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【034:エピローグ4・だけどね】

週の初め。熊谷切子の日常は溜息から始まる。
床に乱雑に捨てられたビール缶。何に使ったかわからない汚いティッシュ。酷いのはカップラーメンのゴミまでもが床に散乱している。
整理ができないだらしない人、であればまだいい。良くはないが、自分の怠惰さを自分で請け負うのだ。
しかし乱雑にやりたい放題暴れた張本人はパソコンで動画サイトを視聴しているのだから、これをゴミ人間と言わずなんと言うのか。
追記だが、ここまで汚くなるのは日数を要する。
代わりに掃除するはずのデブメイドがサボっているツケを払わされる身にもなってみろと言ってやりたい。
「やあ切子さん。会いたかったよ」
「でしょうね」
早く片付けろと言う嫌味にしか聞こえず、それでも仕事なので渋々とゴミを拾い上げて行く。
主のパソコンの画面はあまり見ないようする。
AVを流されるセクハラ好意程度ならまだ我慢はできるが、蜘蛛の捕食動画を見た時は本当に嫌悪しかなかった。
この日はどこかのバンドの動画が流れていたが、今回は偶然にも切子も知っていた。
「へえ、主殿。ゆかりを聞くんですね」
今人気のあるインディーズバンドだ。
人気沸騰のきっかけは『燦歌を乗せて』のモデルになった背景があるのだが、切子はそこは知らなかった。
「良いバンドだよね」
「はい。私も好きです」
箱と言うのだろう。ライブハウスいっぱいになり観客全員が一体になって歌うそのパフォーマンスは、誰もが彼女に陶酔する。
音楽は楽しいんだ。
その一点のみで勝負する想いをぶつけるバンドに人は共感をする。
「かっこいいですよね。ゆかり」
「うん。そうだね。ボクも大好きなんだ」
腕をかぜせば会場が湧く。マイクを向ければ歌がこだまする。ギターを握れば……うん、ギターは変わらず上手くはない。
それでも、音楽が大好きなんだと伝わってくる。
「かっこいいですね」
うん。と頷く。本当に、なんでこの場にボクがいないかと後悔するほどだ。連絡してくれればいいのに。
画面越しのゆかりはキラキラして祝福され、誰よりも輝いてかっこいい。
「ゆかりと主殿は同世代ですよね。すごいですね。主殿も人から認められるように、頑張ってご自身の部屋の片付けから始めるのはどうでしょうか?」
「光一様の場合、ご自身で掃除機まで済ませており使用人である私がもてなされていると感じるほどです」
「前々から申しておりますが、この汚いティッシュを女性に片付けさせる事を喜ぶ特殊性癖でもお持ちなのでしょうか? 一度病院にかかる事を推奨します」
「朝から夜まで生産性のないネットニュースに意見をするだけの怠惰な毎日。良いですよねえ久慈の主様は。そうやって自分の人生に当事者意識を持たないまま何の責任も取らずに歳を重ねていけるのですから」
「今日は蛇の脱皮動画は見ないんですか?」
「ねえ切子さん。人は言葉で死ぬんだよ?」
グチグチと説教をされても、画面の中に釘付けだった。
キレイな嫉妬と言うのだろうか、日本語を十分に扱えない自分の未熟さが悔しい。
かっこいい。
誰よりもステージの上で祝福されている彼女はまさにスター。皆の憧れであり、誰もがかっこいいと心を奪われる。
かっこいい。こうなりたいと、その場に居たいと妬まれる。
かっこいい。だけど、だけどね――。
狂う惜しいほどかっこいい。
「けどね――」
自嘲する。
あはは、と笑うと不意に漏れたその言葉の先を紡いだ。

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