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第7話 『駄目人間』上司に嵌められて

 ランの部隊の部屋からしばらく歩いた先にドアがあった。

 この時初めて気づいたが、各部屋には札のようなものがついていた。

 そのランが立ち止まった部屋にもそれがあった。

「『隊長室』か……」

 自分へ言い聞かせるようにして、誠はその札を読み上げた。

 札がついている以外は特に他の部屋とかわらない。

 ランはその部屋にノックをしようとして、やめる。

「言っとく。ひでーものをこれからオメーは見ることになる」

 少し怒りに震えながらランはそう言った。

「ひどいもの?」

 誠は何のことだか分からずそう返した。

「そうだ、ひでーもんだ。まあ入ればわかる。もし入隊を拒否するのは構わねーが、一応、アタシが『隊長』の面倒をみてるから、結局、アタシのところに話は回って来る。そん時は全部『嵯峨惟基が悪い』で通してくれ。頼むわ」

 ランは明らかに怒りの表情で隊長室の壁を見つめた。

「面倒をみるって……大人でしょ?ここの人って」

 ランは本当にあきれ果てたという顔をして誠を見上げてくる。

「戸籍上と見た目はな。じゃー入るか」

 そう言うとランは大きく息を吸い込んだ。

 誠はさすがに隊長を相手にするとあって、ネクタイに手をやり姿勢を正した。

 その様子をランはため息とともに見上げた。

「さっきの車の中でのアタシへの態度と言い、オメーは問題児にはならねーように見えて、火に油を注ぐタイプだな」

 そうランはささやいた後、隊長室の扉をノックした。

『いーよー入っても』

 誠にも聞き覚えのある間抜けな声が室内から響く。

 ドアの中を見たランは頬を引きつらせながら、足を踏みしめて室内に入っていく。

 誠もそれに続いて隊長室の中に入った。

「おい、『駄目人間』」

 ランがそう言い切った。

 隊長室に入ったばかりの誠にはその言葉の意味が理解できなかった。

「『駄目人間』だよ、俺は。そんな事、十分理解してるから。今更、指摘しないで……ふーん、そうなんだ……次はここでお話を聞こうかな……」

 隊長室の大きな机の前にランと並んで立った誠は目の前の大きな机の向こう側に座っている男に目を向けた。

 彼こそが誠を『嵌めた』張本人。すべての悪の元凶、嵯峨惟基特務大佐その人だった。

 嵯峨はピンク色の表紙の雑誌のようなものを読みながらタブレット端末をいじっている。

 その目は眠そうで、これまで誠が見てきた嵯峨の姿が、母に会うために取り繕ったものだったのだと感じさせるほど、緊張感のかけらもなかった。

「駄目人間。常識人だったら勤務中に風俗専門誌の閲覧なんてしねーんだよ。自重しろ、バーカ」

 一応は上官である。

 冷や冷やしながら誠はランに目をやった。

 軽蔑を通り越し、汚物を見るような目がそこにあった。

「すること無いんだから仕方ないじゃないの。時間は有限だよ。有効に使わなくちゃ……お金があればなあ……小遣い3万円の身じゃ雑誌を買ってチェックするのが関の山だ……お金ないかな……東都の古道具屋にでも行ってガラクタを骨董品にでっちあげて成金に売ったら茜の奴に怒られるし……俺のお得意の琵琶のCD出しても買うのは学校位だから印税なんて期待できないし……一応、俺は琵琶の家元だよ?平家物語の全編通しでやったことのある男だよ?それをまあひどい扱いだな、世の中は」

 ランは大きなため息をついた。

「時間がどうこうなんて話をしてんじゃねーんだよ。仕事中はちゃんと仕事をしろって話をしてんだよ」

 ランは初めてこの光景に立ち会った誠から見ても、何度も同じセリフを繰り返してきたことがよくわかるようにすらすらとそう言った。

「あのー隊長が読んでる……のは……もしかして……」

「そんな遠慮して隊長なんて呼ばなくていいよ。『駄目人間』とか『脳ピンク』とか呼んで。俺、プライドの無い男ってのを売りにしてるから。これ?ソープランドとかピンクサロンくらい知ってるよね?大人なんだから」

「はあ、一応……行ったことは無いですけど」

 誠は多少興味があったが、シャイな誠と風俗店は縁もゆかりも無いモノだった。

「詳しく説明すると隣の『風紀委員』が怒るからやめとくわ。そしてこれがその情報誌。結構、しっかり取材してくれてるから便利なんだ……店に行く金は無いけど行った気分になれる。良い目の保養だよ」

