身裸の馬鹿そうな兄ちゃん……」
車が無くなって、ラインが適当に引いてあるだけの地面の向こうに、誠は人影を探した。
すぐにそれは見つかった。駐車場の隅に見える掘っ立て小屋の前にその奇妙な生き物は背中を向けて座っていた。
「あそこか……それにしても……敷地内に森?」
何故かその半裸の男の向こうには森があった。
東和陸軍の敷地の中には、こうした森があることがあるのが一般的だと聞いていたので、誠はどうせ神社でもあるのだろうと割り切って、深く考えないことにした。
近づくとその日焼けした背中を見せる男の向こうにバイクが停まっていた。
その隣の青い箱がクーラーボックスだとわかった。
誠は汗をぬぐいながらそのチンピラ風の茶髪の男の方に向かった。
空は先程の曇り空から、カンカン照りの快晴に変わっていた。
日差しが容赦なく誠に照り付ける。
東和共和国宇宙軍の夏服がいかに東和の夏に向かないものか、誠は身をもって体験していた。
急に後ろに気配を感じて誠が振り返るとそこには軽自動車が一直線に誠に向かっているのが見えた。
型落ちのボロボロの軽自動車。明らかに技術部の所属であることは誠にも一目で分かった。
おんぼろ車はそのまま誠を避けて一直線に、いわゆる『班長』のところに向かった。
もうすでに大声なら聞こえるところまで、誠は『班長』の兄ちゃんとの距離を詰めていた。
声の主の運転席から降りてきたのは小柄なつなぎを着た整備員だった。
「遅れました!」
誠より年下とわかる真新しいつなぎの整備員はそう言って運転席から飛び出して叫んだ。
「西!早くしろよ……後輩が見てんぜ」

上半身裸の馬鹿そうな茶髪の兄ちゃんの言葉を聞くと若い整備班員は急いで後部のハッチを開けた。
彼が取り出したのは、クーラーボックスだった。
彼は整備班長と思われる半裸の男の脇に置かれたクーラーボックスと持ってきたクーラーボックスを取り換えた。
その作業の間に若者は誠と目が合った。
西と呼ばれたその若者は持っていたクーラーボックスをアスファルトの地面に置くと誠に向けて敬礼した。
「そいつは新米。お前は先輩だ。気をつかうことはねえんだ。オメエが生まれた階級と生まれた身分がすべての『甲武国』ではそうかもしんねえが、ここは『東和共和国』だ。同じ遼州同盟加盟国とは言え俺の兵隊は俺流で育てる……敬礼なんぞ止めて、そこにある空き缶の箱。とっとと積んで帰れや。オメエの仕事はそこまでだ。とっととやれ」
その言葉を受けても、二十歳に届くかどうかの若い整備員は誠と整備班長の間で困っていた。
「さっさと片付けろ!」
整備班長に怒鳴られ、その若い整備員は弾かれるように段ボール箱に飛びつき、それを軽自動車の後ろに押し込んでそのまま車を走らせて消えていった。
「あのー」
誠は先程の指示があまりに乱暴なので注意しようとした。
誠が半裸の男の真後ろに立った時、その男はクーラーボックスを開けた。
「遠いところようこそ。喉乾いてんだろ?冷えたビールを持ってこさせたわ。飲むだろ?うちは組織は軍隊に準拠してるらしいねえ……そんなことは俺には関係ねえけど。俺は好きなようにやる。クバルカ中佐からそうやって良いって許可の元、俺はここに居るんだ。そこんとこ忘れんなよ?」
それだけ言うと男はクーラーボックスを開けた。
先程の空き缶の数からして、相当飲んでいるはずだった。
男の前にはバイクがあった。実に見事な整備されたバイクだった。
エンジン回りは磨き上げられて光を放っていた。
「バイク……好きなんですね」
半裸の男の隣に立って、誠はそう言った。
男は誠にビールを手渡した。
「いきなり飲酒だなんて……今は勤務中ですよ」
拒む誠を見て男はニヤリと笑う。
笑顔の似合う二枚目。醤油顔の典型的な顔。見える上半身は鍛え上げられていて、筋肉質だった。
「島田……島田正人」
ビールのプルタブを開けながら男はそう名乗った。
「僕は……」
誠が話し出そうとすると、島田は一気にビールを口から流し込んだ。
「知ってるよ。俺には一応部長権限があるからな。そんぐらいわかる。下手なんだって操縦」
そう言いながら、島田は隣に立っている誠を見上げてニヤリと笑った。誠は何度も聞かされたその言葉に正直うんざりしていた。
しかし、うんざりしているのは島田も同じようだった。
「めんどくさいねえ。演習中に障害物とどっかーんなんてされた日にゃ、うちの兵隊いくらあっても足りねえや。シュツルム・パンツァーが動けなくなって回収する時もうち等、技術部が回収作業をやるんだ。肝心の出動があるまでにシミュレータと、あの偉大なるクバルカの姐御の指導で多少ましになってくれや。シュツルム・パンツァーを起動させる度に機動部隊の女コンビはどっちかが機体に無理させて壊して来るんだ。その度にこっちは徹夜で修理だ。その点、クバルカの姐御の機体は奇麗なもんだ。アレを本当の『エース』って言うんだろうな。『遼南内戦』での撃墜数も納得の見事な操縦だよ。その力に嫉妬した連中が『粛清者』とか『虐殺者』とか言ってんだ。あの人にそんなひでえことが出来るわけはねえ!機体を整備している俺達にもあれだけ気を使えるんだ。あそこまでなれとはいわねえが、オメエなりに頑張ってくれや」
それだけ言うと島田はビールの残りを飲み干した。
誠もやけになってビールを飲んだ。
のどが渇いていたのでそれなりにおいしい。
そしてビールをくれた島田を見ると、誠は満面の笑みを浮かべていた。