第4話 嵌められて『特殊な部隊』への道
「あのー……」
後部座席の座り心地を確かめながら、誠は手を挙げて質問した。
運転席では、小さなランが大きな座席にちょこんと座っている。
彼女がどうにか運転できるのは、ペダルに特製の下駄が取り付けられているからだった。
「……なんだよ」
しばらく無視を決め込んでいたランが、信号待ちのタイミングで振り返り、不機嫌そうに応じる。
「ナビ……付けないんですか?というか、ナビのあった場所、スカスカで気持ち悪くないですか? それともナビの無い車種ですか? そんな車なんてあるんですね……初めて見ました」
誠はそう言って、ランが座る運転席の隣にある大きな画面を指さした。
「ナビ? 半人前が説教か?笑わせんなよ。……カーナビのことか。付いてねーよ、この車。つーか外した。機械の指示で運転なんてまっぴらだ。虫唾が走る。完全な自動ってのは嫌いでね……オメーはいいよな。下手で馬鹿で間抜けだから」
ランは吐き捨てるようにそう言うと、再び運転に集中した。
「実働部隊ってどこにあるんですか?それ聞かなかったです……どこにあるんです?」
純粋な疑問を口にした誠に、ランは一瞬唖然とした後、右手で頭を軽く叩きながら再び前方を見つめた。
「オメーの配属先はどこだ?言ってみろ」
明らかに怒りを抑えていることが分かる口調で、ランは問い詰める。
「正式名称が無茶苦茶長くて……なんだか『特殊な部隊』って呼ばれてるところですけど……」
誠は素直に答えた。
「そいつはどこにある……言えるだろ?それくらい」
ランの語気がさらに強まる。
「知りません……っていうか……司法局実働部隊って何なんです?『特殊な部隊』って何です? 特殊浴場のことですか?」
誠の無邪気な疑問に、ランの顔がみるみる怒りに染まる。
「このクソ野郎!テメーはパイロットだろ?まあ、使えねード下手だけどな。だったら『シュツルム・パンツァー』を使う所に決まってるだろ!書類上オメーの籍があんの!頭に白子ポン酢かあん肝でも詰まってんだろ!ポン酒のアテとしてちょうどいいな!」

ランは怒りに任せてハンドルを放り出し、後部座席の誠を怒鳴りつけた。
「危ないですよ!興奮しないで!前を見て!前!運転中です!」
誠が慌てて叫ぶと、ランはハッとして、すぐにハンドルを握り直した。
「オメー……何にも知らないんだな……理科大も落ちたもんだ。こんな使えねー馬鹿を社会に放出するなんて」
ランは自分自身を落ち着かせるように、静かな口調で言葉を絞り出す。
「司法局は知ってますよ。東和同盟加盟国の警察を統括する組織で、国際犯罪の捜査の指揮とか、海外逃亡犯の情報を配ったり……まあ、テレビのニュースにも時々出てきますから。でもその下に『実働部隊』なんてものがあるなんて……聞いたことがない。機密が必要な組織なんですか?」
その言葉は誠の本心だった。
辞令を受け取ったときから、どうせロクなところではないと思っていたが、まさか本当に誰も知らない組織だとは思わなかった。
「なあに、所属なんてーもんは方便って奴だ。まあ、お巡りさんの身分があると色々便利っちゃ便利だしな。うちの『仕事』とされてるもんは、正規の兵隊さんが政治的理由とかなんやらで出ていけないところに出かけてって喧嘩すること……まあ、そんぐらいの知識でいーんじゃねーか? 今んところ……」
ランは運転しながら、誠の様子をバックミラーで伺う。
「まあ、うちが何者かなんて知識が必要になるまで、オメーが逃げ出さなかったら……そん時教えてやんよ」
その言葉に誠は不安を感じ、思わずバックミラーを覗き込んだ。
そこに映るランの口元は、楽しそうに笑っていた。
車は東和共和国の首都・東都の都心を抜け、千要の主要都市に向う国道へと乗り入れた。
