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第5話 可哀そうなのか勝手なのか分からない上司

「あったことあるんですね……詐欺……」

 誠はランの様子を観察しながら、何気なく言ってみた。

「……なんだよ……」

 そう言うと、ランはうつむいたまま静かに肩を落とし、ブルブルと震えだした。

「やっぱり、あったんですね……手口は何ですか?絵画詐欺ですか?振り込め詐欺?それとも投資詐欺?未公開株の優先割り当て詐欺……」

 誠が言葉を続けると、ランはゆっくりと顔を上げる。

 その目は涙を浮かべ、完全に幼女のものだった。

 顔も、口元も、表情も、まるで本物の子供……。

「うー……」

 萌え要素全開の泣きそうな目に、大粒の涙をためた幼女がそこにいた。

『かわいい……』

 さっきまでの態度の大きい、口の悪いガキとは打って変わって、今や見る者すべてが抱きしめたくなるようなキュートな幼女として存在している。

 ランの視線が遠慮がちに誠を伺い、タイミングを見計らっているように見えた。
 
『かわいいね、君』と言うべきか、それとも何も言わない方がいいのか、誠は迷ったまま見つめ返す。

 二人はしばし見つめ合った。

 次の瞬間――。

 ランはサッと涙を拭い、顔を真っ赤に染める。

 まるで湯気が出るかのように、真っ赤になった彼女は慌てて運転の姿勢に戻った。

「あのー、ランちゃん……?」

 誠は戸惑いながらも、背を向けたランに声をかけた。

「誰がランちゃんだ!エースの私に『ちゃん』付けできる資格のある人間は、これまでもいなかったし、これからも現れねーんだ!ちゃんと『偉大なるクバルカ中佐殿』と呼べ!それが嫌なら『人類最強のクバルカ中佐殿』と呼べ!アタシに勝てる人類はいねーんだ!まー相手が神様とか悪魔だったら、どーかわかんねーけどな!」

 そう言って振り返ったランの表情には、先ほどの幼女らしさは微塵もなく、完全に元の口の悪いガキに戻っていた。

 そして、今度は表情を消し、まるで悟りきった老練な戦士のような真剣な目つきで誠をにらみつける。

「……そんな……『人類最強』?吹いてるでしょ……」

 そう口にするのが精一杯だった。

 どう見ても幼女だ。

 ただ、その眼光だけは、これまで誠が見たことのない鋭さと、見る者を威圧して黙らせる凄味を備えていた。

「信じてねーか。『|深紅《しんく》の粛清者』はアタシの悪口、アタシが気に入ってるのは『|汗血馬《かんけつば》の|騎手《のりて》』って方の2つ名だ……アタシがとんでもないエースだって聞いてんだろ?状況を判断するには十分なヒントがあるんだ。敵を選んでから戦いな……」

 誠も『汗血馬の騎手』の名を持つエースの存在を知っていた。
 
 赤い機体を駆り、格闘戦無敵を誇ったエースの伝説を――。

「こういう『ヒント』が、いつもあるとは限らねー。1つのヒント……そこから自分の知識と勘でどうにか次に自分がするべきことを判断し、的確な行動に移す……まあ、ぽっと出のテメーにゃ無理だ。相手がそこまで配慮してくれると思うなよ。あの『脳ピンク』の隊長が目を付けたって言うから、下手な割に意外に筋があると踏んでたが……アタシの思い過ごしか……まあいいや」

 百戦錬磨の古強者が放つようなセリフを吐き、ダメ押しの殺気を帯びた視線を放った後、何も言わずに前を向いた。

 圧倒的迫力と、その見た目のギャップに、誠はただ呆然とするしかなかった。

 ランは静かに自動車の発進動作を開始した。

「……ただ、もしも役立たずなだけじゃなくて、見込みのねー馬鹿だったら、駅までタクシーでも拾えってとこだったがよー、オメーはウチに必要な人間だってことはわかったわ。オメーにはうちの馬鹿には無い『才能』がある。それだけは認めてやる」

 
挿絵


 車は順調に走り始める。郊外に入り、渋滞を抜けたらしい。

「オメーの仕事は、詰め所で椅子に座ってること、それだけだ。他は全く期待するに値しなねーや。逆に言うと、それをしている限り、オメーを必要としている職場であるという自覚が持てるわけだ。オメー向きだよ、うち」

