2
∞・∞・∞・∞・∞
突如として、国内第二位の魔法数を使えるようなった伯爵令嬢が登場した。
アレス伯爵家の、ユーニ・アレス。十八歳の誕生日を迎えた成人と同時に、突然、彼女は魔法の才能を開花した。
それはとても稀有な現象であり、〝魔力の質がいいからなのでは〟と聖女を生める可能性に貴族たちの注目が一気に集まった。
ちなみに、魔法数第一位は、アンドレアだ。
そうして、彼が伯爵令嬢といい感じだという噂があっと言う間に登場する。
それをエステルも耳にした。
アレス伯爵家は、聖女が生まれる可能性を大々的に広げているようだ。
それを王家が聞き、王太子へ引き合わせた。
それからいい感じであるということは――アンドレアは、魔力量もそこそこあり、魔法数が自分に続く彼女を気に入った、ということだ。
エステルは心が揺さぶられるのも疲れ果てていた。
その話が聞こえてきても、公爵令嬢としての涼しげな微笑を崩さなかった。
「そう」
ずっとそばで使えてきたメイド達は、彼女を心配した。
家族は『魔力量があるからこの結婚は覆らない』として、心配していない様子だった。
普通ならばそうだ。たいていは、だ。
これまでまったく結婚の気配さえ見せなかったアンドレアだ。
女性と交流を取っているというだけで、かなりの注目を集めた。
そして噂好きの貴族たちによって、エステルもきちんと交流しているようだ分かった。
(……私とは、社交以外は会う理由も作ってくださらないのに)
アレス伯爵が娘を連れ、王宮でアンドレアも交えて茶会をしたという話も流れてきた。
そうすると両親も、さすがに少し心配した。
「うまくやっているんだろう? お忙しいとか」
社交はきちんとしている。
公務にも、必要な際には同行させてもらってはいた。
けれどその姿だけを見て『うまくいっている』なんて思うのは、魔力量のせいだ。
(――そう、全部、この魔力のせい)
役にも立たないモノ。
王太子であるアンドレアを、エステルとの結婚に縛りつけてしまっている邪魔なもの。
公爵令嬢としてきちんしなければと思い、両親を心配させまいと大人ぶって弱音の一つも吐かなかった。
娘を溺愛している両親が、そして兄が、エステルのことを考えてどうにか王太子の婚約者でさせなくすることが――婚約者に決まって数年だった頃は、怖かったのかもしれない。
七歳で出会って、あれから十一年。
当時は幼い。それでいてまだ年の浅ければ、多少の力業で公爵家から引き下げもできただろうが。
とっくに、その期間は超えてしまった。
(そう、私が悪いの)
あの事件が起こる前に、数回会っただけでどんどん恋をして、将来は彼の妻になるのかと胸をときめかせた。
失望させたと分かった深い悲しみの中でも、恋をして間もない女の子には、自分からどうすることもできずに――それから数年、アンドレアへの想いは愛となった。叶わないからこそ思いはどんどん膨らんだ。
いまさら両親に、公爵令嬢としての落ち着き以外の何を見せていいのかも分からないくらいに、エステルは立派なレディになっていた。
「何かあるのかね?」
「…………」
微笑み、ただただ口を閉ざす。
沈黙は肯定だったが、父も母もエステルが心を知らせていないから、やはり分からないようで顔を見合わせていた。
諦めきっていたから、ユーニのことを耳にしても、嫉妬などは起こらなかった。
だから両親も、何がなんだか分からないのだろう。
――感じるのは、ただただ悲しみ。
そしてエステルは、ただ純粋に、こう思うのだ。
「私は……伯爵令嬢が、羨ましいわ」
私室で一人になってようやく、彼女はそんな本音を口にすることができた。
王太子と伯爵令嬢の話は、それからもどんどん出てきた。
ユーニ・アレスが、ピンクブラウンの髪と目をした愛嬌もある美少女だったせいもある。
エステルとアンドレアの婚約の危機の話がひそやかに広がっていく中、伯爵令嬢はエステルと違って可愛げがある、という揶揄までどこからか出始めた。
そうすると、伯爵令嬢が結婚の有力候補なのではという噂が一気に広がった。
アンドレアはそれを否定するような声明も、一切発表しなかった。
(きっと……結婚相手を替えたいのね)
可哀そうな王子様、とエステルは眠る前に彼に同情する。
明日は、エステルが誕生日を迎えて一か月半、秋のシーズンの開幕を祝う式典が王宮で予定されていた。
ユーニが現れてから、初めての顔合わせとなる。
胸が、ずぐりと痛む。眠れるか心配になってくる。
(大丈夫、もう悲しむのも苦しむのも、疲れてしまったもの……)
彼の前では、せめて、態度だけでも相応しい公爵令嬢でいたい。
結婚相手を替えたい気持ちがあるのかどうか、エステルは明日、彼自身の様子で確認するつもりだった。
そして、もう、終わりにする。
エステルには、王家の決定を変えることはできない。
でも――替えざるをえない方法なら、知っている。
(ほとんど魔法が使えないと知られている私に、唯一できる魔法……)
皮肉にも、大怪我をしたことが彼女にその魔法を使えるようにさせた。
魔力量が国内の女性でトップだったせいで、アンドレアはエステルを婚約者にとあてがわれた。
アンドレアは古い婚姻事情よりも、国をよくできる女性を妃にしたいのだろう。
その意思を、エステルも尊重している。
そして――叶わない恋に、終止符を打ちたく思っている。
(叶わないと分かっているのに、そばにいたら、胸が苦しくなるくらいにあなたのことを忘れられないの)
閉じた目から、誰の前でも見せたことがない涙がそっと流れた。
たぶん、家族にもとうとう見せてしまうことになるだろう。
(でも……)
もう、これ以上心がぼろぼろになりたくない、というのも本音だった。
アンドレアが、たとえば魔力量云々でエステルを正妻にし、のちに伯爵令嬢を娶るとなったらどうか。
その時には、エステルは壊れてしまうだろう。
恋した人の幸せを、隣で見せつけられるのは無理だ。
彼の前では、せめて呆れられないような立派な公爵令嬢でいたい。取り乱すなんてことも、恋をした彼の幸せな結婚を祝福できないことも、嫌だ。
(彼が気に入ったのなら、……立場も全部、伯爵令嬢にあげるわ)
エステルが与えられない笑顔や、安心感を彼にもたらしてくれるのなら、言うことは何もない。