「このまま行くと……海ですね」
誠は沈黙に耐えかねて、何気なく口を開いた。
「海だ?そんなに行かねーよ。後は豊川の基地まで50キロ。時間にして一時間前後……まー渋滞が無ければだけどな」
ランは淡々と答えた。
「豊川ですか?千要県ですよね。空港がある……って、あそこって住宅街しかないじゃないですか? そんなところに基地なんて……」
車の窓の外、中央環状線の外側に林立する高層ビルを眺めながら、誠は疑問を口にした。
「まあ、国鉄と私鉄で一時間前後のベッドタウンだし、開発が進んでるのは事実だが……あそこには、菱川重工の工場がある」
ランが独り言のようにつぶやく。
「菱川重工……東和では航空機や宇宙船建造の四大メーカーですよね」
誠は思い出しながら答えた。
「まーな。あれだぜ、あそこ、シュツルム・パンツァーも作ってんだ。先月、採用が決定した東和海軍向けの水中対応型局地シュツルム・パンツァーの『海|07《まるなな》式』を開発したのが、あそこだ。良い出来田だったぞ……あれはあれで」
ランはそう言うと、再び黙り込んだ。
しばらく沈黙が続いた後、ランが口を開く。
「行き先は豊川。菱川重工豊川工場だ」
「菱川重工豊川工場……工場に基地?」
誠は戸惑いながら、ランの後ろ姿を見つめる。
「あそこはな、東和共和国建国時に国策で発足した『豊川砲兵工廠』が元になってる工場だ。それが菱川コンツェルンに払い下げられて、今に至ってる」
ランの説明に誠は驚いた。
「そんな歴史が……」
「まあ、要は古い工場なんだわ。今じゃ、臨海部の新設工場に主要な生産ラインが移ったが、遊休地もたんまりある……そこで、アタシ等の部隊があるってわけだ」
誠はランの表情をバックミラーでうかがう。
「それにしても……豊川か……」
誠は、まだ見ぬ新たな土地の名を、かみしめるように呟いた。
車の外。
郊外へと向かう国道に寄り添う建物たちは、次第に小さくなり、誠にもここが都心部とは呼べない場所になったことが分かった。
「そういやー、オメー。職場環境とか聞かねーんだな。結構大事だと思うんだがな。アタシは。まあ、そんなに危機感がねーのは、酒盗でも詰まってんだろ。オメー酒盗も知らねえだろ? カツオの内臓の塩辛のことだ。くせーが、慣れると味があって良いもんだぞ、あれも」
突然ぽつりとランがそう言った。
「日本酒党なんですね、中佐は。職場環境って……何か問題でもあるんですか?」
誠がそれとなく尋ねてみた。
運転席では、頭の頂点しか見えないランが、その頂点を驚いたようにピクリと動かした。
また、しばらく沈黙が流れた。
「やっぱ、言わなきゃだめだよな……言わなきゃ。次は乾きもので行こうと思ったけど」
ランの口調には、明らかに「言いたくない」という心の揺れが表れていた。
「しゃーねーなー。あの『馬鹿娘達』と『ゆかいな仲間達』の話は、うちじゃー避けて通-れねーからな。うちにゃー馬鹿がいる。特にその中の三匹……いや、他に一匹ひでーのが……割り算できない馬鹿がいてさー。隊長は……あの『プライドゼロ』は別格だな」
ランは、ひどいことを迷いながらも言った。
「あの……『馬鹿』とか『ゆかいな仲間達』とか『割り算できない』とか『プライドゼロ』とか……クバルカ中佐、無茶苦茶言ってません?」
誠はランの言葉に冷や汗をかきながらつぶやく。
「なーに。隠し事なんてーのはいつかバレるもんだ。たぶん、主要な馬鹿がオメーとやたら絡むことになる。そんでだ……」
一度ランは誠を振り向いた。そして、困惑の表情を浮かべる誠を確認すると、再び前を向き運転に集中する。
「多分、オメーはそいつ等にとっちゃ常識外れの馬鹿だ。パワハラ、セクハラ、その他社会問題になるようなハラスメントのターゲットにオメーはなる。かわいそうに」