 誠は座りなおしながら、窓の外の住宅街を眺めた。

「席にいればいいんですか?」

 誠は恐る恐るつぶやく。

「まあ、椅子にずーっと座ってろってのは、物の例えだよ。その例え出動があっても、オメー何にもできねーからな。うちの連中が命懸けで、オメーみてーな役立たずを守ってくれるんだ。いーだろ?そのオメーの『才能』をそん時に生かしてくれればいーだけだ」

 バックミラーには、ランの不敵な笑みが浮かんでいた。

「『才能』ですか?」

 誠はその言葉に違和感を感じながら、つばを飲み込んだ。

「そーだ、『才能』だ。多少違和感は感じるかもしれねーが、とりあえずその『才能』はウチには他にねーんで、オメー以上にその『才能』がある人間でも来ねー限り。安泰だ。多分一日中その才能を発揮する機会が転がってるから、ぜひその『才能』を伸ばしてくれ。うん、うん」

 冷静なランの口調で語られるその言葉には、妙な重みがあった。

「あのー、その『才能』って……なんです?」

「まあ、ずばり言わないのはアタシの教育方針でね。わかる奴はわかるってことだ。ちなみにその『才能』を極めると、テレビに出られる」

「テレビ?」

「そーだ、テレビだ。ま、今は知らなくていい。知ったらどうなるか、決まってんだろ。その『才能』しか持たない自分に絶望するよなー」

 誠はただ恐怖した。

 車はスムーズに、四車線の国道を進む。

「とりあえず、あと30分くれーかかる。寝とけ。スカタン。無駄にゲロでも吐いてみろ……殺すかんな!その間にアタシは将棋中継でも見てるわ……まあ将棋はアタシの趣味なんでね」

 ランはそう言って黙り込んだ。

 誠はちらりとバックミラーを見た。
 
 ランは明らかにそわそわしていた。

「眠った方がいいですか? 僕」

 その問いに、ランはふっと微笑んだ。


 誠にも、初対面の上司の車で胃の内容物を口から出すわけにはいかないという常識はあった。
 
 ランの言葉に甘え、錠剤を飲んで眠る。もちろん、それは『乗り物酔い』の薬である。
 
 薬の効果で誠はすぐに眠りについた。こうして、かわいい上司の前で醜態をさらさずに済んだのだった。


 「あの……」

 いつの間にか眠っていた誠が目覚めた。薄曇りの空、窓ガラスの内側に結露がついている。

 外の湿気はかなりのもののようだ。

 真夏である。ここ東都の七月は曇っていても気温が三十度を軽く超える。

 蒸し暑さを想像しながら、誠は汗をぬぐった。

 東都宇宙軍の本部地下駐車場で車に乗り、ランに思うままに罵倒され、勧められるままに眠り――そして、今ここ。

 『可愛らしい萌え萌えロリータな上官』の高級外車の中である。

 外を見る気分にならず、誠は伸びをしながらランの座る運転席の後ろをぼんやり眺めた。

「やっと起きたか……よく寝てたんで、声を掛けそびれた」

 ランがつぶやく。

 誠は窓の外に視線を移した。巨大なコンクリートの建物が並んでいる。すれ違うトレーラーは、何も積まれていないものばかり。

「おはようございます……クバルカ中佐……ここはどこですか?」

 間抜けな挨拶をする誠を、ランは呆れたように見た。

「寝ぼけてんのか? ここはオメーの寝言で何とかつぶやいてた『魔法世界』じゃねえ! 『現実』見つめろ! 周り見ろ! 窓の外見りゃどこかわかるだろ!察しろ!」

 言われて周りを見回す。

 灰色の巨大な建物群――工場地帯の風景が広がっていた。

「でもあの世界はこんなにモノクロの世界じゃなかったような気がするんですけど……」

 誠の口答えに、ランは冷ややかな目を向けた。

「オメーみてーな深夜アニメオタクには、世界はカラフルに見えるんだろーな! 魔法なんざ使える奴がいて初めて機能するもんだって、その深夜アニメで学ばなかったのか? アタシが知ってる限り、魔法使いモノの物語には、魔法を使えねー無能がいっぱいいて、魔法に感心する場面が出てくるのがお約束だぞ。違うか?」