 嵯峨はそう言うとタブレット端末を机に置いた。

「これでいいんだろ?中佐殿」

 未練たっぷりと言う感じで嵯峨は渋々端末から手を放す。

「そのピンク雑誌をアタシの目の届かないところに置け。どこでもいい、アタシの視界から消せ。つーか、オメー死ねよ。死んでくれ。宇宙から消えてくれ、消滅してくれ。ホント、マジで」

 ランはまさにゴミを見るような視線でそう言った。

「ピンク雑誌ねえ……まあお前さんの見た目じゃそう言う意見しか出てこないわな。もっとも俺はロリコンじゃねえからナイスバディ―の熟女にしか興味がねえの。だから、熟女専門の店しか興味ねえんだ」

 ここまで駄目な人間が母の知人だということに誠はショックを受けていた。

 変な大人だとは思っていたが、ここまでひどいものを目撃したのは初めてだった。

「つまんねー御託(ごたく)を並べるんじゃねー。駄目中年!」

 さすがのランもキレた。

 これまでで、見た目は幼女で口は悪いが、ランは伝説のエースにふさわしい大人物であることは誠にもわかった。

 その上司が勤務中に風俗情報誌を堂々と読んでいる男である。

 誠は室内を見回した。

 その光景がまたイカレテいた。

 1番目に付くのは壁際にある日本の鎧である。

 日本史の知識が無い誠にもはっきりとそれとわかる黒い鎧が置かれていた。まずこれが目に付く。

 その隣には和風の弦楽器、たぶん『琵琶(びわ)』と呼ばれているもの、そしてその隣にはギターが置いてあった。この2つはあってもいい、好きなら弾いても人間性を高めることはあっても(おとし)めるようにはならない。

 その他は雑誌の山。

 多分ギャンブル系の雑誌なのだろう。目の前でランに威嚇(いかく)されて嵯峨は風俗情報誌を隊長らしい大きな机にある袖机の引き出しに座った。

 他にも戸棚が2つあるが、どうせろくなものが入っているわけではない。

『こいつは……正真正銘の『駄目人間』だ』

 誠は軽蔑の目で嵯峨を見つめながら、どんな啖呵を切って辞めてやるかを考えていた。

 嵯峨は雑誌の入った袖机を未練がましそうに何度も見た後、誠に向き直った。

「それより……誠、1つ言っておくことがある」

 いつも母に向ける真剣な表情の嵯峨がそこにあった。

 元々嵯峨はアラフィフなのに、見た目は二十代半ば、そして長身で筋肉質な上に二枚目と見えないこともない。

 
挿絵


 格好を付ければそれなりに決まるのである。

「なんですか?」

 もう辞める気満々の誠は高飛車にそう言い放った。

 その態度に不敵な笑みを浮かべた後、嵯峨は机に座ったまま頭を下げた。

「ごめんなさい。全部私がやりました。神前の人生をぶっ壊したのは私です。東和宇宙軍のパイロットコースもごり押しで通しました。ですから、ごめんなさい。許してください……許してくれるよね?神前は優しいってお前さんの母さんから聞いてるよ?」

 突然謝罪されて、これまでの誠のどういう捨て台詞を残そうかと言う考えが吹き飛んだ。

『この馬鹿中年!なんでそんなことやった!詰まらなかったかとか抜かしやがったら木刀で殴り倒すからな!』

 誠の精神は目の前の『駄目人間』に対する怒りで一色となった。

 いくら温厚な誠でもやられて大丈夫なこととそうでない事が有った。

 その限度を明らかに目の前の『駄目人間』の行為は明らかに超えていた。

「なんでやった……テメエだけじゃねーだろ。誰がやった……言ってみろ、中年」

 ここまで来たらこのキャラで押そうと誠は強気で乱暴な口調で詰問した。

 嵯峨は謝ったらもう済んだとでもいうように顔を上げ開き直った調子で椅子の背もたれに体を預けた。

「ここの全員」

 嵯峨はあっさりと口を割った。しかもそのしてやったりの表情が誠の怒りに火をつけることになった。

『ここの全員だ?ふざけるんじゃないよ!僕の人生どうしてくれるんだよ!』

 しかし嵯峨は怒り狂う誠を見ると逆にほくそ笑みながら話を続けた。

「まずさあ、就職活動で受けたインターン五社。一社もメーカーが入ってないから、これは潰しとこうってことで、これを全部潰した。技術屋だったらメーカーで技術を磨かなきゃ。商社なんて行っても技術が陳腐化したらすぐお払い箱だよ。希望者募って電話やらネットでお前さんのあることないこと書き込んで人事関係者に(さら)したら、どんな担当者も手を引くわな普通。情報戦は戦争の基本と言うのが俺の主義でね。それが見事にはまったわけだ」