……ランは、ひどいことを言った。
その内容通りの職場が実際にあるなら、すぐに然るべき機関に相談するべきだ。
誠にも、それくらいの常識はある。
「冗談……ですよね?」
恐る恐る、誠はランに問いかけた。
一瞬、時が止まった。
低速で走っていた車が、前の車が停止するタイミングで止まった。
すると、ランは満面の笑みを浮かべて振り返った。
「おい!能無し!テメーみてーな落ちこぼれに、人並みの職場が待ってるとでも思ったか?オメデテーな。クズにはクズにふさわしい居場所があるってことだ。そこに空いてる席があるから、アタシはそこにテメーみてーなクソ馬鹿を座らせる。その為にアタシは今、車を運転している。アタシがさっき、うちは馬鹿しかいねーカスの集団だって紹介したのは、そいつ等に会ったとき、テメーみてーな無能が卒倒しない為のアタシなりの配慮だ。そのくらい察しろ、低能」
誠は、怯えた表情を浮かべながら、ランを見つめた。
彼女は満足げに誠を上から下まで眺めた後、再び前を向いてハンドルを握りなおした。
さすがに、温厚なのが数少ない長所であると自覚している誠でも、ここまで罵られれば怒る。
『なんだ? このガキ……こいつがあの遼南内戦共和軍のエース? 別人が来てるんじゃないのか……このチビがクバルカ・ラン中佐本人だって証拠は見せてもらってないじゃないか』
誠の目は、冷たいものへと変わる。
「……神前……まあいいや。若いオメーには分からないことがある。それを全部説明するほど、アタシは親切じゃねーからな。でだ、オメーに悪さしそうなアタシの部下達。まあ、言っても信じちゃくれねーだろうが、その悪さは、悪気でやってるわけじゃねーんだ」
車はまっすぐ進む。
「悪気じゃない?」
「かばう義理はねーが、連中は悪人ではない……まあ例外がいるから全員そうだとは言わねーが、あの馬鹿共全員には、歓迎すべき人間を見抜く才能がある。まー大概、結果的にその人間に迷惑しかかけねーがな」
ランは淡々と言い放つが、誠には信じられなかった。
「それで、セクハラとかパワハラとかその他もろもろのハラスメントをするんですか? その『善意』とやらで」
「だから、そう感じたらうちを辞めてもいーって最初に言ったじゃねーか、バーカ!」
相変わらずの口の悪さ。
完全に呆れ果てた誠は、視線を窓の外に移した。
「かわいそうだと思うよ、オメーは今回|嵌《は》められて……」
「チビ……今『嵌めた』って言いましたよね?」
誠の猜疑心は、一気に確信へと変わる。
「……聞き違いだろ……アタシはそんなこと……」
ランの口調が弱弱しくなった。
これまでの自信は完全に吹き飛び、言葉は震えていた。
「聞きました! ちゃんと『嵌めた』って……」
誠は言いかけて、途中で後悔した。
目の前の相手は、どう見ても幼女である。
さすがに幼女を困らせるのは、大人としての良心が痛む。
「コホン」
ランは咳払いをした。
「あのー、ランちゃん……」
誠は、優しく声をかける。
だが、ランは完全無視。
誠が再び声をかけようとしたとき、車は左の路側帯に入り、停まった。
「ランちゃん?」
不穏な雰囲気が車内に漂う。
「おい、ボングラ」
ゆっくりと振り返ったランの目は、明らかに誠に向けて殺意を放っていた。
「あのー」
あまりの豹変ぶりに、誠は慌てる。
「おっ……、今、言い訳したな……誰が許可した。そんなこと一体誰が許可したんだ。言ってみろ……言えないよなー……そーだよなー。だーれもそんなこと許可してねーんだ」
ランは、にじり寄るように誠を睨みつける。
「言いました」
誠は静かに確信した。誠に残された選択肢は、それだけなのだと。
「嵌められるってのはな! 馬鹿だから悪りーんだよ!」
車内に響く、可愛らしい毒舌ボイス。
誠は、ただただ呆れるばかりだった。