 ランがアニメ知識を披露してきた。

「確かにヒロインが魔法を使えないと魔法少女モノじゃなくなるし、一般人がいないと魔法少女の影が薄くなっちゃうから……まあ、そういうキャラは出てきますけど……」

 誠は押されながら言い訳する。

「じゃあ、それでいーじゃねーか。改めて言うぞ、ここは魔法世界じゃなくて菱川重工豊川工場だ」

 勝ち誇ったようにランが言う。

「……ここが工場ですか?でかいですね」

 ちょうど一台のトレーラーが通り過ぎる。

 積んでいるのは、まるでトイレットペーパーのように巻かれた巨大な金属の円柱だった。

「ここが東都の東、三十五キロ東にある菱川重工豊川工場だ」

 ランは少し得意げに言った。

「『菱川重工豊川』?」

 誠はぼんやりとつぶやく。

「ったく……寝ぼけやがって……知ってんだろ? 中央総州内陸工業地帯の最大の工場って言ったらここだ」

 ようやく誠は理解する。

 東和共和国の有力財閥『菱川ホールディングス』の重要企業、その中でも『豊川工場』は、東和共和国が地球圏から独立した時まで歴史をさかのぼる、伝統ある工場だった。

「今は……ここの工場のメインの仕事は金属の処理っていう工程なんだと。でかい機械も作ってるが、そっちはあくまでついでだな。海沿いの新しい工場で作った方が輸送コスト面で安くつくかんな……当然と言えば当然か」

 誠はランの言葉につられ、外の工場群を眺めた。

「つまりだ、コンテナに載せるってことは、当然大きさに制限があるわけだ」

 ランの口調が少し悲しげになる。

「はっきり言うと、『工場』としてはここは『終わって』るんだ」

「終わってる?」

 誠はその言葉の意味が分からず、聞き返す。

「花形の大型重機やらの最終製品出荷なんて諦めた、ただのでっかい部品工場でしかねーんだ。その原料も系列の素材企業から買うしかないから、素材の値段すら決められねえ。でっかい町工場。それがここの今の本当の姿だ」

 最後の賭けで東和陸軍の制式シュツルム・パンツァー採用コンペにも見事に負けた。

『もうここは詰んでるんだ……僕の行く『特殊な部隊』も……』

 誠は改めて窓の外を見た。

 確かに工場の建物は古びている。中には朽ち果てた建物すらあった。

「輸送手段が陸路だけ。しかも、周りが新興住宅街で渋滞ばかりでトラック輸送もアウトだったら、もう終わるしかねーだろ?どうだ、アタシは社会や産業にも通じてんだ。『勉強』しな……もっとな」

 ランは静かに言う。

「……インテリなんですね……ちっちゃいのに」

 本当に感心しながら誠が言うと……

「インテリじゃねー、常識だ。知らねー奴は、全員勉強が足りねーんだ」

 ランは皮肉っぽく笑った。

「おー見えてきたぞ。オメーの配属になる部隊だ」

 その先に、コンクリートの高い壁が続いていた。

「見えたぞ。あれが、まー、うちの駐屯地だ」

 誠は窓の外を眺める。

 左右に視界が続く限り、果てしなく壁が広がっていた。

「広いんですね、本当に」

「当たり前だ。『特殊な部隊』の活動拠点だから広くて当然だ」

 ランの表情は相変わらず笑っている。

「まー、隊長好みの『落ちこぼれ』や『社会不適合者』を集めた『特殊な部隊』だからな」

「……『落ちこぼれ』……『社会不適合者』……?」

「そーだ。オメーは立派な『高学歴の理系馬鹿』兼『社会不適合者』! ちゃんと該当してるじゃねーか!」

 ランの満面の笑みに、誠は胃の奥から込み上げる嫌な感覚を覚えた。

「……はあ」

 そして、ランはトドメの一言を付け加えた。

「それと、オメーの機体にはちゃんと『エチケット袋』を用意させるつもりだ! 安心しろ!」

 誠は本当の意味で、『特殊な部隊』へと配属されてしまったらしい。

しおり