 誠は思い出した。

 大学三年から始まる企業のインターン。

 担当者が次第に誠を汚物扱いするようになり、最終的にはすべてが立ち消えになった。

「そんなことしても、お前さんを欲しいという酔狂な会社があるの。二社役員面接まで行ったとこ、あったよね。そこにトドメを刺したのが、隣の人格者の幼女。俺からしてもナイスキャスティングだったと思うよ」

 そう言って嵯峨はランを指さす。

『この人……この嵯峨とか言う隊長を『脳ピンク』とか『駄目人間』とか言う割にしっかりその策略に加担していたのか?』

 ランは急に表情を消した顔で誠を見上げた。

 誠は怒りに震えながら、かわいらしいランをにらみつける。

「トドメを刺したのはアタシだ。オメーが幼女にしか欲情しないド変態で、その嗜好(しこう)を実行したことを演技と妄想でしゃべったら、落ちるわな、ふつー。あと、どちらも成果主義が売りの会社だから英語できなきゃ管理職になれねーぞ。オメーの語学力じゃ無理。定年まで係長か主任で終わるのは嫌だろ?だから潰した。思いやりが(あふ)れてるだろ?アタシ。『魔法少女』としてはそう言う客層をキープしておく必要があるわけだ」

 そう言ってしてやったりと言うように笑った。

『こいつ等全員悪党だ!そして!今更『魔法少女』ってなんだ!さっきあれだけ僕の魔法少女アニメ好きを否定してたよな!それがここに来て自分が『魔法少女』って言いやがった!コイツ本当に魔法が使えるんじゃないか!だから永遠の幼女なのか!』

 誠の心の中はそんな思いで満たされた。

 しかし、十年前の内戦から姿が変わっていないということはランが『魔法少女』なのかもしれないという気分になっていた。

「クバルカ中佐は『魔法少女』というのは比喩ですか?噓ですよね?そんなの実在しませんからね?」

 誠はとりあえずこの場で疑問をぶつけて見せたくてそう言った。

「地球人から見たらアタシ『魔法少女』なのかもしれねえな……でもそんなことはオメエの配属とは関係ねーや」

 ランは自分が『魔法少女』であることをあっさりと認めながら次の話題へと誠を導いた。

「まあ、ランが『魔法少女』であることは別としてだ。もし、俺や中佐殿のお眼鏡にかなう会社だったら、別に俺達は悪さしたりしないよ。まあ、うちでもお前の『才能』が貴重だから。お前さんのこと待ってたここの全員が押しかけて、お前の近所が大変なことになるかもしれないけど」

 そこまで言って嵯峨は顔を上げ誠を見て薄く笑った。

「待ってたんですか……僕を……それとさっきクバルカ中佐も言ってましたけど、僕の『才能』って何です?」

 誠は誰かに必要とされているという言葉に少し心を動かされた。

「誤解するなよ。お前にそんな可能性がある。その『才能』で自分達を危機を救ってくれるかもしれない。そう思っただけだ。俺達はお前に納得できる人生を送ってほしいの。でも、それを選ぶのは神前誠。お前だ。決めるのはお前。いいじゃん自分の人生だもの、選択肢があるなら選びなよ」

 嵯峨が言いたいのはここに残るかどうか選べという事らしい。

「今……決めなきゃいけないんですか?」

 誠はおずおずとそう言った。

「別に、期限なんて野暮なもんは切らないよ。悩んで考えて結論という奴を出しな。それまでうちの所属と言う事で東和宇宙軍に話は付けてある」

 静かにそう言うと嵯峨はテーブルの上に置かれていた見慣れない銘柄のタバコを取り出して火をつけた。

「それじゃあとりあえず『特殊な部隊』の面々に挨拶をしないとね。ここの部屋の真下に『運航部』っていう『変な髪の色』をしたねーちゃん達がいるから、そこに挨拶へ行って」

 嵯峨はそう言うと投げやりに手を振って誠に部屋から出ていくように促した。

『この部隊はおかしい!どうかしてる!』

 誠はそう叫びたい衝動を抑えながら隊長室の出口へと向かった。

「では、失礼します」

 誠はとりあえず逃げ出すことは後でもできると思いなおしてその異常な『隊長室』を後にした。


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